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恵栖二市市長霊廟

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 恵栖二市の名所・奇所を探訪するこのコーナー、前回の予告通りに“誉れ高き筋肉の殿堂”を訪れたいと思います。
 恵栖二の西端、白太羅山脈のふもとを覆う恵栖二樹海の入り口に、恵栖二市最大の霊園があります。恵栖二市街を西から睥睨することのできるこの巨大な霊園は、現在のように整然と区画整理された大元が鎌倉時代には作られていたそうですが、最古の墓所は鎌倉以前の古代に存在したそうです。それこそが歴代恵栖二市市長が埋葬される、通称“誉れ高き筋肉の殿堂”。霊廟は霊園の他の場所と異なり尋木寺による管理ではなく、市によって運営されています。考古学者や歴史学者による地下部分の調査要望が市の方に出されており根気強く交渉がされているそうですが、恵栖二市役所神祇課からなかなか許可がおりないようです。
 殿堂が現在のような大理石をふんだんに使った、豪奢な宮殿とも見まがうような建造物になったのは戦後のことです。それ以前の建物は、室町時代末期に恵栖二守護役赤塚鯛乃介が夢に見た豪僧の導きによって見出した岩室だったそうです。その岩室はといいますと戊辰戦争の折りにこの地を制圧したイェニチェリと恵栖二イスラム青年同盟の連合軍がありったけの火薬を用いて爆破してしまいました。そのため地上部分はなくなりましたが第二次大戦後に市の神祇課が再編された際発掘が行われて、今の殿堂に発掘品が納められています。
 霊園を抜け、緩やかながらも長い階段を昇りきると白亜の霊廟が目に入ってきます。神聖さとともに見る者の心胆寒からしめる苛烈さを伴う迫力が備わっており、僅かな参観料で建物を自由に見学できるのですが、先週紹介しました大聖堂と異なってあまり人の姿を見かけません。週末になれば観光客や地元のオカルトファンが訪れるくらいです。建物の規模と形容から判断するに、立地条件の悪さだけではなく、この人を寄せ付けない雰囲気そのものが問題なのでしょう。
 この霊廟は東館、本館、倉庫の3つの建物からなっており、参観者が入場できるのは東館と本館です。大人二百五十円(子供は百二十円)の参観料を支払いチケットを購入してゲートをくぐると、霊廟の中庭に出ます。まず目に入るのは天を拳で衝く、足元に犬だか狸だかヨコーテだかのお供を従えた巨人の像。文献によると恵栖二の最初の支配者である磨威・世鈷諦像です。岩室後から発掘されたこの像は夜毎に苦悶の声*1を上げるなど様々な噂が立っています。その上、2年前に盗掘のために忍び込んだ学者崩れが拳に貫かれて死んでいるという事件がありました。幾度か移動させようと試みたのですがその度に奇怪な現象が起こったため、現在は像の前に小さなお社が建てられ世鈷諦の霊を祀っています。
 磨威・世鈷諦もそうですが恵栖二の歴代支配者は非業の死を遂げた者が多く、彼らの魂を一箇所で慰撫し、安らげる事で平和を保っているのかもしれません。
 中庭からは東館と本館へ続く順路があります。本館は岩室跡から出土したモノや恵栖二各地から集められた歴代支配者ゆかりの品々が飾られています。現市長が素手で撫で殺した土星猫の剥製、先代市長が素手で絞め殺したホッキョクグマの剥製、先々代市長が素手で殴り殺した雄獅子、先々々市長が素手で息の根を止めた野生のタイガー重戦車などなど、人体の無限の可能性を感じさせるメモリアルばかりです。そういった記念碑的なものではなくとも目を引くのは『恵栖二上人絵巻』でしょう。そのかみ、恵栖二の地は人もほとんど住まない荒野だったのですが、旅の上人がこの地の怨霊を鎮め人々が安らかに暮らせるようにしました。その様子が見事な毛筆画で描かれた巻物が飾られているのです。登場する怨霊が「舞横」というコヨーテ状の奇怪なクリーチャーなのですが、これは恵栖二各地に伝わる昔話によく出てくる妖怪です。この絵巻より以前の書物で取り上げているものはないので、恐らくこれが原典なのでしょう。中庭にある像とも関係のあるものだといわれています。
 資料館としての役割の強い本館に較べて、東館の方は一層異様な雰囲気を強めています。本館内を巡る参列順路に沿って歩くとやがて東の扉を抜けて外へ出ます。夥しい鳥居が螺旋状に配置されており、かつて岩室があった位置に建設された東館ホールの周囲を何重にも取り巻いているのがいやでも目に付きます。ガイドの方によると、東館ホールへ向かう途中、これらの鳥居をくぐる時に所定の儀式をしなければならないそうです。本館出入り口のところにも記載されているのですが、敷石の目印通りに歩を進め、と同時に鳥居に書かれた文字を読む事で鎮魂の儀式を行います。これが守れない方や異教徒は東館には立ち入れない決まりになっています。幾百、幾千もの鳥居を潜り抜けて東館ホールへ辿り着くと、「守鬼守鬼守ー不破不破不ー困難鬼餅迷路迷路泥*2」という神祇官達の謎の祈りの文句が出迎えてくれるでしょう。
 小学校の体育館ほどの面積のある円形ホールの内部にさらに小さな半球形のドームがあり、その中には岩室を形成していた巨岩が安置されています。巨岩の前に設置された祭壇で恵栖二市神祇官たちが昼夜の別なく儀式を行っているそうです。参観者が入れるのはここまでで内部でどんな儀式を行っているのかは推測するしかありません。中心のドームを取り巻くように歴代恵栖二市長の墓碑が配置され(その下に実際眠っているそうです!)、神祇官たちと一緒に死後も恵栖二を守護しているそうです。
 この巨岩とともに祀られているのは羅亜陀真教全裸派の教典に「そを名づくれば物語は終焉を迎えん」と呼ばれている存在で、かつて世界を破滅の危機に陥れた恐るべき祟り神だそうです。この東館内部は非常に圧迫感があり、常に誰かの視線を感じます。その上頻繁に意識を失ったり正気を失ったりする人が出るそうです。ですがここを訪れる参列者が居なくなる事はありません。先代以前の市長の参列に来る方も当然いますし、恵栖二随一のミステリースポットとして他誌でも紹介されたことと、この地に伝わる噂(ここである儀式を行うと不思議な力が身につくそうです)も手伝い、盛況とは言えませんがそれなりに人が来るようです。ただし、少しでも騒ぎを起こすと神祇官の手によって強制的に退去させられてしまいます。
 毎年国恥記念日になると市長はここを訪れ歴代市長に市政の報告を行うのですが、それは皆さんもご存知の事でしょう。野党からは神祇課の存在を疑問視し、市の財政の無駄使いだと糾弾する声も時折あがります。過去に、市長戦前は公約に神祇課の解体を掲げていた選手も市長になるとそれを撤回する事がままありました。現市長も以前インタビューをした時に「彼らは人知れず恵栖二を守っていると言っても過言ではない」と答えた事があります。おそらくこの巨岩に謎が隠されてると思うのですが、読者の皆さんもこの謎に一度挑戦してみてはいかがでしょうか?
 さて次回、表では華やかなる恵栖二の、暗部にして吹き溜まり、全市の犯罪発生率中およそ八割を占めるという恵栖二港湾再開発地域、通称「スラム・エスニ」を紹介いたします。

(文筆:八咲光琳)

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注釈

*1 『うぐぅ』と言うらしい

*2 スキスキスーフワフワフーこんな気持ちメロメロディ