このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。
主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。
ここでは信長の野望・太閤立志伝の人物について扱います。

参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨)

武将別伝(戦国)
ア行
ア2
ハ行
カ行 マ行
サ行 ヤ行
タ行 ラ行
ナ行 ワ行
史実姫

芳賀高定 (はが たかさだ)

(1521~1588)宇都宮家重臣。益子勝宗の子で芳賀家を継ぐ。幼君・広綱を支えて主家の再興を図り、外交と合戦に奔走した忠臣。

革新  統率 64 武勇 41 知略 82 政治 81 義理 84 計略A,内政A
天道  統率 64 武勇 51 知略 82 政治 81 義理 84 弓B
太閤5 統率 59 武力 36 智謀 72 政務 64 魅力 60,野心 54  

+ 太閤立志伝VのMAD。ツインテール
太閤立志伝Vの足利義氏ネタのMAD動画をこととした新厩橋備大将(「村雨の人」とも)氏の作品。芳賀高定は何故かよく弄られた。ツインテールに改変された画像で有名。



畠山義総 (はたけやま よしふさ)

(1491~1545)能登畠山家第7代当主。家中の内紛を収めて当主権力の強化を図り、七尾に堅城を築いた。戦乱を避け京から能登に逃れてきた文化人や教養人を保護し、商工業を発展させ、能登畠山家の全盛期を築いた。

天翔記 戦才122    智才154 政才166 魅力 83,野心 66 弁舌,流出  
蒼天録 統率 50    知略 72 政治 81 義理 70,野心 80     
天道  統率 85 武勇 80 知略 73 政治 82 義理 62 足軽A,弓A 弓強化

+ プレイヤー勢力、能登畠山家大名。紙芝居なし
天翔記SS版・1534年シナリオ。最初期の本格的プレイ動画である。
第47回で、志半ばにして世を去る。その死は天下に大きな波紋を投げかけた。



蜂須賀正勝 /小六 (はちすか まさかつ/ころく)

(1526~1586)織田→羽柴家臣。当初は秀吉と立場が逆だったとの説もある。墨俣城の頃から秀吉に仕えたとされ、裏方として彼を補佐し続けた。秀吉の四国征伐後に18万石の所領を得た。
ドラマやゲームではプロレスラーのような体格で山賊風の格好をしていることが多い。

革新  統率 72 武勇 82 知略 87 政治 70 義理 88 足軽A,計略S,兵器A,水軍B,築城B
天道  統率 72 武勇 82 知略 87 政治 68 義理 88 足軽A,兵器A

+ 応さ!
三話より登場。どんな事でも卒なく動く名補佐。どんなフリーダムな行動でも確実に補佐してしまう為、結果として半兵衛の頭痛はどんどん増す事に。視聴者曰く「この小六はダメだ」。



服部正成 / 半蔵 (はっとり まさなり/はんぞう)

(1542~1596)徳川家臣。松平清康に仕えた伊賀出身の服部半蔵(半三)保長の子で、半蔵の名を継ぐ。槍の名手で戦功を重ねて「鬼半蔵」と呼ばれた。三方が原の合戦後、伊賀者150人を預けられており、家康の江戸入部後は伊賀同心200人の長となった。
世に聞こえた伊賀忍者のトップとして、創作物などでは半蔵自身が(凄腕の)忍者としてイメージされる事がほとんどであるが、史実の服部正成は三河生まれの武将であり、忍者に関して言えば管理職のような役割である。父の関係から伊賀との関係は深く、家康の伊賀越えでは大きな役割を果たした。江戸城の半蔵門の名の由来には諸説あるが、服部半蔵の屋敷が門前にあったから、あるいは半蔵配下の伊賀衆が警備に当たったからとされる。

革新  統率 56 武勇 91 知略 88 政治 1 義理 95 足軽B,弓B,計略S,兵器A  
天道  統率 56 武勇 91 知略 88 政治 1 義理 95 足軽B,弓B,兵器A 乱破

+ ゲスト。その5で登場
エンターテイメントの王道「忍者もの」の傑作小説とその漫画家作品を紹介。



花房職秀 (はなぶさ もとひで)

(1549~1616)宇喜多家臣。武勇に長け、一番槍や一番乗りの功を多数立てたが、直言癖があり、宇喜多秀家に諌言して勘気を被り出奔。関ヶ原では徳川家康のもとで戦い、八千石を得た。
史実での通称が「助兵衛」であるため、名前ネタで弄られることがままある。正しい読みは「すけびょうえ」であろう。

革新  統率 60 武勇 87 知略 14 政治 8 義理 46 足軽B,騎馬B,水軍B
太閤5 統率 62 武力 78 智謀 30 政務 33 魅力 68,野心 22  

+ 毛利家臣→織田家臣
龍興によって引き抜かれ、斎藤家「二兵衛」を結成。ちなみにもう一人は黒田節で有名な母利太兵衛。



原虎胤 (はら とらたね)

(1497~1564)武田家重臣。通称「鬼美濃」「夜叉美濃」。信虎の甲斐統一戦と信玄の初期の治世を支えた武田(甲陽)五名臣の一人に数えられる。元は千葉一族の原氏出身で、甲斐に移って武功を重ね、足軽大将となった。
城攻めに長け彼が攻め取った城は補修の必要が無かった、今川家の福島正成を討ち取った、負傷した敵将を敵陣まで送り届けた、馬場信春が虎胤にあやかり「美濃守」を名乗った等、数多くの伝説を残している。

革新  統率 81 武勇 92 知略 30 政治 9 義理 39 足軽A,兵器B
天道  統率 73 武勇 92 知略 30 政治 9 義理 39 足軽A,兵器B

+ 武田家臣→徳川家臣
「美濃は俺のもの」という無茶苦茶な理由で「謎の軍師」龍興に追放されてしまった。
その後、徳川家に仕えており、見所のある後進との触合いを喜んでいる様だ。
信玄は和解を望んでいるが、システム的に無理である。




コメント欄

  • 北条の辺りから圧迫しそうだったので「ハ」行、分割させていただきました。 -- 名無しさん (2012-06-16 11:49:15)
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最終更新:2014年09月02日 10:26