このページは数あるニコニコ歴史戦略ゲー動画の登場人物について、各動画内での列伝をまとめていくものとして用意しました。
主役級の活躍を見せた人物はもとより、名脇役、好敵手からネタ☆キャラまで幅広く紹介されるページになることを願います。
ここでは信長の野望・太閤立志伝の人物について扱います。
参考用リンク先(需要のありそうなものがあれば随時追加推奨)
宍戸隆家
(ししど たかいえ)
(1518~1592)毛利家臣。元就の長女(次女とも)・五龍局を妻に迎えた。次女は吉川元長正室、三女は毛利輝元正室となり、毛利一門衆筆頭となった。
「革新」では顔グラから「
出川
」と呼ばれることがある。
革新 |
統率 52 |
武勇 51 |
知略 37 |
政治 61 |
義理 50 |
天道 |
統率 52 |
武勇 51 |
知略 37 |
政治 61 |
義理 50 |
+
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河野家(プレイヤー勢力)途中加入。その3で登用。※紙芝居なし |
河野家(プレイヤー勢力)途中加入。その3で登用。
政治60代を誇る序盤の神武将。
「ちょっといい笑顔」をたたえており、出川(哲朗)に見えるというコメントがつく。
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+
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毛利家(プレイヤー勢力)初期家臣。 |
毛利家(プレイヤー勢力)初期家臣。
うp主からは「婿殿」もしくは「自称ポストタモリ」と呼ばれており、ときどき活躍の場が与えられている。
この動画では「S4上級全なし河野家」の話題も出るため、視聴者からは河野家に倣って「出川」と呼ばれることも。
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柴田勝家
(しばた かついえ)
(1522~1583)織田家重臣。「かかれ柴田」「甕割り柴田」などの異名を持つ家内きっての猛将。通称は権六。当初は信勝派だったとされ、信長と対立する事もあった。後に和解し、勝竜寺城の戦いなどで活躍した。
信長の死後に羽柴秀吉と対決するが、賤ヶ岳の戦いで敗北、自害した。猛将のイメージが強いが国内統治にも優れており、彼が治めていた越前方面では名君として名高い。
本能寺の変後は信長の妹・お市の方を正室に迎えるが、この二人の関係はもろもろの創作の格好の題材になっている。ゲーム上は「
権六涙目
」な展開もしばしば。
風雲録 |
戦闘 97 |
|
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政治 51 |
教養 51,魅力 67,野望 64 |
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革新 |
統率 94 |
武勇 96 |
知略 54 |
政治 64 |
義理 72 |
騎馬S,兵器B,築城B |
天道 |
統率 90 |
武勇 93 |
知略 53 |
政治 67 |
義理 72 |
騎馬A,兵器B |
+
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姉小路家(プレイヤー勢力)に途中参入。※紙芝居なし |
姉小路家(プレイヤー勢力)に途中参入。
もとは織田家臣で、飛騨攻略軍の総大将であった。米を奪われて敗北すること数回、軍事独裁国家飛騨に米を支援してくれる「ユニセフ親善大使」の渾名がつけられた。とうとう総大将の地位から降格され竹中半兵衛の部下に。その3で捉えられると姉小路の家臣に降り、旧主織田信長と戦う先頭に立つ。いいのか権六。
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+
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織田家(プレイヤー勢力) |
つっこみ担当。織田家の良心の一人。自重しない部下のせいで色々と苦労している。最近部下の扱いに慣れたようだが、それでも苦労している。
がんばれ権六、織田家の未来は君にかかっているんだ!
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島清興/左近
(しま きよおき/さこん)
(1540?~1600)筒井三老の一人。戦に長け、のちに石田三成に仕えて「三成に過ぎたる者」と讃えられた。三成は、当時の禄高の半分・2万石を左近に与えたと伝えられている。関ヶ原で討死。
史料の違いにより、過去作では「島勝猛」と表記されている事も。最近は「さこにゃん」(
wikipedia
)の愛称でも呼ばれる。
太閤5 |
統率 87 |
武力 88 |
政務 42 |
知謀 79 |
魅力 85 |
|
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革新 |
統率 90 |
武勇 96 |
知略 74 |
政治 21 |
義理 91 |
足軽B,騎馬S,計略A,兵器A,築城A |
|
天道 |
統率 90 |
武勇 96 |
知略 74 |
政治 41 |
義理 91 |
足軽A,騎馬S,兵器B |
八幡之備 |
+
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松永家(プレイヤー勢力)に途中参加。松永家臣としての紙芝居出演なし |
松永家(プレイヤー勢力)に途中参加。筒井家家臣として参章(sm2519048)で登場。壱拾捌章で解説あり。
筒井滅亡後松永家に仕え、ゲームでは主力部隊を率いて活躍。松倉左近・森好之と三老部隊を組むことがある。真っ黒イメージに合わないためか、現時点では松永家臣としての紙芝居出演は無い。拾壱章(sm2953435)で譜代に取り立てられた。
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+
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主人公、リュウ・ソーゲン[柳宗巌]の好敵手 |
主人公、リュウ・ソーゲン[柳宗巌]の好敵手
イベコン「今孔明と共に」のおまけイベント「転成」でうp主により、畠山家に仕官。
その後イベコン「好敵手」によりリュウの好敵手に。畠山家(後に長家)仕官後は、リュウと切磋琢磨しつつ、昇進競争でも競い合う。
その39
終わりに、イベコン「好敵手の嫁探し」で
リュウの嫁 オノン・ジーから、「(結婚を)断ったら火炎醤油な」と脅され、結婚させられる。
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島津家久
(しまづ いえひさ)
(1547~1587)島津貴久の子。「島津四兄弟」の四男。15歳にして敵将を討ち取り、沖田畷の戦いでは兵数で圧倒的に不利な状況下で龍造寺軍を叩き伏せた。
豊臣家による九州遠征では兄弟の中でいち早く講和を結ぶ。その際に豊臣秀長と会見したが、間もなく急死した。
革新 |
統率 95 |
武勇 97 |
知略 70 |
政治 24 |
義理 77 |
足軽A,騎馬A,鉄砲S,兵器B |
捨て奸 |
天道 |
統率 96 |
武勇 82 |
知略 86 |
政治 54 |
義理 77 |
足軽A,騎馬B,鉄砲S,兵器B |
捨奸 |
島津貴久
(しまづ たかひさ)
(1514~1571)島津家15代当主。忠良の子で「島津四兄弟」の父。父とともに島津一門の糾合と薩摩の統一を果たし、大隅攻略に着手した。また、鹿児島に内城を築いて本拠とした。
父、本人、そして四人の息子、孫と皆優秀。島津家が真田家と共に「公式チート一族」と呼ばれる理由が分かる。
革新 |
統率 79 |
武勇 66 |
知略 87 |
政治 88 |
義理 62 |
鉄砲B,計略A,内政A |
|
天道 |
統率 79 |
武勇 66 |
知略 87 |
政治 88 |
義理 62 |
鉄砲A |
鉄砲強化 |
島津忠恒 /家久
(しまづ ただつね /いえひさ)
(1576~1638)島津義弘の子で島津家18代当主。初代薩摩藩藩主。朝鮮では義弘に従って目覚ましい武功を上げた。
関ヶ原後は幕府との関係強化を図り(その一環で徳川家康の偏諱を受け、家久と改名している)、城下町や港湾の整備を進め、また琉球を支配下に置いた。
酷薄な性格であったとされ、家臣団への横暴ぶりや正室・亀寿姫(島津義久の娘)への非道な仕打ちから、歴戦界隈では(叔父と区別して)「悪い方の家久」、縮めて「悪久」などと呼ばれる。
革新 |
統率 84 |
武勇 70 |
知略 56 |
政治 83 |
義理 66 |
足軽B,鉄砲A,水軍B,築城B,内政A |
|
天道 |
統率 65 |
武勇 79 |
知略 56 |
政治 78 |
義理 66 |
足軽A,鉄砲A |
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島津忠良/日新斎
(しまづ ただよし/じっしんさい)
(1493~1568)島津一門の庶流・伊作島津家出身。子の貴久に総領家の後を嗣がせることに成功する。貴久の後見人として島津一門の内紛を鎮め、薩摩を統一。島津氏中興の祖と仰がれた。
島津家が「公式チート一族」たる理由は忠良の代から関ヶ原まで、四世代に渡りハズレの一門衆がほとんどいないためである。
革新 |
統率 83 |
武勇 59 |
知略 91 |
政治 96 |
義理 59 |
弓B,計略S,内政S |
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天道 |
統率 83 |
武勇 59 |
知略 91 |
政治 93 |
義理 59 |
弓B |
籠絡 |
島津歳久
(しまづ としひさ)
(1537~1592)島津貴久の子で「四兄弟」の三男。祖父・忠良からは兄弟の中でも智謀に優れると評されている。
豊臣秀吉の島津征伐では、他の兄弟が講和を結んだ後も抵抗し、最後まで戦い続けた。
後に梅北国兼が反乱を起こすと、その反乱に荷担した家臣達の責任を一身に背負う形で自害した。
革新 |
統率 77 |
武勇 72 |
知略 85 |
政治 51 |
義理 67 |
弓B,鉄砲B,計略A,兵器A |
捨て奸 |
天道 |
統率 75 |
武勇 58 |
知略 93 |
政治 82 |
義理 67 |
鉄砲B,兵器B |
捨奸 |
島津義久/龍伯
(しまづ よしひさ/りゅうはく)
(1533~1611)島津家16代当主。貴久の子。「島津四兄弟」の長男であり、弟達と共に九州を席巻した。政治家としても優れており、関ヶ原の合戦後も島津家は大名として存続した。
北上に全力を注げる地の利、優秀すぎる兄弟、鉄砲に長けた家臣団、最強の弟・義弘が長寿でどのシナリオにもいるなど、「信長の野望」の島津家は多数の面で圧倒的なアドバンテージを得ている(加えて本人も長生き)。
革新 |
統率 85 |
武勇 74 |
知略 86 |
政治 93 |
義理 49 |
足軽B,鉄砲A,計略B,築城A,内政S |
捨て奸 |
天道 |
統率 88 |
武勇 57 |
知略 84 |
政治 95 |
義理 49 |
|
八幡之備 |
ゲスト。その11で登場。
一枚岩に描かれがちな兄弟の、微妙な仲たがいを描いた小説を紹介。
島津義弘/惟新斎
(しまづ よしひろ/いしんさい)
(1535~1619)島津義久の弟。島津氏17代当主。猛将として知られ、木崎原の戦い・耳川の戦い・朝鮮出兵・関ヶ原の合戦などでの活躍が語り継がれている。
特に関ヶ原からの決死の逃亡の時に使った奇策「捨て奸」は彼を代表する戦法の一つ。
「信長の野望」では作中最強レベルの戦闘力を誇り、登場時期も早く、しかも非常に長寿と手に負えない。
革新 |
統率105 |
武勇 94 |
知略 82 |
政治 70 |
義理 74 |
足軽A,鉄砲S,計略B,兵器A,築城B |
捨て奸 |
天道 |
統率 89 |
武勇105 |
知略 73 |
政治 70 |
義理 74 |
足軽A,鉄砲S,兵器B |
捨奸 |
そんな御仁ではあるが初登場の武将風雲録ではなぜが能力が低く査定されていた。
各人物を比較すると…
島津義弘 |
政治 66 |
戦闘 82 |
教養 71 |
魅力 83 |
野望 65 |
武田勝頼 |
政治
70
|
戦闘
87
|
教養 69 |
魅力 65 |
野望 56 |
松平元康 |
政治
82
|
戦闘
86
|
教養
73
|
魅力
90
|
野望
72
|
伊達政宗 |
政治
86
|
戦闘
84
|
教養
80
|
魅力
85
|
野望
93
|
武田勝頼に(仮にも一大名の当主だったので)政治はともかくとして
戦闘面で遅れをとり
、
今川の笠下扱いの元康(家康)にすら完全敗北する能力
という今から見ればとても信じられないような扱いであった(記載されていないが実は兄も同レベルの能力帯)。
+
|
ゲスト。その6で登場。 |
ゲスト。その6で登場。関ヶ原を島津から描いた熱血作品(いろいろあって入手困難)を紹介。
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下間頼廉
(しもつま らいれん)
(1537~1626)一向宗最高幹部の一人。軍事指揮官として優秀であったばかりでなく、法主の家宰を務め外交にあたるなど為政者としても功績を上げた。
「信長の野望」では戦闘に特化した能力評価を受けており、「戦闘坊主」「陸戦型坊主」「ライレーン」などと呼ばれている。参謀並に高い知略も持ち、戦争においては隙が全く無い。
上記の島津義弘同様、登場時期が早く長寿である為、本願寺と戦うプレイヤーは間違いなくこの男に苦しめられている。
革新 |
統率 92 |
武勇 95 |
知略 90 |
政治 24 |
義理 77 |
足軽A,鉄砲S,計略B,兵器B |
神西元通
(じんざい もとみち)
(?~1578)尼子家家臣。居城・月山富田城が落ちると毛利家に降ったが、その後尼子勝久を奉じ、山中鹿介らと尼子再興軍を結成して各地を転戦。結局は織田家臣・羽柴秀吉の配下となった。毛利家の攻撃を受けた際、救援の要請が却下された再興軍は尼子一族の自害と引き換えに開城。神西元通は尼子勝久と共に自害した。元通の供養塔は主君勝久の供養塔と共に上月城に残っている。
信長の野望には「天翔記」以来出演なし。「太閤立志伝」でその姿を見ることができるが、ニコニコ動画では以下のようにろくでもない役割を演じてしまうことに定評がある。
太閤5 |
統率 57 |
武力 43 |
智謀 34 |
政務 50 |
魅力 37,野心 55 |
|
+
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尼子家家臣(プレイヤー勢力)で初期から登場のライバル武将。 |
ライバル武将のため、主役(こしたん)を敵視しており、事あるごとに突っかかったり嫌味を言ってきたりするヤな奴である。
けど主命の結果はいつも論外でそのため「論外野郎神西」「いつも論外」「定番の一生の不覚」等のタグを付けられる羽目となる。
イベコン「封建」で独立した後に会ってみた所やはり敵視してきた(どうやら独立してもライバル武将のままの様子)。
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+
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畠山家(プレイヤー勢力)途中加入家臣。ライバル武将。 |
尼子家滅亡後に本願寺に仕官していたが、その14でイベコン「ライバル武将無理矢理設定」で畠山家に仕官後ライバル武将に据えられる。
そしてイベコン「怨敵」が発動してしまった為にとンでもない下衆野郎と化してしまう。
具体例を挙げると「主役リュウ・ソーゲン(以下リュウ)のかつての恋人しづを無体な方法で引き離して奪う」「大殿にリュウに対する讒言するもあっさりはねつけられる」「讒言はねつけられた腹いせに大殿の茶に毒を入れる」「年貢の取立て時に不正を働く」「リュウの妻オノンを手篭めにしようとする(未遂)」「遊佐、長、温井らの謀反に呼応して大殿を裏切る」「謀反後に大殿となった長続連に自分の妻(かつてのリュウの恋人)を抱かせる」等枚挙に暇がなく、その38で「外道神西」タグがつけられる程酷い有様である。
様々な謀略を用いても結局出世競争でリュウに追いつけず、逆切れ気味に謀反を起こそうとするも、しづによってリュウに計画が漏れて一夜のうちに鎮圧、そして処刑前日牢に捕われてる最中しづに神西への復讐としてリュウとの情事をこれでもかと見せつけられ、精神をズタボロにされた後に磔にされた。
うp主いわく「こしたンのシリーズでもライバル武将だったので選んだ」。ある意味この動画随一の被害者とも言える。
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神保長職
(じんぼう ながもと)
(?~1572)越中の豪族。富山城を築く。椎名家との合戦に勝利し越中最大の勢力に成長した。その後は長尾家に降伏するが、このことが家臣団の分裂を招き、神保家は衰退した。
歴戦ゲーでは強すぎず弱すぎず、大抵は軍神(謙信)の通り道扱いなため存在感が薄い。
革新 |
統率 61 |
武勇 57 |
知略 52 |
政治 69 |
義理 40 |
内政B |
天道 |
統率 61 |
武勇 57 |
知略 62 |
政治 69 |
義理 40 |
弓B |
+
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神保家(プレイヤー勢力)君主。 |
神保家(プレイヤー勢力)君主。
「地味だと思う」シリーズの始まり。
「トップクラスの影の薄さ」というあんまりな理由でプレイ勢力に選ばれる。
すぐ東には・・・。
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コメント欄
最終更新:2014年02月22日 15:17