日本画の頂点-『松林図屏風』
長谷川等伯という画家を知っているだろうか?桃山時代に活躍した日本画家である。彼は当時の画壇の主流を占めていた狩野永徳率いる狩野派に、たった一人で対抗した一匹狼である。
この『松林図屏風』は、等伯が53歳の時に描いた傑作である。彼は50代に画家として円熟期を迎えており、この『松林図』を描く直前にも、多くの寺院から天井画や襖絵の依頼が殺到していた。ちょうどこの頃、狩野派の総帥である永徳が死去しており、等伯はようやく画壇の中心に躍り出、勢いに乗っていた。画風は大胆な構成、金や原色を多用した過激な色使いで、桃山時代にふさわしいものであった。
しかし、そんな最盛期を迎えた等伯に、突然不幸が訪れた。盟友千利休が自刃し、さらに等伯の片腕でもあった息子の久蔵が26歳の若さで急逝してしまったのである。
『松林図』からは、こうした等伯の悲しみがよく窺える。いや、悲しみと言うより、孤独と言ったほうが良いかもしれない。時化の嵐の海辺で折れることなく根を張る松の木々。それを等伯は墨の濃淡一つで表現した。
一切の無駄な描写を省き、無限の自由を描く。まさに日本画の頂点たるに相応しい作品である。原色の色使いの等伯も良いが、その孤独で反逆心に満ちた魂を最も豊かに表現しているのは、この『松林図屏風』であろう。
私はこの絵を初めて見たとき驚いた。これほどまでにある意味「やる気のない」絵は見たことがなかったからだ。ほとんど書き込まれていない、密度の薄い絵。
それまで私は、多くの人がそうであるように、印象派の画家が好きだった。モネ、ルノワール、ゴッホ。彼らの色とりどりの絵の具を使ったキラキラした絵を嫌う人間はいない。私の初期の絵も、彼らを真似しつつ原色を重ね、不透明である意味不自然な画面を作り出していた。
しかし、『松林図屏風』。私は気づいた。原色の絵の具の光よりも強烈な、紙の余白の白さを。さっと一塗りした絵の具の下から透けて見える紙の輝きを。
これがきっかけになったかどうかは定かではないし、一つの体験を劇的に神格化するのは胡散臭い。しかし、やはり事実として、次第にではあるが、私は、濃い色で重ね塗りした画面より、淡い色彩で絵の具の持ち味や紙の持ち味を生かした画面を好むようになっていった。アクリルより透明水彩を好むようになった。
水をたっぷり紙に含ませ、絵の具が滲んで境界線がぼやけるのを待つ。それは偶然の産物であり、一瞬の出来事でもある。しかし私はそんな描き方が好きだ。
もちろん今でも、時々強烈な色をぐいぐい筆で叩きつけたいという衝動はある。ほかの絵と並べられた時、あまりにも自分の絵はもろくて、がっかりする時もある。でも、今は、それでもいいか、と思う。そしてこの『松林図』をもう一度見てみる。
(小)