第51回国公立展に寄せて
「ビッグバン的な国公立展について」
~(第51回東京地区国公立大学連合文化会美術展 「国公立展」冊子「芸苑」寄稿文)
そもそもことのはじめは岡倉点心であった。
彼は東大卒業時、何日もかけて書いた苦心の卒業論文、「国家論」を、提出間際に激昂した幼な妻によって焼かれてしまい、仕方なく一晩で書き上げた論文を提出したという。
その一夜漬けの論文が「美術論」であった。
彼はその後、日本に「美術」という制度を導入する旗手を務めることとなるのだが、ことの発端にこのような事件があったことはとても興味深く、大学生であるわれわれにとっては親しみを感じさせる一方で、非常に腹立だしい。
彼は東大卒業時、何日もかけて書いた苦心の卒業論文、「国家論」を、提出間際に激昂した幼な妻によって焼かれてしまい、仕方なく一晩で書き上げた論文を提出したという。
その一夜漬けの論文が「美術論」であった。
彼はその後、日本に「美術」という制度を導入する旗手を務めることとなるのだが、ことの発端にこのような事件があったことはとても興味深く、大学生であるわれわれにとっては親しみを感じさせる一方で、非常に腹立だしい。
彼がこのような形で美術を日本に導入した。
その結果苦しむ日本人が現代いったいどれくらいいるだろう。
もちろんあるひとつの国家の近代化のおいては「美術」の導入が急務であり、たとえ彼が行わなくても別の誰かが導入しただろう。
しかし、それでも現代日本人の天心に対する怨恨は根深い。あるいは深くあるべきである。
その結果苦しむ日本人が現代いったいどれくらいいるだろう。
もちろんあるひとつの国家の近代化のおいては「美術」の導入が急務であり、たとえ彼が行わなくても別の誰かが導入しただろう。
しかし、それでも現代日本人の天心に対する怨恨は根深い。あるいは深くあるべきである。
日本の片田舎の真っ青な空の下、
あるいは、東京の灰色の校舎の中で、
放課後の美術室たった独り、ほこりをかぶった画集から、西欧の珠玉の美術作品に触れ、感動し、技術を磨き、
しかしそれでも創られる作品はパロディに過ぎない。どこまでいってもシミュレーション。そしてせいぜいギミック扱い。
あるいは、東京の灰色の校舎の中で、
放課後の美術室たった独り、ほこりをかぶった画集から、西欧の珠玉の美術作品に触れ、感動し、技術を磨き、
しかしそれでも創られる作品はパロディに過ぎない。どこまでいってもシミュレーション。そしてせいぜいギミック扱い。
日本において、血が沸騰するような、漆黒の濃霧が噴き出してくるような、そんな何か。それは美術たりえないのではないか。
そんな気もし始めるが、でも、ほかに回収してくれるものもなく、仕方なくまた絵を描く。
そんな気もし始めるが、でも、ほかに回収してくれるものもなく、仕方なくまた絵を描く。
さて、天心らが日本に美術を導入してから100年強。現代の日本はオタク文化の隆盛とともに世界の現代美術の最先端を走る国のひとつといわれるようになった。
そうなのである。感動し、目指した、あの「美術」の最先端は、いつの間にか「オタク」になってしまった。
そうだ、あの時確かに真横にいた、しかし僕らのどす黒い情感をけして受け入れることのなかった、あの漫画、そしてアニメ。
そうだ、あの時確かに真横にいた、しかし僕らのどす黒い情感をけして受け入れることのなかった、あの漫画、そしてアニメ。
村上隆は広告批評誌上のTOKYO POP宣言において以下のように高らかに宣言する。
「拝啓 日本人。
今、君は生きている。そして、こんなに遠くまで来てしまった。
芸術も、豊かさも、安らぎも、恐怖も、愛情も。(中略)
東京に生きる人間のむき出しの心、無意味がリアルな脱西洋的な社会、
①子供っぽくて
②貧相で
③アマチュアで
でもそんな一見ネガティブなガジェットが、一転してTOKYO POPのオリジナルになってきたのだ。
東京の言語をインターナショナルな言語につなげていく、TOKYO POPが作り始めたオリジナル。その姿をじっくりとみてほしい。
(広告批評 94年4月号)」
こんにちは。
確かに、いま、僕は生きている。でも、そんなに遠くまでは来ていない。
「美術」は遠くに行ってしまったのかもしれないが、しかし絵を描くことはまだ、手の内にある。
確かに、いま、僕は生きている。でも、そんなに遠くまでは来ていない。
「美術」は遠くに行ってしまったのかもしれないが、しかし絵を描くことはまだ、手の内にある。
目指した「美術」は制度に過ぎなかった。システムにすぎなかった。
もちろん何にしてもシステムは必要だ。でもこのシステムは遠くに行きすぎてしまった。
(制度に頼らず何かをできる稀人たちには関係ないのかもしれないが、圧倒的多数の凡庸な僕らにとって、制度は絶対的に必要だ。)
もちろん何にしてもシステムは必要だ。でもこのシステムは遠くに行きすぎてしまった。
(制度に頼らず何かをできる稀人たちには関係ないのかもしれないが、圧倒的多数の凡庸な僕らにとって、制度は絶対的に必要だ。)
では何をしようか。新たなる制度の構築だ、などと息巻いても仕様がないことは明らかである。
今できること。それはまず、
徒党を組む。(一人でもよいが、なるべくなら友人と。頭がよければなおよい。)
次に、絵を描く。(できれば、夜通し火をたき、わけのわからない奇声でもあげながら)
そして とりあえず それを どこかに 飾る。
今できること。それはまず、
徒党を組む。(一人でもよいが、なるべくなら友人と。頭がよければなおよい。)
次に、絵を描く。(できれば、夜通し火をたき、わけのわからない奇声でもあげながら)
そして とりあえず それを どこかに 飾る。
そのとき、極力、「美術」という言葉を使わないことが重要だ。そうだな、「呪術」とでもよぶのがよい。
岡本太郎。
あの運命の日の夕暮、ゴッホがオーヴェールの丘で木によじのぼり、「駄目だ!駄目だ!」と叫んでいるのを見た人があるという。次第に巨大な天地が夜に向ってとざされて行く。その荘重なときに、彼はなにものに向って叫んだのか。
「美の呪力」
こうやって叫ぶのもよい。透明で、断固たる拒否の叫びを。
願わくば今は、「国公立展」の開催について。駄目だ!駄目だ!と。
願わくば今は、「国公立展」の開催について。駄目だ!駄目だ!と。
04,12,20
(河)
(河)