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*第50回国公立展に寄せて
「部室」
~(第50回東京地区国公立大学連合文化会美術展 「国公立展」冊子「芸苑」寄稿文)
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生協食堂脇から人気無い細道に入りごみ集積場前を通り前方へ足を伸ばすと蔦におおわれた古い建物が現れる。それが旧物理倉庫である。入り口のまわりには廃木材が散乱している。中は約8*13メートルの長方形で天井は約5メートルの空間を持つ。その中央に細い柱が1本立っている。この建物は築84年であり、近年老朽化が激しく、雨の日は雨漏りが三箇所ほど発生し、大雨時には床は水浸しとなる。雨天が続く時や梅雨の時期には湿気がこもり作品に影響を与える。壁、天井のコンクリートにはひびが入っており壁が彎曲している部分もある。利点としては、床はコンクリートで汚れは気にしなくてよい。天井は高く、絵を描くために体を動かすのに十分であり大きい作品も収容できる。サークル活動の部室としてはスペースが比較的大きく、24時間出入り可能である。
旧物理倉庫は、機能的にはマイナス面が大きいが、同時に非常に興味深く魅力的な側面が多くある。そのうちの一つが、無駄なスペース、無駄なものが無駄なものとして存在できるところである。すなわち一見その存在自体無駄であると感じる旧物理倉庫では、サロンの様に、創造性豊かで個人や社会に対して自分なりの意見を持つ学生達が互いにぶつかり合い、美について個人について社会について議論し(多少誇張しすぎであるが)そして作品を作り上げるというようなことが自然発生的に行われている。実際は、意味も無くファミコンなどをやることが多々あるが...そもそも目的さえも無意味であることから創造性などがうまれるのかもしれないが、このような一見無駄なことに感じることを好きなだけやれる環境が旧物理倉庫にはある。旧物理倉庫は現在、老朽化という問題とともに、その無駄性ゆえ取り壊しが検討されている。大学は行政法人化し、ますます経済性が大学にとりいれられることで、このような部室が取り壊されていくのは、悲しいことである。そもそも学問は暇をもてあました人々が始めたことともいわれているが、経済理念で捉えられない無駄な時間、無駄な行為というのは創造性を保つのに必要であり、私にとって旧物理倉庫はこの象徴である。最高学府と呼ばれる東京大学の転換期におけるこの旧物理倉庫の存在は、今後の日本の鍵を握る存在ではないかと、過大解釈するほどである。
話が広がりすぎたが、つまり私にとって旧物理倉庫は、機能的にはそれほどよくないし歴史も持ち合わせてない建物が経済性のみで失われることに疑問をもたせてくれるものである。
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03,11
(蒔)
*第50回国公立展に寄せて
「部室」
~(第50回東京地区国公立大学連合文化会美術展 「国公立展」冊子「芸苑」寄稿文)
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生協食堂脇から人気無い細道に入りごみ集積場前を通り前方へ足を伸ばすと蔦におおわれた古い建物が現れる。それが旧物理倉庫である。
入り口のまわりには廃木材が散乱している。中は約8*13メートルの長方形で天井は約5メートルの空間を持つ。その中央に細い柱が1本立っている。
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この建物は築84年であり、近年老朽化が激しく、雨の日は雨漏りが三箇所ほど発生し、大雨時には床は水浸しとなる。雨天が続く時や梅雨の時期には湿気がこもり作品に影響を与える。壁、天井のコンクリートにはひびが入っており壁が彎曲している部分もある。利点としては、床はコンクリートで汚れは気にしなくてよい。天井は高く、絵を描くために体を動かすのに十分であり大きい作品も収容できる。サークル活動の部室としてはスペースが比較的大きく、24時間出入り可能である。
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旧物理倉庫は、機能的にはマイナス面が大きいが、同時に非常に興味深く魅力的な側面が多くある。
そのうちの一つが、無駄なスペース、無駄なものが無駄なものとして存在できるところである。
すなわち一見その存在自体無駄であると感じる旧物理倉庫では、サロンの様に、創造性豊かで個人や社会に対して自分なりの意見を持つ学生達が互いにぶつかり合い、美について個人について社会について議論し(多少誇張しすぎであるが)そして作品を作り上げるというようなことが自然発生的に行われている。実際は、意味も無くファミコンなどをやることが多々あるが...
そもそも目的さえも無意味であることから創造性などがうまれるのかもしれないが、このような一見無駄なことに感じることを好きなだけやれる環境が旧物理倉庫にはある。
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旧物理倉庫は現在、老朽化という問題とともに、その無駄性ゆえ取り壊しが検討されている。
大学は行政法人化し、ますます経済性が大学にとりいれられることで、このような部室が取り壊されていくのは、悲しいことである。
そもそも学問は暇をもてあました人々が始めたことともいわれているが、経済理念で捉えられない無駄な時間、無駄な行為というのは創造性を保つのに必要であり、私にとって旧物理倉庫はこの象徴である。
最高学府と呼ばれる東京大学の転換期におけるこの旧物理倉庫の存在は、今後の日本の鍵を握る存在ではないかと、過大解釈するほどである。
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話が広がりすぎたが、つまり私にとって旧物理倉庫は、機能的にはそれほどよくないし歴史も持ち合わせてない建物が経済性のみで失われることに疑問をもたせてくれるものである。
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03,11
(蒔)
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