30人いる!その10 【投稿日 2007/09/17】

・・・いる!シリーズ


サークル棟に向かう途中、久我山は柔道場の前を通り掛かった。
この大学の柔道場は、通路側に大きな窓(人が出入り出来る大きさで、下辺は床に付いてるから、ガラス戸と言うべきか)がある。
稽古中にぶつかって破損するのを防ぐ為か、内側には雨戸のような鉄格子の扉があり、外から見ると金網デスマッチのような格好になる。
そういう立地のせいか、特にスター選手が居る訳でも強豪校でも無いのに、稽古中の柔道場の前には見物人がよく居た。
初心者の柔道部員の中には、かつてその見物人だった者もけっこう居て、この立地は地道に柔道部存続に貢献していた。

久我山は道場の中で動く人影をチラリと見て、ふと足を止めた。
「あれっ?みょっ妙な時間に稽古やってるな」
久我山の記憶では、椎応の柔道部は朝と夕方に全体での練習をやる。
それ以外の時間は、2~3人程度の人数で自主的に練習してるのをたまに見かける程度だ。
ところが今、道場には少なくとも10数人は居る。
男女半々ぐらいで、女子がやや多い。
柔道着を着ている者は3~4人しか居らず、残りの者はジャージやトレーナー姿だ。
どうやら受身の練習をしているらしい。
「なっ何かの同好会かな?」
好奇心に駆られて道場に近付いた久我山、思わず声を上げた。
「おっ、荻上さん?そっそれに他のみんなは…」
そう、道場で受身の練習をしていたのは、現視研の面々だった。

「あっ久我山先輩、こんにちは」
久我山を最初に見つけたのは国松だった。
柔道着姿だ。
彼女は元柔道部のマネージャーなのだが、一応自分用の柔道着も持っているのだ。
他の会員たちも気付き、挨拶しつつ久我山に近付く。
久我山「こんなとこで何やってんの?」
荻上「映画のクランクイン前の特訓です」
荻上会長の説明は、次の通りだった。
撮影時には着ぐるみの担当者は多少のアクションを伴なうので、突き飛ばされたり投げられたりもする。
豪田が岩型のクッションを制作したり、着ぐるみの頭部にヘルメットを仕込むなどいろいろ安全対策はしているが、最後に身を守るのは自分自身だ。
そこでせめて、クランクイン前に受身の基本だけでも覚えようというのが、今回の主旨だ。
なお、着ぐるみ担当者以外の会員たちも、本来受身は関係無いのだが、例によって付き合っていた。

久我山「なっ何か大変だね」
荻上「そう言えば久我山先輩、今日はどうしたんですか?」
久我山は前述の事情を話した。
荻上「そんじゃあとりあえず、先に部室行きましょうか?」
久我山「そっそりゃ悪いから、そっち終わるまで待つよ」
荻上「お時間、大丈夫ですか?」
久我山「いいよ、今日はこの後はヒマだし」
それに現視研の面々がどんな特訓をやっているのか、少し興味があったので見ていたかったというのもあった。

受身オンリーとは言え、現視研の特訓はなかなか本格的だった。
元柔道部のマネージャーの国松は、部員から柔道を一応習っていた。
まあかじった程度のレベルだから決して強くはないが、受身は完璧だった。
そこで国松がコーチ役となって、会員たちに受身を教えていた。
その教え方は意外と上手いらしく、どちらかと言えば運動の苦手な沢田や有吉までそれなりに形になっていた。
その一方で国松はアンジェラに、クッチーは日垣に、基本的な投げ技を教えていた。
受身をマスターする為には、最終的には投げられてみなければならない。
柔道経験者は国松1人なので、会員全員を投げるには人手不足という訳だ。
ちなみにクッチーは、警察官の試験に備えて、最近柔道を習い始めた。
とは言っても、師匠は元々通っている空手道場の柔道経験者の師範代であり、使える投げ技も出足払いと大腰だけで、道着も当然空手用だ。
本来なら全員に投げ技教えたいのだが、何しろクランクインまで時間が無い。
そこで体力と運動神経ありそうな日垣と、レスリング経験者のアンジェラ(反り投げ系は出来るが背負い投げ系が何故か出来ない)を選んで集中的に教えることにしたのだ。
(とりあえず柔道部から借りられた道着が2人分という事情もあった)

そんな中、荻上会長1人だけは別メニューだった。
陸上部から借りてきたらしい、走り高跳び用のマットを道場に持ち込み、その上での練習なのだが、その動作は他の会員たちとは著しく違っていた。
両足を大きく前に振り上げるようにして跳び上がり、背中から落ちるようにして受身を取る。
かなりオーバーアクションな後ろ受身で、その動きはセントーンに似ていた。
(注釈)セントーン
倒れた相手の上に飛び上がって、背中または尻から落ちてダメージを与えるプロレス技。
ちなみにセントーンとは、スペイン語で尻餅のこと。

見学していた久我山が尋ねる。
「くっ国松さん、荻上さんは何やってるの?」
国松「あっ、会長は軍曹さんの役なんで、特別メニューなんです」
久我山「軍曹さん?…まさかひょっとして荻上さんがケロロ?!」
国松「(にこやかに)はいっ」
久我山は、「ケロロ軍曹」の実写映画を撮るという話は聞いていたが、まさか荻上会長自ら着ぐるみコスをするとは思っていなかったのだ。
久我山「でっでも、何で軍曹だとああいう受身になるの?」
国松「恵子監督が『ケロロ軍曹』見てて1番ウケてたシーンって、ケロロがバナナで転ぶシーンなんです」
久我山「なるほどバナナか、って、かっ監督恵子ちゃんなの?!」
予想外の情報の連続に、軽く目まいのする久我山。
国松「まあシナリオには無いんですけど、恵子監督気まぐれだから、後で多分やろうって仰る予感がするんで。まあ念の為ですけどね」
その後1時間近く、久我山は現視研の受身特訓を見学しつつ、いろいろ映画についての話を聞いた。

受身の特訓の後、他の会員たちはそれぞれの準備の為に引き上げ、部室は荻上会長と久我山の2人きりになった。
久我山は部室の蔵書を1冊1冊丹念に読み、荻上会長は自分のノートパソコンを持ち込んでネームを作っていた。
久我山「わっ悪いね、忙しいのに付き合わせちゃって」
荻上「いいですよ。私も合間にネームやりたかったんで」
久我山「それって、今度連載するって漫画の?」
荻上「ええ、第8話のネームです」
久我山「はっ8話?あの、連載って確かまだ始まってなかったよね?」
荻上「映画の方がどうなるか分かんないんで、最悪撮影中は1枚も描けなくても大丈夫なように、原稿描きだめしておいたんです」
久我山「げっ原稿の方は、まさか7話まで出来てるの?」
荻上「まさか、さすがにそれは無理ですよ。5話までです、完成原稿は。6話と7話はネームだけですが、編集さんからオッケーもらいましたんで、これから描きます」
久我山「…あっ相変わらず仕事速いね」

その後しばらく、2人とも各々の作業に没頭し、沈黙の時が続いた。
ふと久我山は荻上会長を見る。
相変わらずネーム作りに没頭している荻上会長を見ている内に、何時しか彼の思考は過去の記憶をたどり始めていた。
『荻上さんが1年生の時って、部室でいつも漫画描いてたよな』
4年生になってからの久我山は、部室には数えるほどしか来ていない。
その数少ない来訪時の記憶の中の荻上会長は、いつも漫画を描いていた。
まあもっともその頃は、本格的な原稿ではなくイラスト程度だったが。

『俺も現役の頃は、部室で絵ばっかり描いてたな』
久我山の思考は、いつしか自分が1年の頃にまで遡っていた。
『あの頃の部室って、単なるたまり場でしかなかったな…』
久我山が1年生の頃の現視研、そこは既成のオタサークルから微妙にずれているオタクたちの難民キャンプのような場所だった。
絵は描けるが漫画の原稿にまでは踏み出せない久我山。
作る側のオタ属性は何ひとつ無く、消費する側のオタとしてのオタ理論を延々語り続ける斑目。
気が付けば居たり居なかったりの、地縛霊のような初代会長
そしてコスプレに特化し過ぎて、アニ研で居場所を失った田中。
その4人が集ってぬるい空間を形成し、ぬるいオタ談義をする、1年生の久我山にとっての現視研とはそういうサークルだった。

そんな現視研の転機になったのは、笹原たちの代が入会したことだった。
完璧超人のような高坂。
その高坂に付いてきた、そもそもオタクですらない春日部さん。
現視研コスプレ部門活性化の立役者大野さん。
そして自分たちと同じヌルオタから、徐々に作る側のオタへと進化していった笹原。
この4人が現視研を活性化させ、現在の作る側のオタ中心の現視研の礎になった。
『それに比べて俺たちと来たら、何も作らなかったな…』
ふと久我山は、今の現視研と自分たちの頃の現視研を引き比べて、劣等感とも嫉妬ともつかないマイナスの感情が湧いてきたことを自覚した。

その時部室に来訪者があった。
「うぃーっす」
「ちわーす」
斑目と田中だった。
荻上「こんにちは。珍しいっすね、お2人で」
斑目「そっちにも珍しいのが居るじゃない」
久我山「よっよう」
田中「今日はどしたの?」
久我山は前述の事情を2人に話し、逆に2人にも来訪の理由を尋ねた。
斑目「(コンビニの弁当を突き出して)俺は例によって今から飯さ。そんでこっちに向かっている途中で、田中とバッタリ会ってね」
田中「俺は大野さんに会いに来たんだけど、あと1時間ばかし帰ってこないから、ちと時間潰しにね」
荻上「大野さん、どうかしたんですか?」
斑目「フィットネス通い出したんだよ、大野さん」
久我山「フィットネス?」
田中「ほら、彼女秋ママ役だから、最近ちょっと太ったこと気にしちゃってさ、何とかクランクインまでに体重落とそうと、エアロビクスとかいろいろやってるらしいんだよ」
久我山「あっ秋ママなんだ、大野さん…『そう言えば大野さん、受身特訓の時も居たよな。
あれからそのままフィットネスか。大変だな』」
斑目「大野さんの出番なんてほんの少しだし、原作より6年ぐらい後の話で、多分秋ママ40超えてるんだから、ちょっとぐらい太ってても大丈夫なのにな」
久我山「何でお前、そっそこまで映画制作について詳しく知ってるんだ?」
荻上「まあ、そこは女心ですよ。それに先ずは外見からキャラ作りしようっていう、レイヤー魂じゃないっすか」

その後しばらく、4人は各自の近況報告やオタ話を続けた。
久々のぬるい部室の空気の中、不意に久我山は高校の担任の教師の口癖を思い出した。

だが、どんなもんだろう。
これはこれでよかったのではないか。
人生はファミコンではないのだ。
必要な所だけ通って、必要なアイテムだけ集めてればいいというものではない。

うろ覚えだが、大意はこんな感じだった。
担任はプロレスオタで、授業や説教の際によくプロレス関係のオタ知識を引用した。
前述の口癖は、杉作J太郎というプロレスオタの漫画家が、プロレスラーのラッシャー木村について書いたエッセイの1節である。
ラッシャー木村は、日本プロレス→東京プロレス→国際プロレス→新日本プロレス→第一次UWF→全日本プロレス→ノアと、団体から団体へと渡り歩くレスラー人生を送った。
国際でエースになり、新日本でヒールに転向して酷使され、全日本でお笑いプロレスで人気者になる、そんな彼の人生の浮き沈みを杉作は、前述の1節のように総括した。
担任は事あるごとにこれを引用しては、いつもこう続けていた。
若い内に、せいぜい寄り道したり道に迷ったりしておけ。
それがお前たちの「経験値」になっていくんだから。

『これはこれでよかったんじゃないか』
斑目や田中とオタ話を続ける内に、久我山は自分たちの現視研会員としての4年間を肯定的に捉えられるようになった。
『ぬるいオタ話の出来るこいつらと出会えて、笹原たちが集まれる場を守ってきた、それだけでも俺たちがここに居た意味はあったんじゃないかな』
漫研やアニ研のように特化していない、ヌルオタのたまり場としての現視研。
だからこそ、隠れオタの笹原や、マイペースな完璧超人の高坂や、コスプレに特化した大野さん、そしてオタクですらない春日部さんが入れる余地があった。
それがあったからこそ、今の現視研がある。
それならそれで、自分たちは自分たちなりの役割を果たしたと考えていいんじゃないか。

「おいどした、久我山?」
斑目に声をかけられ、久我山は我に返った。
久我山「なっ何でもないよ。ちょっと考え事してただけ」
斑目「そうか…」
斑目を見つめる久我山。
斑目「ん?どした?」
久我山「何て言うか、斑目、田中、お前らと出会えて良かったよ」
部室の時間が一瞬停止した。
斑目「なっ、何だよ急に?」
田中「何かあったのか?」
赤面する斑目と田中。
一方言った久我山も赤面していた。
久我山「ちょっ、ちょっと昔のこと思い出してただけだよ」

その時3人は、背後に異様な熱気を感じた。
3人揃って振り返ると、赤面した荻上会長が熱い視線を向けていた。
田中・久我山「荻上さん?」
斑目はいち早く熱い視線の意味を悟り、荻上会長に近付く。
斑目「まさか俺たち3人が、そういう妄想のネタになる日が来るとは、1年の時は想像出来なかったな。(筆をシビビビしつつ)荻上さーん、戻って来てー!」
田中・久我山『(互いに見つめ合いながら滝汗)よくこいつ相手でそんな妄想が出来るな…』

その後斑目は食事を終えて職場に戻り、田中は大野さんから連絡があって部室を後にした。
久我山は当初の目的の本を数冊選んで借りた。
久我山「きょっ今日はいろいろありがとう。すまんね、お手数かけて」
荻上「いっいえ、こちらこそいろいろご迷惑を…」
言いながら赤面する荻上会長。
久我山『どういうカップリングでどういう妄想してたかは、訊かない方が良さそうだな…』

こうして久我山は部室を後にした。
最初映画制作の話を聞いた時、予想以上にいろいろ大規模になっていることに驚いた。
そしてかつて自分が居た現視研とはまるで違うサークルになってしまったことを少し寂しいとも思い、自分たちが何もして来なかったことを引け目に感じた。
だが斑目と田中に会ったことで、自分たちの4年間も決して無駄ではないと思えるようになった。
そうなると今度は頑張り屋の後輩たちを頼もしく思い、本気で可愛いと感じた。
そして可能な限りの援助はしてやりたいと思った。
『孫を持ったお祖父ちゃんの気持ちって、こんな感じなのかな?』


次回予告

次回、それぞれの地獄をくぐって来た兄妹が再会する。


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最終更新:2007年11月02日 01:50