「どうしようもない」 【投稿日 2007/05/17】
ザワザワと賑わう居酒屋に、現視研のメンバーが集まっていた。
OBの笹原、斑目、田中、久我山、高坂、春日部と、現会員の大野、荻上、朽木、スザンナ達だ。
笹原達の追い出しコンパ以来、このメンバーが全員集まるのは久しぶりだった。
収集をかけたのは高坂と春日部。
「皆飲み物何にする?」
田中の言葉に皆が酒を注文する中、春日部が一人オレンジジュースを注文した。
「どうかしたんですか咲さん?」
いつもは飲まない物を注文した春日部に大野が聞く。
「私、今酒飲めないんだ」
困った様な春日部の言葉に、高坂を除く全員が目を丸くする。
しかし、大野と荻上は、すぐにその意味を理解した。
「まさか!」
「咲さん?」
全員の目が春日部に集中する。
「あー、うん。今妊娠してる。三ヶ月だって」
照れて赤くなりながら、春日部は自分の下腹を優しく撫でる。
「本当でありますか!?」
「やっぱり。おめでとうございます!」
口々に祝福の言葉が贈られた。
「どうかしましたか斑目さん?」
笹原が隣に座っている斑目に声をかける。
呆然としていた斑目は、我にかえると眉を寄せて苦笑した。
「ははっ、何かびっくりしちまってさ。」
「そうですよね。春日部さんがお母さんかぁ……」
感慨深気に言う笹原に「七ヶ月後だけどね」と春日部がツッコミを入れる。
その光景を見ながら、斑目は笑う自分をどこか遠くで見下ろしていた。
(この滑稽な男は何だろう)
諦められたつもりでいたのに、何故こんなにもショックなのか自分でも分からない。
(希望があるとでも思っていたのか?
だからこんなに苦しいのか?)
「近い内に結婚式するから、皆来てね」
笑顔で言う高坂に、斑目は答えられなかった。
腹の底に、タールの様なドス黒い感情が溜っていく。
たった独り、斑目だけが二人を祝福出来ない。
自己嫌悪で今すぐここから逃げ出したくて堪らなくなる。
「トイレ行って来るわ」
いたたまれなくなった斑目は、そう言って席を立った。
(このまま帰る訳にはいかんか……)
用をたした斑目がトイレから出ると、出入口に春日部が立っていた。
どんな顔をして良いのか分からず、斑目は軽く手を上げて前を通り過ぎようとする。
そこに、春日部が声をかけた。
「あんた何変な顔してるの?」
春日部の言葉に、斑目は自分自身の醜さを見透かされた様でドキリとする。
「式絶対来てよ?これでも、皆には高坂の事で感謝してるんだから」
そう言って笑う春日部の笑顔が、斑目にはとても美しく見える。
(幸せそうな笑顔
俺の物では無い
高坂の笑顔)
「もちろん行くよ」
(笑え。笑え)
斑目は自分にそう言い聞かせ、辛うじて苦笑した。
「そ、良かった」
春日部が斑目の横を通り過ぎ、トイレへ入って行く。
斑目は笑顔を作ったまま、皆の元へと帰って行った。
(好きな人が幸せなら、もっと嬉しくてもいい筈だろ?)
独り帰路につきながら、斑目はゆっくりと下を向いて歩く。
かなり酒を飲んだのにも関わらず、まったく酔えなかった。
(そうだ、これで本当に手の届かない存在になったんじゃないか。諦められる!)
(諦められる?)
そこまで考えて、斑目は自分の胸をギュッと掴んだ。
(じゃあ、何でこんなに苦しいんだよ?
全然平気になんてなってないくせに!)
今までは、確に希望があった。
二人が別れるかもしれないと云う希望が。
しかし、今は違う。
二人の『絆』が確固たる形で体現される。
子供が産まれる事によって。
泣きたかった。
泣いて感情を吐き出してしまいたかった。
しかし、眼は渇くばかりで、腹にはタールが溜り続けている。
「春日部さん……」
斑目の呟きは、道路に落ちて、消えた。
最終更新:2007年11月02日 00:28