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さくら、さく 【投稿日 2007/02/08】

カテゴリー-斑目せつねえ


「……あれ?斑目だけ?」
「ん、ああ。春日部さんが一番乗りだな」
 現視研のドアを開けて顔を覗かせたのは春日部咲だった。斑目晴信は読んでいた同人誌から目を上げ、少し戸惑いながら質問に答えた。
 先ほどのドタバタから1時間弱。壁の時計の短針も、もうずいぶんと下を向いていた。
「って高坂くんは?一緒に来るんだと思ってたけど」
「また会社から電話でさー。まあ30分で片付くって言ってたから先に来ちゃった」
 卒業式の袴から普段着に着替えた咲は、斑目に説明しながらパイプ椅子を引き出して座る。
「大野とクッチーは?荻上はササヤンと一緒なんだろうけど」
「さっき田中から電話あって迎えに行ったよ、大野さん。朽木くんは居酒屋へ先乗り」
 同人誌を閉じて言う。
「ちなみに恵子ちゃんも朽木くんと一緒ね」
「え~?ありえねえ組み合わせ」
「笹原たちとは一緒にいたくねーんだと。憎まれ口だったけど気ぃ遣ってんじゃねーか?」
「ふえー。あいつも成長したもんだ。それであんたが留守番してたの?」
「そゆこと」
「OBなのにねー」
「春日部さんだって本日をもってOGじゃないスか」
「へーん。あたしは誰かみたいに毎日毎日部室に顔出したりしないもーん」
「新宿からじゃ大変だもんな」
 春の始まりの、暖かく明るい空。日差しは入りきらないので蛍光灯を点けているが、自分の左前方で携帯電話をいじっている咲は、斑目の目には本人から光を発しているかのように見えた。
「春日部さんの店って、4月に入ったらすぐオープンなの?」
 微妙な間に耐えられず、世間話を続けようと試みる。メールチェックを終えたらしい咲は斑目に笑いかけた。
「なに、花輪でも送ってくれんの?」
「え。そんなこと考えもしなかったスよ」
「あはは。うん、4月1日からグランドオープンね。明日からもうプレオープンなんだけど」
「へえ、大変だね」
「うん。でも楽しいよ」
「そか」

 春の空気に包まれる小さな部室。二人でいるだけで暖かく感じるのは気温のせいだけだろうか。
 ふだんなら何ということもない偶然で片付けるこれも、今の彼には特別なものを意識せずにおれなかった。
 ――なんでまた。
 斑目は思う。どうしてまた、今日という日にこのひとと再び二人きりになるのだろうか。……全部終えたと思っていたのに。
 彼女に自分の思いを告げ損ねた日。もう10日以上も前になるだろうか。あの日からしばらく、彼は寝不足の日々を過ごしていた。
 たとえば後悔。あるいは安堵。
 恋人が、それも身内にいる人に恋してしまい、自身の小心な性格とコミュニケーションに不慣れな経験値が、何度かあった絶好の機会を全てフイにした。
 それをネタに、ベッドに入るたび頭の中で自分自身が会議をはじめるのだ。「第○回・どうして俺は春日部さんに告白できなかったのか会議」を。
 『はじめから結果が覚悟できる鉄板レースだというのに、自分の経験値を上げる絶好のチャンスを逸した』心の中の自分が責める。
 『おかしな波風を立てずに予定調和を演出できたのだから、彼女のためにもこれでよかったのだ』もう一人の自分がとりなそうとする。
 見ている斑目はどちらもなにか違うと思いながら、しかし二人の自分に反論できない。指を加えて延々続く自問自答をながめながら、気付くと夜が明けているのだ。
 「会議」が10回を超えたころ、結局自分には『想いを打ち明けない』という選択肢しか初めからなかったのだと考え、すでにゲームオーバーになった恋愛シミュレーションを反芻することが自分の人生であったと結論付けた。
 なぜなら、もう『チャンス』はないのだから。
 ……そう思っていたのに。
「……春かあぁ~」
 体内に膨らむ重苦しい溜息を、間の抜けたイントネーションに隠して吐き出す。
「ナニそれ」
「いや、笹原や春日部さんたちが卒業とはね、と感慨深い一瞬ですよ。こないだもこんな話、してた気がするけど」
「あー。そのこと思いださせないで」
 先週のコスプレ撮影会の記憶がよみがえってきたのか、頬を染めてテーブルに突っ伏し、じたばたと足を踏み鳴らす。

「いーじゃないスか、田中と大野さんと春日部さんだけの秘密なんでしょ」
「お前も見たじゃんかよ、ちょっと」
「ちょっとだけっすよ」
「大野また写真売り付けたりしてないだろうね?買ったらブッ殺すかんな」
「買ってねえよ!殺すなよ!オタクにも五分の魂だよ!」
「そんならいいけどさ。――っと」
 メールの着信。咲は液晶を一瞥し、眉根を寄せた。地団駄がいっそう激しくなり、テーブルがガタガタと鳴る。
「あーもう。コーサカぁ」
「どうしたの?」
「居酒屋直行するって。もうちょっとかかるんだってさ」
「ありゃー」
 咲はしばらく携帯電話を見つめていたが、ふとなにか思い立ったように斑目を振り返った。
「斑目、あたしらも行っちゃわない?店」
「え?」
「コーサカ待ってるつもりだったけどそんなら部室いる意味ないしさ、クッチーたちと合流して先に飲んじゃおう」
「はあ?なんだソレ」
「笹原と大野に電話すれば伝わるでしょ?この程度の予定変更」
「や、まあ、確かにそうだけど……」
 ちょっと考えてみる。彼女は恋人が期待通りに動いてくれないのでウサを晴らしたいのだろう。だが、飲まなきゃやってられない気分というならそれはこっちも同じだ。
 それにそうすればもう少し、たとえば居酒屋までの道行きを二人きりでいられるかも知れない。
「んー、じゃそうすっか。考えてみりゃ笹原も大野さんも学校寄ってたら遠回りだもんな」
「ハナシ判るじゃん。また斑目ってば動くのにいちいち理由つけてるけど」
「ウッセ」

 咲は嬉しそうにテーブルに手を突き、立ちあがりかけて、そこで思い出したように尋ねる。
「あれ斑目、そう言えば部屋の鍵持って――あ」
 が、その言葉は途中で止まった。咲の動きも一時停止ボタンを押したようにストップする。
「……どしたん?鍵なら持ってるよ」
「あれ?ちょっとごめん、スカートが引っかかっちゃったみたい」
「え、平気?」
 古い会議テーブルのがたつく金具に、生地が挟まってしまったようだ。歩み寄ろうとする斑目をしかし、咲は片手を上げて制止する。
「あ、あー、ちょっと来ないで、だいじょぶだから」
「えっ」
「このスカート、ゴムとリボンで止まってんの!」
 外そうとすると服がずれてしまうというのだ。斑目は仕方なくもとの位置に戻り、だが椅子に座り直すほどのこともないと考えて立ったまま腕を組む。
「……さすがオタ部屋」
「へ?」
「あはは、アレだよ春日部さん。きっとテーブルが別れを惜しんでるんだ」
「えー?」
「この部屋で唯一まともな人だったじゃん。きっと『テーブルたん』もそんな春日部さんに行って欲しくなくって、思わず服を掴んでしまったと」
「うっわ、ここで来たか、その『ナントカたん』っていうの」

 ……どうして。
 どうして『好きだよ』と言えないのか。
 ふと、そんな疑問が湧いて出る。
 無機物ですら、今のようにストレートに『行かないで』と言えるというのに。

「擬人化って言うんだよね?お前らアニメや漫画じゃ足りねーのかって感じ」
 テーブルと格闘しながら咲が言う。

「そう言いなさんな。付喪神信仰は太古からあった人間の精神文化だ」
「でもそれを『萌え~』とか言っちゃってるのは現代日本のオタだけでしょ」
「そのテーブルがむっさい男だと思い込むよりよほど健全デスヨ」
「キモいのには違いねーよ。えーと、……あれ?あれ?どうなってんだ?」
 斑目の言葉を聞き流しながらスカートを救出しようとするがうまく行かない。立ちあがった勢いで布が深く食いこんでしまったらしい。咲はテーブルの上が空いているのを見て、その脚を持って持ち上げた。
「ウワ春日部さん?危ないでしょ」
「大丈夫だよ、ちょっと持ち上げるだけだし。って斑目、こっち見んなって!」
「そんな事言ってもなー」
ふらふらと揺れるテーブルが危なっかしく、彼は咲に近づこうか否か逡巡する。
「生地が傷んだら可哀想じゃん、あたしだって困るし。――あ、判った、こうだ」
 脚の根元で布をつまみ、くるりと回すと、ようやくテーブルはスカートを離した。
「あ、斑目あんがとね。もういいよ」
「なにがモーイーヨだ」
 テーブルを元の位置に戻そうとした時……咲の手がテーブルから滑り外れた。

「!」
「きゃ!?」
「かす――っ」

 ガタンッ!

 テーブルの脚が床に落ち、大きな音を立てる。その横に駆け寄った斑目は……。
 ……咲の体を抱きとめていた。

「――かべ、さん……」
 脳内で、年末の記憶が蘇る。酔った彼女がふらついたのを引きとめた、あの時以来の触れ合い。……そして。
「だいじょうぶ……?」
 そして俺の生涯おそらく最後の――正真正銘最後の、春日部さんのぬくもり。
「……は……ははっ。あ、ありがと、へーき」
 目をしばたたかせ、至近距離で笑いかける咲に、斑目は自分の熱が上がるのを感じた。

 そうだ。
 こんなにあたたかい春なのに。花咲き誇る春なのに。
 なぜ俺一人、散りぎわにこだわるような真似をしているのだろう。
 明日から、ひょっとすると二度と会えないかもしれないこのいとおしい人に今、俺はなにができるのだろうか。

「……斑目?」
 咲の体から手を離せない。その時間をいぶかしく思ったのか、咲は彼に聞いてきた。
「あ……ゴメ……っ」
 口では詫びるが、両腕から力を抜くことができない。
「ご……ごめん……ちょっと、待って」
 やっとの思いでそれだけ口にする。もう咲の顔を見ることもできず、彼はうつむいたまま目の前の人の細い腰を抱いていた。
「……うん」

 ふわり。

 肩に体温を感じ、彼は目を上げる。さっきと変わらない優しい笑顔が……彼の肩に両手を回していた。
「春日部さん……?」
「うん」
 至近距離にある相手の目を覗き込み、その時、解った。
 彼女は知っているのだ。この俺の、この想いを。

 嫌悪でもからかいでも困惑でもなく、――期待と自惚れを込めて言わせてもらえばおそらくは彼女の優しさゆえ、気づかないふりをしてくれていたのだ。
 見透かされていたことを……この苦しい想いを伝えられず煩悶する姿をずっと見られていたことを、恥ずかしいとは思わなかった。悔しいとは感じなかった。それら全てを包み込んだ彼女の手のぬくもりが、ただ嬉しかった。
「……俺……、さ」
「うん」
「春日部さんのことが……好きなんだわ」
「……うん」
 言葉は自然に紡ぎ出された。
 なぜ今まで言えなかったのかと、自分でいぶかしむくらいに。
 自分は泣いてしまうんじゃないかと思ったが、涙は出なかった。むしろ、彼女に伝えるべきことを伝えることができた喜びに、頬が緩んでいるのが判る。
 他にもいろいろ言いたいと思ったが、不思議とそこから先は言葉にならない。結局何も言わず、あらためて彼女を抱く腕の力を強めた。
「斑目……ありがとね」
 彼を抱き締め返しながら、咲は言った。
「言わないつもりだったんだよね?言ってくれて、ありがと。あたしからは他になんにもできないけど、あんたが打ち明けてくれたってこと、とっても嬉しい」
 他になにもできない……それがすでに彼女の答えだと気付いた。『覚悟のできる鉄板レース』でこのダメージか、と、判っていても心をかき乱す彼女の言葉に打ちのめされながら思う。
「……いや、いいんすよ。言えるチャンスが来ただけっスから」
「あたしも、今の斑目は嫌いじゃないよ」
「春日部さん――」
「むしろ好きなくらい、かな。だから、あんたには誠心誠意応えることにする。あたしは今、コーサカのことしか考えらんない。ごめんね、斑目」
 高坂の名前を口にするだけで、咲の瞳の色が変わる。愛する人のことを考えるだけで、人はこんなにも美しく輝くのだ。
 斑目は、咲の想いがどれほど強いか見せつけられたような気がした。

「……くはぁ。やっぱ、はっきり言われるとキッツイなあ」
 咲を抱く腕を緩めながら……それでも、彼は笑顔を浮かべた。
「でもまあ、いいや。俺にしては上出来じゃないっすか?」
 彼の笑顔につられて、少し心配そうだった咲も笑みをこぼす。
「うん。斑目、オトコだった」
「マジか」
「カッコよかったよ」
「ヤリィ!」
 大げさにガッツポーズをとる斑目に背を向けて服を直し、咲が再び振り返る。
「どうする、そろそろ行く?それとも、……もう少しここにいる?」
「んー、そうだな」

 少し思案してみる。後半は彼女の気遣いだろうが……。
 窓の外に気付くと、午後の陰り始めた日差しに桜の花びらが舞っている。
 ふと頭の中に、陳腐なフレーズが浮かんだ。――さくら、ちる……か。

 ……いや。

「んじゃ、行こーぜ」
「あれ、立ち直ったの?意外と根性あんね」
「なにをおっしゃる。体力ゲージなんかとっくにゼロですとも」

 あらためてポケットから鍵を取り出し、咲の目の前で振ってみせる。
「ムシロ俺も飲みたい気分ってワケっスよ」
「あ、そーゆーことね。あはは、ほんじゃ行こっか」
「おう」
 二人で部室を出て、ドアを締め、鍵を掛ける。
 前を歩いてゆく咲について行きながら、斑目は部室を振り返った。
 いま閉めたドアの、その向こうの、窓のまた向こう。日差しに踊る薄桃色の花弁。

 いや、違う。

「どしたの?」
「ん、最終確認。いま行くわ」

 さくら、さく、だ。

 さっきの告白の行方の話ではない。俺の心で少し遅く、桜の花がいま咲いたのだ。
 ――しかし、アレだな。斑目は思った。
 いっぺんフラれたぐらいじゃ、俺はあきらめ切れないってことじゃねえか。なにが春日部さんのためだ。彼女にしてみりゃメーワクな話だよな。
 ……だけど、しょうがねえよな。マムシ72歳、なにしろ前世がヘビなんだから。

 彼は軽く笑うと、少し先を行く愛するひとに……これからも自分が追い求め続けるひとに並ぼうと歩を早めるのだった。



おわり