koyuki 【投稿日 2007/01/27】

カテゴリー-斑目せつねえ


とりあえずアパートに入った斑目は、スージーの体をベッドに横たえる。
相手が誰であれ、さすがに緊張する。

洗面所で、めったに替えない新しいタオルを探し出し、スージーの服についた雪の水滴を落とそうとした。
(さすがにコートは脱がしてやらないと……)
ビクビクしながら、コートのボタンに手を掛けた。
平均以上の美少女が自分のベッドで酔っぱらって熟睡し、自分はその衣類を剥ぎ取ろうとしている……斑目は頭がクラクラしてきた。
(これなんてエロゲ?)(これなんてエロゲ?)(これなんてエロゲ?)
自己ツッコミが頭の中でリフレインした。

細身の体のおかげで、コートは意外と楽に脱がすことができた。中からパステル基調のシャツとカーディガンが現れ、安らかな寝顔とともに柔らかな印象を与えている。
斑目は赤面して、そそくさとスージーの身体に毛布をかけると、コートを拭いてハンガーに掛けた。

斑目はベッドの脇に立ったまま、携帯を取り出した。
「田中か、笹原に……。奥さんにつないでもらえば……」
しかし、携帯の時計はすでに0時を過ぎていた。
もともと小心者の斑目は、それが携帯であれ、夜中に電話を掛けることにちょっと気が引けていた。相手は家庭持ちなのだ。

(学生の頃なら気にすることもないのに……)と、軽い苛立ちを感じた。

斑目は、ドッカリとイスに腰をおろして、深いため息をついた。
疲れがドッと出てきた。寒い中で肩車をやり、タクシー行列にもならんだ。コミフェスの行列なら極寒の中でさえ耐えられるのに、今日はさすがに辛かった。
しばらくの間、机を背にして、ベッドに横たわるアメリカ人美少女を見守り、思案する。

「今夜一晩ここで寝かせておいて、明日アパートへ送るか……」
多少の緊張感はあるが、無理に仲間に電話することもなく、自分も楽をする消極的な選択肢を選んだ。

明日普通に送ってあげればいいのだ。そう決めると重苦しい気分は大分軽くなった。
申し訳程度のキッチンで湯を沸かし、インスタントコーヒーを入れた。

熱いコーヒーを手にして、再び机に向かった。
引き出しを開け、封筒を取り出す。斑目の「最後の砦」だ。
中から、「律子・キューベル・ケッテンクラート」のコスプレをした咲の写真を引き出した。
(もうこれを処分する時が来たのかも)と思いつつ、複雑な心境でその艶姿に見入っていた。


「カイチョー、キレイネ」
「うん」


「ハッ!」と斑目が振り返ると、スージーが毛布を肩に掛けたまま起きあがって、斑目の後ろから写真をのぞき込んでいたのだ。

(見られた!)
青ざめる斑目を尻目に、スージーは机の上で湯気を立てているコーヒーカップをジイッと見つめ、再び斑目を見た。
「……いいよ。飲んで……(汗」

ベッドの上でコーヒーを口にするスージー。斑目はスージーに背を向けて、机に突っ伏すようにして頭を抱えていた。
スージーはあまりベラベラ喋る印象はないが、もし田中夫妻や笹原夫妻に話したらどうなることか……。

「thanks……」
スージーは立ち上がってフラフラとキッチンに向かい、コーヒーカップを軽く洗った後、トイレへと消えた。
斑目は深いため息をついてうなだれた。
「まあしょうがないか……どうにでもなれだ……。もう相手は結婚しちまってんだから」

『ジャーッ!』
水洗の音にビクッと反応する斑目。出てきたスージーに向かって、顔面の筋肉を無理矢理総動員して笑みを見せ、「大丈夫?」と尋ねた。

スージーは黙って頷いたが、酔いが残っていて足がおぼつかない。フラフラと歩いてきて、部屋の中央に立ち、周囲を見まわした。まだ自分がどこに居るのか分かっていないらしい。

「あ、ここ俺の部屋……。どこに送ればいいか分からなくてさ。ど どうする? 住所思い出して帰る?」

スージーはまだ黙っていたが、部屋の一角に時計を見つけて時間を確認すると、首を振って再びベッドの上の毛布に潜り込んだ。

斑目は、スージーがベッドに横たわると、毛布の上から掛け布団をかぶせ、上からぽんぽん…と軽めに叩いた。

斑目が子どもの頃、熱を出して休んでいる時などに、母親がよく布団の上からぽんぽん…と軽く叩いてくれた。
温もりが逃げないように。
ぐっすりと眠れるように。
母親の愛情の小さな表れだった。斑目はこれが好きで、風邪を引いた時などには、母親に布団を掛けてもらうのが楽しみですらあった。
(酔ってるのならぐっすり眠って……写真のコトなんか忘れてくれよ)
斑目の祈りたいくらいの気持ちが、無意識に布団を叩かせたのかもしれない。

「………」
スージーは大きな瞳で苦笑いしている斑目をじいっと見つめていたが、すぐに目を閉じて、寝息をたて始めた。
一方の斑目も、見つめられて緊張し、胸が高鳴るのを感じたが、「理性理性」と言い聞かせた。
スージーが寝付いたのを見守ると、ベッドの脇の床に転がったマンガやビデオテープを追いやって、薄手の布団にくるまり、毛虫のように丸くなって眠りについた。

寝付いてからどのくらいの時間が経ったのだろうか。
ベッドの脇の床に横たわり、慣れない姿勢で寝ていた斑目は、真夜中に目が覚めた。
「寒い……」
見回すと、カーテンの隙間から青く薄い光がさしている。
外は雪がしんしんと降り積もり、外界からは音という音がまったく聞こえてこなくなっていた。
静寂の中、聞こえるのはカチカチという時計の音や、時折『ブーン…』と低く唸る冷蔵庫の音、そして斑目とスージーの二人の吐息の音だけだった。

再び眠りにつこうと、ベッドに背を向けて目を閉じた斑目は、突然背後に衝撃を感じた。
『ドスッ!』
ビクッと反応して身を起こすと、彼の腕に何か暖かいものが触った。
スージーがベッドを転げ落ちて隣に来ていたのだ。

(うわっ!)と、斑目は声を上げそうになったが、スージーが眠っているのを見て、動揺を抑えた。
全く意味のないことだが、斑目の頭は、なんとかこのアクシデントを好意的に冷静に分析しようとしていた。
そこで、スージーが常に荻上(旧姓)のそばにくっついていた姿を思い起こした。

「さびしいのかもしれないな……」

斑目は彼女を起こすこともできないまま、ベッドに残された毛布と布団をそのまま掛けてやり、背を向けた。
すぐそばで寝息が聞こえてくる。
背中に感じる暖かさ。
ドキドキと自分の鼓動が体全体を包むように大きくなっていく。息苦しい。
冷静になれ!と斑目は、今日の披露宴を思い起こしたが、逆効果だった。美しいドレスを纏った咲の姿を思うたび、余計に胸が締め付けられる。

(わかっていただろ。わかっていたはずなのに!)

わずかなコトで動揺してしまう自分の器量の小ささ、心から祝福していたはずが、後悔の思いでしか見つめられない切なさを、斑目は悔いた。

窓からこぼれ落ちてくる雪明かり。
その柔らかく青い光は、斑目がうつろに眺めている壁のポスターを薄く照らしている。
スージーが自分の背後で寝息をたててから、もう何時間も経過しているように思えた。
寝付けない。
斑目は、「……水……」と呟いた。
いらだちから来る心の渇きなのかもしれない。

身を起こそうとしたとき、傍らのスージーが、眠ったままで斑目の腕を取った。
「!」
バランスを崩してあやうく彼女の身体にもたれかかりそうになった斑目は、ベッドの端で体を支える。
まさに目前に、月明かりにてらされた美しい寝顔が現れていた。
互いの息がかかりそうで、斑目は息を押し殺していた。

早く離れなければと思いながらも、体は言うことを聞かない。
息が続く限り、その寝顔を見ていた斑目は、天井に顔を向けて軽く息を吸った。
そのまま仰向けに転がり、天井を仰ぎ見る。
ここまでスージーのことを意識して見つめたのは初めてではなかったか。
(いや、肩車とか、何度か触れているときに俺は……)
そう思い返しながらも、そんな思いを振り払った。

仰向けのまま、スージーの方に顔を向けると、もぞもぞと動きながら、相変わらずスピスピとかわいらしく眠っている。寝相が悪いのか。
「ああそうだ、水……」
再び斑目が身を起こそうとしたとき、再びスージーが身をよじった。
温かい場所を求めて、もぞもぞと斑目の胸のあたりに顔を埋めるように、彼の懐に潜り込んだ。

斑目は気が狂いそうになった。
指一本動かすことも、息を吐くことも吸うこともできない。
全身の感覚が、自分の体に密着している彼女の体温や、美しく長い髪から漂う香り、その吐息と鼓動を感じ取っている。

(さびしいのかもしれないな……)

乾きは頂点に達しようとしていた。

「!」
スージーは、体を強く揺さぶられるような感覚に驚き、ハッと目を覚ました。自分の置かれた状況が理解できずに混乱した。
体を引き起こされ、強く締め付けられている。

いや、誰かに抱きしめられている。

相手の胸の前にあった自分の両手を精一杯に押し出して、必死の抵抗を試みる。
ダンッ!と互いの体がはじけるように離れた。

ベッドの上に飛び乗って、周囲を見下ろすスージー。夜の闇に目が慣れてきたとき、わずかな明かりの中に、斑目の姿を見つけた。

斑目は、うずくまって震えていた。
咲の結婚した夜に、自分は切なさや寂しさに耐えきれずに他の女を求めて襲った。自分の劣情が醜く感じられて、この場から消え去りたいと思った。

おもむろに立ち上がる斑目。
驚いてベッドの端に身を寄せるスーを見て、余計にいたたまれなくなった。
コートと財布と鍵を暗闇の中で探り出す。

「ごめん、本当にごめん。謝って済むことじゃないけど、お、俺は居なくなるから。朝になったら勝手に出てっていいから!」

スーは黙って、じいっと斑目を見ている。
斑目は自分が滂沱の涙を流し、泣きながら謝っているコトにも気付かずにいた。
裏返る声で必死に詫びていたのだ。
息が途切れて、その場にうなだれる。
「……こんなこと言ったって、どれだけ伝わってんだよ……」

斑目はコートを手にしたまま玄関の外に出ようとした。
ふいに、ぐいと袖を引かれた。振り向くと、スージーが彼を引き止めていた。
大きな瞳で斑目を見つめたまま、つぶやく。

「モウ、コワクナイヨ……」

その時スージーが発した言葉は、斑目が何度も見返した「くじびきアンバランス」の、聞き慣れた一言だった。
ロリキャラ朝霧小雪が、最終回あたりで自分の境遇に負けない気持ちを発露したものだ。
スージーは、その台詞のイントネーションや雰囲気まで正確に再現していたのだ。いつだったか、アンジェラが「スージーの高度な技」だと自慢していたことを思い出した。

斑目は、この言葉をスージーがつぶやいた意味を理解した。
(俺は春日部さんのことを未練がましく思っていたわけじゃない。皆と一緒に過ごしてきた時間が過ぎ去って、少しずつ『みんなが変わっていくのが怖かったんだ』)

今日という日を迎えた胸の痛みも、学生時代なら夜中の電話も掛けられたのにという苛立ちも、「最後の砦」を眺めて感じたむなしさも、みんな、時間とともに変わっていくことを怖がっていた心の表れだったのだろう。

スーも同じ想いだったのかもしれない。だから、今日も出来るだけ最後まで居続けたのだろう。
そのスージーが、斑目を引き止めて許した。
一緒にいることで、怖くないと語り掛けたのだ。

再び泣きそうになった斑目。スージーは上目遣いに何かをつぶやいた。

「……ワリ…」
「?」
「オスワリ」
「???」

斑目が怪訝そうに腰掛けると、スージーは正面から彼の首に腕をまわして抱きついた。
驚きと緊張で、心臓がバクバクと破裂しそうになる斑目。
その脈打つ首筋に、カッカと火照る耳に、涙で濡れた頬に、スージーがゆっくりと口づけていく。
最後に少し顔を引いて、斑目の顔を見た。

「モウ コワクナイヨ……」

斑目はゆっくりと、しかし強くスージーの華奢な体を抱きしめた。
先ほどの強引な抱擁では感じることのなかった柔らかさ、暖かさを、彼女の身体から感じ取った。
自分の心が壊れてしまいそうなくらいに、愛おしくなった。

唇を重ねることに、迷いは無くなっていた。

それから先の記憶は、あまり定かではない。
斑目の脳裏に焼き付いているのは、自分の腕の中で潤んだ瞳で見上げてくる彼女の顔、紅潮した頬と肌を重ねたこと、息も荒く上気した顔で見つめてくるスージーに、「もう 怖くない……」優しく語り掛けたこと。

斑目は、ぬくもりが残るベッドの中で目を覚ました。
何分かの間、天井を見つめる。
ふと、しーんとした静寂の中にいることに気がついた。
窓の外から朝の光が差し込めているのに、何の音もしないのだ。

「寒っ……」
ベッドから身を起こし、机の上に置いてあったメガネをかける。
肌寒さに震えながらカーテンを開けると、外は一面の雪景色だった。
何もかもが白く染められていて、それが陽の光を浴びて輝いている。
この部屋に住んで何年も経つが、これほどの美しい景色を、この安アパートで見たことはかつてなかった。

「ガチャ!」
ドアの開く音がして、ヒュウと冷気が部屋の中に吹き込んできた。
斑目が慌てて振り向くと、コートを着込んだスージーが部屋に入ってきた。
「オハヨ」
口数こそ少ないが、アニメの台詞以外の言葉を彼女が口にするのを、斑目は珍しいと感じた。
スージーはコンビニの袋を手にしていた。
紙袋が中に入っている。洗面用の日用品か、下着の替えのようだ。
スージーの頬は赤く染まっている。寒い中を歩いたためか、それとも……。
(……あれは、夢じゃなかったんだ)
斑目は、またも泣きそうになった。

スージーはそんな斑目の想いを知ってか知らずか、コートを脱ぐと、ベッドにドスンと飛び込み、自分から毛布と掛け布団をかぶった。
顔をヒョッコリと出して斑目を見ると、自分の手でぽんぽん、ぽんぽんと布団を叩いて何かを要求していた。

斑目は目を細め、「はいはい」と答えると、布団の上からぽんぽん…と優しく叩いた。
温もりが逃げないように。
ぐっすりと眠れるように、と。

その日は土曜日。
斑目とスージーは日曜の夜まで、時の許す限り二人で過ごした。
しかし、必要以上にベタベタとくっつくわけでもなく、肩車をしたり振り回されたりと、それまで通りの関係性で過ごしていた。

そんななか、斑目はスージーと二人で部屋の外に出たときに見た光景を、一生忘れないだろうと思った。
白い雪に包まれた世界で、朝の光を浴びて目の前で自分を見つめている女の子に感じた眩しさを。
そこに舞い落ちてきた雪の名残り、小雪の美しさを。

その日から……斑目は密かに彼女のことを「コユキ」と呼ぶようになった。

「……斑目さん」
不意に笹原が声を掛けてきた。
「ああ、笹原かスマン、ボーッとしてた」

数年後。
現視研での宴席はまだまだ続いていた。

斑目は、笹原にビールを注いでもらいながら、さらに過去の出来事に思いを巡らせていた。
結婚しようと決意してからの、スージーの家族へのアタック。
外人妻をもらうと話した時の両親のショック。
スージーの親戚のマッチョから、「メガネのジャップは消えろ」と罵倒されても食い下がったこと。
そして、自分たちの結婚式に、衣装をコーディネートして協力してくれた、かつての想い人のこと……。
ちなみに、あの日以降、斑目が「最後の砦」を眺めることはなかった。

(今日、変に意識せずに『高坂たち』も呼べばよかったな……)
斑目はほんの少し後悔した。

目の前では、仲間たちがいつも通りのにぎわいを見せていた。
もちろん、この光景がいつまでも続くわけではない。時の流れは残酷だ。
それでも、今の斑目は、怖れてはいなかった。
いま目の前で、ニヤリと微笑んだ自分の妻が、いつも一緒に居てくれるのだから。

<おしまい>
最終更新:2007年02月17日 06:15