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アルエ・第七話 【投稿日 2006/10/12】

アルエ


「どうもご迷惑おかけしました。失礼します」
「はいはーい。」
二人揃って頭を下げる笹原とハルコに、男は笑って手を振ってくれた。
その手には『いろはごっこ』が。後ろには大量の同人誌を収めた段ボールが山と積まれている。
笹原たちは改めて一礼してサークルスペースを後にした。
「なんかもー、どこ行っても人と同人誌の山ですね」
笹原は、くはーと疲れと高揚を滲ませた溜息をついた。
「やっぱ大手は違うね~」
ハルコの顔も少し上気している。名前と作品でしか知らなかった人と立て続けに会話したのだから無理もない。
少ない胸に同人誌を抱えて、ハンカチで汗を拭いた。
「あとどこ回ればいいの?」
「えーとですねぇ…」
笹原は折り畳んだサークル配置図を開いて方角を合わせようとしてくるくる回した。
人の流れを避けるために端っこに移動して、残っているサークルの場所を確認する。
ハルコも笹原の斜め後ろから回り込んで配置図を覗き込んだ。笹原の首にハルコの吐息がかかる。
笹原はむずずずと体を震わせた。
「えーと、あと、ここと、ここと、こっちもですから、それで、あとは、3軒ですね」
慌てて配置図をしまい込み、笹原はハルコから離れた。
ちょっと今のは不意を突かれた。ただハルコの纏う涼やか香りには、少し未練を感じていた。
いや、何考えてんだ、俺は。
「ちょっと笹原」
当のハルコは、怪訝な表情を見せていた。笹原の心胆が寒からしめられる。
「あと3軒? コレあと2冊しかないけど」
「あ、あれ、マジすか?」
ハルコは重ねた同人誌を両手に取ってみせた。確かにハルコの白魚のごとき両手にはそれぞれ1冊ずつの本しか握られていない。
同人誌の間に浮いたハルコの顔には、やれやれという文字が大書きされていた。
ありゃりゃ、なんつー低レベルなミスだよ。
「すいません、すぐ取ってきますから」
居たたまれなさからか、笹原はシャツを翻してソッコーで現視研ブースに取って返そうとする。
そのシャツの首根っこをハルコがぐいっと掴んだ。
「こらっ」

「はいっ?」
「まずはちゃんと数を確認する! 本当に3軒でいいんでしょうね?」
委員長然に光らせたメガネを、ハルコはくいっと上げて睨んだ。
良いっ!
「あ~~~、はいっ、えっと、ダイジョブです、三軒で」
「そんな慌てなくていいから。落ち着いて確認する!」
笹原は配置図を取り出してそこに目を据えつけた。あんまりハルコの方を見るのは不味い。
自分の気持ちに気付かれる気がして、必要以上に配置図に顔を近付けていた。
ここと、ここと…、うん、間違いない、OK。
「はい3軒で、合ってます」
「ほんとに合ってる?」
「はい!」
と笹原は断言して踵を返そうとすると、またぐいっと襟首を掴まれた。
「私が取ってくるから、今度はあんたが待ってなさい」
ハルコは同人誌を笹原の胸に押し付けた。笹原は着替えを除かれた乙女のようなポーズで同人誌を抱えたが、
慌ててハルコの前に回りこんだ。
「そういうわけには行かないっすよ。俺がミスったわけですから!」
「ややや、別に嫌味で言ってるわけじゃなくて……」
「俺が行きますんで、ハルコさんはここで待ってて下さい」
「えぇ~~? またぁ~? たいくつなんですけどぉ~」
「あ……、えと、そぅっすね、どうっすかな……」
俯く笹原。つつっと汗が吹き出る。

ハルコ小さく溜息を吐いて、笹原の抱えた同人誌を取り戻すと、
「もうめんどいから二人で戻ろっか?」
と言って微笑んだ。
くはー、やっべー!
ごくりと、ハルコに聞こえるんじゃないかという音を立てて笹原の喉が波打った。
会場の熱気に当てられたのか? はたまた有名同人作家巡りをしたことによる緊張と興奮が心理学における『つり橋効果』をもたらしたのか?
つーか何だ、このコミフェスという非日常空間? 年に二回のハレの日、かつ初のサークル参加。それが俺をキョドらせているのか?
まあ、無理もないかな。だってこんなことないもんなあ。売る側なってんだもんな、そんなの初めてコミフェス来たとき考えもしなかったよ。
あー、懐かしいなあ、アレからもう2年かあ。俺もすっかり成長しちまって。
って、ああ心の中で喋りまくる俺……。
いいや…、あれだ。そうじゃなくて、もう分かってんだけど、つまり、単純にかわいいんだな。
そう思ったとき、笹原はにへらと笑顔を零した。
「何を笑っとんじゃお前は?」
「あ、や、何でもないっすっ! 自分ッ、ダッシュで行って来ますからっ! もうスグですんでッ もうホントに!」
「あ、こらっ」
「それ、お願いします!」
半ば強引に、かつ逃げるように笹原は走り去って行った。二人で居るのが、妙に恥かしかったのだ。ガキめ。
「走っちゃダメだよー」
というハルコの声も届かない。ぴゅーっと行ってしまった。
「何だぁアイツ?」
頭のてっぺんにはてなマークを浮かべてハルコは小首を傾げていた。

でっかい石をひっくり返したら虫がいっぱい。まさにそんな感じに蠢く群衆をハルコは会場の隅っこで眺めていた。
みんな一様に額に汗をはっつけて、荷物片手にあっちをキョロキョロこっちをキョロキョロ、目的は一つ。
喧騒から少し離れて打ちっ放しのコンクリに背中を預けたら、ほんのちょっとだけ涼しさを感じた。
会場のうねりのようなどよめきと、立ち込める熱気、コンクリの涼感が、ハルコの眠気を誘った。
今回も毎度の如く徹夜の漫喫から始発に乗ってビッグサイトにやって来ていた。
桃色の唇があんぐりと開いて、ふふぁ~~とアクビが漏れてきた。彼女はそのまましゃがみ込んだ。
「ねむ……」
自分の両膝を枕に、足を抱えて頭を垂れた。どよどよ、ざわめきが遠くなる。
(いかんいかん…、寝ちゃいそうだった…)
重たい首を上げる。笹原が息を切らして戻ってくるかもしれないのだ。
でも、今日は何だかとっても疲れた。
(自分の買い物で昨日は歩き回ったなぁ…、そんで全然寝てないしぃ…、今日はハズいコスプレしたぁ…、立ちっ放しで売り子もやったなぁ…)
ハルコはちょっと笑った。
(何だか今年は盛りだくさんだなぁ…)
ハルコはクスクスと笑った。顔にニョヘラ~とだらしなく垂れている。
瞼の裏に春日部君の顔が浮かんでいた。
(「いーじゃん。似合ってんじゃね?」って…、本気で言ってたのかなぁ、その前に思いっ切り笑ってたけど…。
でも……………、うれしいかも…)
眼鏡がないせいで滲んだインクのようにぼやけた春日部君の顔。
きっと、いつもみたいに余裕たっぷりに、キョドってる私を見て笑ってたんだろうなあ。
(ま……、それだけで……、良しとするかね~~……?)
小さく頭を揺すって、深く目を閉じる。何だか、とてもいい気持ち。体がほわほわと温かい。
(ホントに寝ちゃいそう……だなぁ………)

足音がした。
すぐ傍で、誰かが立ち止まった。もう多分ほんのすぐ目の前だ。
あ、笹原? そう思った。
「いっよぉ、調子どお?」
長髪を汗で湿らせた原口が不気味に微笑んでいた。
ハルコは立ち上がるタイミングを失っていた。

「ずいぶん余裕だねぇ? こんなことで油売ってて大丈夫なのかい?」
原口は圧し掛かるような声で言った。
ハルコはしゃがんだまま原口から視線を逸らす。
「今日は特別ですよ。普段はちゃんとやってますから」
「ふ~~ん」
顔に浮いた汗を首掛けタオルで拭くと、原口は薄ら笑ったままわざとらしく周囲を見回した。
そしてふふんッと鼻を膨らませた。
「一人だね~」
その言い方にハルコは背筋に悪寒が走るのを感じて、反射的に、
「笹原が戻って来るのをまってるんです」と言い返した。
原口が一層ニヤリと笑った気がした。
「ほ~~、あの口の悪い彼氏は来てないのかなあ?」
「はぁ? 何ですかそれ?」
「はははっ、やっぱりデマカセだったんだなあ。まあそんなこったろうとは思ってたけどねぇ」
ハルコを口を尖らせてソッポを向いた。
彼氏? 何だソレ? また嫌がれせ? 彼氏いない歴=年齢と知ってバカにしてんのか!
ハルコは原口を無視したまま、体を横に向けて立ち上がった。
笹原を待っているので出来ればここから動きたく無かったけれど、これじゃしょうがないよね。
あとで笹原に謝っておこう。
「それじゃ失礼します」
「あれぇ? 笹原君を待ってるんじゃなかったかな?」
「遅いんでブースに戻ります」
ハルコは床に置いていた同人誌に手を伸ばした。
しかし既の所でロースハムのような腕に同人誌を掻っ攫われてしまった。
「ふ~~~ん、これが現視研で作った本ねぇ~」
強張っていたハルコの顔が、うろたえて崩れた。
「あ、返し…」
そう言いかけて慌てて口をつぐんだ。
「んーーーー?」
弛んだ口角を持ち上げてジロリと原口の目がハルコを捉えていた。

「んっふっふーーーーん、はふーーーーん」
原口は本の中身とハルコを交互に見てはニヤニヤとこれ見よがしに顔を緩ませた。
「はは、本当にエロだねぇ~~」
ハルコは謂れのない羞恥心に頬を赤らめ、バツの悪さに目を尖らせていた。
同人誌を取り返そうとするように構えた右手は、引っ込みもつかず宙を彷徨っている。
ハルコは気を取り直すために小さく息を吐いた。
まあ、いい。本を掠め取ったことはムカつくが、ブースに戻ればまだいくらでもストックがある。
無理に取り戻そうとする必要はない。
「それ差し上げますよ」
「んーーーー?」
原口がとぼけた声でハルコを見やった。一歩下がって間を取っていたハルコの体を、原口の目が頭からつま先まで舐めた。
そしてまた同人誌への視線を戻した。
「そういやぁ、ずいぶんと面白い格好してたねえ~?」
「なっ…」
一瞬、ハルコが幼子のような顔になった。
「なんで……?」
知ってるのよ?
「ん~~~? 漫研のブースで話題になってたからねぇ~~、僕も見物させてもらったよ~~。
評判だったよ~。『現視研が色仕掛けで完売させようとしてる』ってね。まったく、
女の子ってのは口さがないよねぇ」
「――――――っっ……」
言い返そうにも言葉が出てこない。悔しいがその通りという気がしないでもなかった。
でも、コスプレして売り子してるとこなんていくらでもあるじゃない。あんなのちょっとしたネタよネタ。
だいたい大野はともかくとして、私に仕掛けられるほどの色気なんぞ元からありゃしないわけで…、
むしろ珍獣的なポジションのアレだったというか……。
「けっこうノリノリだったり?」
「違います!」
くそぉ……、大野だ、大野のせいなんだよぉぉぉぉぉぉ、私はいやいやなんだっ、あくまでも!
ハルコの顔は怒りと恥かしさでプリプリのプチトマトのように真っ赤になっていた。

それを見た原口は中堅企業のワンマン社長みたいにご満悦とばかりに笑った。
二十代とは思えない、スケベエ根性を隠そうともしない脂ぎった笑顔。
原口は腕組みにして、自分の網膜に写し撮った画像を思い浮かべるように顎を擦った。
「ははは、作ったのは田中かな。服飾の学校に進むんだってね、彼。結構、露出度高めだよねぇ」
こんな奴に見られたのかと思うと、ハルコは急に泣きたくなった。
涙が滲んで、乾いた目がチクチクとした。
別に、原口に見られたからって自分の何がどうなるわけじゃないのは分かっているけど、
何だかとても嫌だった。
「あ、写真見る? 便利だよねデジカメって。すぐその場で見れるもんねぇ」
原口は首に掛けていたカメラを得意気に外した。
「失礼します……」
蚊の鳴くような声で、ハルコは気が付かないぐらい小さい会釈をすると逃げるようにその場を離れようとした。
だが一瞬早く原口の手がハルコの手首を掴んだ。
「まあまあ、もうちょっといいんじゃないの? どーせ暇でしょ?」
言葉面はとぼけていたが、体から発する雰囲気が一変していた。
巨大な子供のようなぶよぶよした手が細いハルコの手首をがっしりと掴んでいる。
慌てて振り払おうとしたが、それを封じるように原口は手に力を込めた。
「――ッ!」
ハルコの表情が痛みに歪むのを見ながらも原口はそれを無視する。
「遠目から撮ったからね、あんまり写りは良くないんだけど。良かったら記念にプリントしようか?」
「あの……」
困惑をありありと滲ませた顔でハルコは原口を見上げる。
何でもいい、『やめて下さい』でも、『離して』でも、とにかく嫌がっていることを伝えないと。
しかし、原口に目をみたら言葉は出てこなかった。
威圧するような鋭い目は、にやけた口元とは違って全く笑っていない。
「あのさぁ……」
原口は周囲からハルコを隠すように歩み寄った。
「サークルの先輩がさぁ、丁寧に話してるわけでしょう? そういう態度は良くないんじゃないかな?」
手首に痛みが走り、ハルコは顔を歪める。
原口はニヤリと笑った。
「ね?」



つづく。