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やわらかい月 【投稿日 2006/10/09】

カテゴリー-笹荻


「はわわっ……んんっ!でねくて…!」
夕暮れの中を駅に向かって歩く荻上は、強い風にあおられてよろめいた。
最近見たアニメの影響でオタクくさいリアクションが口をついて出てしまい、
よろめいた事より「はわわ」と言ってしまったことに焦っている。
(誰か知り合いに見られてねぇべな…?)
後ろを振り返り、前方をきょろきょろと見回すと、早足で歩き出すのだった。
上陸こそしなかったものの台風の影響で風は強い。
中秋の名月の翌日のこと、十六夜の丸い月が藍色の空に浮かんでいるが
荻上はそんな事に全く気付いていないようで、一瞥もせず歩き続けている。
今日は土曜日で、さっきまでサークル活動だった。
会長として現視研をまとめ、個人誌や合同誌、ゲストなど同人活動も忙しく
充実した日々を送っている。だからこそ、笹原と会える日は全力で密度の高い
時間を過ごしたいと思い、気が急いているのだった。
(えーと、笹原さんのさっきのメールで、仕事から帰ってきて駅に7時頃に
 着きそうって事だったから、今からじゃ家で料理仕込んでる時間も無いし
 『外食より二人で家で過ごそうか。疲れてるしゆっくりしたいんだけど』
 って書いてあったしなぁ。何かすぐ食べられるもの買って…休むって事だし
 何して過ごすべか?ゲーム?DVD?TV番組何か有ったっけか?)
急いで携帯で、今夜のTV番組をチェックすると、特に二人で楽しめそうな
番組が無いので、駅前に着くとまずレンタルビデオ店に駆け込んだ。
(えーと、コメディ?アニメ?恋愛物?あっこれ懐かしい!でも笹原さん
 好きかどうかわかんねぇ…決めらんね……あうー…あうーって言うな私!!)
だいぶ混乱しているようだ。急がば回れというが、傍目に非常に効率悪く
棚を行ったり来たりしている。
(録画も溜まってるって言ってたしなぁ。無駄な事してねぇか?
 いや、二人で過ごす為にワンランク上を目指さねば!)

迷いに迷った挙句、古典だが荻上は通しで見たことが無かった宇宙戦艦ムサシを
借りてみたのだったが、店を出る頃にはもう駅前の噴水の所に笹原が立っていた。
ちょうど笹原は携帯を取り出して電話を掛けている。鞄の中で携帯を鳴らし
ながら慌てて駆け寄る荻上。少しハーハー息をしながら
「笹原さんっ、おかえりなさい!」
と呼びかけると、つまらない表情だった笹原の顔にも笑みが浮かび
こちらに嬉しい視線を向け、歩いてきた。
「あー、何かDVD借りたの?」
「ムサシ借りてみましたから、うちで観ましょうよ。」
「うぉっまぶしっ?」
「そっちじゃなくって、宇宙戦艦ですよっ(笑)!」
二人して、肩を叩きあって声高に笑いあう。そのテンションの高さに
周りの人々が少し目を向けるが、気にして無いようだ。
「あー、古典だねぇ。荻上さん女の子だし年齢的にも、あんま観て無い?」
「ええ、そうなんですよね。ところで夕食今から買うんですけど。」
「珍しく呑みたい気分なんだけど…。そこのスーパーで何かつまむもの
 買って帰ろうよ。あ、荻上さん呑まなければ何かお弁当でもさ。」
「いえ、私もお付き合いしますよ。少しなら。」
駅前の高級で無いデパート地下で、刺身やサラダ、フライドチキンや
スナック菓子などをカゴにどんどん入れていく。余らせるぐらいの分量に見える。
酒コーナーでは特売の缶チューハイと発泡酒を買い込む。
軽い菓子などの袋を持った荻上と、重い荷物を手に食い込ませた笹原は
二人で今週有った事の愚痴などを冗談めかして話し、笑いあいながら
疲れた足を騙し騙し、早足で家路につくのだった。


ふと、前方の道端に人が立っているのに気付く。
禿頭の老人が一人、煙草を燻らせながら、酒屋の前に出て、
歩道に立って空を仰いでいる。
笹原と荻上は足を止め、空を見てみた。
丸く白い月が、雲ひとつ無い墨汁のような空のなかに、居た。
本当はすごく遠いと知識では知っているが、すぐ近くに
居るように見えるその存在に今夜初めて気付いた二人は、
しばし月を眺め続けると、どちらともなく
「満月…?」
とつぶやいた。
「満月、十五夜は昨日だったんだがね。」
すぐ近くに立っていた老人に答えられ、びくっとして振り返る。
「今日は十六夜だが、いいお月様だな。」
「あ、そうだったんですね、すっかり忘れてました。」
笹原はそう答えるが、老人は笹原でなく月を眺めながら
煙草を吸い込み、大きく空に吐き出した。
風が強いので、笹原や荻上に煙が掛かることも無く消えてゆく。
会話も続かず、さりとてこのまま立ち去る雰囲気でもない。
「あの、お店、まだ開いてますか?」
笹原は酒屋の店内を見て、老人に話しかけた。
「ああ、まだまだ開いてるよ。何か買うかね?」
老人はやはり酒屋の店主らしく、店内に入っていった。
レジの横の灰皿で煙草を消すと、笹原と荻上に色々と
勧めてくる事も無く、贈答用の包装紙をまとめている。
店内には、大手スーパーよりやや割高なセール品の
ワインや焼酎なども並び、手前の冷蔵庫にはビールや
発泡酒、瓶ビールなどが埋まっている。

二人して焼酎やビールを眺めるが、二人とも焼酎は
得意な味ではなかった。
「これ、瓶が綺麗でラベルも良いですね。」
奥の冷蔵庫に入った、やや小ぶりの日本酒に荻上が目を留めた。
青い瓶に和紙のラベルで「月」と朴とつに書かれている。
「荻上さん、日本酒大丈夫?」
「うーん、呑みやすいのと呑みにくいのが有るんですけど…。」
そんな会話をしていると、二人の後ろに店主が立っていた。
「最近は焼酎が流行ってるんだが、若いのに日本酒かね。」
「あ、いえ、あんまり呑んでないんですけど(苦笑)。
 それで全然分からないんですけど、どれがお勧めですか?」
笹原の問いかけに、冷蔵庫を開けながら老人が答える。
「呑みやすい、呑みにくいってお嬢ちゃんが言ってたがね…。」
半分ぐらいになった酒瓶を3本取り出すと、隣の机に
置いてあったお盆から小さな杯を二人に手渡した。
「吟醸酒、中でも大吟醸っていうとだいたい呑みやすいもんだ。」
そう言って注がれて、戸惑う二人。
「さ、味見だから遠慮なくどうぞ。」
少し微笑んで促され、ようやく口に付けた。
口の中に、サラリとした淡い酸味と、木の香りが広がる。
「うん、美味しいですね。」
「これなら私も呑めます。」
「ただこれは、4合瓶で4千円ぐらいするけどなぁ。
 兄ちゃん、こんなの買う財布の予定、無かったろう?(苦笑)」
そんな二人に、また次の瓶から酒を注ぐ。

「あ、今度は味が濃いですね。美味し…。」
「私はこれ、ちょっとキツイかも…。」
ちょっとキツイと言った荻上が気になり、笹原は荻上を見遣る。
苦いものを食べたような表情の荻上。
「そうか、普通の純米酒なんだがなぁ。これはどうかね。」
次に3本目の酒を注いでもらう。
「これはまた、全く違った感じですね。」
「へー。ちょっと甘いです。」
そういう荻上の表情も、甘みを含んだ笑みが頬に浮かぶ。
「これなら一本1400円で、この瓶の奴だがね。」
そう言って示されたのは、荻上が最初に興味を示した青い瓶だった。
買って出ると、店主のお爺さんは店の外まで見送ってくれた。
「ちょうど今夜も十六夜だし、甘口で好みのが見つかって良かったな。」
荻上は、そう言うお爺さんの頭も、満月のようだと思ったが
小さい子供ではないので微笑で答えると、会釈をした。
月明かりが照らす中、月を眺めてゆっくりと歩く。
二人の足音は、ゆったりと夜道に響いていた。
笹原も荻上も、せかせかした気分からすっかりと
のんびり出来ているようだ。
笹原は荷物が重いが、荻上はさっきの酒瓶を嬉しく思えて
上機嫌になっていた。笹原もそんな様子をしみじみ見歩く。
早く呑みたいというより、今の楽しさを月の下で感じていたくて
足取りはますます遅くなっていくのだった。