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ヤブーの話 【投稿日 2006/09/26】

カテゴリー-その他


現視研の部室の扉の前で、藪崎は悩んでいた。
本気で悩んでいた。
真剣に悩んでいた。
「開けるべきか開けないべきか、それが問題だ」などと呟きたくなるほどに悩んでいた。
そして決断した。
「それもこれも全部荻上がわるいんや!!」
…なんでさ。

時間は少し遡る。
漫研では、いつも通りの当り障りの無い会話と、穏やかな笑い声が響いていた。
そんな中藪崎は、会話にも加わらず、一人ノートに向かって絵を描く。
(…けったくそわるい)
藪崎は心の中で毒づく。
(好きを好きと言わんで、嫌いを嫌いと言わんで、気に入らんもんは『無かったことにする』っつー訳や。結構なこっちゃ)
(いつまでもそーやって慣れ合っとれ!)
次第に筆圧が高くなってくる。線が荒れだす。絵が崩れる。
そんな藪崎の様子を前髪を透かして見ていた加藤が、不意に立ち上がると声を掛けた。
「藪崎さん、ちょっと」
二人は揃って漫研を出る。その後を追ってニャー子が駈けて行く。
3人が去った漫研は、明らかにほっとした空気が漂った後、再び穏やかな時間が流れ出した。
その影にどれだけの悪意が隠れていたとしても。

「何ですかぁ、加藤さん?」
「薮崎さん。例の合作の話はどうなったのかしら?」
「うっ…」
藪崎は言葉に詰まる。そして何か言おうとして言葉が見つからず、言い訳もできず、右を見て左を見て俯いて天を仰ぎ、良い事を思いついたように手を打つと、言った。
「あの話は無かった事に…」

スパーン!!

小気味いい音と供に、加藤がどこからとも無く取り出したハリセンが、藪崎の脳天を直撃する。
「ベタベタだニャー」
「うっさい黙れボケ」
藪崎は頭を抱えながらニャー子に返す。
そんな二人を眺めながら、加藤は軽くため息をつくと、口を開く。
「その様子じゃ、『全然・全く・一つも』進んでいないのね?…まさかあれ以来口も利いていないなんて言・わ・な・い・わ・よ・ね?」
ギクという音が聞こえそうな様子で薮崎が固まる。
「しょうがないわね。それじゃあとりあえず、今から現視研へ行って、荻上さんに謝って来なさい」
加藤はあきれた様子で薮崎に命じる。

「ちょ、ちょっと待ってェ!なんで私が…!」
「先に無礼を働いたのはあなただから」
「そんなもん、あっちだってやったんやから、あいこでしょうが!」
「それに頼みごとをする立場なのもあなた」
「いや、それは、だったらええな、って話をしただけで、別に決めたわけじゃ…!」
「じゃあやめる?」
「……ヤメタクナイデス」
「素直でよろしい。さあ、お行きなさい」
例の決めポーズをつけた加藤に見送られて、藪崎は肩を落として現視研へ向かう。
「…ニャー子、あなたも一緒に行ってやって」
「なんでですかぁ?」
「逃げないように」
「…信用ないんですねぇ」
「理解してる、と言って頂戴」
ニャー子は加藤の表情を読もうとしたが、前髪が邪魔で出来なかった。
逆に自分が読まれそうな気がして、急いで藪崎の後を追うことにした。

そして時間は冒頭に戻る。
ちなみに現在藪崎一人なのは、あまりの優柔不断さに、ニャー子があきれて飲み物を買いにいってしまったせいだった。
藪崎は覚悟を決めると、ノブを掴み、一気に扉を開けた。
…なぜか壁に隠れながら。
(何で私が隠れなあかんね!まるで悪い事してるみたいやないか!)
怒りながらもいきなり飛び出す気にはなれず、陰から覗き込むことにする。
中には目を丸くした細面の男が一人。
(む、おらんのか荻上)
(…)
(…)
(…)
(…出直すか?)
そう思い始めた頃、男が口を開いた。

ところでその男、朽木は驚いていた。
いや、漫画を読んでいたらいきなり部屋の扉が開き、なのに人の姿は無く、さらにその後人影が部屋の中をうかがっていれば、誰だって驚くだろう。
(ヤブー【朽木による藪崎の脳内呼称】?何してるんだ?ああ、オギチンに用かな?)
(居ないっておしえてあげ…)
朽木の思考はそこでいったん途切れた。
なぜなら藪崎の背後に、見覚えのあるアンテナが見えたからだった。
朽木は改めて思考をめぐらせる。
(この状況での最良解は何だ?落ち着いて、冷静に考えるのだ)
(三択だな)
(①ヤブーに声を掛ける)
(②オギチンに声を掛ける)
(③ボケる)
朽木は悩まずに選択した。③を。
「志村うしろうしろ~」
「「(なんや・なんですか)それ」」
ボケ失敗。
「ぎゃ…」
「「ぎゃ?」」
「ぎゃふん」
「「???」」
再び失敗。

その後。
(まあ、あの時は二人の気を削ぐことには成功したのだから、あながち間違いではなかったのかも…)
朽木がそんな事を思うくらい、現視研の部室には重苦しい空気が漂っていた。
荻上は原稿用紙に向かっている。
藪崎は窓の外を睨んでいる。
二人は互いを無視し続ける。
言葉も、視線すら交わさない。
そのくせ朽木が動こうとすると、示し合わせたかのように殺意のこもった視線で睨みつけるのだ。
(誰か…助けて…)
朽木は祈る。それしか許されない。そしてどこかの気まぐれな神様がそれに応えたのか、扉が開き、一人の女性が現れる。
ニャー子だった。
「失礼しますぅ。はい、先パイ。ご注文のお茶ですよぅ…あ、荻上さんも飲みますかぁ?」
「いりません」
「そんなら私もいらん」
ニャー子の登場でわずかに緩んだ部屋の空気が、このやり取りでまた一気に重くなる。

「えー、そんなぁ……せっかくだから、飲みますぅ?」
ニャー子の差し出すお茶を、家族以外の女性から物をもらった事が無い朽木は、大喜びで受け取ろうとして、

二人の視線に殺された。朽木は本気でそう感じた。
「ケッコウデス。エンリョシマス…」
名残惜しそうに断る。
「あ、そう?」
ニャー子は何の感情も示すことなく、お茶をひっこめた。

「ところで先パイ。ちゃんと謝りましたぁ?」
重苦しい空気を物ともせず、ニャー子が切り出す。
「このアホ!!一体何言い出すんね!!」
「いいかげんさっさと謝っちゃいましょうよぅ。私買い物とかしたいんですけどぉ」
怒り狂う藪崎も物ともしない。
「だったら先に帰り!」
「駄目ですよぉ。加藤先パイに言われてるんですからぁ」
「うちと加藤とどっちが大事ね!」
「加藤先パイには逆らえません」
「う」
ここまでのやり取りで、荻上にも大概の事情は知れた。もったいぶって語りかける。
「で、藪崎さん。ご用件はなんですか?」

藪崎は荻上を睨み、目を逸らし、口を開いては閉ざし、ようやく何かを言おうとした時、荻上の携帯が鳴った。
荻上は携帯を取り出し、通話ボタンを押す。
そして携帯から聞こえた声に答えた。
「笹原さん?」
荻上は瞬時に失敗を悟った。
声を出してしまった。いつも通りの声。ただし二人きりの時の。
すぐさま通話を切る。
横目で薮崎を窺う。
藪崎はニヤニヤ笑っていた。
「いやあ、ええもん聞かせてもらったでぇ?『ささはらさぁん』ってなぁ」
その瞬間、荻上の中で何かが切れた。
「好きな人の名前を呼ぶことがそんなにおかしいか!?」
「な…何や!男が出来たくらいで勝ったと思うな!」
「だったらさっさと作ってみたらええべ!!」
「なんやて!!!」
「何が!!!」
息を切らして睨みあう。
ニャー子はその様を(表面上は)無感情に眺めている。
朽木は胃のあたりを押さえながら突っ伏している。

再び荻上の携帯が鳴る。
二人は視線を外す。
荻上が携帯に出る。
「…いえ、別に何でもありません。ちょっと忙しかったので。…はい。…はい。…その事は後でこちらから連絡します。…何でもないですから。じゃあ失礼します」
通話を切ると同時に、藪崎が口を開いた。
「…もうええわ」
そう言い捨てて部屋を出て行く。
「あ、待ってくださいよぉ」
ニャー子が後を追う。
「体の具合が優れないので、今日は早退しますね」
胃のあたりを手で押さえながら、背中を丸めて朽木が出て行く。
そして部室には荻上が一人残された。

「はぁ…」
荻上はため息をついた。
実は荻上も、藪崎との合作には興味があった。
加藤→大野と経由してきた彼女の同人誌は、納得できない部分もあったが、それ以上に良い意味で刺激的だったのだ。
「はぁぁ…」
荻上はもう一つため息をつくと、原稿用紙に向かった。

一方藪崎は漫研の前で頭を抱えていた。
(どうしよう。謝るどころか余計こじれてしもた。なんて言い訳しよ…)
実は加藤はとっくに帰宅してしまっているのだが。

二人が合同サークルを作るのは、まだまだ当分先のことになりそうだ。


おまけ
「やっぱりうまくいかなかったのね」
「やっぱりって…失敗がわかっていてやらせたんですか?」
「『獅子は我が子を千尋の谷に落とす』というものよ」
「スパルタですね…」
「あの子は私が見込んだ子だから。あの子は伸びるわよ。自分の気持ちに素直になれば、ね」
「できますか?」
「できるわよ。実際あなたの所の彼女は変わったでしょう?」
「彼氏ができたせいじゃなくて?」
「それはただのきっかけに過ぎないわ。自分を見つめて、受け入れ、乗り越える。これが全て」
「はあ…」
「それがあって初めて人は成長するの」
「…あなたの趣味ってよくわからないんですけど」
「自分ではわかりやすいと思うけどね。『人の成長していく様、そしてその頂点』というだけだから」
「いい趣味してる、って言っておきます」
「ありがとう」