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ザクロ 【投稿日 2006/08/04】

カテゴリー-笹荻


「うー、だるいな~」
 7月もなかばを過ぎたというのに梅雨の明ける気配はない。その一方気温は上がり続け、体には負担がかかるばかりだ。荻上千佳はベッドの上でうなっていた。
 暑いだけが原因ではない。夏コミ合わせの原稿と前期試験の準備が重なり、体調を崩してしまったのだ。いつもはこんなことはないのだが、今朝は腰の凝りと腹に居座る鈍痛で起き上がる気がしない。
昨日はそれでも普段どおりに行動でき、入稿も終わった気楽さもあって部室で過ごしていた。昼には斑目晴信が昼食に立ち寄ったり、彼と入れ替わりに入室してきた大野加奈子と世間話をして1日が終わっていたのだが。
 今日は日曜日だが、恋人の笹原完士は仕事だと言っていた。ゆうべ夜遅くの電話で愚痴をこぼしながら、彼はそれでも楽しそうに今の仕事について説明してくれた。
「私も寝てる場合じゃねえな。動いてりゃ気もまぎれるし」
 ともかく起きることにする。いずれにしても寝室にはエアコンがなく、昼までここにいたら蒸し焼きになってしまう。すでに10時を回っており、表の灰色の空はどんどん熱を帯びてきていた。
「(まずはシャワー浴びて……どうすっかな、部室いくかな?でもちょっとだるいし、うちでネームでもやるか)」
 サイドテーブルの上で充電中の携帯電話に視線を投げる。
「(笹原さんに電話してみようかな、今日は午後からって言ってたからまだ家にいるかも知れないし……いやいや、これから仕事だってのにメーワクだぁ)」
 風呂から上がって、携帯電話のウインドウが明滅しているのに気づいた。メールが着信していたらしい。
「誰だろ……あ、笹原さん。……えーっ?」
 笹原からのメールは『荻上さんち寄ってから会社行きます』という文章で終わっていた。千佳は慌てた。
来てくれるのは嬉しいが、予想外の展開だし髪もまだ濡れている。メールの着信は10分前で、早ければもう着いてもおかしくない。とにかく、身支度だけでも終わらせなければ。

「はわあぁ~、どうしたんだ笹原さん、嬉しいけど……嬉しいけど!」
 笑顔半分困惑半分のていでドライヤーを振り回す。ともかく服を着終えた頃、玄関のチャイムが鳴った。
 腰をさすりながらドアを開ける。そこには……両手にスーパーとドラッグストアの袋を提げた、スーツ姿の笹原がいた。
「あ……おはようございます……どうしたんですか?その荷物」
「おはよう荻上さん。いやー暑いねー。えっと……上がっていいかな?」
「あ、はい。あの、ちらかっててすいません」
 彼をリビングに通し、冷蔵庫で冷やしていた麦茶をグラスに注ぐ。一杯目を一息で飲み干した笹原のグラスにもう一杯注ぎ、自分用にもグラスを用意する。
「うちなんか寄って、会社の時間、大丈夫なんですか?」
 いつものポジション。笹原をソファに座らせ、千佳は机の椅子に腰掛けて聞いた。スーツを脱いだ笹原は汗をぬぐいながら、テーブルに先ほどの荷物を広げ始める。
「ん、平気平気。さっき連絡あって先生の仕事場に直接行くことになったんだ。これで30分は稼げたよ。でさ」
 スーパーの袋から出てきたのは大量のお菓子とフルーツ、薬屋のほうは貼り付ける式のホッカイロ。
「昨日の電話で、荻上さん調子よくなさそうだったから、いろいろ買ってきたんだ」
「こんなに!コンビニでも始める気ですか?」
「いやその、買い始めたら止まらなくなっちゃってさ。なにがいいのかよくわからないもんで。甘いものとかチョコとか、ザクロがあればよかったんだけど、ちょっと時期が早かったみたい」
「それにしたって。……え、ザクロ?」
 なんでこの時期に。それに甘いもの?チョコレート?ホッカイロ?……ピンと来た。
「笹原さん……大野先輩ですね?入れ知恵したの」

「あと冷房ばっかりだと体が冷えるから……うぇっ?い、いやそんなことは……」
 まるで何かを暗記してきたかのように説明を続ける彼に割り込む。やはり受け答えがおかしい。
「笹原さんがこんなに手回しいいのは変です!そもそもなんでザクロとかホッカイロとか思い付いたんですか?」
「いやその、あのさ、ほら、えーと……すいません」
 あっさり陥落。聞くと、今朝がた加奈子から、千佳が具合を悪くしているから見舞いに行けというメールが入ったのだそうだ。ゆうべの電話では千佳は笹原に心配をかけまいと明るく振るまっていたので、実は彼は千佳のことをまったく絶好調だと思っていた。
数度のメールのやり取りで『チョコレートを食べたがっていた』『実はザクロが好物だ』『冷房で冷えてしまっているのでカイロがあるといい』などとアドバイスを受け、さらに加奈子の指示でメールの履歴を削除してから、笹原はこちらに向かったのだった。
「もうっ、大野先輩ったら」
「でも大野さん、心配してたよ。荻上さんあんまり病気しなさそうだし、たまにテンション下がるとスパイラルするんじゃないかって。俺もさ、ええっと気付かなくて悪かったけど、風邪ひいてるんならそう言ってくれればいいのに」
「風邪?……大野先輩、私のこと風邪だって言ってたんですか?」
「え?いや、特になんの病気だとは。え、風邪じゃなかったの?」
 笹原がうろたえ始める。ひょっとしたら、もっと重い病名が頭の中を駆け巡っているのではないだろうか。
「あー……そんな病気とかじゃなくてですね……っぷっ」
 心配そうにこちらを見つめる彼の表情を見ていたら、ふっと心が軽くなった。
「ふ、ふふっ……あは、あははは」
 腹の底から笑いがこみあげてくる。
「わ、荻上さん?」
 笹原の困惑ぶりはますます高まり、さらにそれが千佳の笑いを誘う。この人は大野先輩に尻を叩かれて、訳も判らず私のところに駆けつけてくれたのだ。
 一方で申し訳ない気持ちにもなった。つい先日も締め切り直前のテンパった精神状態で軽い口喧嘩をしたばかりだ。その時は雨上がりの虹が二人の仲を取り持ってくれたが、そう毎回自然現象にも頼れまい。

 もっと、この人に甘えよう。毎度のように考えているが、なかなかうまく行かない決心を今日も思い出す。人を遠ざけることに慣れ過ぎた自分の心が簡単に変わらないことは身に染みているが、それならほんの一歩ずつでもいい。
私を大切にしてくれるこの人にもっともっと甘ったれて、私に彼が必要なんだって解ってもらおう。考えるだけで恥ずかしいが……さいわい今日はひとつ、してもらえるとありがたい『おねだり』を思いついた。
「ありがとうございます、笹原さん。私、笹原さんが来てくれたら元気になりました」
「え?それは……どうも。え、ホントに大丈夫なの?」
「精神的なもんもあったみたいですよ?」
「え?」
「せっかく日曜日だっていうのに、笹原さんがお仕事に夢中だったから!」
「えぇ~?」
「ふふ、冗談です」
 椅子から立ちあがって、笹原の隣に座りなおす。
「お……荻上さん?」
「笹原さん、まだ時間大丈夫だったら……ひとつだけ、お願いしてもいいですか?」
「は……はい?」
「実は昨日冷房に当たりすぎて、肩とか腰とか凝っちゃって。コレで具合悪くしちゃったんですよね。それであの……あの……、ちょっとだけ揉んでもらっても……?」
「あ、ああ!そうだったんだ。いいよ、もちろん。お安いご用だよ」
「ありがとうございます」
 今日は雨の心配はなさそうであるものの、暑苦しい雲はずっと空に居座りそうだ。しかし千佳の気持ちはもうすっきりとしていたし、体もこれから笹原が癒してくれる。笹原が立ちあがってソファの後ろに回るのを背中で感じ、ソファに座りなおした。
 いろいろ気を遣ってくれた大野先輩にもあとで、お礼のメールを送っておこう。千佳は考えた。この大量の食べ物は明日、部室でみんなで山分けすればいい。
それに彼女には、ザクロは生理痛に即効性があるわけじゃないし、そもそも秋の果物だってことも教えてあげなきゃ。それともあの人には効くのかな?

 なお少し後、腰を揉みはじめて妙な気を起こした笹原を千佳が部屋から追い出すのだが、それはまた別の話。