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アルエ・第六話 【投稿日 2006/07/16】

アルエ


「うはー……。もろ大手っすね……」
屋外に続く行列にすっかり気後れしたように笹原は言った。
「誰が伊鳩さんだろ……? あの挨拶されてる人かな……?」
ハルコも緊張気味にキョロキョロとブースを見回している。
うず高く積まれた段ボールの山を前にすると、流石に溜息が漏れた。
ハルコは笹原の肩をポンと叩いた。
「……笹原行け」
「俺すか……。まあ、行きますけどね……」
笹原は頭の中で述べるべき口上をシミュレートしてから、恐る恐る眼鏡坊主の御方の元へ歩み寄った。
同じくハルコも恐る恐る笹原の後ろから付いて行く。
「あ……すません。あのー、伊鳩コージさん……、いらっしゃいますか?」
「はい、僕ですけど」
「あ! あ、すいません」
笹原は揉み上げから滴り落ちる汗とシンクロしたように頭を垂れる。
「椎応大学現代視覚文化研究会の笹原と申しますが、今回はご迷惑を……」
「斑目です。どうも、すいませんでした……」
ハルコも頭を下げる。
「あ、現視研の」
気安い伊鳩の声に、二人は少し安心した。
「ほんとすいません。断ったりして、失礼な事を……」
「いーのいーの、仕事減ったから。ありがたかったよ」
そう言って頂けて、こっちこそありがたいです。
と、笹原とハルコは目配せしてホッと胸を撫で下ろした。
「今日もハラグーロ、出没してるみたいだけど、大丈夫だった?」
笹原はチラッとハルコを目をやった。ただ苦笑いしているだけのハルコ。
鼓膜からハラグーロという音声をかき消すように、笹原は急いで返答した。
「いやぁ~~……。今のところ大丈夫です」

「そう、そりゃ良かった」
それから伊鳩はおもむろに段ボールをまさぐると、引き抜いた手を笹原に向かって差し出した。
手には同人誌が握られていた。
「はい、新刊」
「えっ……、いいすよ」
不意を突かれて笹原は反射的に遠慮したが、
「こーいう時はもらっとくもんだよ」
えっ……、そーなのか。そーいうもんなのか……。しまった……。
笹原もハルコも手ぶらだった。
「あ……あ、じゃあ、すぐウチのも持って来ますんで」
「いや、いいよ、わざわざ。発行部数が違うし、他の奴にも渡してたら結構な数でしょ?」
確かに……。伊鳩の余裕を漂わせた大人な態度に笹原は思わず唸った。
山積み段ボールの大手サークルと、この度初参加の現視研とでは規模が違うし、
何より同人誌のクオリティからして違うのは火を見るより明らかなのであるが、しかし……。
笹原は横目でハルコを見る。ハルコが『どうしよっか?』という目でこっちを見ていた。
「いや……。持って来ますんで」
「ありゃ、そう?」
「あ、ちょっと……」
ハルコは慌てて声を掛けたが、もう笹原は一も二も無く現視研のブースに駆け出して行しまっていた。
え~~、とハルコは小さく唸った。こんな顔見知りもいないところに一人で取り残されても…。
「あのぅ……、どうもすいません……」
ハルコは笹原が走り去った方を横目で見ながら、恥かしそうに頭を下げた。
まあ、気圧されずに持って来ると言った姿は、ちょっと頼もしいと思ったけれど。

「ふ~ん、笹原君とハルコさんが?」
「んー……。何かそういう雰囲気ある感じしない?」
ビッグサイト内のカフェで、春日部は真琴に切り出した。
真琴はストローを口の先で咥えたまま、春日部の顔を覗きこんだ。
春日部は何か新しい遊びを見つけた子供みたいに飛び切りの笑顔を浮かべている。
「それで二人で行かせたんだ」
「そーいゆこと」
春日部は悪巧みするような表情を浮かべている。実際、悪巧みしているのだろうが。
「まー、ちょっとしたアシストアシスト」
自身の面白半分のお節介をそう誤魔化して、春日部はずいっと真琴に身を乗り出した。
「でも、そー思わない。あの二人。絶対そーだって」
真琴が落ち着いた顔で、心底面白がっている春日部の表情を眺めた。
そして、ふーと息を吐いた。
「そうね。笹原君はそんな感じあったよね。去年の学祭ぐらいから」
「アレ? そんな前からだった?」
「そうよー。気付かなかった?」
「ううん。ここ2,3ヶ月かと思ってた」
あれー?と春日部は首を捻ったが、学祭の記憶を思い出すにつれ、納得したとばかりに膝を打った。
「あ、コスプレか!」
「あそこでハルコさんを女の子として意識しちゃったんでしょうね」
「ほー……、あれでねー……」
春日部はうんうんと妙に嬉しげに一頻り頷いている。
一回頷くにつれて顔のニヤニヤ度が確実に上昇していく。それはもう、楽しそうだ。
それを見ていた真琴が、朗らかに笑って言った。
「ハルコさんの気持ちはどーなんだろうね?」
「そんなの嫌いなわけないでしょう!」
と、春日部は自信満々に断定した。
いつも何気に鋭い真琴にしては、随分と的外れな心配をするものだ。
どー思っているも何も、そんなの入学からこっち、和気藹々とした二人の姿を見れていれば答えは自ずと出るだろう。
ハルコさんだって笹原を憎からず思ってたって不思議じゃない。少なくとも嫌いなはずはない。

「あの二人って元から仲が良いじゃんか。そんなもん、笹原を嫌いとか有り得ないって」
「そうね。私もそう思うわ」
真琴はニッコリと微笑む。
「もしあの二人が付き合ってくれたら、とても素敵だと思う」
「でしょ?」
ゲームやるにしたって、ダベるにしたって。いっつもツルみ過ぎるぐらいツルんでいたのがアイツらなのだ。
趣味もオタ同士でばっちりだし、むしろ笹原のオタ趣味にハルコさんは多大な影響を及ぼしている(はず)。
合わないはずがない。
つーか何だ…。今更だが改めて状況を検証してみるにつけ、付き合ってないのが逆に気持ち悪いような気がしてきた。
大野と田中だって、遅ればせながらというエクスキューズは必要なものの、付き合ってんだよ?
あんだけ一緒に遊んどいて、そういうの微塵も考えなかったのか、あの二人は…?
何だか溜息が出る……。
「よくここまで付き合わなかったよな~…。それがオタクらしさなのか…。近過ぎて見えてなかっただけなのか…」
どっちにしろ、そろそろ納まるべきところの納まってもいい頃だろう。
何と言ってもハルコさんは4年生。今年度で卒業するんだ。
「だからー、俺達で協力してやろう」
「う~~~ん」
と、真琴は唸った。珍しく眉間にシワを寄せている。
春日部は、何をそんなに悩んでるだ、と言わんばかりの顔で真琴を見つめた。悩む要素など皆無だろうに。
そんな春日部の表情に真琴は小さく「まあ、いっか…」と呟いた。
「分かった。春日部君がそーしたいなら、私も協力するわ」
「しゃっ!」
春日部は虚空に向かって意気軒昂に両拳を握った。
「必要なのは、ちょっとしたキッカケだよ。周りが背中を押してやれば、あとは自然とくっつくって」
そして、くぅ~、バンバン、と自分の脳内で展開されるラブスーリーに悶えた。
やー、たまらん。甘酸っぱいなあ。青春だあ!
真琴は穏やかな微笑を返した。
「でも、私、手加減できないよ?」
真琴は真っ直ぐに春日部を見つめた。あまりに真っ直ぐ過ぎる視線を、彼にぶつけていた。
でも、当の春日部はただ嬉しそうに笑っただけだった。
「ま、一応さりげなーく、ね?」
春日部は無邪気な笑顔に、真琴はまた眉間にシワを寄せた。

それから春日部と真琴は現視研のブースに戻ることにした。
人並みを縫うように進んでいく最中も、春日部はこれからのアレやコレやのマル秘作戦に考えを巡らし、不気味に笑っている。
まるで妄想に浸るオタクのようだ。
「まずは大野たちのも話を通しとかないとなあ~。そんでー、何か理由つけて集まるようにしないと。
じゃないと夏休み明けまで会う機会ないもんなあ~。この夏中には何とかしたいからなあ。
つーか、あと8月も半分しかねーじゃん。あー、もっと早くに気付いとけばなあ~」
ぼやきつつも顔は笑顔だ。
「海がいいんじゃないかな? また皆で行きたいよね」
真琴がお馴染みの向日葵のような笑顔で相槌を打った。
一瞬考えるような仕草をして、ニヘヘと春日部が笑う。
「海か~…。海はいいかもなあ…」
二人は足取りも軽くごった返す会場を歩いていく。
と、突然に真琴が足を止めた。
「んー、どしたー?」
春日部が顔を覗きこんだ。真琴は遠くの方を目を大きく開けて見つめている。
花が綻ぶような麗しい笑顔も消えている。
何だろう? 春日部も視線の先を追って目を向けるが、如何せんゴチャゴチャっとしている会場である。
何を見ているやら判然としない。
じっくりと見ようと目を細めたのだが、不意に腕を引っ張られたかと思うと、
んちゅー
と擬音語がつきそうなキスをされた。
それも、結構長い時間。
唇が離れた途端に、春日部が潜水から浮上したスイマーのように喉を震わせて肺に酸素を送り込んだ。
「どーしたんだよ。とーとつに…」
春日部は気まずそうに周囲に目を配った。
呪詛の念と言ってもいいかもしれない。周りのオタク達の放つ殺気をひしひしと感じる。
流石にちょっと苦笑いが漏れた。
まあ…、いつも所構わずしているんだけれど、ここではどうもねえ…、ロマンチックでも何でもないし。

「んー…。イヤだった?」
真琴が無邪気に笑う。いたずらっ子のような顔をして。
あまりの可愛さに思わず言葉に詰まった。
「ヤじゃないけどさー。ちょっとビックリはしたかな、はは…」
赤みが差している春日部の顔を満足そうな笑みで真琴は照らした。
そして手を取って、また弾むように歩き出した。
「ちょっとね、おまじない」
笑いを含んだ声で真琴が言う。
「おまじない?」
狐に摘まれたような顔をして、春日部はトタトタと引っ張られている。
おまじない? 一体何の?
「みーんなが幸せになるためのおまじないだよ」
「……さっきのが? なんで?」
応える代わりに、真琴は満面の笑みを返した。
春日部は頭にはてなマークを浮かべて、トタトタと真琴の後をついていった。
本当、未だに分かんないなあ…。この性格…。
でも結局、あの笑顔で許しちゃうだけどなあ。
春日部は諦めたようにフッと笑った。小さく揺れる真琴の後姿を見つめて。
その時の、笑顔の消えた真琴の顔は、春日部には見えなかった。



つづく