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愛のエプロン 【投稿日 2006/07/08~15】

カテゴリー-現視研の日常


秋も深まるある10月なかばの午前中。現視研の部室には大野加奈子と荻上千佳だけだ。学園祭まではまだ日数も
あり、何もない平穏な日々が彼女らの頭上をたゆたっている。
「大野先輩」
「はい?」
スケッチブックに落書きしながら、千佳が加奈子に話しかけた。加奈子はノートにコスプレのリストを書き込む手をとめ、
顔を上げた。
「あの……ちょっと聞いていいですか」
「え、なんですか?」
千佳は何かいいづらそうだ。
「……笹原さんのことですか?」
「まあ、そうなんですけど」
彼女が笹原完士と付き合い始めて、まだひと月にも満たない。加奈子にも覚えがある。
「ははーん。笹原さんのココがわからないとかソコが知りたいとか、いろいろ出てきたんですね?」
友達以上の関係であることに慣れてくると、恋人の考え方や性格などがかえってわからなくなる時期がある。お互い
に『友達』には言えなかったことを打ち明けるようになるためだ。
「わたしにもありましたよ、そういう時期。田中さんの考えてることが判らなくなって悩んだりしたんですよねえ。でもね
荻上さん、だいじょぶですよ、すぐになんでも言い合える仲になりますから」
「いやあの、そういうことではなくて……んー、それとも、そういうことなんでしょうかね?」
「どんなことですか?なんでもお答えしますよ」
加奈子は期待最大限だ。
「(わくわく、どんなことなのかしら。わたしも田中さんとお付き合いし始めた頃はあんなことやこんなことが……)」
「あの、大野先輩は、田中さんにどんなお料理、作ってますか?」

「え……お料理……ですか?」
「はい……」
どう説明したらいいのか、といった風で千佳は話し始めた。加奈子の冷や汗には気づいていない。
「笹原さんに、何回かうちに来ていただいて。それで私の料理、食べてもらったりしたんです。私も普段自炊が多いで
すから、まあ、自分の普段作るようなもの、作って」
「へ、へえ」
「あ、と言ってもカレーとか魚の焼いたのとか、もうごく簡単なヤツなんです。あんまり自信なかったですけど笹原さん、
おいしいって言ってくれて。嬉しかったんですけど、……もうレパートリー、ないんですよね、正直」
千佳の手元のスケッチブックは、知らないうちに食べ物の絵ばかりになっていた。自分で言ったカレーと焼き魚、その
流れからすると実際に彼女が笹原に作ってやったのだろう、トンカツや唐揚げ、味噌汁らしきお椀。皿に盛ってあるの
は野菜炒めあたりか。彼女の言葉と合わせて考えると、なるほど基本的なレシピばかりだ。
「料理本とかもあんまり見慣れてなくて。こないだ試しに1冊買ってみたんですけど、読んでる間に時間が過ぎちゃって。
なんかいっぺんに二つ以上のことできないみたいなんですよね、私」
「あ、あー、そういうことってありますよねー」
「大野先輩はどんなの作ってるんですか?」
「え」
千佳は不意に加奈子に向き直った。思い切って聞く心づもりができたらしい。
「先輩はアメリカに長かったから、雰囲気の違ったお料理ご存知なんじゃないかなって思って……あ、もちろん私に
どうにかなるくらいのやさしい奴で。なにか教えていただけませんか?」
「えぇー?わたしのお料理をー?」
「はい。あつかましいとは思ったんですけど」

「う~ん……頼ってくれるのは嬉しいんですけどぉ」
この話題の最初から彼女の流している冷や汗が、ひときわ大きくなった。
「ダメ……ですか?」
「や、ダメなのはそのポイントではなくて……」
しばし言葉を探していたが、観念したようだ。加奈子は目をそらしながら、小声で打ち明けた。
「あのう……わたし……お料理、ほとんどダメ、なんですよね」
「……え」
千佳の目が見開かれる。
「……アメリカとは言えわたし親元だったし、しかもあっちってデリカテッセンとかレンジミールとかすごい発達してるん
ですよね。お友達と集まっても大体ピザとポテトとコークで用が足りちゃって」
加奈子は赤くなって言い訳を並べている。
「あ、すいませんそうとは知らなくて……」
「ホームパーティなんかで親の手伝いで作ったことはあるんですけど、どうもわたしって分量の加減ができないらしくて、
味は誉めてもらえるんですけど何作っても食べきれないような分量に……」
「あっあの」
「向こうではsupersize'emとか一人食品工場とか呼ばれて。田中さんもね、あの人優しいから言わないんですけど、
お付き合い始めて半年くらいでお料理と洗いものの役割分担が逆になってて……あーん荻上さぁん、わたしにお料理
教えてください~」
「ソレ私が持ちかけた相談ですよっ!」
料理に関する質問は加奈子の鬼門だったようだ。しまいには逆に料理を教えろと迫る彼女に千佳が弱り始めた頃、
部室のドアが開いた。
「よっす、誰か……おー、大野と荻上だけ?」
「咲さん!久しぶりですね」
「あ、こんにちは」
現れたのは春日部咲だ。最近は卒業後の準備とかで、彼女が部屋に顔を出す頻度は減りつつあった。

「やー、ガッコ来んのも久しぶりだよ。これで年内は学生生活メインでやってけるかな」
「(あ……咲さん!)」
「(え?ああ……いやでも……春日部先輩ですか?)」
「今日はゼミだけ顔出して終わりだし」
「(う、うーん、やっぱ違う感じですかねえ)」
「(キャラじゃないっつうか)」
「コーサカも週末あたりから時間できるって……おい?」
少し疲れの見える咲の顔を見るなり二人の間で交わされた目くばせを、彼女は見逃さなかった。
「お前らがナニ考えてんのかは知らないけど、なんか一点の悪気もなくあたしを見くびってんのはピンときたぞ?」
「ええ?そ、そんなつもりじゃ」
「そっそうですよ、私たちべつに」
「そもそもお前ら二人がそんなに仲いいのがおかしい」
「ええ、だってわたしたち合宿以来すっかり仲良しに、ねえ荻上さん?」
「大ー野ぉ」
話をそらそうとする加奈子の努力は、咲のドスの聞いた一声で灰塵に帰した。鋭い視線が加奈子を見据える。
「話してみ?」
「あうう~」
「あううとか言うな!」

 ****
「料理?なにお前ら苦手なの?」
「……はい」
体に空きができた今日の咲には物事を楽しむ余裕が生まれていた。さっきまでの話の流れを把握したところで、ニヤリ
とする。
「荻上もまだまだだけど、まあイマドキの女子大生にしちゃしっかりやってる方だろ。これからは笹原もいるし今後に期
待だな。それより大野ぉ、お前田中にメシ作らせちゃったら負けだよ、女として。あいつ専業主夫にするつもりじゃない
んだったら、男心をホールドするテクニックくらい磨いとかなきゃあ」
恋愛の先輩として、一般人女性の代表としてとうとうと語る。
「……っあ、あの」
「ん?」
なにか悪いことをして説教されているような雰囲気になってきたのを打開すべく、千佳が声を発した。
「春日部先輩は、高坂先輩にどんなお料理作ってるんですかっ?」
「お、そうだったそうだった」
先ほどのアイコンタクトを思い出す。
「さっきのアレ、要するにこのことだったんだろ?あたしは料理作れなさそー、って」
「すいません」
「ふっふっふ、おばあちゃん子なめんなよ?あたし、よっぽどでなきゃキッチリ朝晩作ってるよ」
携帯電話を取り出し、カメラ画像を表示させて加奈子に渡す。

「ほらコレ先週。コーサカ何日か泊まってったんだけど、そんときゃあ頑張ったね、我ながら」
千佳も脇から覗き込む。咲が自室の食卓で、高坂と並んで笑っている。フレームからは半分方切れているが、テーブ
ルに並んでいるのは地味ながら豪勢な晩餐だった。旬の野菜の煮物、玉子焼きに鰈の煮付け。咲の自信を見れば、
画面の端に映っている佃煮さえただ買ってきたものではなさそうだ。
「うわあ、おいしそう」
「……なんか、母の料理思い出しますね」
「和食だってこと?うん、多いなあ。そればっか作ってると調味料とか偏ってくるんだよね。あたしが好きだし、コーサカ
が仕事場でジャンクなもんばっか食ってるから、あいつのこと意識するとなおさらこんな感じになっちゃうなあ」
「咲さぁん、わたし咲さんのこと見直しました」
「ったく失礼だよねー。人を見かけで判断すんなっつうの」
「ごめんなさい……あ、でっでもホントおいしそうですよねこれ。ねー荻上さん」
「はい」
「ふふふ、もっと言ってもっと」
「このお野菜なんかいろんな種類入れてますよねー。わたしがこういうの作ると多分20人前とかになっちゃう……これ
写真の拡大ってどうやるんですか?」
料理に興味を示した加奈子は、咲の携帯を操作し始める。
「え?あっ、ちょっと待て大野」
「え」
操作の結果表示されたのは拡大画像ではなく、ただ次の写真だった。
……裸の咲と高坂がキスをしているシーンだ。画像は二人の肩から上だけだが、このシーンの後二人がどうなって
いくのかはいとも簡単に想像できる。

「わーっ!」
慌てて加奈子から携帯を取り上げるが、すでに二人とも顔を真っ赤にしている。
「あ……あはは、いーじゃないあたしたち付き合ってるんだしー」
咲自身も赤くなりながら強がって見せるが、二人は聞いていない。
「……てゆーかあんな写メ撮って持ち歩いてるっつうのが」
「あれ咲さんが自分で撮ったってことですよね」
「ちくしょうお前らの相談なんか乗るんじゃなかった。しかも今回あたしから首突っ込んでるし」
「あああ咲さんそんなこと言わないでくださいよう」
思わぬオウンゴールにくずおれる咲を、あわてて加奈子がとりなす。
「いつかお前らの恥ずかしい写真も見てやるかんな。でも今ちょっと思いついたよ」
とりあえず立ち直ることにしたらしい咲が言う。
「え?」
「な……なにを思いついたんですか?」
「あんたたちの料理上達法」
その時、部室の扉が開いた。もう昼どきになっていたのか……現れたのはコンビニ弁当をぶら下げた斑目晴信だった。
「こんちゃー……わ、春日部さん、久しぶりだね」
「ごぶさた。ねーねー斑目、今週の金曜の晩って時間ある?」
「え?なんすかイキナリ」
いきなりの展開に驚いているのは斑目だけではなかった。加奈子と千佳も、咲の話題の転換っぷりに置いてゆかれ
ていた。

「空いてんの?空いてないの?」
「そりゃー空いておりますとも。今の時期なら定時に帰れるし、コンビニ弁当食ってアニメ見て寝るだけっスから」
「そっか、よしよし」
咲は斑目の言葉を聞きつつ、千佳たちの方をニヤニヤと笑いながら眺めている。
「……春日部先輩?」
千佳の脳内で警報が鳴った。これは、なにか、来る。
「斑目ぇ。今ちょーどあたしたちで計画してたんだけどさあ」
「ん?」
……『あたしたちで』?
「今度の金曜、大野んちでみんな集まってホームパーティやろうって決めたんだ。あんたも来るでしょ?」
「へ?パーティっすか」
「いっ!」
「えええっ?ちょ、ちょっと咲さんっ」
斑目は突然降ってわいた話に面食らい、彼以上に動揺している加奈子と千佳には気づかない。彼としては当日に予定
がないとたった今言ってしまっていたし、ほかならぬ咲の誘いなら断る理由はなかった。咲は後輩たちに笑みを浮かべ
ながら、斑目のほうへは一瞥もくれず続ける。
「コーサカがさあ、金曜に仕事一段落するって言ってんのね。だけどあーいう仕事だから何時に上がるのか判んないし、
そしたらあたし待ってる間ヒマじゃん?でね、大野と荻上が『みんなで料理つくってパーティやろう』って言ってくれたのよ」
「ほー、面白そうじゃん」
「でしょ。そんな集まり方したらアンタ呼ばないのも変でしょ?全員現視研なんだし。もちろんクガピーとかも来れるんなら
呼んでさ」
「……あれ?うーん、ちょっと待ってくださいよ」

「なに?」
「それはつまり、現視研の3カップルがアツアツになってる中、俺が一人悔し涙に暮れるという企画なのか?」
「いじけんなって。コーサカ来れなかったらあたしがお酌くらいしてやっから」
「……ハハ、それは楽しみですこと」
斑目の脳裏に、差し向かいで徳利を傾ける咲の笑顔がよぎった。一瞬顔の筋肉が緩むが、気力で平静を保つ。
「うん、もちろんヒマだし、それじゃあ一口のっけてもらうかな。あ、俺当然料理できないけどいいんだろーね?後片付け
とか酒とか食材費の担当ってこと?」
「さんきゅーさんきゅー。モチよ。男たちは女たちの手料理を旨い旨いと食うのが役目だかんね」
「あれ……ひょっとして春日部さんも作るの?」
「お前までそういうことを言うのか」
「キャラじゃないでしょー、だって」
「ヨシ斑目、もし旨かったら土下座さすかんな」
「はいはい、ちゃんと胃薬も人数分持ってくさ。……ところで」
軽口の応酬が一段落したところで、彼は視線を横に移した。
「今の話の流れでは立案者だというお二人がですね、完全にフリーズしておられるようなのですが?」
二人の会話に入り込む隙を見つけられなかった加奈子と千佳である。加奈子はただおろおろするばかり、千佳もここまで
ずっと、何か言いかけては口ごもることを繰り返していた。
「あー、二人はいいの。どんな料理作るか夢想中なんでしょ、きっと」
「トテモそうは見えませんがね」
「あんたたちは週末を楽しみにしてりゃあいいの。大野も荻上も解った?ちゃんと田中と笹原呼んでくんだよ?」
「……あう」
「ハイ」
100%咲の差し金だ。そう悟った斑目は、これ以上は突っ込まないようにしようと心に決めた。昼休みもどんどん過ぎて
いく。持参したコンビニ弁当のパッケージを破りながら、彼は週末のパーティを想像していた。
「(まあいいか。春日部さんの手料理かー……)」

 ****
「咲さん!どうするんですかあんな企画立ててー!」
斑目が帰った直後、ようやく我に返った加奈子は咲に抗議した。部室は再び女性3人だけになっている。
「お、やる気になった?いーじゃん」
「やる気じゃないですよ!咲さん全部決めちゃうんですもん。しかもわたしの部屋使うって勝手に!」
「あはは、ごめんごめん。でも荻上んちより広いんでしょ?荻上んとこはあたし行ったことないけど、あんたのキッチン使
いやすそうだったじゃん」
「ええ……まあ」
「むしろ大野、自分の土俵だよ?やりやすいって考えなよソコは」
咲の弁舌は巧みで、加奈子の対人対応能力では太刀打ちできない。あっという間に納得させられている。
「あんたの料理の弱点はたぶん素材の計量だよ、さっきの話からすると。味で評判悪かったことはないんでしょ?味の
調整してる間に知らないうちに鍋の中身が増えてたりしてない?」
「あ……確かに」
「大野ってレシピ本使わないんじゃない?親の手伝いで覚えた?やっぱね。作ってる途中でなまじフォローできちゃう
から、仕事の総量が見えなくなってんだと思うな。つまりあんた料理うまいんだよ。はじめに計画立てる癖つければ、
なんだって作れるって」
畳み掛けるように加奈子の不安に思っているポイントを突く。話題が変わっていることに気づいた頃には、反論の機会
が消滅しているという寸法だ。
「それから荻上はねー」
「はっはい!」

もう話題の矛先すら変わっている。加奈子は言われたことに感心しているほどで、自分が言い込められたことを自覚
していない。
「あんたはたぶん数こなせば大丈夫。基本ができてるってことは応用ができるってことなんだから。レシピの使い方っ
てのは、まず材料を準備してから手順を暗記して、もう本は見ないの。本読みながらジャガイモ切ってたって間に合い
っこないんだし」
「はあ」
「冷蔵庫のアリモノでなんか作るのと、レシピ見て料理するのは別の技術だからね。レシピどおりに材料買ってきて作
るじゃん?まず。そしたら次の日は、残りの材料で別の料理作ってみんのよ。お薦めはポトフやシチューなんかね、目
を離したりしなけりゃまず失敗しないし、もし味付けミスっても取り返しがつくから。不安ならカレーにしなよ、笹原なら
何日続いたって食べてくれるんでしょ?」
千佳はスケッチブックの余白にメモを取り始めている。
「コスプレん時にどんなポーズをとるかだとか、漫画描くのとかだって実際にやってみたり、何回も練習したりしてるん
でしょ?料理もおんなじだよ。ましてあんたらの試食係はマズいとかって絶対言わなさそうだし」
コスプレや漫画を引き合いに出されて、二人も少し安心したようだ。確かにそうだ、自分の趣味に関しては、練習量も
失敗の数も誇りに思うことができるではないか。うまくいかなければそれが実力で、背伸びなど意味がない。次に一歩
でも半歩でも進めればいいのだ。
「ありがとうございます春日部先輩。ちょっと勇気わいてきました」
「よしよし」
「わたしもー。咲さん咲さん、どうせパーティなら本格的にしましょうよ」

「本格的?」
「月末はハロウィンですよお。その頃はもう学祭の準備で忙しいから、これハロウィンパーティにしちゃいましょう」
「あ。お前の言いたいことはもう判った」
意気込む加奈子に牽制を入れる。ハロウィン→仮装など、子供でも考え付く。
「えー、でもでも、高坂さん来てくれるかも知れないから咲さんも頑張ろうって思ってるんでしょー?」
「う、まあそりゃそうだけど」
「だからエプロンどうですか?かわいいエプロンドレス。せっかくお料理作るんですから、それっぽいカッコってことで」
「そんなコスチュームあるのか?」
「いーっぱい。赤毛のアンとかアリスとか赤ずきんとか。田中さん、ちょっと前に古典系ハマってたんです。テーマが合
わないんで着るチャンスなかったんですよねー。もちろん最近のメイド系もありますけど」
「おー、いつもの奴よりはよほど興味引くな。メイドはともかく」
「じゃ、じゃあゼヒ」
「それとこれとは別。まあ、持ってきてみ?気分しだいだな」
「はあい。荻上さんはアリスですかねえ、やっぱり」
「え?って私も着るんですか?」
「おーいーな。髪おろせばいい線行ってるんじゃないか?」
「春日部先輩!」
「いーじゃん。笹原喜ぶぞお」
「もうっ、全部それですか」
「そうは言っても、お前も今は全部ソレ中心で行動してんだろ?」
「……う」
こうして反対勢力は沈黙し、いつの間にか始まっていた『第1回ハロウィンパーティ企画会議』は終了したのだった。

 ****
「……で、どうでしたか荻上さん、笹原さんの様子は」
その日の夜、加奈子は千佳と電話で会話していた。
「……大喜びで参加するそうです。電話の声が期待で光り輝いてるようでしたよ」
「田中さんもでしたー。正直、こんな気の重いパーティ初めてですよ」
「でも大野先輩、パーティ料理は得意分野じゃないですか。私なんか何を準備すればいいのかも不安です」
「咲さんがレシピ用意してくれるって言ってたじゃないですか」
「恐ろしく複雑な工程表持ってこられたらどうするんです?」
「う……。パーティをダメにするようなことは考えてないと思うんですけどねえ」
「ハア」
「荻上さん……?今夜って笹原さん、いらっしゃるんですか?」
「え?いえ、今日は会わないですけど」
「もしよければ、今から私の家にいらっしゃいませんか?わたしちょっと、誰かとお話したい気分なんです」
「……私もです。お酒ナシでいいなら、お付き合いしますよ」
千佳が電話を切って上着を取りに行った頃、笹原は自宅のパソコンで『ハロウィンパーティ』の画像検索をして週末に
思いを馳せていた。本当なら今夜から取り掛かっているはずの、春からの就職先とやり取りしている書類の束が足元
に落ちたのにも気づいていない。
同じ頃、田中はついに日の目を見そうな衣装コレクションを選定していた。名作劇場シリーズとおとぎ話関連、すでに
十数着が床に並んでいる。
咲は咲で、恋人がパーティに飛び込んでくるところを想像しながら当日のレシピをリストアップしていた。
そして斑目は、コンビニ弁当を前に録画しておいたアニメを鑑賞中……いや。上の空だ。彼の意識もまた週末へ飛ん
でいる。
各人それぞれの想いを乗せて、週末への時間はゆっくりと、しかし確実に、秋の夜空を進んでいった。

 ****
 時は疾風のごとく過ぎ行き、パーティ当日はやってきた。
 斑目は笹原と並んで、加奈子の家へ向かって歩いているところだった。二人の両手には酒販店の大袋。
「そうですか、久我山さん残念ですね」
「しょうがねえよ、大口先の接待だってんだから」
「でもアレっすね、久我山さん新人なのにそんな席呼ばれるなんて……実は腕利きスか」
「先々月だか月間表彰受けたって言ってたぞ、何人ライバルがいるのか知らんがな」
「へえ」
 女性陣3人は加奈子の部屋で、今頃奮闘中だろう。田中総市郎は例によって大量の衣装を持って先乗りしており、
斑目と笹原が酒類の買出し部隊に任命されたのだった。久我山光紀は会社の用事、朽木学は別の飲み会がバッテ
ィングしたため不参加。笹原の妹・恵子には、笹原の強い希望で連絡していなかった。
「……高坂君は?仕事大丈夫だったの?」
「あ、いや、俺も聞いてないんですよ。春日部さん自分で連絡取ってるし、来られるなら来るでしょ」
「ふーん」
 ドア開けたらいきなり高坂君がいたりしてな。斑目が数分後の未来に苦笑しているうちに、彼らは本日のパーティ
会場に到着していた。
 笹原がチャイムを鳴らし、ドアの前で待つ。部屋の中、奥のほうからパタパタと足音が聞こえ……ドアが開くと満面
の笑みの加奈子がいた。外国の農場の娘のような格好をしている。
「Happy Halloween!」
 ネイティブのイントネーションで日本風の挨拶をされ、迎え入れられる。
「あ、あー、ハッピーハロウィーン」
「はいはいこんばんわ……いいにおいだねー」

 斑目が鼻をひくつかせる。部屋の中には、絵に描いたようなご馳走のにおいが漂っている。
「大野さん、これ期待できるんじゃない?」
「えっへへー、みんなすごいんですよお。早く早く」
 廊下を通り、ダイニングに足を踏み入れる。家中のテーブルを継ぎ合わせた上に、色とりどりの晩餐の準備。さすが
に7人が入るには少々きつい感じだが、紙皿やフォークなども充分に用意されている。
「……うわ……」
「すげえ」
 二人は息を呑む。
「おー、来たな」
 部屋の向こう端ではカメラを構える田中。どうやらこの宴会の全てをフィルムにおさめようという魂胆らしい。
「よう田中……なんだ?お前のカッコ」
「判らんのか?マシュウおじさんだよ」
「あ、大野さん赤毛のアンだ」
「……こーいうときもギルバートじゃねえのか」
「そうさのう。アンのことはわしがよう解っとる」
 名作アニメから抜け出たような二人に微笑み、笹原は千佳の姿を探す。彼女はテーブルの向こう、キッチンの中で
咲と一緒に作業中だった。
「荻上さーん、首尾はどう?」
「わ、さっ笹原さん、ちょっと待ってください、このお鍋重くて」
「だーから慌てんなって。よー斑目と笹原、買い出しご苦労さん」
 千佳は赤ずきんの衣装を着せられているようだ。アクション用アレンジなのか、軽くシンプルなパーツの組み合わせ
で動きやすそうだ。フードは後ろに跳ね上げている。咲の姿は……普段着の上に割烹着だ。

「こんばんわー。春日部さんは……フネさんかい?」
「コスプレなんかしてねーよ、こりゃ自前だ自前!ほら荻上、笹原に可愛いところ見せてやれ」
「いーんですよそんなのあとでっ!」
「そー言うなって」
 咲に肩をつかまれ、テーブルを回って笹原のそばまでつれてこられる。
「こんばんわ、荻上さん」
「……っこ、こんばんわ……っ」
 真っ赤になって下を向き、赤いエプロンドレスの端をいじっている。
「はじめは不思議の国のアリスで行こうとしたんだけどさ、なんか髪おろしたくないって言うんでコレ。赤ずきんじゃな
いんだよね、なんつったっけ大野?」
「ベレッタです、ドラキュリーナハンターの。可憐な姿とは裏腹にスカートの下に狩人を飼うという、ある意味非常に荻
上さんらしいコスと言えましょう」
「なにワケの解んないこと言ってんすか」
「んー、でも似合ってるかも」
「笹原さんまで!」
「あはは、ごめんごめん」
 ひょいと手を伸ばし、背中のフードを千佳の頭に被せる。
「このカッコが似合ってるって意味。俺はどうすんの?オオカミのコス?」
 二人の世界に入り込みそうな笹原たちを、咲がからかう。
「こらこら笹原、赤ずきん食うのは二人っきりになってからにしろ。あたしなんか寂しくカレシ待ってるっつうのに」
「……あの、待つべき連れ合いすらいないこの哀れな男は、ここでハンカチのはしっこでも噛み締めてればいいの
ですかね?」

 咲の後ろでは、斑目がさらに複雑な表情をしていた。咲が冷や汗をたらしながらフォローする。
「ああもう。わかったよ斑目、あたしらは飲もう」
「……ありがたきお言葉」
「大野ぉ、その火はもう止めちゃって大丈夫だから。あとオーブンだけだろ?とりあえず乾杯しようよ」
「あっはい」
「ああ、お前らはこっちだ。ちゃんとコスチューム用意してるよ」
 袋から酒を出し始めた斑目たちに、田中が声をかけた。
「うわマジっすか田中さん、俺冗談で言ったのに」
「え、なに俺もやんの?」
 酒瓶とコップをテーブルに並べながら、咲は加奈子にささやく。
「大野、あの二人用の衣装って何?」
「聞いてませんよ。笹原さんは荻上さんのペアでしょうけど……斑目さん、なんなんでしょうね」
 数分後、乾杯の準備の整った部屋に最初に現れたのは笹原だった。本人の予想通りオオカミの着ぐるみで現れた
彼は満場の笑い声で迎えられた。
「あははは、いーじゃんか笹原。ホラどこ行くんだよ、荻上の隣に決まってんだろ」
 咲に促され、真っ赤な顔をして座る。
「……ホントにオオカミだとは……」
「……あ、でも……似合ってマス」
「そりゃどーも。ガオガオ」
「はは」
 笹原が出た後いったん閉まったドアの向こうから声が聞こえた。
「マダラメ行きマース!」

「お、できたのか。どんなカッコ……」
 ばん。
 ドアが勢いよく開いて出てきた彼は、和服を着ていた。着流しの足元からは股引の裾が見える。いくぶん緩んだ胸
元からもラクダのシャツが。そして鼻の下には海苔を切って貼ったようなちょび髭、眼鏡の上は、頭頂部に1本だけ毛
の立った禿げヅラ。眼鏡は自前だが、かえってリアリティがある。
「ま……斑目さん?」
「ナミヘー……なのか?」
「うわ……本物みてぇだぁ」
 あまりのハマりっぷりに、女性陣は目を丸くする。一瞬、静寂が流れる。
「ありゃ、失敗だったかな?春日部さんの割烹着見て即興でアレンジしたんだけど」
 妙に静かなギャラリーに、後ろから田中も顔を出す。斑目は振り向いて苦笑した。
「あーあ、お前のアイデアに乗った俺が馬鹿だったよ。大体お前らのカッコならまだしも、ハロウィンに和服なんざもう
雰囲気ブチ壊しもいいとこ……」
「あのー、斑目さん?」
 照れ交じりで田中をコキ降ろそうと舌なめずりする斑目に、笹原が声をかけた。
「ん?」
「……失敗どころか……」
 笹原の笑顔が、なぜか時々苦痛にゆがむ。どうしたのかと見てみると、腕だ。着ぐるみの左腕を、笑いをこらえる
千佳に、おそらくは肉ごと握りしめられているのだ。
 下を向いている千佳の顔は、フードと同じくらい赤い。横を向いて視線をそらす加奈子も、努力しているのか動け
ないのか口の端をヒクつかせながらこちらを見据えている咲も、触れなば落ちんといった様相だった。
 あ。キッカケね。合点がいった斑目は息を吸い込むと、一世一代のダミ声を張り上げた。
「『なぁんじゃ、サザエもワカメもだらしないのう。母さんメシだ、メシにするぞ!』」
 ……どっ。
 屋根をも吹き飛ばす勢いの笑い声で、パーティは始まった。

 ****
「さあーて、ここからはあんたたちの根性の見せ所だよ。そうは言っても全然問題なかったけどね」
 乾杯が終わっても割烹着を着たままの咲が最初に口を開いた。パーティのルールを説明すると言う。
「誰がどの料理を作ったのかはしばらく秘密。あとでそれぞれ解き明かしなさいね。それからコレは別に今日に限った
ことじゃないけど、料理にケチつけるのも禁止だから。そしてもうひとつ、出てきたもんは全部食うこと。お百姓さんや
漁師さんに感謝!」
「はいはいっと」
 緊張しながら咲の言葉を聞いている加奈子や千佳の負担を減らそうと、斑目はことさらのんきな声で返事した。
「ところで春日部さんさあ……」
「ぷーっ!急にコッチ向くなってば!」
 顔を向けるなり吹き出される。実はさっきからこの調子で、ひとしきり笑い終えたメンバーの中で咲だけがいつまで
も禿げヅラの斑目にハマり込んでいた。
「会話にならんだろが、これじゃ」
「だってさ、あははは、ごめんコッチ見ないでお願い」
「……なあ、料理の材料におかしなキノコ入ってなかったか?ピンクの水玉模様とか」
 咲に話しかけるのはあきらめ、向かいの席で笹原に料理を取り分けている千佳に言う。
「入れてませんよ、そんなの。斑目先輩、なにか言おうとしてたんじゃ?」
「あー、うん」
 まだひいひい言っている咲を横目に、声を潜める。
「春日部さんてさ、おばあちゃん子っていうこと言い訳にしてるだけで、実はもともとこーいうキャラなんじゃないかと」
「あ、俺も思ってました」
 千佳の隣から笹原も顔を突っ込む。

「アネゴキャラなのはカモフラージュで、実は性格年齢がもっとずっと上……」
 加奈子と田中も会話に入り込んでくる。
「普段着になったらコスプレさせられるからって言ってますけど、あの割烹着脱がないのも気になりますよね」
「21世紀にあのカッコしてるってだけで、充分コスプレだよな」
「お前ら……ひ、人が動けないのをいいことに好き勝手言ってんな?」
 咲が苦しい息の下で怒ろうとするが、すぐ横の禿げ頭に射すくめられる。
「っぶははは」
「……なあ田中、このヅラだけ取るぞ?人とコミュニケーションが成立しないのはツラすぎる」
「あいよ。とりあえずあと1枚だけ写真撮っとくな」
 パシャ。照れ笑いの斑目の隣で、口を押さえて笑う咲の姿が切り取られた。
「春日部さん、これで落ち着いた?」
 かつらをとり、咲に聞く。相手もようやく喋れるようになったようだ。
「斑目ぇ、あんたって得だね。前に眼鏡変えたときもそうだったけど、こんなにヒト笑わせられる奴ってそうそういな
いよ?」
「『笑わせてる』というより『笑われてる』んじゃないかって思えるんですがね、俺には」
「あれ、ひょっとして傷ついてる?ごめんねー」
「う、あ、いや」
 咲に顔を覗きこまれ、視線をそらす。
「まあ、人の笑う顔見れるんだから、いいやな」
 そうだ。手段はどうあれ、俺の行動でこの人が笑ってくれる。いいじゃないか。
「ところで、そろそろ俺もなんか食っていいスかね?」

「え、まだ食べてなかったの?」
「俺だけじゃねーよ。誰かが笑いすぎでそれどころじゃなかったからねえ」
「うあー、いよいよゴメンなー。よし、あんたにはあたしが取ってやる」
 手元の紙皿に、山と盛られた料理を取り分けてゆく。具たっぷりのメキシカンピラフ、スパイシーな衣のついたチキ
ンディアブル、野菜の詰まったミートローフ。斑目に皿を渡すと、次の皿を手に取る。オードブルの大皿からもひとつ
づつ、フィンガーフードを乗せてゆく。
「おいおい、そんなに乗っけて」
「いーんだよ、コーサカが来たって総勢7人でコレぜんぶ食うんだよ?うち3人は女だよ?言ったろ、根性見せろって」
「うわお、天国か地獄か」
 ミートローフを割り箸で持ち上げ、口に放り込む。肉の味付け以外にも、淡い味のドレッシングをかけてある。料理
に詳しいわけではないが、キッチンにそれらしい瓶もなかった。手作りのソースなのだろうか。
「お……うめえ」
「マジ?」
 にやり、と咲が笑う。
 少し安心して、他の料理にも手を出してみる。どれもいける。悪くない……いや、それどころか上出来ではないか。
「おー?なんだなんだ、すげえ美味しいじゃない。ホントに春日部さんたちが作ったの?これ」
 声を張り上げ、皿の料理をかきこむ斑目に続いたのは笹原だ。千佳から手渡された皿の、まずチキンにかぶりつい
た。隣で田中が一口目に選んだのは秋野菜のビーフシチューだった。千佳が、加奈子が固唾を飲んで見守っている。
「!」
「おー」

 笹原と田中が一瞬目を合わせ、そしてそれぞれ振り返って自分の恋人に笑いかける。
「荻上さん、これウマイよ」
「え、え、ホントですか?」
「大野さんじゃない?このシチュー。おいしく作れたね」
「あああ田中さあん~!」
「ありゃー。愛の力かねえ」
 2組のカップルを眺めながら、半笑いの咲がため息をつく。斑目はふと気づいた。
「笹原がいま食ったチキン、荻上さんが作ったヤツって事?」
「そー。田中んトコは付き合い長いし、今日もキッチン行ったり来たりしてたから見てたのかも知れないけど、笹原ぁ、
お前なんでソレから行ったの?」
「え?……いや、……なんとなくだけど」
「かーっ、妬けるねえ」
「まーまー、まあ一杯」
 斑目は空になっていた咲のグラスにスパークリングワインを注ぐ。咲はすぐに口をつけ、ひとあおりで半分ほども飲
み干した。ワインを注ぎ足しながら、さらに咲に話しかける。
「でもさ、春日部さん」
「ん?」
「さっきのミートローフ、作ったの春日部さんでしょ?」
「おー!判ってくれたの?あははは、ありがとー。……あ、でも斑目がうまいって言ったとき反応しちゃったしな」
「まーね。でもまだいくつか判るよ、まだ食ってないけどカボチャのプリンもきっとそうだろ?あとは……たぶんさっき食
ったアジアンピクルスって奴」
「え……」
「わあ、斑目さんすごおい!当たりです」
 話を聞いていた加奈子が感心する。咲も興味深々で顔を近づける。
「すげーな、なんで判ったの?」

「そんなもん」
 顔が赤くなったのを気づかれそうで、慌ててさっきの禿げヅラをかぶって声色を使う。
「『わしらもう何十年も連れ添ってるじゃないか、なあ母さん』」
「あははは、出た~」
「いや、いやね、なんか全体的に料理見てたら、作りなれてる人じゃないとできなさそうな奴がいくつか入ってるじゃ
んか。プリンとか失敗しやすいって聞くし、あのピクルスのソース?漬けダレ?も、なんか手間かかってそうだったし、
日数も必要なんでしょ?だから、実は料理得意とおっしゃる春日部さんの作ではないかと」
 かつらを取りながら説明する。斑目にしてみれば、この家に入った時からフル回転で考えていた推理だ。
「すごいね斑目、感心したー。それに、なんか嬉しいかも。まー飲みなよアンタも」
「光栄にございます」
「まだあんだけどね、あたしの作った奴。ねえねえ、判る?」
 ビールを注ぎながらにじり寄る咲の体温を感じながら彼は、話を後輩に振ることにした。
「いやいや、俺が全部解き明かしたら田中と笹原がつまらんだろがよ。なあ笹原?」
「うえっ?」
 突然の指名にびっくりした顔で答える笹原を、千佳は期待のこもった目つきで見つめている。
「おっいいね、ササヤンの名推理も聞けるか?」
「あ~、あ、その……」
 おどおどとテーブルの料理を探る。オードブルのチコリボートに目が行った。その名のとおり、小舟のような形をして
いるチコリの葉にフィリングを乗せたカナッペだ。一番手前のものの具はイクラだった。
「……この、荻上さんの髪型みたいな形のサラダ?」
「確かに私の担当ですけど、なんかヤです、その当て方」
 宴は進む。目を見張るほど用意された料理も、それに負けないくらいの量の酒もやがてなくなり、二次会がてらの
後片付けの喧騒を経て、現視研始まって以来の大パーティは幕を閉じた。

 ****
 参加者を送り出した後の、まだ熱気の残る部屋に帰ってきたのは主の加奈子と、田中だった。
「いやー、楽しかったね」
「はい。田中さんカメラマンばっかりで、ちゃんと食べられましたか?」
「俺が食べ物を見逃すはずないでしょ」
 家具を移動させてパーティスペースを捻出したため、片付けが終わると部屋はかえって寂しいくらいだ。田中はテー
ブルを回ってキッチンへ行き、冷蔵庫から残りの缶ビールを取り出す。
「まだ飲むんですかぁ?」
「大野さんも飲まない?」
「あ……はい、じゃ、ちょっとだけ」
「カシスオレンジでよかったっけ?」
「ありがとうございます。あ、でも薄めにお願いしますね」
 グラスと缶を両手に持ち、加奈子を誘って壁際のソファに並んで座る。グラスを加奈子に渡し、縁と縁を軽く当てる。
「あらためて乾杯。今日はお疲れ様」
「乾杯」
 二人で、何を話すでもなく部屋を見まわす。すぐそばに感じる互いの空気だけで、もうほかには何もいらないと思う。
少しの間のあと、田中が口を開いた。
「春日部さんに軽くツッコミ入れられちゃったよ、男の料理は趣味の範囲でいいんだって。俺、ひょっとして余計なこと
しちゃってたかな?」
「あ……咲さんたら。ごめんなさい、わたしがもっとお料理頑張ればよかったのに」
「俺こそごめんね。……大野さんさ、俺にメシ作ってくれる時、あとからけっこう長いこと言い訳してるんだけど、自分
で気づいてた?」
「言い訳?」
「この肉ちょっと焼きすぎたとか、もう少し早く完成するはずだったとか、しかもその度にあやまるんだよ。俺はおいし
いって思ってるのに、それを延々あやまる大野さんを見てるのが、ちょっと辛くて。俺もさ、ちょうど自炊とか試し始め
た頃だったし、そんなら大野さんに楽しくメシ食ってもらいたいって思って、料理の担当とっちゃったんだよね」

 加奈子は聞きながら、自分が田中に料理を作り始めた頃のことを思い出してみた。食卓で待つ彼の期待や過去の
プレッシャーと戦いながら作る料理は必ずしも楽しいばかりではなく、食事を始めてからもいろいろと出来栄えを糊塗
するような行動を取ってしまっていた。食べる側にとっても、それは気分のいいものではなかったろう。大切な人の、
それでも『おいしい』と言ってくれた笑顔を思い出すと、不意に涙がこぼれた。
「あ、うわ、大野さん?ごめんね、責めてるじゃないんだよ」
「……んっ、あ、だいじょぶ、です。ごめんなさい、あはは、泣くつもりじゃなかったんですけどねえ」
 慌てて涙をぬぐい、田中に笑顔を見せる。
「田中さん、言ってくださってありがとうございます。そういえばわたし、ごはんの時言い訳だらけでしたね」
「平気?」
「わたしね、今日みんなでお料理してて、とっても楽しかったんです。咲さんもいっぱいアドバイスくれたし、荻上さん
とわたしで足りない所フォローし合うと、あんなおいしいお料理ができるんですよ」
「写真撮ってて判ったよ。楽しいオーラが溢れてた」
「今日のパーティでお料理の楽しさがちょっと解ってきた気がします。田中さん、期待しててくださいね、わたしこれか
らたっくさんお料理作りますから」
「そいつは楽しみだね」
「あ……でも、ときどき失敗しても怒らないでくださいね?」
「ん?『ときどき』でいいの?」
「あー、ひどーい」
「うそうそ。大野さんのメシなら俺、いくらでも食えるから」
「ありがとうございます。ふふ」
 ソファの背にもたれかかり、加奈子は頭を田中の肩に乗せた。
「田中さん、大好きです」
「俺もだよ、大野さん」
 がらんとした部屋が、暖かいもので満たされてゆく。秋の夜が、ほんの少し気温を上げた。

 ****
 同じ頃、笹原と千佳は二人で千佳の部屋への道を歩いていた。斑目たちとは途中で別れている。千佳を送ると言
った笹原に別れ際、咲は意味ありげな笑顔でオオカミのジェスチャーをしてみせた。
「いやー、飲んだねー」
「大丈夫ですか?笹原さん」
「へーきへーき。荻上さんこそけっこう飲んでなかった?」
「あ、大丈夫だと思います。でもほんとは乾杯だけでやめるつもりだったんですけど、飲み始めたら止まらなくなっち
ゃいました。はは」
「後半自分で作ってたもんねー?みんなの作るついでに」
「えっ、見てたんですか?うわ、やっべー」
 笹原は歩きながらのびをした。ほてった顔に夜風が心地よい。
「……今日のパーティ、楽しかったよ。荻上さんたちが頑張ってくれたからだね。ありがとう」
「い、いえっ、そんな」
「料理だっておいしかった。今までも何回かご馳走になったけど、今日のはダントツじゃない?」
「あー、春日部先輩にいっぱい手伝ってもらいましたし」
「作ったのは荻上さんでしょ。あの鶏の焼いたの、旨かったなあ。ごちそうさまでした」
「……ありがとうございます。……ふ、ふふっ」
「あれ、どうしたの?」
 礼を言う笹原を見ていて、千佳は笑いをこらえきれなくなっていた。
「なんでもないです。私、やっぱりちょっと酔っ払っちゃったみたいです」
 調理の途中で咲が耳打ちしてきた言葉を思い出す。

『荻上、おまじない教えてやる。オーブンに入れたら扉閉める前に、美味しくなれ、って話し掛けんの。で、言葉が逃げ
出さないうちに扉を閉めて、スイッチオンな。笹原にはナイショだよ』
『え……って、このお肉にですか?』
『それあいつが食べたらトリコになるよー?あたしもコーサカにやってるから効果は証明済み』
 さっきまで理論立てのしっかりした調理手順を説明していた人物が口にする『おまじない』という言葉に半信半疑な
がらも、千佳は言われたとおりにやってみた。オーブンの前で千佳は笹原の笑顔を思い描きながら小声で「おいしく
なれ」とつぶやき、慌てて扉を閉じたのだ。
 果たして笹原は宴席の一口目に彼女の料理を選び、パーティが終わった今もその味を反芻している様子だ。『おま
じない』の効果は確かにてきめんだった。
「(春日部先輩ってホントは魔法使いなんじゃねえか)」
 そう思ったら、笑いが止まらなくなったのだ。声を殺して笑いながら、笑顔と心配顔が半々の笹原に小走りで追いつ
く。少しためらい、思い切って彼の右の手の平を握りしめる。笹原も一瞬驚いたようだったが、すぐに笑顔で千佳の手
を握り返した。
「笹原さん、私、またあのお料理作ってもいいですか?」
「うん、是非お願い。うわ、なんかすげー嬉しい」
「あの、……他のお料理もいろいろ試してみたい、ん、ですけど」
「もちろんだよ。俺好き嫌いないからさ、なんでも来いだよ」
「ありがとうございます。あの、ちゃんと食べれるもの作りますんで」
「あはは、マジ楽しみ」
 笹原もちょうど、咲の言葉を思い出していた。
『笹原、特別に教えてやるよ。コレぜったい秘密な』
『えっ?』

 料理中の千佳が一瞬だけ場をはずした時だ。すばやく近づいてきた咲が彼に伝えた一言。
『チキン、全部お前が食ってやれ』
 次の瞬間にはもう加奈子の調理指導に戻っていた彼女に聞き返すチャンスはなかったが、それが何を意味するか
は充分に伝わった。千佳が味付けで失敗でもしたのかと思ったが、それも杞憂に終わった。『なぜチキンから食べた
か』と、当の咲から問われた時は少し慌ててしまったものの、どうにか隠しとおせたろう。
「まかせてまかせて。俺の胃袋頑丈だから。ナニ食ったって平気だよ」
「あ、その言い方はひどいです」
 笹原の言葉に、不意に千佳が手を振りほどく。
「えっいや、そーいうわけではっ。待ってよ荻上さん」
 笹原は笑いながら、急いでその手に追いすがった。逃げられないように、指を絡める。
「じゃ、じゃあさ、さっそくリクエスト第一号、いい?」
「フォアグラのソテーでもお出ししましょうか?」
「そんなんじゃなくてさ、スクランブルエッグとトーストとコーヒー、作ってよ」
「はぁ?」
 意外な注文内容に、千佳の声が大きくなる。
「何ですかそれ!そんなまるで朝ごはんみたい……な……って、え?」
 朝ごはん?びっくりして笹原の顔を見ると、彼も真っ赤な顔で笑っている。
「うん……明日の朝メシ。できれば、一緒に、さ。そういうの、どうかな?」
 夜風がまた、少し暖かくなった。

 ****
 斑目は、咲と夜道をぶらぶらと歩いていた。それぞれ、翌日の朝食用と、彼氏に食べさせるために持ち帰ったタッパ
ウェアをコンビニ袋に入れて持っている。
 今夜は10月にしては妙に暖かい。もっとも酒のせいかもしれないし、隣に咲がいるせいかもしれないが。
「斑目ー、なんかゴメンね。あたしの思いつきでパーティやって、あんたホントは迷惑だったんじゃない?」
 咲が申し訳なさそうに笑う。
「なーに謝ってんの、春日部さん」
 にやりと笑って言い返す。
「メーワクかけられるのは今日に始まったことじゃねーし。それに、どっちかってーと今日は楽しかったよ。旨いメシと
酒にありつけたし、 春日部さんの真のキャラが垣間見えたし」
「ソレ言いふらしたらタダじゃおかないかんね」
「はは……春日部さんこそ」
 言おうか言うまいかと思っていたが、言うことにした。
「高坂君来れなくて残念だったね。結局田中と笹原たちにアテられっぱなしで」
「ん……仕事だししょうがないよ、アイツあーいう奴だし。今夜に限って言えば、あんたが張り切ってくれたから、あたし
も大いに楽しかった。あとでアイツに話してやろって思ってる」
「これからどうすんの?帰る?」
 高坂の部屋はこのあたりから歩いて5分。斑目の部屋はそのさらに先だ。咲の家は二つ隣の駅で、次の四つ角を左
に折れて、駅からモノレールに乗ることになる。
「うーん、コーサカんち行こうかな、電車乗んのめんどいし」
「ひゃー、カワイイねえ春日部さん、待つ女っすか」
「ね、あたしってケナゲでしょー?あいつも多分ハラ減ってっから……あ、ちょっとゴメン」
 会話を断ち切ったのは携帯電話の着信音。斑目も聞きなれているメロディ。高坂からの電話だ。
「もしもしコーサカ?どしたの、仕事終わった?……うん、うんそう、いま終わって帰るとこ。……え、あたしんち?うん
いーよ、これから帰るから」

 高坂はどうやら、ようやく仕事が終わって咲の家に行こうとしているようだ。都心の仕事場からなら2駅分、咲と早く会
えるというわけだ。電話はほどなく終わった。
「高坂君?」
「うん、あたしんち来るんだって」
「ほほう、いいタイミングだな、ほらそこ駅だし」
「コーサカってこういう勘すごいよね。あいつんち行ってたらロスってた。それじゃまたね、斑目」
「お、おう。高坂君によろしく」
「真っ先にあんたのナミヘーのこと話しとくよ」
「ソレはやめてくれ。じゃあな」
 交差点で立ち止まり、咲を見送る。目の前が駅では、送ろうとする隙もない。確かに高坂のタイミングは絶妙だ。
 改札直前で立ち止まってこちらを向き、咲が手を振る。右手を上げて応え、彼女の姿が見えなくなってから、改めて
自分の家へ向かって歩き出す。
 途端に夜風が冷たく感じた。少々限界を超えて飲んだ酒も、急に醒めてくる。
「はー。ナニしてんのかなー、俺」
 今の状況の、別の選択肢を想像してみる。
『春日部さん、高坂なんかほっといて俺の家に来ないか?』
『あら素敵ね、晴信さん』
 アホか。
 惚れた女がパーティを企画した。俺はそれに参加し、彼女の料理を味わい、必要以上に道化を演じ、恋人が来ない
彼女の気休めになった。そして今、彼女は待ち人ととうとう会えるという。上出来じゃないか。
「春日部さーん。コレが俺の茨の道ですよー。俺もけっこうケナゲですよー」
 あらかじめあたりを見回し、誰もいないのを確認してから、低い声で一人ごちる。その先は声に出さずに続けた。
「(あんたはカレシのほう向いててくれよな。こっちなんか見られたら、カッコわりいから)」
そのとき、携帯電話が震えた。


「ん?なんだ、メール?」
 メールは咲からだった。件名は『おつかれ』。本文を見ると『今日はごくろーさん。アンタが写ってたんで、おすそわ
け』という文章と、添付画像があることを示す文字列。
「写ってたって……写真か」
 データが受信される。そういえば、田中のシャッター音に混じって春日部さんたちの携帯電話も活躍していたっけ。
 表示された画像は、乾杯の時のものだった。破顔してグラスをあおる咲の手前で、禿げ頭の自分が半分フレーム
からはみ出ながら照れ笑いをしている。そうだった、笑いすぎで足元がふらつく彼女が、俺の首根っこを支えにして
いたんだ。あの状態で左手で撮った写真がこれか。大したカメラマンだ。
「へ、へへ」
 顔がにやける。画像を保存し、携帯をしまう。思い直してもう一度画像を見る。
「だからー。コッチ見んなってのに」
 携帯をポケットに突っ込み、夜空を仰ぐ。また暖かくなってきた風が顔をなで、ぼんやりと光る星がゆらめいた。
 秋の夜がみんなを包み込んでいるのを感じる。さっきの部屋で寄り添う田中と加奈子。夜道を仲良く歩く笹原と千佳。
帰途を急ぐ咲と、反対方向から同じ場所を目指している高坂。
 ふと思った。彼女は、今日という日を丸ごと料理したのではないか。2組のカップルのためにそれぞれの味わいの愛
を、高坂君には大いに笑える土産話を、そして俺にも淡い希望を隠し味に、目に見えぬ大鍋をじっくりとあたためてく
れたのではないか。
「おすそわけねぇ」
 斑目は大きく深呼吸をした。にやけ顔は戻らないが、まあいい。
 駅のほうを振り返る。こちらに手を振る咲の笑顔がよみがえる。
「……ごちそーさまでした、っと」
 片手を上げて拝むと、彼はもう振り返らずに、自宅への道を歩いていった。