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アルエ・第一話 【投稿日 2006/06/15】

アルエ


「よう」
ところてんを咥えながらハルコは笹原に声をかけた。
ちょっと長めのショートヘア。タマゴ型レンズのメガネ。口元に八重歯が覗かせて、含むように笑っている。
笹原は少し表情を崩してリュックサックを下ろした。
「珍しく居ましたね」
「何だそれ、居ちゃ悪いか」
ハルコはちゅるるんとところてんを啜り上げる。
「どうすか、就活の方は?」
「ダメ…。死にそう…」
ハルコはそう愚痴って残りのところてんをガッガッと喉の奥に掻き入れる。
テーブルの上にはコンビニのレジ袋と食べたてのサラダの容器があった。
「よくそんなで持ちますね。腹減りません?」
「今ダイエット中だから。就活のストレスで太っちゃったからね」
笹原は少し体を引いてハルコの上から下まで視線をパーンさせてみた。
が、太ったようには到底見えない。いつも通りのスマートな肢体が椅子の上にあった。
「ちゃんと食った方がいいっすよ」
「食ってる食ってる」
ハルコは適当な返事を返してペットボトルの烏龍茶をゴクゴクとラッパ飲みした。
笹原は呆れた顔でそれを見ていたが、気を取り直して鞄から大きい封筒を取り出した。
実は一刻も早くこの話題で盛り上がりたかったのだ。
「それよかコレ。コミフェス受かったっすよ」
笹原の上気した顔に、ハルコも思わず息を飲む。大きく目をパッチリと開いて、封筒を凝視した。
「うわ…。マジで来たんだ…。受かってんの?」
「ええ、だから受かってますって…」
「うわ~~~~~~」
受け取った封筒をためつすがめつハルコは眺める。これがコミフェス当選通知を届けた封筒か。
早速、笹原共々来るべきコミックフェスティバルに思いを馳せる。
「久我山には言ったの?」
「ええ、すぐケータイで。『これでマジに本作んなきゃ』って」
「あはははは」


笑いながら、ハルコは体がムズムズっとしていた。これまで行って買って帰るだけだったコミフェスに、
本当に売る側として参加するなんて、何だかどうにもヘンな感じで落ち着かない。
(これも笹原のお陰か。いや、笹原を指名した自分の慧眼のなせる業か。なんてね。)
「で、中身どうする? もう結構描いてあんの? 久我山のエロイラスト」
「そーすね…。かなり流用すると思います…」
心なしか、笹原は照れ臭そうに応えた。
(まあ、一応、ハルコさんも女の子なわけだし…)
久我山秘蔵のスケッチブックを眺めながら、透視するように中のイラストを思い浮かべる。
(これはまだ見せない方がいいかな…)
ハルコは食事のゴミをレジ袋に放り込んで目の前を整理すると、すいっと笹原の前にその長い手を差し出した。
まるで笹原の心を読んだかのように。
「見せなさい、それ」
「ダメですよ。それは久我山さんの許可とらないと」
「いいじゃん、見せてみい。噂によると普段の絵より上手いらしいじゃない?」
どこの噂だ…。朽木君か!
「エロイラストですよ? 勝手に女性に見せたら久我山さんが可哀想じゃないすか」
「エロ同人誌を部室に散乱させてるくせに、こんな時だけ女扱いか! いいから見せんかい、笹原!」
言うや否やハルコはスケッチブックをむんずと掴み、力づくで引っ手繰ろうとする。
負けじと笹原も引っ張る。曲がりなりにも男の腕力。易々と奪い取られはしない。
引っ張っても引っ張っても手を離さない笹原に業を煮やしたハルコは、もはや直接打撃の敢行を決断した。
笹原の手や腕を、叩く、ツネる、噛む…は流石にやらなかったが、ビシビシと手にダメージを与える。
「こら、いい加減に離しなさいよ!」
「イヤですよ。いたッ! ちょ、今のはマジで痛かったですって! 血豆になってますって絶対!」
「うっせー! 離さんお前が悪いのじゃ。男のくせにケチケチすん…」

ガチャリ


「……………」
「…………………」
「………」

ガサゴソ
     ガサゴソ

「……やあ、荻上。こんにちわ」
「……こんにちわ」
二人は嫌な汗を笑って誤魔化した。
荻上は二人を一瞥するとほんのりと頬を赤らめた。
「今日は帰ります…」
「おうっ。ちょっと待ってくれたまえ荻上っ!」
ハルコは超ダッシュでドアノブを掴んだ。
「この空気のまま帰らんでくれ」
「いや…、でも…。お邪魔でしょーし」
荻上はチラリと笹原の方を見る。
笹原はニハハと苦笑いしていた。
「いやいやそーゆーことではないのだよ。まま、座って座って…。ちゃんと説明するし。ほら笹原!」
「実はさ、ほら、これ。今度の夏コミなんだけど…」
こうして、現視研コミフェス初参加の次第となったのです。


部室に集った現視研会員の顔はどれも笑顔であった。まあ、春日部君は苦笑いであったが。
なぜならば、今日は現視研の永いのか短いのかよく分からない歴史において
極太明朝体で刻み込まれるべきイベントが発生していたのだ。
「いや~、まさかマジで受かっちまうとはな~」
田中は感慨深そうに言った。
「ホントですね~。あ。私コスプレして売り子しましょうか?」
「え……、それいいの? モノが男性向けだけに……、ちょっとセクハラっぽくない?」
「あ、私全然気にしません」
大野も嬉しそうに笑っている。
「私、副会長やりますから、春日部君が会長で…」
「なんでだよ」
春日部君はみんなの高揚にやや乗り遅れ気味である。
「オギッペやれよ」
「ヤですよ」
荻上の顔が赤いのはヘンなあだ名に照れたからか、それとも初めてのコミフェス参加がやっぱり嬉しいからなのだろか?
「私は描くの忙しいんです!」
むむ…、っと大野はちょっと残念気に唸った。そして荻上から横に視線を滑らせる。
「じゃあハルコさん! コスプレしましょう!」
「じゃあって何よ。それにもうコスプレはいいよ。もうやんない」
「えー! じゃあ私は誰とコスプレすればいいんですかっ!!」
「一人でやんなさい、一人で」
ハルコは呆れたように腕を組んで溜息を漏らす。ハルコさんの頬も赤かった。
コスプレというとどうしても学祭の思い出が頭をよぎる。
なんやかんやで春日部君と参加することになったペアコスプレコンテスト。
テレまくりの自分としぶしぶ顔の春日部君。漫研提供の素材からこっそりプリントしたその写真が今も引き出しの奥にしまってあった。
人知れず取り出しては、『めちゃくちゃ恥かしかったけど、あれはあれでいい思い出なのかも』と思ったり。
「いいじゃん。ハルコさんやんなよ」
回想にいい気持ちで浸っていたハルコを春日部君の鶴の一声が呼び戻した。


「ちょ、ヤーよ! 何でコスプレしなきゃなんないのよ!」
一見、余裕があるふうに見せて言い返したが、嫌なタイミングの春日部君の一言にハルコの心臓は早鐘を打っていた。
それを見透かしたように春日部君はニヤリと笑う。
「ハルコさん…。絵、描けたっけ?」
「う、それは…」
でもそれは真琴ちゃんも一緒であるわけで…。
「元会長ですよね、ハルコ先輩」
「うう…」
真琴ちゃんまで…。
「まあ、無理強いはできないですけどね」
嗚呼、ありがとう笹原。やっぱりお前はいいヤツだ。それでこそ会長に推挙した甲斐があるというもので…。
ハルコの心中での賛辞を他所に、笹原は何か誤魔化すように笑いながら、
「まあ、やってくれるとありがたいっすけどね。ほら…、売り場も目立つだろうし…」
うそーーーん。笹原、お前もか!
「会長がこう言ってるよ~、ハルコさん」
春日部君は背もたれに体を預け、すでに勝利者の余裕を漂わせている。
ちくしょう。
ハルコはギッと春日部君を睨む。春日部君も睨み返す。

…………………、ぷいっ。

照れてしまって視線を外した。
「あーあれだ、アタシ就職活動あるし。コスプレする暇なんて…」
「クガピーは就職活動しながら原稿描くのかあ。えらいなー」
「うう……」
何が『えらいなー』だ。そこはむしろ『えらいネェー』だろ!と見当違いのツッコミを入れても状況は変わらず、
「ま、今回は俺やらないよ。ていうか、コミフェスいかねーし」
「ううううう……」
「やるよね? ハルコさん」
「………はい、やります」


「わああーーー、ホントですか!」
大はしゃぎの大野とガッツポーズの田中を、ハルコは恨めしそうに見つめた。
そして春日部君を見つめた。
あー、やっぱりなぁ。春日部君には勝てないなぁ。これが惚れた弱みなのかなぁ。
そんなことを思いながら。


「よぉ~~~。コミフェス受かったってぇ?」

うわっ……………。

まさに『うわっ』だ。
笹原は最大規模の嫌な予感にじっとりと汗をかいた。
「あれ? 原口さん卒業したんじゃありませんでしたっけ」
憎々しそうにハルコが言った。笹原は顔を上げてチラっとハルコに目をやる。
ハルコはあさって方を向いて、原口を見るのも嫌そうにしていた。
「あぁ、今でもちょくちょく顔は出しててね――。そうだ、ハルコ」
と、原口は呼び捨てにした。
原口はのそのそとそのぽっちゃりした体を揺すってハルコの後ろに回った。
「どう就活。内定何個もらった?」
いつぞや大野さんにしたように、ハルコの両肩に湿った両手をかける。
「何だったら知り合いの会社でも紹介しようか? 僕は友達が多いからねー」
原口がそう言ったとき、ハルコの目が一瞬で鋭くなった。
「大丈夫ですよ。間に合ってます」
「あ~、そう?」
その反応に原口は薄ら笑いを浮かべて、漸くハルコの肩から手を離した。
「ま、いいや。あのね、ちょっといい話あるんだよ!」
パイプ椅子に座った原口は雄弁に語りだした。


「有名同人作家いっぱい紹介してあげるから」

          「まあ、10人は集まるから」

    「単純計算で売り上げ300万

                 「それはオナニーだよ」

        「おや逆ギレだよ」

「でもなあ~~。さっき挙げた連中のOK、もう取ってあるんだよな」


「……じゃ、分かりました」
笹原は言った。
「俺が全部断りますから、全員の連絡先教えて下さい」
原口が黙って、現視研のメンツも黙っていた。
春日部君は感心したように小さく声を上げ、荻上はびっくりした目で笹原を見つめていた。
ハルコは初めて見ような目で笹原を見ていた。
まさかここまでキッパリと言い切るとは。意外に男らしいんだなと思っていた。
「―――――ハルコ、それでいいんだな?」
ハルコは一瞬きょとんとして、少しだけ考えるフリをして言った。
「……ま、現会長がそう言ってるんで、勘弁してやって下さい」
それで原口は退散した。
「バイバーイ」
という捨てセリフを残して。


部室のドアが閉まると、笹原はふはーっと溜息を漏らした。
「ササヤン、頑張ったなあ」
春日部君が素直に賛辞を述べる。
「さすが会長って感じか?」
「いやはや、つ、疲れたよ。まったくあの人は」
笹原は安堵の苦笑いを浮かべた。春日部君の助力を断った手前、何とかしなければと気張ったが、どうにか追い返せてほっとしていた。
「あーいう人、本当にいるんですね」
荻上が目を吊り上げている。
「まさにイヤなタイプオタクですね。嫌いです」
その横でハルコもほっとした顔で笑っている。
笹原はじっとハルコの顔を窺っていた。さっきの妙に親し気な原口の態度が気になっていた。
ハルコの原口に対する露骨な嫌悪の態度が、それに拍車をかけていた。
今はすっかり、いつもどうに楽しそうにしているけど、ハルコさんのあんな顔は見たことがなかった。

見たことがない。

その言葉で、笹原の頭にひとつの情景が浮かんだ。
初めて人前でコスプレして(それも高露出度の)、恥かしさで顔から火が出そうになっているハルコさん。
よく知っている人のはずなのに、別人のように見えたのはメガネをかけていなかったせいなんだろうか?
あれからすっとハルコさんが別人のままのような気がしていた。
そんなことを考えていたせいで、田中に肩を叩かれるまで、荻上と春日部君の会話の内容は全然耳に入っていなかった。


つづく