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筆茶屋はんじょーき4 【投稿日 2006/05/12】

筆茶屋はんじょーき


千佳の義母の葬儀は、滞りなく行われた。
通夜の席で、千佳は高柳を呼び、告げた。
「遅くなりましたが、荻上の家を守るため、縁組をしたいと思います」
「承りました」
千佳の決意に満ちた表情を見て、高柳は懐かしさと、悲しさを感じた。
それは、荻上家に来たばかりの彼女の顔だった。


”筆茶屋はんじょーき”


あの日、恵子に言われて以来、笹原は暇を見ては荻上屋を訪れるようにしていた。
しかし、店が開くことはなかった。
隣近所に話を聞くと、夜になっても明かりが灯らぬことから、既に空家なのではないか、ということだった。
笹原は少なからず衝撃を受けた。
ここにさえ来れば、たとえ無視されても、顔を見て、声を聞けると、そう思っていたのだ。
しかしあては外れ、彼女に会えないという現実が笹原を苦しめる。
斑目とともに、ただひたすらに剣を振る事で、気持ちを鎮めようとしていた。
そんな日々が続くにつれ、笹原の中で一つの思いが膨れ上がる。
(千佳さんに会いたい)

その日、笹原が荻上屋を訪ねると、ひさしぶりに表が開いていた。
気色ばんで駆け寄ると、そこに千佳の姿は無く、複数の男達が家財道具を片付けていた。
一人を引きとめ話を聞く。すると、
「へえ、店を閉めることにしたんだそうで。なんでも持ち主の家に不幸があったとか。ここの娘さん?家に戻ったらしいですぜ」
そう答えると、再び仕事に戻ろうとする。
笹原が呆然としていると、その男は何か思い出したようで、一つ手を打つと付け加えた。
「そうそう、そういえばその娘さんは喪が明けたら祝言だとか。まったく、忙しい話だねえ」

笹原はどこへ向かうでもなく、ただ歩きつづけていた。
歩きながら千佳のことを思った。
行き倒れた自分を助けてくれた彼女を、自分に茶と団子を出す時のつんと澄ましたような彼女を。
何か手伝わせてくれと頼み込んだ時の困ったような彼女を、そして、自分に笑いかける彼女を。
笹原の中をいくつもの感情が入り乱れる。
悲しみ。寂しさ。後悔。怒り。
笹原は足を止め、空を見上げた。
不意に自分が滑稽に見えて、自嘲する。
(何で俺はこんなに千佳さんのことを考えているんだ?)
脳裏にいつかの恵子の声が聞こえる。それは笹原を激しくなじり、そして、
(そうか。俺は彼女が好きなんだ)
ようやく笹原は自分の気持ちに気付いた。

時は少し遡る。
荻上家の客間で、千佳と男が向かい合っていた。
高柳は、千佳の横で苦虫を噛み潰したような顔をしている。
男が口を開く。
「原口と申します。このたびの荻上家との縁組、当家にとっても誠にありがたき申し出。誠に恐悦至極に存じます」
「こちらこそ、末永くよろしくお願いします」
無表情に千佳が答えると、高柳の渋面はさらに深くなった。
そのまま立ち上がると、千佳に一声かけて部屋を出る。
追って部屋を出た彼女に、高柳は詰め寄った。
「千佳さま。今からでもこの縁談、お断りなさい。あの男は駄目です」
「そもそもあの男は金で御家人株を買い、更にその立場を利用して、相当にあくどく稼いでいるという噂です」
「今回の件も、荻上家の財産だけが目的に決まっています!」
「でも、主家筋からの紹介では…」
「確かに。ですが、千佳さまが嫌といえば、この高柳が腹を切ってでも取りやめにして…」
「用人風情が家の一大事に口を挟むものじゃないよ」
いつの間にか、原口が二人の傍に立っていた。
原口は笑顔だった。
しかしの目が笑っていない事は、二人にも良くわかった。

原口は千佳を抱き寄せると、高柳に告げる。
「お前は首だ。今すぐ荷物をまとめて出て行け」
「お待ちください!彼は荻上家の家臣です」
千佳は原口を睨みつける。
原口は鼻で笑う。
「ならば、貴方が首にしなさい」
「!」
「家を潰したいのか?」
原口に凄まれ、千佳は目を閉じ、うなだれて言った。
「高柳。長い間ご苦労様でした…」
「千佳さま!」
「と、言う事だ。さっさと出て行け」
そう言い置くと、原口は千佳を抱いたまま、引きずるようにして客間へ戻っていった。

それ以降、千佳の周りは急変した。
原口は、荻上家の使用人全てを解雇し、家事の全てを千佳に押し付けた。
そして使用人たちと入れ替わるように、ごろつきやヤクザ者が入り込んだ。
彼らの世話まで押し付けられ、ついに倒れてしまった千佳に、原口は笑いながら話す。
「すまなかったね、千佳。これぐらいで倒れるとは思わなかったんだ」
「だから、一人雇う事にしたよ」
「俺の部屋にいるから、後で挨拶に来なさい」
「…ありがとうございます」
千佳にはそう答える事しかできなかった。

布団の中で千佳は思う。
(わたしはまた、間違いをしてしまったのかもしれない)
(でも、こうしなければこの家は…)
千佳の脳裏に義母の遺言が響く。しかし千佳は寂しげに笑うと、
(いいんです。この家さえ守れるのなら、わたしはどうなっても)
(それでいいんです)
心の中で、そう答えた。
まだ酷く重い体を、無理に起こす。
(挨拶に行かなくては…)
よろめきながら、千佳はかつての義父の、今は原口の部屋に向かった。

部屋の中からは、話し声がかすかに漏れている。
「失礼します」
言って襖を開けると、そこには原口と、忘れる事のできない、決して見たくなかった顔の女性がいた。
その女性はおもむろに口を開いた。
「お久しぶり。千佳」
「中島、様…」
千佳が呆然としていると、原口が口を挟む。
「知り合いか?」
「ええ、過去に、少し」
その悪びれない態度を見ているうちに、千佳の内心を様々な感情が過ぎる。
怒り。悲しみ。後悔。憎しみ。郷愁。
そして彼女のその態度が、過去の行いを忘れて同じ事を繰り返そうとしていた自分と重なり、千佳はその場に崩れ落ちた。
「能無しめ。挨拶もまともにできんのか」
倒れた千佳を冷ややかに睨みながら、原口は言い捨てた。

「ずいぶんとこき使っているようね」
千佳を抱き起しながらの中島の声には、明らかな険が含まれていた。
「ほとんど用済みだからな。抱く気にもならぬ、とすれば雑用にでも使うほかあるまい?」
原口は平然と答える。
「用済みなら、私がもらうわ。あと、もう一人雇うから」
「ずいぶんと御執心だな」
千佳の頭をなでながら話す中島を、原口は探るように見つめる。
「ええ、そうよ」
「なぜだ?」
「あなたにはわからないわ」
中島は、原口を見上げながら、見下した。
空気が険悪化していく中、原口が口を開こうとした直前に、中島は言う。
「むしろ私には、なぜあなたがそこまで金にこだわるのかわからないわ」
「…金は力だ」
原口の声は唸り声に近かった。
中島は千佳を抱くと、部屋を出る。去り際に振り向くと、
「その『力』で何をするの?」
と、明らかに嘲笑を含んだ台詞を残して去っていった。
残された原口は、しばらく黙り込んだ後、吐き捨てた。
「女狐め…」
同じ頃、それを聞いたわけでもなく、中島も吐き捨てていた。
「豚が」

千佳が目を覚ますと、そこには優しく微笑む中島がいた。
「大丈夫?」
中島の声とともに、千佳は冷やりとした感触を額に感じた。
ぼんやりとした意識の中、中島の声が聞こえる。
「ねえ、憶えてる?前にもこうやって倒れた千佳を看病したことがあったよね」
「すごい熱だったのに、無理に出てきて、突然倒れたの」
「『どうしてそんな無理したの』って聞いたら、『皆に会いたかった』なんて答えて」
「千佳が手を離さないから、私は添い寝までしたんだから」
憶えている。
ずっと隠していた、自分の衆道好きを受け入れてくれた友達を。
その友達と過ごした日々を。
うれしくて、楽しくて、夢のようで。
…そして夢だった。

『ねえ、巻田の息子って知ってる?』
『え、う、うん』
『あ~、彼?ちょっと線の細そうな…』
『そう彼。もし彼を主役にするならどんな話を作る?』
『う~ん。やっぱり”受け”よねえ』
『ただの”受け”じゃ面白くないよね。ここは”総受け”で!』
『あはは、それ良い!ねえ千佳。あなた書いてみない?』
『え、で、でも…』
『大丈夫、千佳なら書けるって』
『そうそう、それに千佳の書くのって本当にすごいし』

彼女たちはもういない。
彼もいない。
わたしが書いた本の所為で。
わたしの所為で。
わたしの所為で!!

「うわあぁぁぁあぁあ!!!」
千佳は叫びながら飛び起きる。頭を抱えて、全身を酷く震わせる。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」
呪文のように呟きながら。
「千佳!」
中島が千佳の肩を掴む。
千佳はゆっくりと振り向く。虚ろだった瞳の焦点が合う。そして千佳は大きく目を見開き、
「ごめんなさい」
とだけ言うと、気を失った。
中島は悲しげにため息をつくと、千佳を布団に寝せて部屋を出た。

その日以降、千佳は寝込む事が多くなった。
そんな彼女を中島はずっと看病していた。
そして原口はそんな二人を苦々しく見ていた。

三人が三人とも、このままでは終わらない事を予感していた。