決別 【投稿日 2005/12/21】
今日は冬コミ。
荻上は自分の目当てのサークルをひたすら回っていた。
笹原さんとは一緒に来たが、別行動をとっている。
恥ずかしいから、というわけではない。笹原さんも自分の買い物があるので、そのほうが都合がいいからだ。
あとで合流しよう、ということになっている。
目当ての801本を購入し、鞄につめこんだ。
(ふーーーー…だいたい良さげな本は買えたべか…)
満足し、柱の近くで一息つく。
ふと、自分の横に誰かが立った。
近かったのでふとそちらの方を向く。
そこにいたのは中島だった。
荻「!」
驚いて中島を見た。
中「久しぶり、夏コミ以来だねー」
中島は荻上に、笑顔で話しかけた。
中「今日は参加してないんだ?」
荻「…落ちたからね」
中「あ、そーなんだ。残念だね。」
荻「うん、まあね…」
お互い、普通に話していたが、荻上さんはしらじらしいと感じていた。
中「…あんなことがあったのに…まだ続けてるなんてね…。意外だったよ。」
中島は皮肉っぽい笑みを浮かべていた。
中「もう…あのことは忘れられたのかな?『なかったこと』にできたのかな、荻上の中でさ」
荻「まさか」
荻上は短くそういうと、中島の方に目をやった。
荻「私は一生、私を許さない。」
荻上はきっぱりとそう言った。
荻「あれからずっと、あのことについて悩んだ。
ずっと眠れない夜を過ごした。何度も悪夢を見た。
悪夢の中で、私は巻田くんを屋上から突き落とすんだ。笑いながら。」
中島は少しだけ目を見開いた。
口元は笑っていたが、少し青ざめ、額には汗をかいていた。
中「…え、でもあのとき、飛び降りたの…荻上じゃん」
荻「私はあのとき、自分を殺したいと思った。人を傷つけたことが、傷つけるような絵を描く自分が許せなかったから。
…でも死ねなかった。だから覚悟した。自分はもう一生誰とも付き合わないって。その資格がないって。」
中「………付き合ってるじゃん。あの人、彼氏なんでしょ?」
荻「大学に入ってから、自分の周りが変わった…。あるサークルに、人を拒絶して遠ざけてた自分を受け入れてくれる場所があった。あの人もそこにいた。」
荻上はそう言って、一度息をついた。
荻「…大学に入って、親のもとを離れて、一度自分を見つめなおそうと思った。
中学、高校と、親は私を腫れ物を扱うように接した…。
すごく気にかけてくれたし、世話を焼いてくれたけど、親は、私が中学生であんな過激な絵を描いていたこと、そんでその絵が、同級生を転校に追い込んだことをどう受け止めていいか分からなかったんだと思う。
…だから、今まで責められることもなく、怒られることもなく、『なかったこと』にされてきた。
辛かった。だから家を出た。わざと東京の大学を選んだ。家を出る口実のために。
東京では誰も、こんな自分を知らない。自分の醜い過去を知らない。ここでやり直すために。」
荻「…でも、初めはダメだった。私は人に接するのが下手なまんまで、変にプライドだけ高くて、イタい言動ばかりしてた。
最初に入ったサークルでも、人と衝突して、すぐ抜けるハメになった。
…でも、次に入ったサークルでは、受け入れてもらえた。
…個性的な人ばっかだったから…。どこ行っても浮いてた自分が、浮かなかった。私がそこになじむまで、待っててくれた。手助けしてくれる人がいた。…『彼氏』もそうだった。」
中「フーーーン………でも、彼氏は知ってるの?あの過去のこと…」
荻「もう話した。」
中「…え?話したんだ………」
荻「そんで、私は『彼氏』に、彼氏とサークルの人で801妄想した絵を見せた。」
中「………マジで?そんで引かれなかったの?」
荻「あの人は受け入れてくれた。…そこまで認めてくれたら、もう、自分が意地張ってるのがバカみたいだって思った。
自分のことが、自分でも嫌いだったのに、好きだって言ってくれる人がいる。大切に思ってくれる人がいる。
…だから、私は自分をもっと大切にしようと思った。自分を少しでも好きになろうと思った。
そうでないとあの人に申し訳ないから…。」
中「………………」
荻上は淡々と、少し辛そうにしながら喋った。
こんなにたくさんのことを話す荻上を、中島は初めて見た。中学のときも、荻上は基本的に無口だったから。
荻「あの事件のことだけど」
荻上は話を戻した。
荻「最近冷静にあの事件を見つめられるようになって…色々考えた。そんで、結論が出たことがある。」
中「………どんな?」
荻「自分の罪と、もう一つのこと。」
中「………。」
中島は荻上の言葉の続きを待った。
荻「私の罪は、『巻田君をネタにしてああいうイラストを描いた』こと。
巻田君に対して悪気があったわけじゃないけど、そのイラストが巻田君を傷つけた、不快な思いをさせたことには変わりない。」
そうしてひと呼吸置き、荻上は再び喋りだした。
荻「でも、『そのイラストを巻田君に見せた』のは、私じゃない。…そして、”それを見せた人”には悪意があったと思う。」
中島は荻上の顔を見ていた。荻上は中島のほうを見ずに、ただまっすぐに前方を見ていた。
荻「だから、その罪は別に分けて考えることにした。
その罪は、”それを見せた人”に負ってもらおうと思う。私の考えることじゃない。」
荻上はそう言ってから、中島のほうを見た。強い意志をこめた瞳で、しっかりと相手を見つめた。
荻「私は、あのことを忘れるんじゃなく、背負っていこうと思った。
もちろんそれで過去が消えるわけでも、あの事件が解決するわけでもない。でも…それでも、そう決意した。
…私の大事な人が、そう決意する手助けをしてくれた。
私には今、大事な人がいる。その人のためにも、私は私らしくいようと思う。
…巻田君のことも、抱えて生きてく。」
荻「…それだけ。もう話は終わり。」
荻上はそう言って、口を閉じた。
中島はだまったまま、荻上を見ていた。荻上には、中島の顔が無表情に見えた。何を考えているかわからなかった。
「中島ーーー!」
キャスケットをかぶった中島の連れが、中島を呼んだ。
「もー、急にどっか行っちゃって、探したよーー。…あれ?」
その友達が、荻上に気づいた。
「あ、この人、前に夏コミ…」
中「いくよ。」
中島はそう言って、荻上を背にして歩きだした。友達もあわててついていく。
少し歩いて、振り返る。
中「…じゃね、荻上。まー、これからも頑張ってね」
荻「………」
荻上は答えず、ただ頷いた。
中島は口元だけ笑みを浮かべて、友達とそのまま歩き去った。
………………………
中島は出口に向かっていた。
「…あれ、もー帰るの?まだ行きたいサークル回ってないよ?」
中「具合悪くなったから帰る。」
「え?大丈夫?」
中「大丈夫じゃないから帰るんだよ!」
中島は声を荒げた。友達は驚いて中島を見た。
(荻上…)
中島はショックを受けていた。
実は中島も、あの事件はトラウマになっていたのだった。
何故自分はあんなことをしたのか。
思い出したくないのに、抑えようとすればするほど、あの忌まわしい事件が頭をもたげる。
忘れようとすればするほど、あの記憶が牙をむいて襲いかかってくる。
嫉妬していたのだ。巻田に。荻上を盗られたと思ったから。
あのとき、中学生の自分は、同性の子と喋っているひとときが一番好きだった。
中学に入ってから、男子を遠い存在に感じたのだ。
小学生のときはそんなに思わなかったのだが、中学生になってから、男子が急激に背が伸び、見るからに体型が変わり、喋り方も変わっていくのが、なんだか怖かった。…いや、怖いというのは違うかもしれない。気持ち悪かったのだ。
違和感があった。…でも、今思えば、逆に憧れる気持ちもあったのかも知れない。
荻上は親友だと思っていた。あの日まで。
部の仲間とツルみながら、荻上と話をするときが一番楽しかった。
荻上がクラスの男子を脳内カップリングして、少し過激な発言をするのが面白かった。
男子に違和感を感じながらも、頭の中で妄想することで、憧れる。荻上もそうなんだと思っていた。自分と同じなんだと。
なのに。
荻上は巻田と付き合っていた、こっそりと。私に何も言わずに。
(私とは親友じゃなかったの?)
(私とは「同じ」じゃなかったの?)
今思えば理不尽なことだが、「裏切られた」「許せない」と思ったのだった。
…いや、今でも思う。裏切られた、許せない、と。
だからあんなことしたのだ。
正直、巻田の奴があんな程度で転校するとは思っていなかった。
弱いと思った。だから私は、巻田には今でも「悪い」と思っていない。正直言って。
自分にとって「忌まわしい」のは、巻田が不登校になり、転校することで、荻上がひどく傷ついたことだった。
…首謀者は自分だが、部のみんなも「あの本」を作った仲間なので、あれから自分達で「あの本」について話し合うことはなかった。あの話は暗黙の了解でタブーになっていた。仲間とは「同じ罪の意識」で、同類でいられたのだ。
だがそのために荻上が一人、矢面に立つことになってしまった。
クラスの人間から、「ホモ上」と呼ばれたり、陰口をたたかれることになった。
自分は自分なりに荻上をかばったが、それがかえって荻上を苦しめたようだ。そして事態はさらに悪化してゆく。
…荻上はきっとあの時、いや今でも、私を恨んでいるだろう。
あの日、荻上が飛び降りる直前、荻上と目が合った。
荻上はひどくおびえた目で私を見た。私はその荻上の目におびえた。
最後、荻上がフェンスから手を離すときも、動けなかった。その場に立ち尽くしていた。
死んだ、と思った。目の前が真っ暗になった。
荻上が奇跡的に助かり、心の底から嬉しかった。だからみんなでお見舞いに行った。
荻上はベッドの上で、うつろな目で私を見た。
心が凍りついた。
病院から帰ってきて、ようやく自分がとんでもないことをした、ということに思いが至った。取り返しのつかないことをしたと。
それから、毎晩夢を見た。自分が荻上を突き落とす夢。
今さら自分の行為を言うことはできなかった。怖くて言えなかった。そしてあれから誰にも追求されなかった。
だから、巻田が悪いんだと思うようにした。巻田が弱いのがいけなかったんだと。
そして、荻上が悪いんだと思うようにした。荻上が私に隠していたのが悪いんだと。
でも、そう思ってもずっと悪夢は続いた。今でもなお。
何故かわかった。今日ようやくわかった。
荻上が言った言葉を思い出す。
『私は一生、私を許さない』
『巻田君のことも、抱えて生きてく』
自分にはその覚悟がなかったのだ。
『イラストを巻田君に見せたその罪は、”それを見せた人”に負ってもらおうと思う。私の考えることじゃない。』
荻上に”切り離された”と思った。
今まで、恨まれながらも、過去を共有している、ある意味同じ痛みを分かちあってる仲間だと思っていたのに。
それがショックでたまらなかったのだ。
息苦しい。肋骨のあたりがきりきりと痛み出す。
…ストレスがたまると、私はよくそうなる。
駅のベンチでうずくまってしまった私をみて、友達はオロオロした。
中「…大丈夫、いつもの神経痛だから…」
私はそう言った。この友達とは『痛み』を共有できない。
………………………
荻上は疲れていた。
中島に言いたいことを言ってすっきりしたものの、やはり苦しかった。
中島に言ったからって、過去が消えるわけじゃない。
自分の罪が消えるわけじゃない。
(でも…)
笹「荻上さん!」
ふと声のする方を見ると、笹原さんが手を振っていた。
あの、すごくほっとするような、いつもの柔らかい笑顔で。
とたんに心が軽くなるのを感じる。
笹「…探したよ。さっきから携帯かけてるのに荻上さん出ないから」
荻「えっ!?…あ!!」
荻上さんは慌てて鞄から携帯を出した。
荻「すいません、マナーモードにしたまんまでした」
斑「あーそりゃ気づかんわ」
斑目先輩がひょいっと顔を出す。笹原さんと行動していたらしい。
荻「あ、どうも…すいませんでした」
斑「いやいや。何とか会えたし、いいんじゃねーの?」
笹「そうそう、荻上さんが行きそうなサークルをしらみつぶしに探して…」
荻「…ホントにすいませんでした」
荻上は謝りながら、心が温まるのを感じた。
こうして自分を探してくれる人がいる。話をする人がいる。
去年の冬コミとは雲泥の差だ。
…去年は「行きません」とつっぱねて、イライラしながら一人で行動して、笹原さんたちを見つけても声をかけられず寂しくなって…………。
大野先輩にぶつかって自分の趣味の本をぶちまけて逃げた。
………あのときとはもう、違う。
(わたすは変われたんかなぁ………)
きっと、変われたと思う。
荻上は笹原さんの横顔を見た。
この人のおかげで、変わることができたのだ。
大事にしようと思った。この場所も、この人も。………自分自身も。
そのとき、向こうから大野先輩とアンジェラとスーが歩いてくるのが見えた。
こっちに気がつき、大野先輩は手を振ってきた。
END
最終更新:2006年04月25日 04:04