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筆茶屋はんじょーき1 【投稿日 2006/04/22】

筆茶屋はんじょーき


 時は泰平の江戸時代
 所は将軍様のお膝元たる江戸市中
 一軒の茶屋を舞台に、物語は紡がれます…

荻上屋、通称”筆茶屋”では、看板娘の千佳が、こまねずみのように動き回っている。
もともと主人の道楽で始めたこの店は、開業初日から閑古鳥が鳴くようなありさまだった。
しばらくして、千佳と名乗る娘が切り盛りするようになっても、周囲の反応は冷ややかだった。
無口で無愛想。挨拶にもろくにできないような娘。
それが当時の彼女の評価だった。
しかし時間が経つにつれ、それが誤解だと周囲も気がついた。
確かに無口で無愛想ではあったが、それが彼女の極端な内気さによるものだと、内面はよく気が付く優しい娘だとしれた時、彼女とその店は、そこに欠かせない物になったのだった。
そのせいか、この店は妙に常連の多い店でもあった。
一番の常連は、この店の用心棒を自負する、笹原であった。
空腹で行き倒れていた所を救われた彼は、その恩に報いるべく、連日通いつめていた。
そうなれば、千佳の側でも無視するわけにはいかず、結局、団子と茶の報酬で、笹原の行為に報いることになったのだった。


”筆茶屋はんじょーき”


その日も”筆茶屋”は賑わっていた。
看板娘の千佳が、あちこち駆け回る。
そんな中、笹原はのんきに茶を啜っていた。
今日は一人ではなく、同じ長屋の住人である斑目が傍にいた。
「しかしよ、笹原。毎日毎日数本の団子と茶で、このように退屈を強いられるというのは、すこし安すぎはしないかね。お前ならもっといい仕事があるだろうに」
斑目が笹原の奢りの団子を口にしつつ、笹原に話し掛けた。
「そうでもないですよ」
笹原は苦笑する。
実の所、笹原自身にも、なぜこの仕事を続けているのかわからない。
ただ、彼女の力になりたい、そう思ったのだ。
笹原がその理由を知るのは、ずいぶんと先のことになる。

笹原と斑目の二人は、共に無言で茶を啜る。
ゆったりとくつろいだ雰囲気。
ろくに茶も飲めない貧乏浪人には、それが極上の甘露に思われた。
とはいえ、いつまでものんびりもしていられないのが、斑目の現実。
長屋の自分の部屋には、納期の迫った内職が待っている。
少々憂鬱になりながらも、
「ごちそうさん、また来るわ」
斑目はそう言い残して立ち上がり、長屋に向けて歩き出した。
「今度は奢りませんよ?」
笹原の軽口に笑って手を上げる。
やり取りに気を取られた所為か、斑目は向こうから歩いてきた、無頼な格好をした男と肩が触れた。
「失礼」
そう言って斑目は歩き出そうとする。
しかし相手は、斑目の肩を掴むと、顔面にこぶしを叩き込んだ。

斑目はもんどりうって倒れこむ。
「おう、人にぶつかっておいて、詫びの仕方もしらんのか?」
男が凄む。
「いや、だから失礼と…」
「それで済むわけがねーだろうが!」
大声で怒鳴りつける。
「おい、どうした」「なんかあったのか?」
その声を聞きつけたらしい、同じように無頼な格好をした男が集まってくる。
「ああ、人にぶつかっておいて詫びの一つもしない奴を、こらしめてんだ」
「ふん…確かに、逆さに振っても金の音もしねえ奴に見えるな」
「やっちまえよ」
男たちは、今だ状況について行けずに固まっている斑目の、胸倉を掴んで引きずり起こす。

笹原はようやく騒ぎに気付くと、慌てて立ち上がり、駆けつけようとして、
「やめんか!!」
凛とした女性の声に固まった。
それは笹原だけではなかった。
見渡せば、男たちも野次馬も、斑目まで固まっていた。
女が一人、男たちへ近づく。
「天下の往来で喧嘩か?まったく、見苦しい。どこか他でやれ」
女は自分よりも背の高い男たちを、真っ向から睨みつけて命令した。
「お嬢ちゃん。余計な事に口を挟まない方がいいぜ」
男の一人が、にやにやと笑いながら女に手を伸ばす。
女がその手を掴んだ瞬間、男は空中に弧を描き、背中から地面に叩きつけられた。
地面でのたうち回る。
「この女!!」
もう一人が殴り掛かる。
女はそのこぶしを難なく避け、足を払う。男がひざをつく。次の瞬間には首筋に手刀を食らって気絶した。
「そなたはどうする?」
女が問うと、残った男はいまいましげに顔をゆがめ、
「おぼえてやがれ!」
と、芸の無い捨て台詞を残して逃げ出した。

やんやの喝采の中、女はへたり込んでいた斑目を見下ろす。
「大事無いか?」
真剣そうな声に、斑目はただうなずく事しか出来なかった。
女の傍に、若い優男が近づく。
「咲ちゃん、危ない事はやめてよ。心配したよ」
「それなのに手を貸してはくれないのだな」
優男の笑顔での言葉に、咲と呼ばれた女はすねたように答えた。
「だって手を出したら、咲ちゃんは怒るし…あれくらいなら平気でしょ?」
「その物言いは気に入らん」
そのような会話を続ける二人を、斑目はぼんやりと見上げていた。
正確には咲だけを。
胸がうるさいほどに高鳴る。顔が赤くなる。呼吸すら忘れてしまう。
ふと咲が斑目を見た。斑目の様子に不審を感じたのか、心配そうに顔を近づける。
「本当に大事無いのだろうな?お主」
斑目はがくがくと首を縦に振る。

出番を無くしてしまった笹原も、二人を見つめていた。
正確には優男だけを。
何気ない動作一つ一つが、その男の強さを感じさせた。
自分の強さを確かめたい衝動が、笹原に沸き起こる。
吸い寄せられるように近づく。
優男と目が合う。
足を止める。
優男が無造作に近づく。一歩、また一歩。
そして笹原の間合いぎりぎりで足を止める。
睨みつける笹原に、優男は、無邪気な、一点のかげりも無い笑顔で、笑いかけた。
ごく一瞬の忘我。
気が付いた時には、すでに優男の足が間合いを割っていた。
呆然とする笹原に、優男は軽く一礼すると、背中を向けて咲の下へ歩いていった。
「何をしていたのだ?高坂」
「別に?」
二人のやり取りの声が遠い。
それほどに笹原は、自身のうかつさに憤慨していた。
同時に深く恥じ入る。
(気を逸らされた。もし実戦なら、俺は死んでいた。…くそ、なにが御宅流の目録だ。俺は、まだまだ、弱い…)

二人が去り、野次馬たちが散ってしまっても、笹原と斑目はいまだ固まっていた。
「あの…大丈夫ですか?」
荻上の声に笹原は我に返る。
「あ、ああ、大丈夫。ごめんね、心配掛けて…ほら、斑目さん」
言いながら、斑目を引き起す。
「別に心配なんてしてません」
荻上はぶっきらぼうに返すと、斑目の着物についた土ぼこりを払う。
「可憐だ…」
どこか遠くを見つめながら、斑目はぼそりと呟いた。