※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

はぐれクッチー純情派 【投稿日 2006/04/22】

カテゴリー-荻ちゅ関連


【ラテ欄】
容疑者は荻上さん?
それぞれの15年戦争、今決着の時!
朽木刑事、北に南に日本列島縦断ループ! 

作者注:
本作は、次のような前提条件で進行します。
①舞台は笹荻成就から10年後、つまりリアルタイムで言うと9年後の世界です。
②世界観は、以前書いた「11人いる!」に基づいています。(部室が屋上にある等)
③東北地方でのシーンが多いですが、東北弁は自信無いので基本言語は標準語です。
④なお原作との関連性については、5月号現在までの状況を前提にしてますので、もし先に6月号のネタバレが届いていて、そこで5月号の時点で考えられなかったような事態(斑目と咲ちゃんが結ばれたとか)が起こっていたとしても、当局は一切関知しません。



軽井沢にほど近いハイウェイを、一台のジープが走っている。
オープンカーではなく、金属の屋根や窓ガラスのある市販モデルだ。
やや黒っぽい灰緑色に塗られた車体は、陸自や米軍の車両に似ていて紛らわしい。
東北地方のX県のナンバーが着いていることからも分かるように、寒冷地仕様だ。
クリスマスも終わり冬休みに入っているにも関わらず、ハイウェイは空いていた。
例年ならこの辺りは、平日でもスキー客の行き来で混み合っている。
だが今年は地球温暖化のせいか、この時期になっても雪が降らないから、この空き方も無理は無かった。
やがてジープはパーキングエリアに入る。
ジープから長身痩躯の男が降りてきた。
黒のスーツに黒のソフト帽にグレイのコートという、半世紀前のギャングのようなその男の格好は、ジープの運転手としては違和感があった。
コートだけが少し毛色が違うのは、ロシア軍払い下げの将校用のコートだからだ。
大学時代から体脂肪率の殆ど変わらない、痩せ型ゆえに寒さが体幹にまですぐに浸透するその男にとって、シベリアの寒さに耐えられるという触れ込みのそのコートは有難かった。
男はコーヒーを飲みながら景色を眺めた。
紅葉が落ち、雪が無い山々の景色は無残だった。
だが男の脳内では過去に見た景色が再現されているらしく、懐かしそうに景色を眺める。
「あれから10年か…」
男はクッチーこと朽木学だった。
彼は合宿で彼の地に訪れた10年前、それがきっかけで結ばれたひと組の男女に思いを馳せていた。
そして沈痛な面持ちになった。
これからの自分の行動は、もしかしたら2人の幸せを壊すことになるかもしれない。
だがすぐさまその思考を打ち消した。
そうじゃない、俺はむしろ2人の幸せを守る為に行くんだ。
そう思うことで自らを奮い立たせ、再びジープを発進させた。
「2年ぶりの東京か…」
ジープは東京方面に向かっていた。

彼が何をしに東京に向かっているのか?
それを説明する前に、少し長くなるが彼が卒業してからの8年間を振り返ろう。
クッチーは卒業後、警察官になった。
当初は普通の会社に就職する積りだった。
(もっとも働きながらジュニア小説を書いて、それがものになったら辞めるつもりだが)
だが彼は就職に関しては運が悪かった。
行く先々の面接担当者が年配者ばかりで、しかもオタクに偏見を持った人ばかりだった。
つまり現視研に所属していた経歴は大きなマイナス材料になった。
ある会社の面接の時など、あからさまに犯罪者予備軍呼ばわりされ、キレて乱闘沙汰になってしまったぐらいだ。
すっかり就職活動に行き詰まり、とりあえず派遣かバイトで食って行こうと考えていた矢先、転機が訪れた。
ある日ひったくり事件の現場に遭遇したのだ。
犯人はクッチーの方に逃げてきた。
クッチーはその前に立ちはだかった。
犯人はナイフを出して切りつけてきた。
とっさに避けたものの上着の袖が切れ、同時にクッチーもキレた。
手刀でナイフを持った腕を叩き折り、顔面に正拳を叩き込み、倒れたところで足を振り上げて顔面を踏み潰す。
さらに完全に気絶したひったくりに馬乗りになって、顔面に正拳を連打し続ける。
警官が駆け付けるのがあと1分遅かったら、犯人は死んでいたところだった。
多少過剰防衛気味ながら、クッチーは犯人逮捕のお手柄で表彰された。
表彰状を渡した警察署の署長は彼のことを気に入り、警官になることを勧めた。
彼の勧誘はかなり熱心で、その後もたびたび電話があり、ある時などわざわざ菓子折りを持ってクッチーの部屋を訪ねたりもした。
警察というところは慢性的に人手不足なので、時折この署長のように見込みのある若者に対しては熱心に勧誘する人がいるようだ。
「『こち亀』の両さんみたいに、交番でゆるりとオタライフというのも悪くないかも…」
就職に行き詰まり弱気になっていたこともあり、クッチーは警官の採用試験を受け、見事に合格した。

これで働きながら小説が書けるとひと安心したクッチーだったが、現実は彼の思うように行かなかった。
交番勤務の警官は忙しい。
ここ数年、日本の治安はどんどん悪くなっていて、小さな事件はしょっちゅう起きている。
それに加えて、予想した以上にいろいろな理由で警官を呼ぶ人が多い。
何しろ「蝉がうるさい」ってな理由で110番する人がいるぐらいだ。
だから交番に居る時間が1日に1時間も無い日も珍しくない。
「いい加減これでは小説が書けないにょー」と閉口するクッチー。
だがそんな思いとは裏腹に、根は真面目で正義感が強く、その一方でキレやすいクッチーは、現場では勇猛果敢に突撃した。
それに加えて、どうも彼には犯人を引き寄せる何かがあるらしく、指名手配中の犯人を逮捕したり、現行犯で犯人を逮捕したり、自分でも信じられないほどの活躍ぶりを見せた。
まあそのたびに犯人をボコボコにしてしまい病院送りにしていたが、マスコミの論調は一部の左翼系新聞を除いて好意的で、ある雑誌などは特集を組んだりした。
凶悪な事件が続発する昨今、時代は犯罪に厳しい警官を求めていたのだ。
このクッチー人気に本庁が乗り、彼は刑事に抜擢された。
2年ほど警視庁管内のある警察署に配属され、その間にも次々と犯人を逮捕した。
そこですぐに本庁の捜査一課に配属され、そこでも活躍した。

だが一方で、それを面白くないと思う者もいた。
以前から本庁にいた刑事たちだ。
彼らは概ね出世志向とエリート意識が強いので、ぽっと出のクッチーに異常な敵意を抱いていた。
クッチーに逮捕された犯人の多くは、警察病院の病室で筆談で取り調べに応じる。
彼の逮捕とは、拳足を犯人に叩き込み、ダウンしたところを顔か腹を踏み潰し、マウントパンチを連打することと殆どイコールだからだ。
毎回毎回、歯や顎を破壊されて喋れない容疑者の取調べに、いい加減刑事たちもキレかけていた。
そして事件は起きた。

ある時、クッチーは捜査方針を巡ってベテラン刑事たちと口論になった。
先にキレたベテラン刑事が殴った。よせばいいのに、何発も殴った。
それが惨劇の始まりとなった。
待機中の機動隊員たちにクッチーが取り押さえられた時には、捜査一課の全刑事の6割が病院送りになった。
このことが問題になってクッチーは刑事以前に警官をクビになりかけた。
「まあ警備員でもやりながら、のんびり小説書くかにょー」
だがまたもや事態は思い通りには行かなかった。
今は東北地方のX県のY署で署長をやっている、かつてのクッチーの上司が彼の資質を惜しんで本庁に掛け合い、自分の署で引き取ることを条件にクッチーの処分撤回を勝ち得た。
こうしてクッチーはY署の防犯係に勤務することになった。

クッチーにはこの半月ほど追い続けている事件があった。
Y署管内で3件の路上強盗事件が連続して起こった。
事件は3件とも、夜の9時頃に人通りの無い道で発生した。
(その為目撃証言は殆ど得られていない)
被害者はいずれも30歳の主婦で、パートの帰りだった。
犯行の手口はいずれも、物陰からいきなり催涙スプレーを被害者にかけ、鉄パイプのような鈍器で滅多打ちにしてから財布を奪うという荒っぽいものだった。
被害者は最初の2人は全身の打撲や骨折だけで済んだが、3件目の被害者だけは頭を殴られて意識不明の重体だった。

そして3件目の事件の後の、Y署での捜査会議。
係長「そういうわけで、引き続き物盗りの線で捜査を続行する」
何事も無難にまとめようとする、交番勤務からの叩き上げの係長らしい結論だった。
確かに3件の事件は、いずれも財布を奪われている。
そう結論付けることに無理は無い。
だがクッチーは食い下がった。
朽木「ほんとにただの物盗りですかね?」
係長「出たね、クッチーの引っかかりが。で、今回は何が引っかかるの?」
係長はクッチーが赴任してきた当初は「朽木君」と呼んでいたが、ある時舌を噛んでしまい、その後「呼びにくいからクッチーでいい?」と断った上でこう呼ぶようになった。
朽木「3件の強盗致傷事件の被害者が、いずれもパート帰りの30歳の主婦。偶然にしては続き過ぎませんか?」
係長「何が言いたいの?」
朽木「被害金額は1件目から順に8千円、千5百円、7百円。犯行を重ねるに連れて犯人の収穫はむしろ減っています。もし金目当ての物盗りなら、3件目ともなれば手慣れてくることもあって、もっと金持ってそうな人を狙うと思うんです」
年配の刑事が同意する。
(以下「年配」または「年配刑事」と呼称する)
年配「確かに3人とも、パート先に行って帰ってくるだけだから、割とラフな格好だったな。もし金目当てなら、ちと的外れな選択だな」
係長「たまたま被害者しか通らなかったんだろ。どの現場も、あの時間は1時間に5人も通らないし」
朽木「そこなんですよ、もう1つ引っかかってるのは」
係長「どこ?」
朽木「物盗り目的の犯行なら、田舎とは言えもっと人通りの多い場所は他にあります。何故犯人はあんな人通りの少ないとこで待ってたんでしょう?」
クッチーより5つほど若い、若手の刑事もクッチーの推理に乗った。
(以下「若手」または「若手刑事」と呼称する)
若手「それはつまり、たまたまではなく被害者を最初から狙ってたと?」
朽木「その可能性も捨て切れないよ」

係長「うーん…クッチー、他に被害者3人に何か共通点はあるかい?今のところ分かってる共通点だけじゃ弱いよ」
朽木「うーむ…」
そこで電話が鳴る。
係長「(電話に出て)はい防犯係…ちょっと待って下さい。クッチー、電話だ」
クッチーの席の内線電話に切り替える。
朽木「はいお電話代わりました、朽木です…あっ、ご主人。どうですか奥さんの具合は?…何ですって!」
クッチーの方を注目する一同。
朽木「…分かりました。わざわざありがとうございました(電話を切る)」
係長「誰から?」
朽木「第一の事件の被害者の旦那さんです」
係長「それで何だったの?」
朽木「三つの事件の被害者は全員隣のZ町のZ中学の同級生で、しかも全員文芸部だったらしいんです」
どよめく一同。
係長「でも何でまた今ごろ?」
朽木「第二の事件までは、マスコミの扱いも小さかった上に結婚して姓が変ってたので、まさか同級生とは思わなかったらしいんです」
若手「でも3人目の被害者は重体だった為にマスコミも大きく扱い、顔写真も公表された」
朽木「そう。その報道で第三の事件の被害者が同級生であることに気付き、通院してる病院に入院していた第二の事件の被害者に会いに行ってみたら、そっちも同級生だったって訳だ。係長、こりゃ調べてみる必要ありますよ!」
係長「よし、被害者の身辺の調査は君に任せる。(若手に)君は彼に付いて行け。後の者は
現場周辺で聞き込み続行、以上、解散!」


クッチーの愛車でZ町に向かうクッチーと若手の刑事。
若手「でもいいんすか?」
朽木「ん?」
若手「自分もZ町出身でZ中卒なんすけど、あの町って今凄くさびれてて、農家やってる人と都会に出た人以外はみんなY町で働いてるんすよ。そんでそのままY町に引っ越しちゃう人も多いから、今のY町の人口の3割ぐらいはZ町出身者っす」
朽木「つまり3人が同じ中学出身なのも偶然だと?でも3人とも元文芸部員というのは、どう説明する?」
若手「うーん、そう言えば…」
朽木「まあ違っていたら、それはそれでいい。だが疑わしい要因があるのなら、それを調べるのが俺たちの仕事だ」
若手「でもそれってムダじゃありません?」
朽木「真実に辿り着く為に、ある程度のムダを土台に積み上げるのも仕事の内だよ」
若手「朽木先輩って、思ったよりも思慮深い方なんすね」
朽木「犯人を力づくで捕まえて、殴る蹴るして吐かせる。そんな感じだったのかな?俺の印象って?」
若手「いえ、そんな…」
朽木「いいよ、分かってるから。何しろ俺は、元本庁の凶悪凶暴狂犬刑事なんだから」
若手「…」
朽木「俺がそうなるのは、最終的な局面だけさ。何しろ俺の逮捕は『取り返しの付かない事態』と紙一重だからね」

Z中学の校長室。
60代ぐらいの僧侶のように綺麗に頭の禿げ上がった教頭先生が出迎えてくれた。
校長は県の教育委員会に出てて不在だという。
教頭「ここも今では1学年1組で、来年か再来年には隣のY町の学校に統合されて廃校になるでしょうな。まあ私も定年までもう少しありますが、ここが廃校になったら引退でしょうな」
「そんな話を聞きに来たんじゃ無いっす」と言いたげな若手刑事を止めるクッチー。
年寄りには先ず喋りたいだけ喋らせる、それがこちらの必要な情報を引き出すのに必要な手続きと、クッチーは考えていた。

教頭「実は私、15年ほど前にもここで教師やっとったんですが、いろいろあって転勤になったんですわ。それが教頭になって戻って、ここの死に水取る役目を負うことになるとは、何とも因果な話ですわ」
クッチーの眼が光る。
朽木「15年前にもこちらにいらしたのですか?」
教頭「まあ正確には、20年前ぐらいから5年ほどですが…」
朽木「実は今日伺ったのは、先ほども電話で言いました通り、およそ15年前―正確には14年前ですか―にこちらを卒業した3人の女性についてお伺いする為なんです」
被害者の写真を教頭に渡すクッチー。
朽木「見覚えはありますか?」
教頭「この太いのは藤本だな…あとの2人は…名前がちと出てこんがみんな文芸部だな…」
若手「やっぱり…」
本棚から卒業アルバムを取り出し、2人に開いてみせる教頭。
教頭「(アルバムの写真の一枚を指差し)これが文芸部の集合写真ですわ。もっとも、この年に全員卒業して廃部になりましたがのう」
昔ながらのセーラー服を着た女子5人の集合写真。
その内の3人は、確かに被害者の女性だ。
藤本と呼ばれた太めの少女は、あまり外見が変らない。
あとの2人は髪型と化粧のせいで、ひと目では分かりにくいが、確かに被害者たちだ。
残る女子2人を見るクッチー。
1人は眼が大きく、なかなかの美形だ。
にこやかな表情だが、その眼は笑っていない。
どこか酷薄なものを感じさせる。
もう1人は小柄で丸顔で、ツインテールの髪と丸い眼鏡が印象的な大人しそうな少女だ。
朽木『この子、どっかで見たような…』
写真の下に書かれた名前を見て、心の中で驚愕する。
朽木『荻上千佳…荻チン?』
クッチーの視線の先に気付いた教頭。
教頭「その子が何か?」
朽木「いえ…別に…」

教頭「無事なのは荻上と中島だけか、何の因果なのか…」
急に暗い顔になる教頭。
教頭「実は私が転勤することになったきっかけを作ったのが、その子たちなんですわ…」教頭は荻上さんのトラウマエピソードを話し始めた。
それはかつて「傷つけた人々へ」で読み、荻上さん本人からも聞いた内容と同じだった。
違うところと言えば、その事件の責任を取って、現在は教頭をやってる当時の担任の先生が転勤になったことだ。
教頭「まあ表向きは単なる転勤ということになってるが、単なる転勤なら他県までは行きませんからなあ。やはり事情が事情ですから、誰か責任を取れということなんでしょう」
ふと朽木たちの視線に気付いたのか、教頭は笑顔を作って続けた。
教頭「あ、でも、もちろん彼女たちを恨んだりはしてないですよ。気付いてやれなかった私にも責任はありますし、全てはちょっとした悪戯から始まった、不幸な行き違いなんですから…」
そこでノックの音がした。
教頭「どうぞ」
入ってきたのはジャージに坊主頭の、一見生徒のように見える若い教師だった。
彼こそはかつて荻上さんと巻田の縁結びを務めた、あの坊主だった。
(以下、坊主と呼称する)
坊主「失礼します。教頭、校長からお電話です」
教頭「分かった、すぐ行く。(クッチーたちに)ちょうどよかった、紹介しましょう。彼はここの体育教師なんですが、ここの卒業生でその文芸部の連中と同じクラスで、例の一件の当事者でもあります」
朽木「てことは、まさか攻め役の…」
顔付きが厳しくなる坊主。
教頭「そんなわけで、あとは彼に聞いてて下さい」
校長室を出る教頭。

やや気まずい3人。
坊主「刑事さん…でしたね?」
朽木「ども、Y署の防犯係の者です…」
テーブルの上の被害者3人の写真を見る坊主。
坊主「こいつらが、例の強盗事件に?」
若手「ええ」
坊主「…いい気味だ」
若手「えっ?」
朽木「あなたは15年前、文芸部の同人誌の攻め役モデルにされたことを、まだ恨んでるのですか?」
若手「攻め役?」
坊主「俺のことはいい。ただこいつらが巻田を登校拒否に追い込んだことは許せない」
朽木「巻田さんも彼女たちを今でも恨んでるでしょうか?」
坊主「それは分かりません。何しろあいつ、転校してしばらくして引っ越しましたからね。もうずっと会ってないし、どこでどうしてるのやら…」
不意に壁を殴る坊主。
ビクッと反応する若手。
坊主「それなのに荻上のやつ、あのことを漫画のネタにしやがって。自殺未遂までやらかしたくせに、まだ反省してないのかよ」
朽木「それは違うと思いますよ」
坊主「何だと?」
朽木「多分荻上さんは、漫画にすることで巻田さんに謝りたかったんじゃないかな?少なくとも自分に悪気が無かったことを知らせることで、巻田さんが許すかどうかは別にして、
少しでも救われると思ったんじゃないかな?」
いきなりクッチーの胸ぐらを掴む坊主。
坊主「事情を知らないあんたに何が分かるんだ!?」
若手「こっ、こらっ!公務執行妨害で…」
言いかけた若手を手で制するクッチー。
朽木「分かるよ。私も荻上さんと同じオタクだからね」

坊主「あんたが?」
長身痩躯の体をスーツに包み、細面の馬面ながら目付きの鋭い目の前の男に、思わず疑問を抱く坊主。
朽木「あなたも読んだんでしょ?『傷つけた人々へ』は。私はあの作品のファンでね、だから断言出来るんです。彼女はあの作品を通じて彼に謝りたかったんだと」

それから数十分後、クッチーは荻上さんと中島、それに巻田の中学生の時点での連絡先を確認し、アルバムから写真のコピーを何枚か取った。
念の為に教頭と坊主のアリバイを聞き出してからZ中学を後にした。
荻上さんの現住所は、以前に結婚の報告の葉書きをもらったので後で帰宅してから捜すことにして、巻田と中島の家に向かう。
だが両方とも近所に連絡先も告げず、夜逃げ同然に引っ越していた。
巻田は例の事件の後、すぐに引っ越したらしい。
中島の方は、10年ほど前に父親の経営する会社が倒産したらしい。
あとこれは噂だが、中島は歌舞伎町の風俗で働いているらしい。
近所の聞き込みで分かったことはそれだけだった。
帰りに役所に寄って、巻田や中島の転居先を調べた。
だが役所は5年ほど前にデータベースをコンピューターウィルスにやられ、彼らの転居データは分からなかった。

その夜のY署での捜査会議。
係長「しかしねークッチー、わたしゃヤオイってのはよく分からんのだけど、15年前の事件だろ?それが動機になり得るかなあ?」
朽木「それはまだ何とも。ただいじめの被害者の気持ちは被害者にしか分からないし、関係者が3人も今回の事件の被害者である以上、一応洗い直す必要があると思います」
係長「うーむ…」

係長が何を渋っているか悟ったクッチー、助け舟を出した。
朽木「係長、忙しいとこすいませんけど、有休もらえませんか?」
要は係長、捜査費用の心配をしてるのだ。
行方不明の巻田や中島の捜索で、どこまで捜査の範囲が広がるか分からない。
だからクッチーは言下に、交通費は自腹で捜査すると宣言したのだ。
若手「先輩?」
年配「おいおい朽木、この忙しいのに…」
クッチーの意図を悟った係長、皆を制して答えた。
係長「分かったよ、クッチー。お土産頼むよ(近付いて耳元で小声で)土産代ぐらいは出すよ」
それは「後で交通費ぐらいは出すよ」という意味だった。
朽木「(敬礼)ありがとうございます」

前置きが長くなったが、こうしてクッチーは愛車で単身東京に向かった。
巻田と中島の行方の捜索は、若手の刑事に頼んでおいた。
ちなみに彼が軽井沢周辺を走っていたのは、最近の激務のせいで運転中に1時間ばかり脳が停止し、反射神経だけで運転を続けた結果であった。
本来彼の住むX県から東京へ行くには、軽井沢の近くを通るのは明らかに遠回りだった。

どうにか東京に着いたクッチーは、先ずは椎応大学に向かうことにした。
笹原と荻上の結婚式の招待状には、新しい住所と共に新しい電話番号も書かれていた。
どうやら結婚に伴って、携帯は家族割引のあるところに加入し直したらしい。
だが忙しさにかまけて自分の携帯に登録し直すのを忘れてて、いざ見ようとしたら引越しのドサクサで何処かに紛れ込んでしまった。
まあそんなことは、電話で大学に問い合わせても分かるから、本来ならわざわざ直接行く必要はない。
その分はハッキリ言って、8年ぶりに大学に行ってみたいというクッチーの私的な感情からだった。

久しぶりの大学は閑散としていた。
まあ冬休みだからだろうが、それにしても人の気配が少ない。
サークル棟の外観は変ってなかった。
もともと古くボロい建物だったから、8年ぐらいでは変らない。
ただ中に入ると旧現視研部室同様、板を打ち付けて閉鎖されている部室が増えていた。
それに廊下の突き当たりの行き止まりに、エレベーターがあるのには驚いた。
車椅子のイラストのマークがあることから、バリアフリーということなのだろう。
エレベーターはどうやら4階までのようだ。
どのみち現視研の部室は屋上だから、その先は階段を登らねばならない。
クッチーは階段を登り始めた。
彼は普段、なるべく階段を使うようにしていた。
不規則で多忙な生活ゆえに、体力トレーニングをサボりがちなことに対する気休めだった。

屋上のプレハブの部室は、さすがに年月のせいで錆や傷や汚れは増えたが健在だった。
窓から明かりが見えるから、誰かいるようだ。
8年ぶりにその扉を開け、例の挨拶をした。
朽木「こにょにょちわー」
そしてクッチーは、8年ぶりに派手にずっこけた。
8年前と同じように、斑目が平然と食事をしていたからだ。
朽木「まっ、まっ、斑目しゃん?」
狼狽するクッチーと対照的に、当然のような顔で落ち着いている斑目。
斑目「やあ朽木君、久しぶりだね」
朽木「まっ、まだいらしたんですかにょー?」
斑目「そりゃいるよ。だって俺、ここの学生課の事務員だもん」
朽木「じむいん?すっ、水道屋はどしたんすか?」
斑目「3年前に潰れた。そん時にたまたまここの事務に空きがあったんで潜り込んだ」
朽木「そ、その作業着は何ゆえ?」
斑目は相変わらず「(有)桜管工事工業」のロゴが入った作業着を着ていた。
斑目「ああこれ?けっこう気に入ってたんで記念にもらったんだよ。それに俺、この大学の営繕やメンテも兼任してるから」
朽木「営繕にメンテ?用務員っすか?」
斑目「水道屋でいろいろ覚えたからな。あの会社、末期の頃は水道関係の仕事だけじゃやってけないから、いろいろ手を広げてたんだよ。そんで資格たくさん取った。まあ大学もそれが気に入ったんだろうな」
朽木『この人、とうとう本格的に大学に居着いちゃったにょー…』

しばし久々にオタ談義をする斑目とクッチー。
だがここ数年、仕事が忙しくて新作の大半をスルーしているクッチーに対し、「あんたそんなもんまで見てるのかよ!」とツッコミたくなるぐらい、斑目はここ10年ほどの作品を次々話題に出してくる。
クッチーが話に付いて行ける所まで時代を遡ったその時、部室に女子学生が入って来た。
「(クッチーに、一瞬誰この人?な顔しつつも愛想よく)こんちわー(斑目に)あなたー、ここにいたのー?」
朽木「あなた?斑目さん、こっ、この方は?」
斑目「あー、うちのカミさん」
朽木「カミさん?!」
斑目「うん、そんで今年ただ1人の新入生」
改めて女子学生(以下斑嫁と称する)を見るクッチー。
小柄で少し太めで決して美人ではないが、童顔の丸顔は可愛らしい。
かつての荻上さんのように化粧気が無く、ほっぺの赤みが目立つ。
難点は少々お腹が出過ぎていることぐらいか。
斑目「(斑嫁に)ああ、彼は俺の2個下の朽木君」
斑嫁「どーも、斑目の妻です。始めまして」
朽木「ども、始めまして。『1年生と言えば18歳か19歳ぐらいだな。斑目先輩って確か今年33歳だったよな。犯罪だにょーそれ…』」

斑目「朽木君って、今警視庁だっけ?」
朽木「いやーいろいろやらかしまして、東北に飛ばされましたにょー」
斑目「それはお気の毒様。とすると、今日はどうしたの?里帰り?」
捜査のことをここでバラす訳には行かず、クッチーはごまかした。
朽木「まっ、まあそんなとこですにょー。他の皆さんはお元気ですかな?」

斑目はクッチーにみんなの近況を教えてくれた。
咲ちゃんは店がそれなりに繁盛していた。
高坂は独立してゲーム会社を立ち上げた。
2人とも忙しいせいか、付き合いは続いているものの結婚はまだだ。
田中は秋葉原のコスプレ専門店で働いていたが、最近独立して自分の店を出した。
大野さん(厳密には結婚したので田中さんだが)は卒業後OLをやってたが、子供ができたのを機に退職し、今では田中の店を手伝っている。
(もちろんコスプレで)
久我山は九州の支店に転勤、支店長としてだから一応栄転だ。
向こうで見合いして結婚したそうだ。
そして問題の笹原と荻上さんだが、結婚し出産した後、荻上さんは漫画家稼業を再開、笹原は派遣の身分ながらマガヅンの実質的な副編集長らしい。
ちなみに恵子はあちこちでフリーターをしていたらしいが、ここ数年は知らないとのことだった。
(この話の流れで、クッチーはごく自然な形でOB名簿をもらった)

朽木「ところで今会員はどれぐらいいるのですか?」
斑目「うちのカミさん入れて5人、かろうじて団体戦に出れる人数だ」
斑嫁「何の試合に出るのよ?」
斑目「もっとも今の会長ともう1人の3年生は来年就職だから、残るのは2年生2人だけだ」
朽木「あの、奥さんは?」
斑嫁「来年から休学しますんで」
朽木「そりゃまたどうして?」
斑嫁「(赤面し)産休です」
朽木「あー産休ねえ…(大声で)39セットでサンキューベラマッチャ!」
久々に意味不明なボケを放つクッチー。
朽木「と、ということは、そのお腹は…まっ、斑目さん…」
斑目「まあ、来年の6月頃には俺も親父だ」
朽木『6月頃ということは妊娠4ヶ月…ということは、仕込んだのは8月頃…ひと夏の経験?あの斑目さんが?』

斑嫁「まあそんな訳で、来年は新人入らないと真剣にヤバイです、現視研」
朽木「確か今年は奥さんだけでしたな、新入生」
斑目「うちはまだいい方さ。よそのサークルはここ2年ばかし新人ゼロのとこが多くてね」
朽木「それはまた何故…?」
斑嫁「ここ3年ほど連続で、うちの大学定員割れなんです」
斑目「いわゆる少子化というやつの影響さ」
朽木「そう言えば、封鎖された部室がたくさんありましたなあ」
斑目「まあうちも何時まで続くかは分からんよ。うち以前に大学そのものが何時までもつか分からんからな」
やや空気が辛気臭くなったことに気付いた斑目、強引に話題を変えた。
斑目「(斑嫁に)あっそういやあいつら、今日もやってるのか?」
斑嫁「ええ、会長の家で合宿中」
朽木「合宿?」
斑目「合宿って言うか、いわゆるカンヅメだよ。今度の冬コミ、あいつらサークル参加当選したんだけど、絵描き2人が久我山以上に仕事遅くてさ、原稿まだ出来てねえんだよ」

朽木「あの、冬コミは何時ですかな?」
斑目「(壁のカレンダーを見て)えーと、4日後だな」
朽木「4日後でまだなんすか?(冷や汗)」
斑嫁「だから印刷屋さんは無理です」
斑目「もっとも予算の都合で最初からコピー本の積もりだったから、そっちの方は問題無いけどな」
朽木「そういう問題では…」
斑嫁「まあ最近のプリンターは性能いいから、絵そのものは悪くない仕上がりになると思いますよ。もちろん装丁とか紙質は落ちますけど」
11年前、部室の外で聞いた怒鳴り合いを思い出しつつクッチーは呟いた。
朽木「人は同じ過ちを繰り返す、か…」
斑目「朽木君、オタさぼってたようなこと言ってた割には腕上げたじゃない」

クッチーは部室を後にした。
次に来る時には廃校になってるかもしれない、椎応大学のキャンパスを見つめる。
斑目に会い、みんなの近況を知ると、改めて今回の捜査に対して気が重くなる。
沈鬱な表情でキャンパスを見つめ続けていると、背後から声がかかった。
「朽木君?」
声の主は、かつての児童文学研究会の会長(以下児会長)だった。
朽木「お師匠様?」
児会長「お久しぶり」
朽木「何時アメリカから戻られたのです?」
児会長はクッチーの卒業後、アメリカに留学していた。
児会長「去年よ。今はここで助教授をやってるわ」
朽木「さすがお師匠様、その若さで助教授ですか」
児会長「もう若くないわよ。朽木君はまだ警視庁に?」
朽木「いやーいろいろやらかして、東北に飛ばされちゃいました」
児会長「相変わらずね。小説は書いてるの?」
朽木「忙しくてなかなか作品が上がりません。まあ定年後の楽しみですな」

児会長はクッチーの中の重い影のようなものに気付いた。
児会長「何かあったの?」
彼女の優しい笑顔を見ている内に、クッチーはつい今回の事件について話してしまった。
それでも話し終わった後、「捜査中ですので、くれぐれも内密に」と釘を刺すことは忘れなかった。
児会長「まあ部外者の私がああしろこうしろとは軽々しく言えないけど」
朽木「申し訳ありません。変な話に巻き込んでしまいまして」
児会長「私に言えることは、やらないで後悔するぐらいなら、やって後悔しなさい。これぐらいかな」
朽木「お師匠様…」
児会長「こういう時こそ、あなたの考える前に行動するウザオタパワーの出番じゃないかしら?非日常的なハレの場とはちょっと違うけど、いつも通りにやってていい展開ではないと思うわ」
朽木「そうか!お師匠様に教わった『明日の為にその1、ウザオタパワーはハレの場で一気に爆発させるべし!』」
児会長「私は丹下段平じゃないんだけど、まあそういうことね」
朽木「お師匠様のおかげで朽木学、目が覚めました!ありがとうございました!任務に戻ります!」
敬礼して立ち去るクッチー。
児会長は皇族の人のような優雅な仕草で手を振りつつ、それを見送った。

夜の新宿、歌舞伎町。
クッチーはこの町の裏事情に詳しい情報屋や、馴染みの風俗(刑事としてか客としてかは、ここでは触れない)の店員や店長に聞き込みを行なった。
何人か中島らしき女性に見覚えがあるとの証言を得たが、結局のところ今現在の居所は分からなかった。
「あんまし良かないけど、あそこで訊いてみるか…」
クッチーは「花形興業」という看板が掲げられたビルに入った。
暴力団・花形組の事務所だ。

朽木「ちとお邪魔するよ」
組員A「何だてめえ!」
組員B「(組員Aに)よせっ!(クッチーに)ご用件は?」
朽木「社長はいるかい?」
そこへ出てくる幹部の城崎(きざき)。
城崎「朽木の旦那じゃないですか。今日はどうしたんです?」
組員B「社長との面会をご希望です」
城崎「社長は不在ですので、私が伺いましょう」

事務所に通されるクッチー。
朽木「社長はまたどっかで喧嘩でもやってるのかい?」
2メートル近い巨漢で、クッチーとほぼ同年輩の若き組長は、極道世界では素手ゴロ(素手の喧嘩)日本一と言われていた。
城崎「(苦笑)まあそんなとこです」
朽木「あんまし派手にやるなよ」
城崎「その辺はぬかりありません。で、ご用は?」
朽木「実はこの女を捜して欲しい」
写真を取り出すクッチー。中学時代の中島の写真のコピーだ。
朽木「裏に名前その他は書いてあるが、変名を使ってる可能性が高い。あとそれは15年前の写真だから、今はもうちょっと老けてると思う」
城崎「それをまた何故うちに?」
朽木「10年ぐらい前に、歌舞伎町の風俗に身を沈めたことまでは分かってるのだが、その先が分からない。ここならその道にもコネがあると思ってね」
城崎「うちに頼むってことは…」
朽木「正規の捜査からはちと外れるから、本庁には依頼出来ない。俺今X県警だから」
城崎「そんな東北の片田舎から何でまた?…いや、すいません」
朽木「俺の個人的な事情もちと入ってるんでね、ひとつ頼むよ。礼はするから」
片手拝みするクッチー。
城崎「分かりました、旦那には借りもあるし」
朽木「あとついでに、もうひとつ教えて欲しいんだけど…」

夜の池袋。
路地裏を歩く、人相の悪い男。
背後に人の気配を感じて振り返る。
だが次の瞬間、鳩尾を殴られて気絶する。
殴ったのはクッチーだ。
気絶した男の懐をさぐる。
拳銃が出てきた。
旧ソ連製のトカレフだ。
朽木「ありがたい。中国製はここ一番で当てにならんからな」

殴られた男はチャイニーズマフィアのメンバーだ。
城崎から聞いたのだ。
もっとも、拳銃を所持していたのを見破ったのはクッチーのヤマカンだが。
彼は明日荻上さんに会いに行く。
荻上さんは容疑者であると同時に、次に狙われる可能性もあった。
大概の相手は1対1なら何とか出来る自信はあるが、今は1人きりなのであらゆる可能性を考えて置かねばならない。
だから飛び道具も用意しておきたかった。
だが建前上、有休中の彼が正規の手続きで拳銃を所持することは出来ない。
そこでこういう非常手段を取ったのだ。
あとは男を捕まえない代わりにしばらく借りておき、後で所轄署に落し物として届けておけばいい。
もっともこれから何日かは「ついうっかり」届けるのを忘れてる予定だが。

気絶した男は、ショルダーホルスターを着けていた。
クッチーは男の上着を脱がせてホルスターを外し、上着を着せ直す。
次に自分の上着を脱ぎ、ホルスターのベルトを調整しつつ着ける。

男の懐をさぐると、予備の弾丸や弾倉もあった。
それらを自分のポケットに仕舞うと、クッチーはトカレフから弾倉を抜き、スライドを引いて装填されていた弾丸を弾き出す。
弾き出した弾を拾い、さらに弾倉からも弾を抜く。
ポケットからスイスアーミーナイフを出し、その千手観音のような付属の道具の中からヤスリを出し、それらの弾の先端を雑に削り、薬莢も少しだけざっと削った。
(ちなみに彼のナイフは、意図的に少し刃こぼれさせてあった。「研ぎに出す為に持っていた」と言い訳する為だ。銃刀法によれば、厳密にはこの手のナイフは正当な理由無しに持ち歩くことは出来ない)
こうしておけば弾はダムダム弾のように命中した途端に潰れ、貫通しにくくなる。
トカレフの弾はきわめて弾速が速く、そのくせ口径が小さいので貫通しやすい。
貫通による二次被害を防ぐ為の措置だった。
ただ、これを意図的にやったとなると問題になる。
ダムダム弾は本来銃創を広げて殺傷力を高める為のものだからだ。
(まあそれ以前に、ヤクザから拳銃奪って使ってる時点で問題だが)
そこで「たまたま弾丸の保存が悪くて傷だらけになり、それが偶然ダムダム弾になった」と言い訳出来るように、わざと雑に仕上げたのだ。
(注意、実際にやると装填不良や銃身破裂になりかねないので、良い子はマネしないように)
弾倉に削った弾丸を装填すると、トカレフ本体に叩き込んでホルスターに仕舞う。
わざと薬室には装填しない。
本来トカレフのように撃鉄を露出した自動拳銃は、スライドを引いて薬室に弾を装填し、その後撃鉄を抑えつつ引き金を引いてゆっくりと倒し、安全装置をかけて持ち歩く。
これなら抜き撃ちの際、親指で安全装置を外し撃鉄を起こして発射出来る。
だがトカレフには安全装置が無い。
撃鉄を半分だけ起こして固定するハーフコック機構だけでは心もとない。
それに警官は自動拳銃を所持する際、暴発事故防止の為に通常薬室には装填しない。
生真面目な男クッチーは、こんな場合にも関わらず警官の拳銃取扱細則を厳守していた。

ジープの車内で一夜を明かしたクッチー、午前中はあちこちへの聞き込みや連絡に費やし、午後になってから笹原宅に向かった。
笹原のマンションは、神田に近い都心部にあった。
神田には出版社が集中している。
通勤の便利さで選んだらしい。
夫婦共稼ぎで、しかも嫁はんは売れっ子漫画家である、笹原夫妻ならではの選択だ。
インターホンのボタンを押すと、明らかに荻上さんと違う女性の声。
「どなた?」
朽木「ご無沙汰しています、朽木です」
「朽木?あんたクッチーなの?」
朽木「はいっクッチーですにょー、ってあなたは一体?」
相手はそれに答えず、ドアが開いた。
出て来たのは恵子だった。
朽木「恵子さん?」
10代の時の不摂生が祟ったのか、恵子は30前にしては老け込みが目立った。
肌が荒れ気味で髪にサラサラ感が無い。
ただ顔付きや体付きにあまり変化は無かった。
恵子「おお、久しぶり。元気?」
朽木「まあおかげ様で、って何であなたがここに?」
恵子「家事手伝い兼アシスタントよ」
朽木「あしすたんと?」
恵子「まあベタとホワイト塗ったり、トーン貼ったりするだけだけどね」
「おばちゃん、誰?」
奥から子供の声が聞こえた。男の子のようだ。
恵子「おばちゃん言うな!あたしゃまだ29だ!」
声の主が出てきた。小学校低学年ぐらいの男の子だ。
ぼさぼさの髪や大きめの鼻は笹原似だが、大きな目は荻上さん似だ。

恵子「ほら麦男、お客さんに挨拶!」
麦男「分かったよ、恵子お姉ちゃん(クッチーに)こんにちわ」
朽木「(ニッコリ笑い)こにょにょちわー『麦男?』麦男君は何年生なの?」
麦男「1年生」
朽木「そう1年生なんだ『てことは7歳ぐらいか。荻チン卒業前にもう作ってたんだな』」
奥からもう1人、3歳ぐらいの幼女がトテトテと走り出た。
赤いオーバーオールのその幼女は、筆頭の髪も含めてまるで縮小コピーのように荻上さんに似ていた。
ただ大きな目が少し垂れ気味なところが、笹原の血を思わせた。
幼女はクッチーを見ると、怯えたように恵子の後ろに隠れた。
でも好奇心はあるらしく、顔を少し出してクッチーを見る。
恵子「(幼女に)こら千尋、ご挨拶しなさい!」
朽木『千尋?あんたら子供に漫画キャラの名前を…』
恵子の態度で知り合いと認識したのか、クッチーに近付く千尋。
千尋「…こんにちわ」
彼女の目線に合わせるべく、その場でしゃがむクッチー。
朽木「こにょにょちわー。千尋ちゃんはいくつ?」
千尋「(指3本を突き出しつつ)みっつ」
朽木「そーえらいねー」
頭を撫でる代わりに、千尋の筆をシビビビするクッチー。
再び奥から声がする。
「恵子さん、誰か来てるの?」
言い終わらぬ内に、声の主荻上さんが出てきた。
(注、厳密には笹原千佳なのだが、本編では便宜上荻上さんと呼称する)
そしてクッチーは部室に来た時同様、派手なズッコケを披露した。
荻上さんは丸くなっていた。
顔はこけしのように真ん丸になり、体もデブとは言わぬまでもぽっちゃり気味になっていて、学生時代の少女のような線の細さは面影も無かった。
ただ病的な感じの無い健康的なぽっちゃりさの上、けっこう巨乳になっていた。
筆頭は相変わらずだが、眼鏡をかけていた。

荻上「(明るくにこやかに)あら朽木先輩、お久しぶりです」
朽木「おっ、荻チン…あっ失礼、今は笹原夫人でしたな。ご無沙汰してますにょー…」
荻上「いいですよ荻チンで。ペンネームは荻上千佳のまんまですから」
荻上さんは本格的に漫画家デビューしてから、ペンネームを本名の荻上千佳に改めた。
そして笹原と結婚後も、ペンネームはそのままで漫画家を続けていた。
恵子「もう千佳姉さん太ったから、クッチー驚いてるじゃん」
荻上「座業は太るんです。それに子供2人も産んだら誰だって太りますよ」
朽木「まあまあ2人とも。荻チンも太ったってほどじゃないし、僕チンも結婚式以来会ってないから意表を付かれただけだから…」
またまた奥から声がする。
「誰か来てるの?」
今度の声は聞き覚えの無い男性の声だ。
荻上「あっあなた、朽木先輩がいらしてるのよ」
朽木『あなたってことは笹原さん?こんな声だっけ?』
声はクッチーの記憶にある笹原の声より、野太く低かった。
笹原「えっ朽木君?懐かしいなあ」
やがて笹原が出て来た。
笹原「やあ朽木君、久しぶり」
そしてクッチーは再び派手なズッコケを演じた。
笹原は太っていた。
顔付きも丸くなっていたが、体型は完全に肥満体になっていた。
久我山やハラグーロほどではないが、高柳や田中は軽く凌駕していた。
朽木「さささ笹原しゃん…」
笹原「(朽木の驚きの意味を悟り)あっやっぱり太り過ぎかな?」
朽木「いっいえ、失礼しました。おっお久しぶりですにょー」

恵子「もう2人とも太り過ぎ!」
笹原「しょーがないだろ。だって千佳の手料理おいしいんだもん…」
荻上「寛士さんの作ってくれる料理もおいしいし…」
赤面する笹荻。
クッチーは急に部屋の温度が30度ばかり上がった気がした。
朽木『確か結婚から7年経ってるはずなのに、何なのこの熱々ぶりは?もしかしてここ数年続いている地球温暖化の原因って、この2人なのかも…』
クッチーがX県警に異動になったのは、2年前の冬のことだった。
その為彼は、都合3回東北の冬を体験している。
だが彼が来てからのX県では、東京より少し積雪が多い程度ぐらいしか雪が降らなかった。
地元の人の話では、ここ数年の雪の少なさは異常だという。
まあそれでも極端に寒さに弱いクッチーにとっては酷寒だったが、暖冬続きの異常気象でも地球温暖化は有り難かった。
クッチーは心の中で笹荻に手を合わせて感謝した。
恵子「はいはいご馳走様、この幸せ太りバカップル!」
笹原「ハハッ。今日はどうしたの?」
朽木「いやいや近くまで来たもので、ちとご挨拶をと…」
笹原「そう。そうだ朽木君、昼食はもう済んだ?」
朽木「いえまだですが…」
笹原「よかったらうちで食べていきなよ。カレー作ったんだけど、ちょっと作り過ぎちゃって…」
よく見ると笹原は赤いエプロンを着けていた。
朽木「笹原さんが作ったのでありますか?」
笹原「うん、休みの時は俺が担当なんだ」

結局クッチーは笹原家で昼食をご馳走になった。
荻上「こらっ、麦男!ちゃんと人参も食べなさい!」
麦男「はーい」
ミルクでも混ぜて甘口にしたのか、白っぽいカレーを食べてる千尋、服にこぼす。
恵子「(ナプキンで拭いてやりながら)もー、ダメよ千尋!」
そんなやりとりを優しい眼差しで見つめる笹原。
そんな和やかな幸せ家族の食事風景に付き合う内、クッチーの中では今回の事件について、少なくともこの一家の中に犯人はいないと確信した。
合理的な根拠は無く、刑事としてのカンだけが根拠だった。
だがそうなると今度は、いかにこの一家の幸せを守るかが仕事の本筋になる。
表面上はいつものウザオタ口調で軽口叩きつつも、心の中では改めて使命の重さを実感し、闘志を燃やしていた。

食事が終わり、トイレを借りたクッチーが台所に戻ると、笹原の姿は無かった。
恵子は千尋と麦男の相手をし、荻上さんは食器を洗っている。
朽木「あの笹原さんは?」
荻上「多分屋上ですよ」
朽木「屋上?」
荻上「あの人、結婚してから煙草吸うようになったんです。でも家の中では絶対吸わないって言って、いつも屋上に行って吸うんです」
朽木「ベランダで吸えばいいのに…」
荻上「それだとホタル族丸出しでみっともないって言うんです。それに屋上からの方が景色がいいんですって」
これはチャンスかもと密かに考えるクッチー、玄関に向かう。
荻上「あら、お帰りですか?」
朽木「いやいや、ちょっと笹原さんと女性の前では出来ないような話をしようと思いましてにょー。荻チン、僕チンと笹原さんでワープしちゃダメだにょー」
荻上「しません!(小声で)朽木先輩も攻めっぽいから、攻め同士で成立しません」
朽木「何か言ったかにょ?」
荻上「(赤面)何でもねっす!」

屋上には、煙草をくわえた笹原が待っていた。
先ほどまでの笑顔は消え、マジ顔になっている。
笹原「(煙草を捨て)やっぱり来たね」
朽木「食事中、時々その顔してましたから、薄々気付かれたかなと思ってはいたんですが、やっぱり…」
笹原「今日は仕事で来たんだね?」
朽木「さすが笹原さんだ、やっぱり気付いてたんですね。分かりました。ここからは元現視研の会員の朽木としてではなく、X県警Y署防犯係の刑事の朽木としてお話しします」
笹原「X県警?」
朽木「Y署のあるY町は、奥さんの実家のあるZ町の隣町です」
笹原「なるほどね、今の勤務先をしつこく訊いてもハッキリとは答えないわけだ」
クッチーは食事中、みんなから今の勤務先を訊かれたが、「凄い田舎に飛ばされたんで、恥ずかしいから勘弁して下さい」と言い逃れていた。
朽木「お話しする前に断っておきますが、今の私は公式には有給休暇中の身です。したがってああ言っておきながら、私の法的な身分は一私人に過ぎません」
どういう意味?と言いたげな目を向ける笹原。
朽木「だから今の私には、刑事として笹原さんに何かを強制する権限はありません。ですから答えたくないことは答えなくてけっこうです」
そう断った上でクッチーはこれまでの事件の経緯を話した。

笹原「つまり朽木君は千佳を疑っているのかい?」
朽木「先ほどお話したように、現段階では何も確証はありません。ただ、あの中学の時の事件の関係者が3人続けてやられてる以上、可能性の1つとして考えざるを得ないわけです。私の尊敬する刑事が、昔こんなことを言ってました」
笹原「?」
朽木「俺は偶然を2度までは許すことにしてるんだ。だが3度目があったらそれは偶然じゃない、何らかの必然がある」
笹原「『まあそう考えるのが自然だな』…ってそれ、パドワイザーの松田刑事じゃない!」

朽木「まあそれはさておき、私が心配してるのは、むしろ奥さんの方がターゲットにされる可能性なんです」
笹原「千佳が?どうして?」
朽木「中学の時の事件の最大の加害者と被害者、即ち中島と巻田が行方不明だからですよ」
笹原「あの2人が?」
人の気配に気付いて振り返るクッチー。
背後には荻上さんがいた。
その眼には不安と怯えの色があった。
朽木「どこから聞いてたんですか?」
荻上「朽木先輩がX県警のY署だってとこからです。あの…」
朽木「(荻上さんの言葉を遮って)安心して下さい、奥さん。すぐそこの警察署の署長は私の昔の上司でね、特別にこの辺りの巡回を厚めにするように頼んであります」
笹原「そうなの?」
朽木「あの2人の写真を渡して、もしこの近くで見かけたら即職質をかけて、保護名目で身柄を拘束するように頼んであります。関係者が3人やられてる以上、2人は容疑者であると同時に次の被害者になる可能性もありますから」
荻上「そうですか…」
朽木「ただ外出はなるべく控えて下さい。子供たちは絶対1人にしないようにし、どうしても外出する時は誰かに付いて来てもらって下さい。あと念の為、全員にこれを持たせて下さい」
クッチーは懐から数個のペンダントと、トランシーバーのような機械を2つ出した。
荻上「それは?」
朽木「発信機です。トランシーバーみたいなのはその受信機ですから、お2人が持っていて下さい。使い方は今から説明します」

ひと通り発信機の説明が終わったところで、クッチーの携帯が鳴った。
城崎からだった。
城崎「あっ旦那、分かりましたよ中島の居所」
朽木「えらく早いね」
城崎「中島は社長の愛人の1人だったんです。それで社長に尋ねたら一発で分かりました」
朽木「で、どこに居るの?」
城崎「ススキノです」
朽木「ススキノって…北海道の?」
城崎「そこで『ブラックキャット』って名前のSMクラブを経営しています」

クッチーは笹原宅を辞すると、その近所の警察署に寄った。
本来なら自分が可能な限り荻上さんたちの警護をする積もりだったが、自らススキノまで捜査に行くので、その分笹原宅周辺の警備を強化してもらいに署長に頼みに来たのだ。
そしてついでに、彼の愛車のジープを預かってもらえるように頼んだ。
署長は車が足りない時にジープをパトカー代わりに使うことを条件に承諾した。
そしてクッチーは機上の人となり、北海道へと向かった。

その日の夜、クッチーはススキノに到着した。
ススキノは本土ではソープ街のイメージが強いが、飲み屋やホテルなども並ぶ繁華街だ。
その一角の雑居ビルの最上階に、SMクラブ「ブラックキャット」はあった。
ちなみに他のテナントはバーや居酒屋だ。
「ブラックキャット」も扉に会員制という看板が掲げられている以外は、外からはバーか何かに見え、SMという文字は見当たらない。
だいぶ一般化したとは言え、やはり堂々とSMと掲げられた店には入りづらい。
そういう客の心理を配慮した措置と思われる。

クッチーが店内に入ると、半裸で巨乳の若い女性が出迎えた。
受付嬢兼SM嬢だそうだ。
クッチーはピーを半起させつつも警察手帳を出し、店長の中島の所在を尋ねた。
受付嬢は彼を奥の部屋に通し、店長はすぐに来るので待つように告げた。
等身大の十字架や木馬などが並ぶ、本格的なプレイルームだ。
異様な空気に妙な緊張をしつつ待つクッチー。
やがて扉が開き、ビザールな女王様ファッションの中島が現れた。
中島「ごめんなさい、もうじきプレイなのよ。手短にお願いして下さる?」
今年で30になるはずの中島は、気味が悪いほど若々しかった。
朽木『これが風俗に身を沈めて苦労してきた女なのか?』
目の前の中島は、まだ20代半ばぐらいにしか見えなかった。
中島「まあ馴染みのお客さんだから、もし話が長引いた時にはその分サービスで延長してあげるけどね」
朽木「お忙しいところ大変申し訳ありません」
クッチーは中島に事件の概要を説明する。
先ほどまでの水商売用の顔が消え、暗い眼でクッチーを見つめる中島。
中島「つまりあたしを疑ってる訳ね?」
朽木「あなただけではありません。中学の時のあの事件に関わった全員をただ今捜査中です」
中島「まあ疑われても仕方ないか。だってあたし、荻上を殺しかけたひどい女だもんね」
自嘲気味の笑いを浮かべる中島。
先ほどまでの若々しさは営業用のものだったらしく、素の彼女に戻ると急に老け込んで見えた。
かつて「傷つけた人々へ」で読んだ中島は、漫画的な演出として分かりやすい悪役として描かれていた。
だが目の前にいる彼女は、疲れた三十女に過ぎなかった。

クッチーはそんな彼女を見て、彼女が犯人ではないと直感した。
根拠はやはり長年の経験に基づいたカンだけだが。
彼の関心は、むしろ彼女がこれまでどう生きてきたかに移っていた。
それが今回の事件に関係あるかは分からない。
ただ、思わぬ形で荻上さんの15年前の事件に関わってしまった者の責任として、事件に関わった全ての人々の15年間と向き合わなければならない、そう考えたのだ。

形式的にアリバイを訊き、それが終わるとクッチーは切り出した。
朽木「あなたは15年前、何故荻上さんにあんなことをしたんです?」
中島「別に深い考えなんて無かった。あたしらのグループで1番晩熟で大人しそうな荻上が彼氏作ったのが生意気だと思い、少しこらしめてやろうと思った。ただそれだけ…」
中島の目からつーと涙がこぼれる。
中島「バチが当たったんだろうね。あたしも、みんなも…」
朽木「中島さん、ちょうどいい機会ですから、よかったら中学を出てからの15年間のことを話して頂けませんか?」
中島「?」
朽木「実は私、荻上さんとは同じ大学の同じサークルだったんです」
中島「荻上と?」
朽木「だから私は彼女の15年間を知っている。私がそれを話し、あなたはあなたの15年間を話す。そしてそれは私が後で責任を持って荻上さんに伝える」
中島「…」
朽木「上手く言えないけど、私はそうした方がいいと思う。それで全てがご破算になる訳じゃないが、昔のことにけじめを付けるいい機会じゃないかな」
沈痛な面持ちで沈黙する中島。

その時クッチーは、ドアの向こうに人の気配を感じた。
朽木「誰だ?」
ドアが開き、身長2メートル近い大男が入ってきた。
白のスーツに身を包み、鰐皮の靴を履いていた。
傷だらけの顔と、知的な感じの細い銀縁の眼鏡がアンバランスだ。
花形興業こと花形組の若き組長、花形薫だ。
朽木「花形?!」
花形「ご無沙汰し