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いくらハンターⅢ 【投稿日 2006/04/21】

カテゴリー-笹荻


ある日曜のこと、画材の買出しを終えて、日も暮れて帰宅した
荻上が郵便受けを見ると、寿司のテイクアウトチェーン、
小象寿司の広告が目に留まった。
『特選北海セット(サーモン・かに・いくら丼)』
『特選海鮮セット(マグロ・サーモン・イカ・かつおタタキ丼)』
『特選いくらセット(いくらが山盛り丼)』
―全品、本日限り680円!!―
「特選いくらセット!?」
思わず声が出る荻上。しまったという表情で赤面するが
玄関に買って来た荷物を放り込むと、急ぎ足で最寄の小象寿司へ向かう。
どんどん暗くなる道を、時々通りかかる車のライトに照らされ
長い影を伸ばしながら、荻上は急いだ。
道の向こうに、小象寿司の窓の明かりが見える。
『間に合った………。』
荻上が店内に入ると、特選品の棚には海鮮セットの丼が2つと、
いなり寿司や、バラ売りの手巻き寿司が数本有るだけだった。
『いや、焦るな、言えば作ってくれるはず。それは知ってるべ。』
レジの前には、おばさんと青年が2人並び、逆サイドでは座って
待っている、孫を連れたお爺さんが居る。
荻上は、品切れになっていない事を祈りながら列に並ぶ。
その時、前の青年が順番になり、オーダーを告げた。
「あ、俺、特選イクラ丼を―――。」
「申し訳ありません、本日もう品切れとなっております。」
笑顔で答える、店員のお姉さん。モンゴル出身の横綱に似ている。
「え?じゃあ北海セットは?」
「大変申し訳ありません、そちらも品切れに―――。」
前の客よりも早く、店員の返答を最後まで聞かずに、
うっすら涙目で踵を返す荻上だった……。

帰り道、スーパーに寄ってみるが、こちらも閉店間際。
今日はいくらはもう無くなっていた。
仕方なく子持ちししゃもを買って帰るのだった。


翌週の土曜日、笹原とデートの荻上だが、脳内は既にディナーに飛んでいた。
『笹原さんのことだ、きっと「何が食べたい?」って訊いてくるはず!
 そしたら私は「回転寿司にしましょう」って答えるんだ……。
 よし!「回転寿司にしましょう」「回転寿司にしましょう」うん!
 返事のシミュレーションもばっちりだ、私!』
でれでれと歩く笹原の横では、目の中に炎を灯して歩く荻上の姿が見られた。
そして日も暮れて…。
「今日の晩御飯だけど、これから……。」
その台詞を待っていた荻上の目がギラリと光る。
『よし来た!「回転寿司にしましょう!」さーこい!』
「この先の、イタリア料理店予約してみたんだ。」
「かい…え?ええ~っ!?」
荻上は笹原の方を2度見してしまうほどの吃驚っぷりである。
「あれ?ダメだった、荻上さん(汗)?」
「え?いえ!……そ、そんなこと無いデスヨ!?」
「ひょっとして、嫌いだったかな?」
顔に縦線を浮かべながら冷や汗もたらしている笹原。
「違うんです、笹原さん。気のせいです、気のせい。」
そんな笹原を見て焦り気味の荻上。
「ただ、そんなお洒落っぽいお店を予約するのが意外だったというか――。」
「はは、そうだね、オタクが、俺がお洒落を気取っても駄目だよね………。」
思わず失言が飛び出した荻上と、どんどん落ち込んでいく笹原。
二人の空回りは、この日は修復不能であった。
食事はしたけどみかんは無しで別れる二人だった。

とはいえ、すぐに何事も無かったように、デレっとしたり感激したりする、
この時期の二人は翌週までには雨降って地固まる状態である。

翌週末の深夜、オンリーイベント向けの原稿のネームを切っている
荻上の部屋を訪ねる笹原の姿があった。
手にはコンビニのビニール袋が提げられている。差し入れのようだ。
「こんばんは~。荻上さん、差し入れ持って来たよ。」
「こんばんは、ありがとうございます。」
言葉は素っ気無いが、笹原の来訪が何よりの嬉しい差し入れだ
といった様子が、嬉しそうな目元に表れている荻上だったが……。
差し入れの中には、苺の生クリームカステラ挟み260円と、
手巻き寿司(いくら)150円。
「あ!いくら巻き新発売ですか。今日からでしょうかねぇ。」
「うん、どうだろ…そうかもねぇ。」
いくらに過剰反応する荻上だった。
そしてそのまま包みを開き、オレンジの粒を確認すると海苔をスライドさせ
ロール状の酢飯を巻いて行く。
「ありがとうございます。いただきます。」
笹原の方にぺこりと軽く会釈してからパクリと巻き寿司を
いや、いくらを口に運ぶ荻上。

『………?』
嬉しそうに見守る笹原の視線を感じて、平静を装う荻上だったが
内心は、打ち寄せる波が高くなってきていた。
『いくらの味はどこ?あの粒々の感触はどこ!?
 ………くっ!酢飯の味しかしないっすよ、笹原サン!』
思わず笹原を恨みそうになる荻上だったが、愛しい人の姿が
目の端に留まって思い直す。
『いや、笹原さんは悪くない…。半端な物売りやがって!7-トゥエルブめ!!』
にこやかに食べ終わると、すぐにもう1品もぺろりと平らげ、
会話もそこそこに机に向かう荻上だった。
その様子に不審がる笹原だったが、原稿の邪魔はすまいと
横に積んであったハレガンを読み始めるのだった。
荻上は鉛筆を片手にネームを書こうと唸っていた。
『大事な人がすぐ近くに居るのに、満たされないこの気持ち……。
 なんと人間とは業が深いものか。む!?これだ!』
何かテーマを思いついたようで、荻上の鉛筆が紙の上を走り始める。
『それにしても、いくら……求めれば求めるほど逃げていく……。
 そんなに求めなくても食べれそうな物なのに、何故に―――。』
偶然に翻弄され、我が身の不運を嘆く荻上の夜は更けて行った。