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普通の日 【投稿日 2006/04/10】

カテゴリー-笹荻


それは何でもない普通の日。
強いて言えば、とても天気の良かった日のこと。

荻上はいつも真っ直ぐ前を見て歩く。
ちょっとだけ不機嫌そうに。
別に機嫌が悪いわけではない。地顔なのだ。
実は本人も結構気にしていて、いくらかでも変えようと、毎日鏡の前で百面相しているのは秘密だ。
その度にため息をついて、自分が「かわいく」ないことに落ち込んでしまうのも秘密だ。
ついでに鏡に向かっているときに、うっかり「完士さん♪」などと囁いてしまい、照れくささと恥ずかしさで一人で大暴れした事は、荻上にとって最大級の秘密だ。
それらは誰にも知られてはならないのだ。絶対に。
特に笹原に知られたら…間違いなく飛び降りようとするだろう。

閑話休題。

荻上はふと足を止め周りを見渡した。
どこからか漂ってくる、かすかな花の香り。
名前も知らない人の家の、小さな庭の片隅の潅木に咲いた小さな花々。
その花の名前を、荻上は知らない。
でもバラのように派手でもなく、ランのように官能的でなく、桜のように圧倒的でないその花を、荻上は好ましく思った。
少しだけうれしくなる。
再び歩き出す。
その顔はわずかに笑っていた。
それはとてもかわいらしく。

その日笹原は、大野から借りた本を返すため、部室を訪れた。
しかしそこには誰の姿もなく、仕方無しに返すはずの本で復習を始めた。
不意に扉が開いて荻上が入ってきた。
「やあ、荻上さん」
荻上の返事はない。彼女は部室を見渡し、向かいの児文研の部室を覗き、窓に背中を向ける。
それから軽く咳払いすると、満面の笑みを浮かべて言った。
「こんにちは、笹原さん」
この笑顔を見るたびに、笹原は照れてしまう。
「そこまで警戒しなくても…それに、荻上さんはかわいいんだから、もっと自信を持って笑えばいいと思うよ?」
照れ隠しに笑いながら、笹原は提案する。そう言いながら、その笑顔を独占したい自分に気付いて苦笑する。
「どっちもいやです」
荻上は不機嫌な顔で答えると、笹原の隣に座った。

「ところで、何を読んでいる…」
荻上はさっきまで笹原が読んでいた本を手にとって、絶句した。
机の上に置かれた紙袋の中身を確認する。
間違いない。荻上は確信する。なぜなら、その内のいくつかは、彼女も持っているから。
「笹原さん…?」
固く暗い声で荻上は笹原に詰め寄った。
「え~と…」
笹原はあらぬ方向を見ながら頬を掻いている。
「どうして笹原さんが801本を読んでるんですか!?嫌がらせですか!?…まさか、本当に801に目覚めた、なんて言う…んじゃ……目覚めて…」
(『ふふ、どうしたの斑目さん?こんなに体を硬くして…』『だって、荻上が見てる…』『そう?見られて興奮してるんじゃないの?ほら、ここもこんなに硬い』『ち、違う!ああっ!』)
(『完士さま、私もどうか…』『だめだ。お前はそこで黙って見ていろ』『ああ、そんな…』)
(そして二人は私の見ている前で愛欲の限りをつくし…)
「…えさん!…ぎうえさん!聞こえてる?荻上さーん!!」
「ハヒッ!?」
荻上は我に返る。どうやら軽くワープしていたようだ

「大丈夫?まだ顔が赤いよ?」
「大丈夫です!それより、これはなんなんですか!?」
心配する笹原に、荻上はむきになって食って掛かった。
「笹原さんはこんなもの読まなくていいんです!こんな不潔でいやらしくて、作者の恥ずかしい妄想を固めたようなもの!」
「でも荻上さんも書いてるよね?」
笹原の一言で、今まで沸騰していた荻上がみるみるしぼんでいく。
「ああ、ごめん!それを責めてるわけじゃないんだ。ただ、いままで俺はこういう世界を知らなかったから、少しでも知りたいと思って…」
「何のためですか」
すねたような表情をして、荻上は笹原を見上げた。
そんな荻上を正面から真剣に見つめ、笹原は言った。
「荻上さんの力になりたいから」

荻上はトマトやりんごもかくや、というほどに真っ赤になる。
「俺は男だから、完全に理解できる自信はないけど、それでも何かの役に立てればいいな、と思ったんだ。」
「実際あの時以来、荻上さん、俺にそういう原稿を見せてくれないし…」
「俺はそういう趣味ごと、荻上さんが好きなんだ。だから、協力させてください」
しばしの沈黙の後、荻上はうつむいて、搾り出すように答えた。
「…アリガトウゴザイマス。コチラコソヨロシク…」
その答えに、笹原は満面の笑みを浮かべて荻上を抱きしめる。
荻上は何度か躊躇ったあと、笹原のシャツの背中をしっかりと握り締めた。

二人で荻上の家に向かう。
ふと笹原が足を止める。
「どうしました?」
「いや、なんかいい香りがするな、と思って」
荻上は黙って庭の片隅の潅木を指す。小さな花々が咲いている。
「ああ、それだったんだ。すごいね、荻上さん。すぐにわかるなんて」
「違います」
「何が?」
怪訝そうな顔をする笹原。
「秘密です」
荻上はそう言って笹原に笑いかけた。
そして彼の手を取ると、先になって歩き出した。

それは何でもない普通の日。
強いて言えば、とても天気の良かった日のこと。
そして初めて荻上から手を繋いだ日。