痛い話 【投稿日 2006/04/08】
「斑目…」
彼女の言葉が甘く耳をくすぐる。
口付けを交わす。熱い吐息。抱きしめる。柔らかな体。
彼女を全身で感じながら、自身の刻印を刻もうとして…
目が覚める。鳴り響く騒音。
とりあえず騒音の元である目覚ましを止めた。
周りを見渡すと、見慣れた自分の部屋。もちろん一人きり。
「ハァ…」
深くため息をつく。
(彼女と会わなくなって、一体何年経ったと思ってるんだよ…それに今日は、あの二人の…結婚式の日だろうが…何考えてるんだよ、俺…)
うなだれて、自嘲する。
斑目と咲が疎遠になって久しい。もともと直接連絡を取るような関係でもなく、咲の卒業以来部室にめったに顔を出さなくなった今では、噂すら聞こえてこない。
そんな斑目に届いた唯一の情報は、高坂と咲の結婚式の招待状だった。
招待状が来た事はうれしかった。自分がまだ忘れられていない証拠だから。
しかし同時に、それは斑目にとって決断の時でもあった。
もうおぼろげにしか思い出せない顔、声、姿。
このまま会わなければ、やがて忘れてしまえるだろう。
姿も、想いも。
そう思っていた。
でも会いたかった。一目でも見たかった。今の彼女を知りたかった。
今更ながら斑目は思い知った。自分が彼女を忘れてなどいなかったと。
今でも自分が彼女を好きなことを。
早々に出席の返事を出し、その日を待った。
待って、待って、待ち望んだ。
斑目には待つことしかできなかった。あの時も、今も。
…そして、待ち望んだ日が来る。
その日斑目はひたすらに咲を見つめていた。
周りの声も、姿も、おぼろげにしかわからない。
ただその笑顔に、こぼす涙に、凛とした姿に見とれ、彼女がこちらを向いて、笑いながら小さく手を振る姿に心臓を飛び上がらせ、高坂と口付けを交わす姿に心を凍らせた。
そして溢れそうになる想いを飲み込む度に、ひたすら酒を飲み…潰れた。
数日後、斑目は『高坂 咲』の自宅に呼ばれた。
居間のソファに向かい合い、他愛のない世間話をする。
不意に咲が席を立ち、斑目の隣に座り直す。
慌てる斑目に、咲は硬い声で尋ねた。
「ねえ、斑目。私に何か言う事はない?」
「…何もないよ」
ぎこちない笑顔と共に返す。
咲はそんな斑目の顔を両手で掴み、真正面から見つめた。
「本当に?」
斑目の目の前に咲の顔がある。真剣に、まっすぐに、自分を見つめている。
彼女の瞳に自分が写る。今にも泣き出しそうな自分が。
無理にでも笑おうとする。
そんな斑目に咲は告げた。
「言って」
「…きです」
「聞こえない」
「好きです」
「もっとはっきり」
「好きです!!!」
叫ぶ。言葉と想いと涙が溢れる。
ぼやけた視界の向こうで、咲が優しく笑っていた。
彼女に抱きつく。彼女も優しく抱きしめる。
「ずっと好きだったんだ。ずっと前から、ずっと…好きで、好きで、好きで、どうしようもなくて…」
吐き出すように斑目は想いを告げた。泣きながら。
そんな斑目の頭を、咲は優しく撫で続けていた。
やがて斑目は咲から離れると、彼女を正面から見つめ、言った。
「愛しています」
「ごめんね…無理に言わせるような事して…」
咲は優しく微笑みながら謝る。そして真剣な表情に変わる。
「気持ちはうれしいけど…私はそれに応えられない。私にはすでに愛する人がいて…私は貴方を愛せない」
それが彼女の答え。
「どうして!?」
斑目が叫ぶ。
咲は悲しそうな顔をして、斑目に告げた。
「それは貴方自身がわかってるでしょ?」
そのまま立ち上がり、背を向ける。
「帰って…もう二度と、会わない」
呆然とする斑目を残し、咲は居間を出て行った。
「これでよかったの?」
とぼとぼと帰路につく斑目を遠くに見つめながら、咲が高坂に問いかける。
「ごめん…嫌なことをさせて…でも、これ以上あんな斑目先輩を見てられなかったんだ…」
高坂の声も暗い。
「これしかなかったの?」
咲の声が震えている。
「…ごめん」「謝らないで!」
涙を流しながら、咲は高坂を睨みつけた。
「…そうだね。もう謝らない」
そう言って高坂は咲を抱きしめた。そのまま彼女に語りかける。
「僕は貴方を愛します。世界中の誰よりも。永遠に、貴方だけを…」
彼女の返事はない。ただ、咲は高坂をきつく、きつく抱きしめた。
斑目は自宅で一人、ぼんやりとしていた。
涙がこぼれる。慌てて手でぬぐう。
でも、涙は次から次へと溢れ出す。
「あは…」
不意に笑いがこみ上げる。
「あは、あはは!あははははははは!!はーはははは!!!…」
泣きながら大声で笑い続ける。そのまま机から封筒を取り出す。
中にはあの時の、彼女がコスプレした時の写真。
震える手で切り裂く。何度も、何度も。
そして泣き続け、笑い続けた。いつしか眠りに落ちるまで。
翌朝、目が覚めると斑目は自分が酷い状態だと思った。
目と喉が痛い。全身の筋肉が硬直している。熱っぽく、吐き気がする。
昨日を思い出す。心が痛む。自分が完全に振られたことに。
それなのになぜか心が軽くなった気がした。
(そうか。簡単な事だったんだ)
何がなのかは斑目にもわからない。ただ、そう思った。
ある日、高坂夫婦のもとに一通の手紙が届いた。送り主の住所が書かれていない手紙には、「ありがとう」とだけ記されていた。
その後の斑目を二人は知らない。
最終更新:2006年04月11日 23:32