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サマー・エンド1 【投稿日 2006/03/19】

サマー・エンド


梅雨の気配も近づく春の終わり。
建物に挟まれた狭い線路の上を電車が滑っていく。
日が沈んだ街の間を、宝石を飲み込んだ青虫みたいに窓に灯りを蓄えた車体が陸橋を走り去る。
実際、その電車の車内には女友達のグループや歳の近い親子、それと恋人同士が
思い思いの紙袋を提げて乗っているのだ。それぞれの袋に自分、もしくは相手の見立てに
合った服や靴や帽子や雑貨が詰まっているはずである。
夜空には月が出ていた。
『CLOSE』のボードがガラス越しに揺れるショップに咲の姿があった。
ガラス張りの店構えに白いアクリルの床。覚めるような涼感の照明が凛とした雰囲気を醸している。
並べられた商品の数も品揃えから比べて少なめであり、ある種の高級感さえ感じられた。
目当ての顧客年齢層は10代よりも20代中心というあたりだろうか。
シャッターの下りかかった店の奥で、咲は本日の売上を勘定していている。その表情は真剣だ。
(う~ん………、今日のところはまずまずかあ…、でもまだ赤だな…。)
咲は心の中でそう呟くと、顔を上げて店内を見回した。
自分の思いの丈を込めてこだわりにこだわった内装に当初は十分満足していたのだが、
いざ開店してみると反省点がチラホラ。
(ちょっと入り難いかなあ……。う~ん…、どうだろ…? やっぱもっと下のコが入り易いように
した方が良かったか……。でもまだ開店したばっかだしぃ~……。う~ん………。)
その苦悩は深い。
開店準備に奔走していた当初から感じていたが、現実に自分の店を持つというのは恐ろしいものだとつくづく思う。
バイトとして働いていたころとは責任が雲泥の差であるし、判断と決断が求められる。
開店日が近づくにつれてプレシャーが重くのしかかってきた。
現れては一年と持たずに消えていくショップも数多見てきたし、その厳しさは分かっているつもりだったのだが…。
(ああ…、なんかタバコが欲しくなってきたなあ…。けっこうビビってんじゃん、私…。)
チョキの形の指を唇に当てて力なく笑う。咲の横顔に疲れが滲んでいた。

ふと、店の前で人影が立ち止まった。
真新しい革靴に、真っ白なYシャツと、量販品のさしてオシャレでもないスーツ。紺色のネクタイは少し緩んでいる。
中に入ろうとするが、鍵のかかった扉に一瞬面食らった。
「こんちわー、っと…。」
尻切れとなった挨拶が、ガラス越しにくぐもって店内に響いた。咲は笑って鍵を開けてやった。
「うーす。ササヤンおつかれー。」
「はは…、お邪魔します。」
照れ笑いを浮かべつつ、笹原は店内に入る。肩から提げたビジネス鞄をレジの横に置いた。
咲の出してくれて少し脚の高い椅子に不器用に腰掛けて笹原が言った。
「どだった、今日?」
咲は作り置きのコーヒーをマグカップに注いでいる。
本当はちゃんとしたコーヒーを入れたかったのが、店内に臭いが篭るので作り置きを入れたポットを常駐させていた。
「まあ…、今日はボチボチかな。」
「おー! 良いじゃないすか!」
「でもまだ赤だよ~。現実は厳しいなあ~。」
咲の顔に本来の笑顔が躍った。やはり友達の顔を見るとホッっとする。
利害関係の無い相手というの社会人になると貴重なんだなあとしみじみと感じる。
笹原も同じだった。
「ま~、初めのうちはそんなもんでしょ~? これからこれから。」
笹原はいつもの屈託のない笑顔で励ました。
担当する作家のアトリエが近いこともあり、笹原はちょくちょく咲の店に顔を出している。
初めは借金返済のために働いている恵子を監督指導するためであったのだが、近頃は恵子のシフトでない
ときでも訪れることが多くなっていた。
卒業を機に引っ越したことで現視研メンバーやOBと顔を合わせる回数も減った。
学生時代のルーズな生活もできなくなり、仕事終わりに会うのは難しい。
職場の先輩や同僚、担当作家はあくまで仕事上の関係であり、ざっくばらんにプライベートの話ができるわけでもない。
咲の店は、気の置けない話ができる唯一の場所と言っても良かった。

咲が事務処理に戻ると、笹原は鞄から雑誌を取り出して広げた。それは意外にも女性向けファッション誌だ。
少し驚いたように咲が言った。
「あ、何? 何でそんなん読んでんの?」
笹原は照れ笑いで応える。
「ははは…、いや、作家さんが女の人でね。こういうの詳しいんだよね。俺も勉強しないと話が合わなくてさ…。」
「へへ~~、ササヤンも頑張ってんだね。」
「はは、まあ少しはね。まだ先輩の後にくっついてるだけですけど…。」
「まま、これからこれからってね。」
お互い笑いってコーヒーをすすった。温かいコーヒーがじんと体に染み入ってくる。
ほうっと咲も笹原も吐息を漏らした。
「恵子のヤツちゃんとやってる? サボってたらバイト代出さなくていいからね。」
「いやいや、けっこう頑張ってくれてるよ~。女子高生とかの相手は恵子のが上手いしね。」
ほー、っと感心しつつ笹原はコーヒーをすする。
「今日って恵子は?」
「もー帰った。なんかデートだって。」
ブッ!!
笹原は思わずコーヒーを吹いてしまった。Yシャツに口から零れた雫が垂れそうになって慌てて口を拭う。
「きたねーなあ!」
「ごめん…。え、アイツって彼氏いたの?」
「そうなんじゃない? 私も最近知ったんだけど。」
「あー…、ふ~ん…、そうですか…。」
咲の目がギロリと光った。
「ああ、気になりますか? 兄として。」
「いやまあ…、それなりにねぇ…。」
いやな予感に笹原は視線を咲から逸らした。しかし、時既に遅し。
「私はオギーとササヤンの愛の日々のが気になってんだけどね~。」

うわーーーー……。
という心の声が顔に出てるのを確認すると、咲はますます目を光らせて笹原に迫った。
「どうなんすか、最近? 楽しんじゃってますか?」
「いやあ…、まあねぇ…。フツウですよ…。」
「あ~~~ん、フツウ? どういうことするのがフツウなんですかあ?」
「あはははは………。」
笹原は苦笑いを返すのみだ。そうしてソッポを向いて、店内をわざとらしく徘徊する。
壁に掛けてあるドライフラワーのブーケを見入ったフリなんかしたりしている。
事務処理の残る咲は射程距離外に逃げ去った獲物に歯噛みした。
(くっそぉ~! ふ~、そうだな…、ここは戦法を変えよう!)
「いや、マジは話さ…。最近どうなの? ちゃんと会えてる?」
邪悪な笑みを押し殺して真剣な表情を作る咲。真面目に二人の仲を心配している作戦である。
ニヒヒと心の底で笑いつつ笹原に目をやると、思いがけない表情の笹原がそこに居た。
「う~ん、まあね…。」
そう言った切り、笹原はディスプレイしてある商品をじっと眺めている。淡い色の夏物のキャミソール。
ちょうど荻上ぐらいのサイズかもしれない。
咲は今度は演技の必要もなく、真剣な顔つきで言った。
「何かあった? 相談ならいつでも乗るよ?」
「うん………。」
笹原は視線をキャミソールに固定したままそう言った。
咲は笹原を見つめる。笹原の目はキャミソールを映していたが、焦点はその先に結ばれているようで、
体には仕事による疲労とは違う種類の疲れが暗くこびりついていた。
時折、口をもぞもぞ動かして何かを思い起こしては、声に出さずにいくつかの言葉を呟く。
咲は事務処理に手を動かしながら、チラチラとその様子を窺っていた。

重苦しい空気がに店内に流れる。
カラスの向こうを酔った男女が快活に笑いながら、また苦虫を噛み潰したような顔をした中年の会社員や、
ゴテゴテの巻き髪をなびかせた水商売風の無表情の女性や、目深に帽子を被ったミニテュアダックスフンドを連れた女が
彼らの前を横切って行った。
咲が書類をまとめ終えるころ、笹原が静かに言った。
「優しいだけじゃダメなのかなぁ…。」
口をついた言葉がそれだった。笹原の目は、まだどこか遠くを見ている。
「え…?」
「あ、いや………、なんでもない…。」
咲の視線に気づいて笹原は慌てて愛想笑いをする。自分の意に反して心の中だけの呟きが、声になってしまっていた。
冷めたコーヒーを飲み干して、笹原は自分のカバンを取った。
「長居してごめん。もう帰るよ。コーヒーごちそうさま。」
足早に帰ろうとする笹原。
「ササヤン!」
咲は呼び止める。
そして軽くため息をついて、困ったように笑った。
「あんま頑張り過ぎんなよ。普通にしてればいいんだって。」
笹原は疲れた笑顔を浮かべて、
「それじゃまた。」
とだけ言って店を出て行った。
(いろいろ大変なんだな…、ササヤンも…。)
咲はマグカップに残ったコーヒーを飲み干す。口の中に苦味が広がっていく。
「人の心配してる場合じゃないか…。」
咲の口から言葉が漏れた。
誰も居ない店内は静か過ぎて、それは反響するように頭の中に重く残った。

笹原はスーツ姿のまま原稿に目を通していた。視界の端で荻上の気配を感じながら。
キッチンから冷蔵庫のくぐもった唸り声が響いてくる。白く光る蛍光灯の向こうで、キッチンに灯りは無くなお暗い。
荻上は机の前で原稿を繰る笹原をじっと凝視している。期待と緊張の面持ちだ。
笹原はそれを確認すると気が滅入った。
手にしているのは801ではなく、荻上のオリジナルの漫画である。
内容は地方の中学校を舞台にした女子中学生同士の淡いラブストーリーといったところか…。もう少しで全部読み終えてしまう。
笹原は眉根を寄せて悩んでいた。
(どう言えばいいかな………。)
問題はそこだ…。
正直言って、半分くらい読んだところで大体の評価は決まっていたのだが、それをありのまま言っていいものかどうか…。
できれば予想を裏切る大オチを期待したいところだが…。
そんな期待も呆気なく裏切られ、案の定な結末で物語は幕を閉じてしまった。
「どうですか…?」
待ちきれない荻上は間髪入れずに尋ねる。笹原はう~んと唸って原稿をまとめた。
(…………………とりあえず保留しとこう。)
「いやあ…、もっかい読んでからで…。」
笹原は愛想笑いを浮かべてまた原稿に目をやる。荻上は不満そうに口を尖らせたものの、再びじっと笹原を凝視し始めた。
笹原の脇にイヤな汗が噴き出す。もはや意識の大半は原稿そのものではなく、その後の対応に傾注されていた。
たっぷり時間をかけて読み終えたところで、再び荻上が尋ねる。
「で…、どうでした?」
「うん…。」
原稿をテーブルに広げつつ、慎重に言葉を選ぶ。
(え~と…、え~と、え~と、え~~~と~~~………。)
できるだけ荻上さんを傷つけないように、かつ有効なアドバイス…。

「このキャラ良いね…。目つきキツイけど、かわいいし、良いよね…。」
「はあ…。」
「あと、この構図も好きかな…。かっこいいし、キャラの内面が良く出てる…。」
「はい…。」
テーブルに映った荻上の影は微動だにしない。抑揚のない返事がガスのように室内に溜まる。
笹原は呼吸に不自由を感じ始めた。
とりあえず1,2枚の原稿を手にとってみる。
(え~と…、え~と…、あと何だったっけ?)
「校舎とか、教室のとか、よく描けてるね…。ディテールがしっかりしてる…。」
「………。」
荻上は無言である。
笹原は焦って声に力を込める。
「あーこれこれ! このキスシーンの表情とか特に萌えちゃ…。」
その瞬間、荻上の影が原稿を覆った。
「もういいです。」
笹原の手から原稿を奪うとテーブルの上のものも含めてさっさと片付けてしまった。
見上げた荻上の顔は無表情で、笹原に一瞥だにしない。
「笹原さんに聞いたのが間違いでした。」
原稿を茶封筒に仕舞うと冷めた声でそう言った。また室内に冷蔵庫の唸りだけが響く。
「え…、何で…?」
困惑顔の笹原にはそう搾り出すのが精一杯だった。赤いソファの上で机に向かってしまった荻上を見つめた。
荻上は鉛筆を握ったまま窓の外を見ている。卓上スタンドが煌々と荻上の横顔を照らしていた。
堪らず笹原は言葉をつないだ。
「俺…、何か怒るようなことしたかな…。」
卓上スタンドのせいだ、と笹原は思った。椅子に背筋を伸ばして座る荻上にスタンドの強い照り返しの光が下から当たって、
荻上の顔を恐ろしげに浮かび上がらせている。笹原は飲み込んだ唾の理由をそう解釈した。

荻上はきっぱりとした口調で返した。
「つまらないならつまらないって言って下さい。」
図星を衝かれた笹原は背中に痛みが走るのを感じた。
荻上は続ける。
「私だってそんな面白いと思って見せてるわけじゃないです。ダメなところが一杯あるのはわかってますよ。
それを無理に褒められたってむしろ不愉快です。」
そう一息に言い切ると荻上は大きく息を吸い込んだ。顔は僅かに赤みを帯びて汗ばんでいるが、目は変わらず鋭く尖っている。
笹原の口を開いたまま荻上を見つめる。
頭の中には言い訳や弁解や自分の気持ちがどんどん溢れてくる。
が、口をついて出たのはいつもの言葉だった。
「………ごめん。」
言った傍から激しく後悔した。こんな風に謝ると彼女は決まって不機嫌になったことを思い出したのだ。
「やめて下さい。」
荻上は外を見たまま、冷たい声でそう言った。
笹原はひどく寂しい気持ちがした。
それでも気を取り直して笹原は明るく言う。これ以上、重苦しい空気は耐えられない。
笑顔を作って荻上に向ける。
「今度はちゃんと批評するから、もっかい見せてよ。」
「もういいですよ。」
荻上は笹原を見ない。そして次の言葉は笹原の心をえぐった。
「どうせ笹原さんは優しいですから。」

力が抜けた。
体中の力が抜けて、笹原はソファにもたれかかっていた。目は焦点を結ぶのを忘れて何も見えない。
耳の奥でいろいろな声が、荻上の声が鳴り響いて、首筋を掻き毟ってしまいたかった。
体の中の神経という神経がビリビリと張り詰めて何もかもが痛い。
筋肉が骨を締め付けて動けないでいた。
そのうち、胸の底から何かが競り上がってきた。それがぐいぐいと喉を突き上げる。
それは今までじっと飲み込んできた言葉だ。言いたくなかった言葉だ。
でも、もう我慢できなかった。

「優しくちゃダメなの…?」

荻上は振り返った。聞いたことのない笹原の声に弾かれたように。
俯いて座っている笹原に、荻上は胸が詰まった。
それは、いつか感じたあのどうしようもなく嫌な感覚を思い出させた。
「どうせ優しいって………何なの?」
「あ、や………。」
「優しいのが嫌なの、荻上さんは?」
「別にそういうことじゃ…。」
言いかけた荻上の言葉を笹原が強く、煮えたぎるような声で遮る。
「最近いつもそうだよ! 俺が優しく接しても、何か不機嫌そうで! 何なのそれ? ぜんぜんわかんないよ!!
そんなに優しいのが嫌なの? つまんないの? 俺は荻上さんが好きだから優しくしたいし大事にしたいだけなのに!
そういうのじゃタメなの?! 荻上さんはもっと乱暴に、いい加減に扱って欲しいの?!!」
声を失って笹原を見つめる荻上。顔は青ざめて、目は涙を流すのも忘れていた。
笹原は顔を伏せて、ただ自分の両手をきつく握り締めている。
そこには冷蔵庫の唸り声だけが鈍く響いていた。

「荻上さんが好きなのってさ…。」
笹原はもう自分ではどうしようもなかった。言いたくないのに、全部吐き出してしまうまでは体は言うことを聞いてくれない。
どんなに苦痛を感じてもその一言を止めることができなかった。
「荻上さんが好きなのって、俺なの? それとも………、荻上さんの頭の中の俺なの?」

後のことは、もう何も覚えていない。気が付いたら、一人で夜道を歩いていた。
彼女がどんな顔で聞いていたのか、自分がその表情を見たのか。その後どんな会話を交わしたのか。
笹原は思い出せなかった。


つづく…