甘い話 【投稿日 2006/03/01】

カテゴリー-笹荻


「デート、ですか?」
食器を片付けながら荻上が聞き返す。
「うん。俺たちがその、付き合いだしてからずいぶん経つけど、そう言うことをしたこと無いな~って思って」
笹原の声を背中に聞きながら、考える。
(確かに一緒に買い物したり、マンガ喫茶で作品談義をしたり、手料理を食べたり、…「する」ことはあっても、デートか?と聞かれれば微妙かも。でもデートってどういうの?と言う事になると…そんな経験ないし…)
「…俺も『研修』とかで忙しかったけど、今度の日曜に丸一日休みが取れたんだ。だから、行きたいところとかあれば、教えてくれる?」
「いえ、笹原さんの行きたいところならどこでも…」
荻上の内心の葛藤に気付かない笹原の問いに、とりあえず無難な答えを返す。
「それじゃ困るんだけど…考えておいてくれるかな?」
笹原は軽く苦笑を浮かべると、荷物を持って立ち上がり、玄関へ向かう。荻上は慌てて手を拭くと、エプロンを外して追いかけた。
「本当は泊まっていきたいけど…ごめん」
「いえ」
答えと裏腹に浮かべた寂しげな表情に、笹原は思わず彼女を抱き寄せ、キスをした。
「おやすみ…千佳」
真っ赤になりながらそう言うと、逃げるように出て行く。荻上は黙って見送る。
「…おやすみなさい……完士…さん」
彼以上に真っ赤になった荻上の返事は、それからずいぶん後だった。

「こんにちわ~♪」
「…」
「ちわーす」
翌日、部室で荻上がノートを前にぼんやりしていると、妙にご機嫌な大野、不機嫌な咲、いつも通りの恵子がやって来る。話を聞いていると、どうやら卒業式後の「春日部咲コスプレ大会」の為に、最終的なサイズ合わせをしたいらしい。
「…だから、咲さん。一度合わせてみないと。恥ずかしいなら、私も一緒に着ますから」
「そう言う問題じゃないの。当日ちゃんと着ればいいんだろ?」
「そうはいきません。着る以上、きちんとしたものを着るべきです!」
「な~、ねーさん。いいかげんあきらめたら~」
「じゃあ、お前が着るか?」
「死んでもヤダ」
「私だってあなたには着てもらいたくありません」
「あの…皆さんはデートしたことってありますよね?」
「え」「へ」「ハァ?」
険悪化しつつあった空気を破ったのは荻上の場違いな質問だった。他の3人は顔を見合わせると、にんまりと笑って向き直る。
「そりゃありますけど」「なんでそんなこと」「聞くのかなあ~?」
荻上は失敗を悟ると、「聞いてみただけです」などと言い逃れようとしたが果たせず、洗いざらい話すはめになり…結果、3人を机に突っ伏させることになった。
「人に聞いておいてなんですか、その態度は」
「あのな、おぎー。自分がものすごい『のろけ話』してるって自覚…聞くだけ無駄か」
いち早く立ち直った咲が、苦言を呈しようとしてやめる。バカップルにつける薬無し。しかし、二人の仲を取り持った以上、放り出すには気が引けた。
「とにかく、笹原は『荻上の行きたいところ』を聞きたいんだから、思ったところを言えば?」
「私は笹原さんとならどこでも…」
「わかったから、ちょっと黙れ。大野!恵子!起きろ!!なんか言え!」
「…だったら定番のコースでも行ったらどうです?動物園でも遊園地でも…」
「うわ、古っっ!!それなんて80年代!?」
恵子の突っ込みに大野のこめかみに青筋がたつ。
「だったら恵子さんならどうするんです?」
「やっぱ買い物!全部アニキ持ちで。こういうときぐらい『かいしょー』見せてもらわないと!」
「そんな事できるわけが無いでしょう!!」
荻上がいきり立つ。
「まあまあ…だったらこういうのは?」

あーでもないこーでもないと話は続く。内容が2巡ほどしたころ、恵子が疑問を投げかけた。
「でもさ、なんで今更デート?べつに改まってするような事じゃねーじゃん」
咲と大野も気付く。確かに今更、だ。そこには何か目的があるはず…。
「「「プロポーズ?」」」
「!」
ボン、と音を立てそうな勢いで赤くなる荻上。
「でも、付き合い始めて…ヶ月だろ?」
「そんなの関係ないって」
「手を出したから責任取らないと、とか」
「!!」
「でもそこまでするか、普通」
「結構堅いからな、うちのアニキ」
「妊娠させた、とか」
3人の視線が荻上に向かう。
「わ、わたし帰ります!!!」
荻上は慌てて荷物をまとめると、バッグを胸に抱いて部室を飛び出した。
結局、「どこでもいいです」とメールで送るのが精一杯だった。
返事は次の日の朝だった。了承と日曜日まで会えないことと、そのお詫びが記されていた。

Q.デートは結局どこになったのですか?
A.水族館でした

「「ただいま」」
言いながら荻上のアパートの玄関をくぐる。
「なんかほっとしますね。家に帰ってくると」
「ごめん、疲れた?」
「そうじゃありません。とても楽しかったです」
そんなやり取りをしながら笹原は思う。
(自分のアパートより、ここの方が『帰ってきた』って感じるようになったなあ。いや、部屋じゃなくて、『彼女』がそうなのか。『彼女』さえ居てくれればどこでも…って何考えてるんだ、俺!?)
顔を赤くして首を振る。荻上が不思議そうにこちらを見つめていた。
ソファーに並んで座り、今日の思い出を語り合う。そして、思い出したように笹原はポケットから小さな箱を取り出し、荻上に渡す。
その瞬間荻上の脳裏に部室でのやり取りが浮かぶ。顔が赤くなる。鼓動が早くなる。期待と不安で何も考えられない。
恐る恐る小箱を開けると、そこにあったのはシンプルな細い銀の鎖。少なからず気落ちしながら鎖を引くと、その鎖にはこれもシンプルな銀の指輪が通してあった。
思わず振り返ると、照れくさげに笹原が頬を掻いていた。
「あの。これはどう言う…」
「本当はちゃんとしたやつを送りたかったけど…無理だったのと、あと…他の誰にも渡したくないのと、こんな事言うと怒られそうだけど、『予約』ということで…」
指輪と笹原を交互に見た後で、荻上は微笑む。
「馬鹿ですね、笹原さんは…物よりも、はっきり言葉にしてくれれば良いんです」
そう言って指輪を笹原に返すと、左手を差し出す。笹原はひとしきり慌てた後、咳払いをすると尋ねた。
「荻上千佳さん。結婚してください」
「喜んで」
荻上が応える。彼女の薬指に指輪を通す。口付けを交わす。
そのまま覆い被さろうとする笹原の目の前に左手をかざす。そこにはぶかぶかの指輪。
「う」
「今度は『ちゃんとした』のをくださいね?」
しぶしぶ笹原は体を起こす。荻上は立ち上がると鎖を首に回す。胸元の指輪を押さえながら尋ねる。
「…泊まっていきますよね?」

翌日、荻上が部室を訪ねると、なぜか「荻上御懐妊」の噂が流れていて、大騒ぎになったのはまた別の話。
最終更新:2006年03月06日 05:50