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となりのクガピ 【投稿日 2006/02/24】

カテゴリー-その他


【少女の独白】
ワタシが病気で小学校を休み、病院に入院して1ヶ月になる。
8月。11歳の誕生日も病院で迎えた。
本来の治療薬が体に合わず、入院期間は延びている。

友達が見舞いに来てくれることも少なくなってきた。
だって夏休みに入院したもんね。みんなもお見舞いに行くより、プールに行ったり、一日中ゲームして遊ぶ方がそりゃ楽しいよ。

もうすぐ誰も来なくなる。

毎日、入院病棟をとぼとぼと歩いて、ナースステーションの向かいにあるソファーに座ってマンガを読む。
3人がけのソファーはお気に入りの場所だ。
マンガはお母さんに頼んで家から持って来てもらった。
「面白いの、コレ?」と、お母さんは変な顔をするし、友達は「男向けの漫画だから」って敬遠する。
けど、ワタシは黒木優は大好き。
「くじびきアンバランス」はマガヅンで一番面白いと思うんだ。


くじアン全巻は病室に置いちゃダメだとお母さんが言うので、ワタシは大好きなキャラが活躍する巻を選んだ。
もう、同じところを何回読んだだろう。

ソファーに座っていつものマンガを読んでたら、突然、ドスンッと、大きな揺れを感じた。
「キャッ!」
体が浮き上がるような揺れにびっくりして周りを見渡した。
病室からは誰も出てこない。正面のナースステーションも静かだ。
地震じゃないみたい。

病棟の入口は、と目を移すと……大きな物体に視界をさえぎられた。
「あれ?」ワタシが物体を見上げると、それは大きな男の人だった。

ソファーはワタシとその人で満席。
三角おむすびをおっきくしたような体つきで、白いワイシャツやネクタイにまで汗が滲んでいる。
カバンを小わきに抱え、「フヒー」と小さな悲鳴をあげながらタオルで汗を拭いている。
見ているこっちが暑苦しくなってきちゃった。


私はちょっとむさ苦しい思いをしながらも、気にしないそぶりでマンガを読みはじめた。
すると、なんだか妙な視線を感じる。
ワタシが再び物体、いや、男の人を見上げると、男の人はプイッと視線をそらした。
またマンガを読みはじめると、また視線を感じる。
またワタシが見上げると、またプイッと視線をそらした。
同じことを3回繰り返して、ワタシは何だか気味が悪くなってきた。
だけど、ひょっとしたらと思って聞いてみた。

「……おじさん、“くじアン”好きなの?」

そしらぬ顔でナースステーションを見てた男の人は、“ビクッ”と反応してこっちを向いた。
「あ…、お、俺?」

「そうだよ、おじさん。“くじアン”好きなのって聞いてるの。ワタシがマンガ読んでるの見てたでしょ」
大きな顔を見上げてると首が痛くなる。デカイなあこの人。
やがて、「……お おじさん……」とだけ口にして、その人は黙りこくってしまった。


ワタシが「スミマセン」と呟いて再びマンガに目を向けると、質問の返事がやっと帰ってきた。

「そ それ第一部だよね。お 俺も好きなんだけどね……」

どうも口数の少ない人らしい。
だけどワタシはうれしかった。
お母さんも看護婦さんも優しいけど、話が合う人がいなかったから。
ワタシは息継ぎも忘れて話しかけた。

「第一部って面白いよねワタシねー副会長とアレックスが大好きなんだよ強いしさーカッコイイしさー結婚したのにはビックリしたけどお似合いだよね、会長の祝福に泣いちゃうシーン、ワタシももらい泣きしちゃってぇ……あ、えーと、そうだおじさんは誰が好き?」
驚きの表情でワタシを見ていたおじさんは、ちょっと間を置いて答えた。

「お 俺は……えーと……山田かな……」

「え、山田…」
山田って蓮子の子分の……ワタシはおじさんの予想外のチョイスに戸惑った。



その時、ナースステーションから婦長さんの太くて大きな声が聞こえてきた。
「久我山さんでしたっけ。お待たせしましたね。どうぞー!」
「あ はい。……じゃあ」
クガヤマと呼ばれたおじさんが立ち上がると、ワタシの座っている場所もグワッと持ち上がった。
ナースステーションからは、婦長さんとおじさんの会話が聞こえてきた。

「き きょうは新型の で 電子体温計の、試供品を…」
「もっとシャキシャキしゃべんなさいな。それじゃあ売れる商品も売れないよ!」
「は はい」

この人セールスマンだったのかー。
いかにも「図太いオバン」の婦長さんが相手だから、最初から圧倒されている。
この人、こういう仕事に向いていないんじゃないかしら。


その日から、おじさんはちょくちょく営業で病棟に来た。
ワタシはよくソファーに座っているので、時間があったら話をするようになっていた。
交わす言葉はとても少ないけど、おじさんはくじアンにとても詳しい。大人なのに。
一人で延々と話していることもある。こういう人をオタクというのかなと、まじまじと見つめることもあった。

そんな日々を過ごすうち、ワタシの夏休みは病院の中で終わってしまった。

9月に入り、いつものようにソファーに座っていると、たどたどしく医療器具の売り込みをしているおじさんの声がナースステーションから聞こえた。
仕事を終えてドスン!とソファーに座ったおじさん。ワタシの体も一緒に沈みこむ。
いつものようにタオルで汗を拭きながら「フー」と一息ついている。

ナースステーションの中は冷房効いていたはずだけどなぁ。


「ねぇおじさん」
「い いつも思うけど、おじさんはやめてよね。こ これでも春に椎応卒業したばかりなんだから」
椎応は知ってる。この人が最近まで大学生だったことには驚いた。
「ねえねえ、久我山さんは何でセールスマンになったの?」
「か 会社が飯田橋にあってね。ち 中央線で秋葉原が近いから決めたんだけどね。営業まわりは予想外だったんだ」

ワタシは、そんな理由で仕事を選ぶ人もいることに、さらに驚いた。
秋葉原がオタクの街だってことはワタシも知っている。ちょうど今、オタクのドラマが人気なのだ。夜10時からの放送なので見れないけれど。
やっぱりこの人、オタクだったんだ。詳しいはずだわ。


私はますますオタクに興味がわいてきた。
「久我山さんホントのオタクなんだね。絵も描ける?」
「マ マンガは一応描けるんだな。現視研っていうサークルで……」
「でんし…けん? 変な名前」
久我山さんは「げんしけん。略称だよ」とジト目でワタシを睨んで話を続けた。
そんな怒ることないのに。いや、怒っているのか無表情なのか分からない人なんだろう。
「そこの仲間と、くじアンの、ほ 本を出した時に……」
「え! どんな本を描いたの? 教えて、今度持ってきてよ!」
質問した途端、久我山さんは急に顔中に汗をかいてうろたえだした。

「あれ? 嘘なの?」
「い いや、うう 嘘じゃないよ。今は、て て 手元に無いからなぁ」
たわいもない会話は、入院生活が長くなった私の退屈や不安をやわらげてくれた。


ある日のこと。ワタシは、「久我山さん、マンガ家になれば良かったのに」と聞いてみた。

「き きびしいこと言うなぁ。なれればいいけど、な なれないから就職したんだろ」

もったいない。と、ワタシは思った。絵の描ける人がうらやましかったんだ。
「ワタシはマンガの編集者になりたいよ。絵は上手くないけどマンガは大好きだもん」
久我山さんは、軽くため息をついた。
「田中が…、な 仲間が言ってたけど、後輩に編集者をやりたい奴がいて、全然就職先が決まらないって。こういう業界は難しいからさ、は 早く元気になって、ふ 普通に勉強して普通の仕事をした方が吉」

「…そんなの、分かってるよ…」

ワタシはちょっと不機嫌になって足下の床に視線を落とした。
「?」久我山さんはワタシの様子に気付いて向き直し、ソファーが大きくきしんだ。


「お母さん達は心配ないって言うけど、同じ病棟に2年も3年も入院している人もいる。ワタシもこのままずっと病院暮らしなんじゃないかって恐くなる。早く元気になれと言われたって……」
ワタシは、溜め込んでいた不安を久我山さんにぶちまけてしまった。
「それに毎日、注射を打たれるんだよ。注射の針は嫌いだ。痛くって、刺してる時間も長くて、つらくて……」

「あ、ご ごめん」
久我山さんが悪いわけじゃないのは分かっている。でも、言葉はとまらなかった。

「……久我山さんだって普通の仕事より、マンガ家の方が良かったんでしょ。難しいからあきらめたの? やる気はなかったの? ワタシにだって夢ぐらい、見させてよ……」

ナースステーションから久我山さんを呼ぶ婦長さんの声がした。
久我山さんは無言で立ち上がり、ソファーが浮き上がった。


それから、ワタシは久我山さんには会わなかった。
自己嫌悪もあって、あのソファーに座ることがなかったから、会うこともなかった。

何日か経ったある日のこと。
「注射を打つから処置室に来てね」
看護婦さんがワタシを呼んだ。ワタシはいつものように、パジャマの袖をまくり、顔をそむけて目をつぶる。
だけど今日は、痛みがいつもより軽いと感じた。おそるおそる、刺されている腕に目をやった。

「あ、この針」
いつもの注射針じゃない。チューブ状で、蝶の羽根のような取っ手がついてる。看護婦さんがワタシの視線に気付いた。
「これね、翼状針って言うのよ。チョウチョ針とも呼んでるの。結構高いのよ。予定よりも多く仕入れたから、投薬治療が終わるまでこれでしてあげるからね」


看護婦さんは続けて、「注射が痛くて嫌だったのなら、我慢せずに言えば良かったのに……友達に感謝するのね」と言った。

「友達?」

ワタシは何のことだか分からず聞き返した。

「久我山さん。おっきいおじさんよ」
看護婦さんの話では、いつもはセールストークが下手な久我山さんが、前回の営業では婦長さんや担当医の先生に一生懸命に頭下げ、熱心に翼状針を売り込んだそうだ。
そのとき、ワタシが注射を痛がっていた話をしてくれて、婦長さんも先生に追加購入を勧めてくれたという。

そして、久我山さんは翼状針の納品を最後に、別の病院への営業に回ったので、もう来ないと言うのだ。
「最後の日も、婦長が“病室まで行ってあげて”って勧めたし、あなたをナースステーションまで呼ぼうとしたんだけど……」
話は途中から聞こえなくなっていた。
あの日以来、ソファーに座らなかったことを後悔した。


床に視線を落として黙り込むワタシの目の前に、看護婦さんが小さな紙袋を差し出した。
「これ、久我山さんからのプレゼント。翼状針使った日に渡すよう頼まれたわ。お上手ねぇあの人」
「お上手?」
紙袋の中には、色紙が入っていた。ワタシの大好きなアレックスと副会長の結婚式のイラスト。綺麗なウェディングドレス……それとなぜか山田が描かれていた。
山田だけが妙に手が込んでいた。
「本当に絵が上手いんだな。久我山さん」
色紙の端には、文字が描かれていた。

『後輩は、編集者になれました。俺もがんばるから、君もがんばれ』

あ、と思った時には、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。
ごめんなさい。あんなことを言って、ごめんなさい。
処置室を出てソファーに座った。
色紙を濡らさないように、久我山さんが座ってた場所に色紙を置いた。
軽い。ソファーはきしみもしなかった。

ワタシは両手で顔を覆って泣いた。


それからしばらくして、ワタシは退院できた。
入院していた時の不安なんて嘘のように、気分は晴れ晴れとしている。
だってワタシには目標があるから。
一生懸命勉強して、大学に行く。
椎応大学に入って、「げんしけん」と言うサークルを探して入会するんだ。

久我山さんのいた「げんしけん」の雰囲気は、話の中から伝わっていた。
頼りない元会長、
衣装やプラモ作りの名人、
コスプレ狂の現会長、
オタクじゃないのに入会した人、
完全無欠のイケメン、
時には意見をぶつけ合った後輩、
絵のうまい女の子(←結局この人が夏に描いたという、くじアンのマンガも見せてもらえなかった)、
神出鬼没のOB、
ギャル、
変人……。

楽しい話を聞くうちに、自然と“そっち系”への興味もわいてきた。
立派なオタク(?)になっちゃうかも知れないな……。
そう思いながら、ワタシは、まだ暑い院外へと飛び出した。


【エピローグ/1】
久我山光紀は、このところとても気分が良い。
医療機器メーカーの合同展示会で、以前の営業先の婦長と再会し、少女が元気に退院したと聞かされたからだ。
彼女は久我山が贈った色紙を枕元に置き、「マンガの編集者になる」と目を輝かせていたという。

仕事に愛着はないが、今回だけは一生懸命に翼状針を売り込んだ。
針を通した時の痛みの違いなど、気休め程度の差でしかないが、それでも何とかしてあげたかった。その努力は報われたと思った。

また、笹原から連絡があったことも久我山の気持ちを動かした。
編集プロダクションへの就職内定。彼の成功を少女に伝え、励ましたいとの思いで、遅筆の彼が懸命に色紙を描き上げたのだ。


【エピローグ/2】
「毎日、え 営業まわりでさ、し 死んでるよほんと」

彼は自嘲して笑う。自分がオタクであることに変わりはない。
だけどほんの少しだけ、仕事にもやりがいを感じた。

「ごめん田中、こ 今度の合宿、行けそうにないよ」

仲間と軽井沢に行くことはできなかった。
休みを取ろうと思えば取れたかもしれないが、残暑の中、営業まわりで歩くのも悪くはないと、この時の彼は思っていたのだ。
ひと仕事終えた後のアキバ散策が、また一段と楽しくなるから……。

久我山と少女。7、8年後、現代視覚文化研究会の古参OBと新会員として再会を…………するかどうかは、まだ分からない。