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11人いる! 【投稿日 2006/02/19】

・・・いる!シリーズ


西暦2006年4月。
結論から先に言うと、荻上新会長率いる現視研新体制下の新人勧誘は、男子5人女子6人の計11人という例年にない大漁で終わった。
後でサークル自治会の役員の人に聞いた話によれば、これは現視研創立以来最高記録であり、今年の新人勧誘では体育会系も含めて全サークル中トップだそうだ。

今年の新人勧誘が大成功した理由は、大きく分けて三つあった。
一つ目は、例のアキバ系小説原作のドラマと映画の大ヒットでオタクがちょっとしたブームになり、全国レベルでニワカオタや新人オタが増えたことだ。
椎応大学にもそんな新米オタが何人か入学していた。
普通こういった人が目指すのは、漫研かアニ研だ。
だがこの両会は、初心者オタには敷居が高過ぎた。
高校ならともかく、大学にもなって絵心のない人には漫研は入りづらい。
椎応に限って言えば、アニ研も事情は似ていた。
筋金入りの創作系オタにとっては魅力的な、年に何回か短編アニメを作っているという実績は、初心者にとっては逆に引いてしまうマイナス材料になった。
こうして消去法による消極的な選択ながら、ぬるい初心者オタたちが現視研に集った。

二つ目は、切迫感あふれる積極的な勧誘活動だ。
何しろ今年新入生がいなければ、冗談抜きに会の存続は厳しい。
今回の勧誘ばかりは、OBまでも巻き込んでの総力戦となった。
荻上新会長は、前回の失敗に懲りて今回はみんなの助言を聞きながら慎重にことを進めた。
前回クッチーをハブにして失敗したことへの反省から、今回はクッチーに裏方仕事や力仕事の大半を担当してもらった。
「あいつには仕事をたくさん与えてガンガンこき使ってやれば、喜んで真面目に働くよ」という咲ちゃんの忠告もあっての措置だった。
さらに新入生歓迎祭にて、大野さん発案で大野&クッチーのコスプレどつき漫才を敢行、これがウケた。
荻上さんも露出少な目な代わりにロリロリなコスで、自ら勧誘のビラを配った。
しかもそのビラとは荻上さん作のミニ四コマ集で、最近の漫画やアニメをネタにしたパロディ四コマと、四コマ形式の現視研の案内が収録されていた。


OBたちも時間を作って顔を出してくれた。
斑目などは本業をサボってビラ配りをやってくれた。
「ここ潰れたらメシ食う場所なくなるからなあ」
…まあ理由はともかく、斑目もがんばった。
さらに笹原のアドバイスにより、ずっとコス一色で押さずに途中で着替えて、私服でも勧誘するようにした。
あまりにもコスを前面に出し過ぎると、内気な初心者オタが引いてしまうからだ。
コスはこんなのもありますよ的な扱いに留め、今回は広く浅く人を集めることに専念した。
その結果、初心者オタ5人(男子4人女子1人)と創作系オタ2人(男子1人女子1人)が入会した。
(残り4人については、三つ目の理由で触れる)

三つ目の理由は、荻上さんの漫画家デビューだった。
合宿の後、荻上さんは笹原と付き合い始めた。
笹原は彼女のトラウマを知って、当初は2人で巻田君の所へ謝りに行こうと主張した。
だが転校後引っ越したので巻田君の居所が分からないと聞いて、このトラウマになった出
来事を漫画にしてみてはどうかと提案した。
それを彼がどこかで見てくれたら、許す許さないは別にして、荻上さんに悪意が無かったという事情が分かって少しは救われるかもしれない。
そして作品として昇華することで荻上さん自身も救われるかもしれない。
そう考えた上での提案だった。
荻上さんは自身初の長編であるその作品に、夭逝した某ロック歌手の歌のタイトルから取って「傷つけた人々へ」と題した。
ちなみにペンネームは、同人ネームより本名に近付けて「荻野小雪」とした。
笹原の薦めで巷談社の主催する春夏秋冬賞に出したところ、その作品は審査員特別賞を受賞し、月刊デイアフターに掲載された。
そしてこれがきっかけになって、デイアフター編集部から新連載の執筆依頼が来た。
当初真面目な荻上さんは、学業と会長業の2足のわらじ状態では連載は難しいと断った。
だが編集の人は熱心で「うちは作品の完成度優先主義で、1回や2回休載するのは珍しいことじゃない。2~3ヶ月で1本なら学業と両立出来るよ」と粘った。
結局秋頃から新連載開始することになり、今はその構想を練っている状態だ。



「傷つけた人々へ」に対する評価は、読む人によって好き嫌いが両極端に分かれた。
春夏秋冬賞の審査員は15人いたが、支持したのは3人だけだった。
だがその3人の支持ぶりは熱烈で、「この作品に何の賞もやらないのなら、今年で審査員を降りる」とまで言うほどだった。
以下はその3人のコメントである。
1人目 多少ヤオイがかった作風の少女漫画家
「古傷をえぐられるような痛さだが、目をそらすことが出来なかった。腐女子ならこの痛み分かるはず」
2人目 戦前生まれのベテラン漫画家
「田舎に疎開してた少年時代を思い出した。田舎の中学校の閉塞感がよく描けている。自
分も疎開先でいじめられてた漫画少年だったから、他人事とは思えない」
3人目 特撮が専門だが、アニメや漫画にも詳しいオタクライター
「この話は21世紀の『怪獣使いと少年』だ!中学高校の先生は生徒に読ませるべき!」

(注釈)「怪獣使いと少年」は「帰ってきたウルトラマン」のエピソードで、民族差別問題を宇宙人に置き換えて正面から描いた問題作。(脚本を書いた上原正三先生は沖縄出身)
特撮オタなら誰もが名作と認める一方で、好き嫌いとなると真っ二つに評価が分かれる。十年ほど前に聞いた話なので今でもやってるかは分からんが、ある中学の先生は社会科の教材として生徒にこの話を見せていたという

読者アンケートでは、ベストでもワーストでも上位にランキングされた。
荻上さんの中学時代のトラウマを基にしたこの作品には、ヤオイ系のイタい過去のある腐女子の読者の琴線に触れるものがあったようだ。
その一方でアンチ腐女子の読者は、露骨な拒否反応を示した。
2ちゃんねるにも崇拝スレとアンチスレが早くも立った。
そして残りの新会員の女子4人とは、崇拝スレ住人でもあるガチガチの腐女子だった。
彼女たちは受験前にも関わらず、たびたびオフ会を開いて情報の収集と交換を続けた。
そして志望校決定直前、遂に作者の荻上さんが椎応の学生であることを突き止め、椎応を受験したのだ。
ついでに言うと、彼女たちは調査の過程で荻同人誌をゲット、全員よりリアルなヤオイ描写を目指す写実派ヤオイなので、よけいに荻崇拝熱が高まった。



そんな4月のある日のこと。
荻上さんは部室を出てトイレに行った後、サークル棟の屋上に向かっていた。
ちょっと独りになっていろいろ考えたかったからだ。
今の部室は、それをやるには賑やか過ぎる。

階段から屋上が見えてくると、荻上さんは最後まで登り切らずに立ち止まり、屋上を見渡した。
サークル棟の屋上は誰でも自由に出入り出来るが、柵や金網等は無い。
幅はあるけど高さは膝ぐらいまでしかない、コンクリートの淵があるだけだ。
ちょっとした事故で、簡単に転落しかねない。
4階建てだから、下手すれば命に関わる大事故になる。
同じぐらいの高さの校舎の屋上から一度飛び降りた身の荻上さんにとっては、他人事ではない。
トラウマを克服したからこそ、逆に恐怖感と警戒心が強かった。
『いつも思うことだけど、ここの屋上危ねえな。笹原さんたち、よくこんな危ないとこでガンプラ作ってたなあ』
さらに荻上さんの思索は続いた。
『だけどもし「あの計画」を実行するなら、スペース的にはここが最適だな。でもやっぱ危ねえな。先に鉄柵か何か作んねえとな』

不意に背後に人の気配を感じ、荻上さんは残りの階段を登り切って振り返る。
階段の後ろのスペースに先客が居たのだ。
サイドに黒のラインの入った黄色いジャージの上下を身に着けた長身痩躯のその先客は、こちらに背を向けて不思議な動きを繰り返していた。
空間に向かってパンチやキックを放ち、その合間に手をあらぬ方向に振ったり押したり、ガードするかのように腕や膝を持ち上げたり、上体を左右に振ったりする。
どうやら具体的に仮想敵の動きを想定したイメージトレーニング、ボクシングでいうシャドー・ボクシングらしい。
しばしそれを不思議そうに見つめる荻上さん。
やがて一段落したのか、その先客は動きを止めて空手式の息吹きで呼吸を整えた。
そして背後の人の気配に反応して振り返った。



先客はクッチーだった。
朽木「おう荻チンじゃないの、こんなとこで何してんの?」
荻上「朽木先輩こそ何やってんですか?」
朽木「ちと空手の稽古をね」
荻上「そんなことは見れば分かります」
売り言葉に買い言葉でそう言ったものの、格闘技に詳しくない荻上さんには、クッチーの動きが典型的な空手の動きなのかどうかは判断が付きかねた。
昨今の空手は、素人目にはキックとあまり区別が付かない。
ましてやクッチーのそれは、新興の流派にありがちな様々な流派や他の格闘技の技をミックスした動きなので、玄人でもひと目では分かりにくい。
荻上「私が聞きたいのはそういうことじゃなくて、何で屋上でわざわざやってるのかってことですよ」
朽木「いやー最近の部室、賑やかで本読んでられないから、ついつい僕チンも参加して目いっぱい騒ぎたくなるんだけど、そしたらお師匠様の教えに背くことになるからね」
クッチーの言うお師匠様とは、彼が掛け持ちで所属している児童文学研究会(以下児文研)
の会長(以下児会長)のことだ。
児会長は彼に2つのことを命じ、彼もまた日々その言いつけを守っていた。
(児会長はあくまでもアドバイスの積もりなのだが、クッチーはそう受け取った)
1つ目は非日常的なイベント以外では静かにしてること、2つ目は児会長の薦める本を読むことだ。
(この辺の経緯は「あやしい2人」とリレーSS参照)
クッチーはストレッチをしつつ、以下のような事情を説明し始めた。
日々児会長の言いつけを守り、普段は大人しくしているクッチーだったが、彼のウザオタエナジーは年に何回かのイベントぐらいでは消費し切れないぐらい膨大だった。
まずは体を動かして発散しようと考え、家で体力トレーニングを始めた。
だが彼の肉体の適応力は、本人の想像を超えていた。
明日に多少疲れが残る程度の練習量を目安にトレーニングしてきたが、すぐに慣れてしまうのでドンドン回数を増やしていき、その結果夏頃には以下のメニューが日課になった。
(ちなみに夏合宿で妙に大人しく疲れ気味なのは、合宿中はトレーニングできないと思って前日に多目にやっておいた為だ)
腕立て伏せ200回 腹筋100回 背筋100回 ヒンズースクワット500回



これだけのメニューをこなすには、ストレッチも含めてかなりの時間を要する。
時間が何時間あっても足りないオタクにとっては、時間の無駄だ。
ウェイトトレーニングなら少ない回数と時間で同じ効果が得られるかもしれない。
そう考えたクッチーはフィットネスジムに通うことにした。
ちょうど学校の近くのビルの1階に、窓からたくさんのマシンが見える施設があった。
さっそく見学に行くクッチー。
だがそこは実は空手道場で、窓から見えない角度にサンドバッグや巻き藁があった。
(まだ道場が出来たばかりなので、看板や表示は無かった。)
安直な男クッチーは「これも何かの縁にょー」と入門することにした。
基礎体力が出来ていたせいと、新興の流派で昇段試験の審査がイージーなせいもあって、クッチーは半年も経たずに黒帯を習得した。
だがそれは言い方を変えれば、クッチーの体力即ちウザオタエナジーがパワーアップしたことを意味した。
彼にとっては本末転倒の想定外の事態だ。
結局彼は自らのウザオタエナジーを時折発散する為に、何時でも何処でも時間があれば稽古することにした。
まるでピーター・パーカーがスパイダーマンのスーツを日々着込んでいるように、いつもジャージを持ち歩いて。
(道着は一人で稽古するには仰々し過ぎるし、いつも持ち歩くにはかさばるのだ)

朽木「(軽くパンチを打ちながら)そんな訳で、余ったウザオタエナジーを発散してたわけだにょー」
荻上「まるで原発ですね」

(注釈)原子力発電所の原子炉は熱エネルギーが膨大過ぎる為に、その内のかなりの分は冷却水(海水)を湯に変えて海に捨てるという形で、電力に変換されること無く捨てられている。


朽木「ところで荻チンはどうしたの?」
荻上「いえ…別に何も無いです…」
朽木「ん?何か元気無いんじゃない?」
荻上「…別にそんなこと無いです」
だが確かに荻上さんは心もち元気が無い。
クッチーは荻上さんに近付くと、キリンが餌を食べるみたいにぬっと顔を荻上さんの顔の高さまで降ろした。
そしてたじろぐ彼女に対し、ニッコリ微笑んでこう言った。
朽木「学食でお茶しない?」

所変って、ここは学生食堂。
朽木「いやー不思議な光景ですなあ」
荻上「?」
朽木「こうして荻チンと差し向かいでお茶を飲むなんて光景、ちょっと前までは考えられなかったにょー」
荻上「それはお互い様です」
少し前まで部室で2人きりになることさえ嫌っていた相手と、ごく普通に向かい合って座ってお茶してる。
まあ確かにクッチーに言われるまでも無く不思議な光景だ。
それをさほど嫌とも思わない自分も不思議なら、そんな自分をごく自然にお茶に誘うクッチーも不思議だ。
まあ慣れたということもあるだろうが、やはり笹原と付き合い始めて気持ちにゆとりが出来て、些細なことではイラつかなくなった為かもしれない。
荻上「最近の部室、何だか落ち着かないんです」
朽木「1年生の子たちと上手くいってないの?」
荻上「(軽く首を横に振り)あの子たちはみんないい子です。礼儀正しくて、私みたいな自分より年下に見える会長相手に、あの子たちなりに敬意は示してくれてます」
朽木「まあ確かに良くなついてるよね。特にあの四天王の子たちは」
四天王とは、新入生の腐女子4人組のことである。
荻上「(苦笑)まあ、なつき過ぎですけどね」
朽木「確かにね。特にあの巨乳の子とゴッグみたいな子、何かと荻チンハグするもんな。大野さんでもあそこまでやらなんだもんな」



ふと沈黙する2人。
朽木「それなら問題ないのでは…」
荻上「ええ、問題はあの子たちじゃなく、私にあるんです」
朽木「荻チンに?」
荻上「感覚がまだ付いて来れないんです、あまりにも何もかも一気に変り過ぎて…」

荻上さんはクッチーに、今自分が捕らわれている違和感について語り始めた。
1年前、斑目たちの代が卒業して笹原たちの代が就職活動を始めると、現役の会員は恵子を含めても4人となった。
その4人にしても以前に比べて出席状況は悪かった。
大野さんは以前以上にやたらといろんなコスプレ関連のイベントに顔を出すようになり、その準備で出歩く頻度が増えた。
クッチーは児文研に掛け持ちで入会した。
恵子は何時来るか分からない。
結局現役会員では荻上さんが一番出席率がよかった。
(ついでに言うと、昼休み限定とは言え、それに次ぐ出席率を誇るのは斑目だ)
独りきりで1日中絵を描いていたことも、1度や2度ではなかった。
この1年間で部室に5人以上集まった日は、数えるほどしかなかった。

ところが今では、部室には最低でも6人は居る。
新1年生の大挙入会に加えて、従来のメンバーの出入りの頻度が今年になってもあまり減らなかった為だ。
いや、人によっては却って来る頻度が増えた。
斑目は新年明けた頃から社長に「早目に帰らしてやるから車校通え!」と命令されて早退することが多くなったので、自動車学校の前後の時間にも寄るようになった。
さらに免許を取った新学期頃からは、人手不足で外回りの仕事も手伝うようになり、勤務中に外を出歩きやすくなったせいか昼休み以外の時間にも時々来るようになった。
大野さんは卒業が半年遅れということもあってか、就職活動はのんびりしていた。
彼女の就職に対する考え方はアメリカ的で、納得出来る仕事に就けないのなら契約社員で何年か潰しても構わないと考えていた。
その一方で、父親の仕事関係のコネ入社の当てという、切り札の保険も確保していた。
そうなると卒業まで安心してめいっぱいコスプレを楽しめるので、連日部室にやって来て1年生たちをコスプレの道に勧誘し、その結果何人かは執拗な説得に折れた。


そうなると田中もコスする1年生本人に会う為に部室に来るようになった。
さらにこの1年ご無沙汰だった久我山までもが、仕事に慣れてきた上に大学の近所の病院が彼の顧客になったので、仕事の帰りに部室に来るようになった。
クッチーは真面目に就職活動してるのか傍目には分からない。
4年生の時の斑目と同じぐらい、頻繁に部室に出入りしている。
恵子は高坂卒業と共に疎遠になると思われていたが、先輩風吹かして威張れる相手が出来たせいか以前より頻繁に来るようになった。
そして意外にも、社会人1年生として一番忙しいはずの卒業生3人も頻繁に顔を出した。
笹原が初めての担当になった漫画家は、何と漫研の会員の3年生だった。
彼は大学の近所に下宿してる上に部室で執筆することも多い為、必然的に笹原も大学かその近所まで仕事で来ることになり、その前後に部室に顔を出すことになった。
ついでに言うと、かねてより懸念されていた荻上さんと漫研女子との関係は改善され、今では高柳がいた頃のような友好関係を築いていた。
笹原と漫研会員の漫画家との縁、人格者の笹原が間に入ってくれたこと、「傷つけた人々へ」が荻上さんの自伝と漫研女子が知ったことなどが全て上手くプラス方向に作用した為だ。
咲ちゃんは店の出資者の1人が椎応の学生(株で1発当てたが、それに熱中し過ぎて留年した)だった為にしばしば大学を訪れ、そのついでに部室にも寄った。
どうやら1年生たちの中で、バイトに雇えそうな者を物色中らしい。
ちなみに店の開店そのものは4月開店の予定より遅れていて、夏頃開店の予定だ。
高坂は後輩たちをゲームのモニター代わりにする為に、むしろ4年生の時より来るようになった。
何でも最近は男性向けだけでなく女性向けのゲームも作り始めたので、現役の腐女子の意見を聞きたいらしいのだ。
いつの間にか現視研は、某高校の変わった名前の写真部みたいに、異様にOB出席率の高いサークルになりつつあった。


朽木「まあ確かに、今の部室っていつも賑やかで、前みたいに黙々と絵を描いたり本読んだり出来る雰囲気じゃないにょー」
荻上「人間の感覚って、勝手なもんですよね」
コーヒーをひと口飲んで荻上さんは続けた。
荻上「どんな悪い環境でも、それが長く続くと慣れちゃうんですよね。だから今みたいに急な変化には感覚が付いて来れないんですよ。良い方への変化なのに…」
朽木「寂しい部室に慣れちゃったわけか。寂しさで泣いちゃったこともあったのに…」
荻上「(赤面)なっ、何で知ってるんです?」
朽木「いやーあの日の夕方、部室に入ろうとしたら荻チンの泣く声が聞こえたんでね。あそこで僕チンが入ったら嫌がると思ったから、そのまま帰っちゃったんだ」
荻上「そうだったんですか…」
朽木「まあ気になったけど、ちょうど入れ違いで笹原さん入ってくるの見たから安心して帰っちゃった。今思えばナイス判断だったにょー」
アイスコーヒーを一気に飲み干すクッチー。
(この辺の経緯は「ひとりぼっちの現視研」参照。筆者は違うけど)

クッチーの思わぬ気配りに気を許したのか、荻上さんは彼女の抱えるもう1つの不安を打ち明けた。
荻上「私、後輩を持つのが初めてなんです」
中学の文芸部には下級生が居らず(風のうわさによれば荻卒業の年に廃部になったそうだ)高校時代は帰宅部だった。
朽木「恵子ちゃんは?」
荻上「あの人は…身内ではあるけど後輩というのとは微妙に違うような…」
朽木「やっぱり?実は僕チンもそんな感じにょー」
荻上「だから嬉しいことは嬉しいんですけど、後輩に甘えられるってシチュエーションに慣れてないんです」
朽木「まあ確かに、いきなり出来た後輩が女子高生のキャピキャピ感残る腐女子たちで、そんなのに『荻上さまー』ってベタベタ甘えられちゃ、戸惑うのも無理ないか」
荻上「私はお蝶夫人や姫川亜弓じゃないんだから…」




しばし沈黙の後、クッチーが口を開いた。
朽木「荻チンってやっぱり真面目だね」
荻上「えっ?」
朽木「初めてだから慣れてないのは当たり前なんだし、難しく考えずに自然にやってればいいんじゃない?」
荻上「そんな簡単に…」
朽木「大丈夫だって!今の荻チンなら自然にしてれば問題無いって!」
やや声を大きくして強く言うクッチーに驚く荻上さん。
朽木「笹原さんと付合い出してからの荻チンって、自分じゃ気付いてないと思うけど、凄く穏やかで明るい顔してるにょー。前は殆ど見たことなかった笑顔も見せてるし…」
思わぬ褒め言葉にリアクションに困り、コーヒーを飲みかける荻上さん。
そして急に赤くなったクッチー、何気に爆弾発言。
朽木「いやーこんなに可愛く変るんなら、僕チンが先に口説いときゃよかったにょー」
思わずむせる荻上さん。
荻上「なっ、なっ…(言葉が出ない)」
朽木「まあもっとも、僕チンでは荻チンのトラウマを癒すことなんて出来んかっただろうな。やっぱり笹原さんは偉大だにょー」
彼氏を褒められて赤面する荻上さん、照れ臭さから強引に話題を変える。
荻上「そう言えば朽木先輩、就職活動ってやってるんですか?」
朽木「まあそれなりにね」
荻上「どんなとこ狙ってるんですか?」
朽木「どんなとこって言うか…時間の拘束のきつくなさそうなとこ探してるだけだから、職種はこだわってないよ」
荻上「それはまたどうして?」
朽木「いやー卒業までにものに出来るか分からないんでね…実は僕チン、最近小説書き始めたのよ」
コーヒーを飲みかけてた荻上さんは、再びむせた。
朽木「やっぱ変?」
荻上「い、いえ…あまりにも意外だったんで…」
朽木「まあ中学生ぐらいを対象にした、ジュニア小説みたいなやつなんだけど、賞でももらえたらそのまま物書きでやってく積もりだにょー」
荻上「へー」
朽木「でもあと1年足らずじゃ難しそうだから、とりあえず働きながら書こうと思ってるんだ。僕チンはお師匠様みたいに賢くないから院には上がれんし」