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いつか見た夢の続きを 【投稿日 2006/02/18】

カテゴリー-笹荻


それは一枚の葉書から始まった。
『現代視覚文化研究会OB会のお知らせ』
(誰が出したのだろう?)
笹原の疑問に答える人はいない。
就職後改めて借りたアパートの一室、酷く雑然としたその部屋に、たばこの煙が立ち昇る。
「もう5年か…」
つぶやきと共に記憶を遡る。
あれはまさに人生の転機だった。あの時間が無ければ、自分の趣味を隠しながら、一消費者として生きていただろう。時に無責任な批評をしながら。
それは酷く気楽で、仕事に疲れた今の笹原には魅力的に見えた。
編集という仕事を選んだ事には後悔はない。自分で作り出す事は出来なくとも、『共に』作りだす事はできる。作家の気まぐれに振り回されながらも、一つの作品を作り上げた時の喜びは決して嘘ではない。
とはいえ、この五年でろくな成果をあげていない事実は笹原を苦しめる。
上司の小野寺は「運が悪いな、お前」と一刀両断してくれた。自分の才能について質問した時は、「才能より成果を示せ」というつれない返事が返ってきた。それが小野寺流の慰めだと知っていても、堪えた。
たばこをもみ消し、葉書を睨む。
何の変哲も無い往復はがき。印刷された特徴のない文字。あて先は少し悩んだが、現視研の部室だと思い当たった。
笹原は何かを期待して、出席にマルをつけた。

「変わらないねえ、高坂くんは」
互いの近況を話しながら部室へ向かう。高坂の説明によると、高坂と咲の二人は卒業後半年で結婚したそうだ。お互いに酷く忙しくて、式も何も無く、婚姻届を出しただけ、との事だが。実際今でもあまり一緒にいられないのだそうだ。
それでも大丈夫なのか、という問いに高坂は、「大丈夫。ちゃんと愛し合ってるから」と満面の笑みで返してくれた。
(はいはい、ごちそうさま)
心の中でつぶやいて、サークル棟の入り口をくぐった。相変わらず雑然としているが、改装されたのか壁も床も天井もきれいになり、張り紙もほとんど無くなっている。少々寂しく思いながら歩く。
「そういえば春日部さんは来るの?」
「電話したら、表が明るいうちに店を空けられるか~!って怒られたよ。でも、どうせ飲み会になるだろうから、その時は顔くらい出すって」
そんな事を話すうちに現視研の前にたどり着く。扉もきれいに塗り替えられ、小さ目のネームプレートに「現代視覚文化研究会」とある。少々緊張しながらドアをノックして、開けた。

そこには良く知った顔と、見知らぬ顔があった。
「お久しぶりです。斑目さん…と」
「お、おい。いくら久しぶりでも、そ、それはないだろ」
「あっはっは、やっぱわかんねーよ、普通。変わりすぎだって」 
「お、おまえが変わらな過ぎなだけだろ」
見知らぬ顔は久我山だった。何でも一念発起してダイエットしたそうだ。体だけでなく顔つきまで変わっているとは…。
再び互いの近況報告。斑目は今も同じ会社に勤めているそうだ。さすがに部室に昼飯を食べに来る事はなくなったが。久我山は二度ほど転職して、現在は某社の事務をしている、との事。ちなみにダイエットの理由は、彼女に言われたから、らしい。
「田中さんと大野さんは?」
「さっきまでいたんだが…辺りを見てくるってさ。それに今や田中夫妻だしな」
「へえ、そうだったんだ」
「こ、高坂くん知らなかったの?結婚式の招待状、行った筈だけど…」
「いつ頃?…ああ、その時期は忙しくて会社に泊まりこんでたから…」
そんなやり取りを聞きながら部屋を見渡す。ポスターや並んでいる本は変わっても、基本的な配置は同じだった。並んでいる本の中に、自分が担当した作者の本を見つけ、軽くあわてる。
「どうした?笹原」
斑目の問いに何か答えようとした時、ドアが開き。
「「「ただいま~」」」
と三つの声が響いた。二つはよく知った声。もう一つ、聞きなれない子供の声は、二人に手を引かれた幼女のものだった。
挨拶を交わし、三度近況報告。田中と旧姓大野とその娘については、全く知らなかったわけではない。田中は今ではコスプレ業界のカリスマwとして結構有名になっている。おまけに妻と娘がこの間のコミフェスで親子でコスプレして話題になっていた。
「こーにゃにゃーちわー!」
能天気な声と共に朽木登場。異常にハイテンション。無駄に騒いで、すべって、転ぶ。沈黙が痛い。視線が痛い。特に田中の娘の視線は絶対零度。でもくじけない。
「どうでしたか~!最近芸人を目指して猪突猛進してるであります!」
部屋に皆のため息が満ちる。
結局、高坂の「普通に喋れば?」の一言で常態にもどった。
そして。
「…こんにちは」
聞きたくて、聞きたくなかった声が聞こえた。

一通り挨拶をかわす。
「それで今何をやってるんです?」
「普通に会社勤めしてます」
「ところで漫画の方は?」
「やめました」
「全くやめちゃったの?」
「はい」
旧姓大野と会話する荻上から目を逸らし。別の事を考えようとする。思い出す。思い出してしまった。
あれは卒業式の日。
「別れましょう」
荻上の唐突な言葉に、声が出ない。
「就職したら笹原さんも忙しくなるでしょうから…邪魔になりたくないんです」
そんなことはない、と何度も訴えた。けれど返ってきたのは、
「もう決めましたから」
という言葉だった。
その後は良く覚えていない。多分酷い言葉で彼女をなじったと思う。ただ、彼女は決して涙を見せなかった。そして、去り際に浮かべた寂しげな微笑を、覚えている。
その後一年は忙しくて思い出す暇さえなかった。二年で苦痛になり、三年で稀になり、四年で忘れた。忘れたと思いたかった。
ちらりと視線を向けると、あの頃のままの少し不機嫌そうな顔で話す彼女がいる。
さらに視線をめぐらすと、何か言いたげな斑目に気付く。
「何か?」「いや」
短く言葉を交わす。短い沈黙の後、思い出と近況を話し合う。彼女の思い出に触れないように。

「やあ、だいたい揃っているようだね」
外が薄暗くなってきた頃、ドアを開ける気配すら見せずに初代会長が現れる。全然変わっていない。容姿もその態度も。
「今回皆を集めたのは、最後を見届けて欲しかったからなんだ」
「うん、今年で終わりなんだ。部員がいなくなってね」
「ああ、それはいいんだ。この部屋はそのまま倉庫になるだけだから」
「どうやって?本当に知りたい?」
皆の矢継ぎ早の質問に淡々と答えを返す初代。
「じゃあ、そろそろ行こうか?」
一通り質問が終わると、唐突に切り出した。飲み会をセッティングしているらしい。
皆が部屋を出る。閉じたドアに初代が鍵をかけ、ネームプレートを取り外す。それらをポケットに入れ、初代は歩き出す。(返さなくていいんですか?)と皆が思ったが、聞いた人はいなかった。

「じゃあ、そろそろ行こうか?」
一通り質問が終わると、唐突に切り出した。飲み会をセッティングしているらしい。
皆が部屋を出る。閉じたドアに初代が鍵をかけ、ネームプレートを取り外す。それらをポケットに入れ、初代は歩き出す。(返さなくていいんですか?)と皆が思ったが、聞いた人はいなかった。
会場はごく普通の居酒屋だった。少しほっとする一同。そして皆が席につく頃には初代の姿は無かった。「会計は済んでます」という伝言を残して。
飲み会はしめやかに始まった。何かを思い出していたのかも知れない。それが変わったのは、朽木の空気を読まないギャグのおかげだった。
「「こんばんわ」」
宴がそこそこ盛り上がっている中、咲と恵子が現れた。ちなみに恵子は、学生時代の借金のカタに咲の店で働いている。実際には普通に給料をもらって、それから借金分を天引きされているのだが。返した側から借りるため、完済はいつになるのかわからないそうだ。
二人を加えて宴はさらに盛り上がる。そんな中、荻上の笑い声を聞くたびに、笹原は傷ついたような気がした。

宴は、眠り込んだ娘を抱いて田中夫妻が退席すると、それを皮切りに咲と恵子が、高坂が、久我山が帰っていった。3人で静かに飲む。
「よし、じゃあお開きにするか!」
斑目の提案に賛成する。そして店を出たところで物陰に引きずりこまれた。
「なんなんですか、いったい」
「笹原…言いたい事があるならちゃんと言っておけ」
「斑目さんに言う事なんてないですよ」
「違う。荻上の事だ。…何があったかは知らんし、知りたくも無い。でも、言いたい事があるなら彼女にちゃんと言え」
「斑目さんには関係ないでしょう!」
怒鳴る。苛立つ。抑えてきた、忘れたはずの感情が蘇る。それが怒りなのか、悲しみなのか、後悔なのか、思慕なのかはわからない。ただ、それは笹原を責めたてた。これでいいのか、と。
「関係はないさ…ただ、言いたい事をいえなかった人間がどうなるか、を知ってるだけだ」
それだけ言い残して斑目は去っていった。


店の前には荻上が一人立っていた。
「えーと、荻上さん?」
声を掛けたはいいが、次の言葉が見つからない。頭の中がぐるぐる回りだす。何か言おうと思った時、
「ようやく話し掛けてくれましたね」
そう言って彼女は軽く微笑んだ。
その後、彼女に誘われ、一緒にタクシーに乗り、彼女の部屋へ行った。机に載ったトレス台に気付く。
「あれ、漫画やめたんじゃ…」
「嘘です。でも…誰にも見せない漫画なんて、意味ないですよ」
「どうして…」
「…わからなくなったんです。自分が何を描きたいのか。何をしたいのか」

「あれから何回か本を出しました。売れた時も、売れなかった時もありました。買ってもらえることが嬉しくて、皆が好きそうな物を描いて、それで本が売れて…」
「皆が私を受け入れてくれた気がして…嬉しくなってもっともっと描きました…でも気付いたんです。自分が、好きでもない作品の、好きでもないキャラを、好きでもないシチュエーションで描いてることに」
「ずっと私の本を買ってくれた人がいるんです…コミケの外でも会って、いろんな話をしました…でも、この前言われたんです。『荻上さん、嘘が上手くなったね』って」
「ショックでした…それで、本当に自分が描きたいものを描こうとしたら…何も思いつかなかったんです…」
「描いても、描いても、そこにあるのはいつか見たようなシーンと台詞しかなくて…」
告白を続ける彼女。その顔にはいつか見た寂しげな微笑。


(ああ、俺は馬鹿だ。彼女は泣いていたんだ。悲しくて、苦しくて、でも俺に迷惑を掛けたくなくて、必死に堪えていたんだ。)
彼女を強く抱きしめる。彼女が暴れる。
「同情なら止めてください!」
「同情なんかじゃない!」
彼女の肩をつかんで顔を覗き込む。
「俺はまだ荻上さんが好きだ。だから力になりたいし、一緒にいたいんだ!」
「嘘ですね」「嘘じゃない!」
頑なに拒む荻上に業を煮やし、むりやり唇を奪う。そしてきつく、きつく抱きしめた。
やがて唇が離れ、彼女は笹原に呟いた。
「痛かったです」
「ゴメン」
「ひどいです」
「ゴメン」
「…もう二度と離さないでくれますか?」
荻上は顔を赤らめて尋ねる。
「誓うよ」
笹原の言葉に、彼女は、泣きながら、笑った。

それからも笹原の忙しい日々は続く。相変わらず担当作品の評価は伸びない。加えて家にはもう一人の担当作家がいる。それでも頑張る。売れるだけでも、作者の自己満足だけでもない面白いものを目指して。
「ずいぶん張り切ってるな。なんかあったか?」
「いえ、目標を再確認しただけですよ…ねえ、小野寺さん。」
「なんだ」
「誰かに必要とされることって嬉しいですね」
小野寺は呆気にとられた顔をすると、処置なし、と言わんばかりに肩をすくめ、自分の仕事に帰った。