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テーブルの距離 【投稿日 2006/02/01】

カテゴリー-笹荻


笹荻成立後の話。

二人が付き合い始めて少しした頃。
その日、笹原はもう何度目かになる荻上の部屋へ訪れていた。
「あ、どうぞその辺に座って下さい」
「うん。あ、これ来る途中で買ってきたんだけど」
そう言ってコンビニの袋に入った飲み物を取り出す。それと菓子類がいくつか。
「すみません、わざわざ」
「いやぁ、事前にメールで何かいるものがあるか聞いても良かったんだけどね。あ、荻上さんも座ったら?」
落ち着かない様子で空いた袋などを片付けている荻上へ促すと、
「は、はい」と躊躇いがちに笹原の斜め向かいへ腰を下ろした。
真正面でも隣でもない、二人の今の関係を象徴するかのような微妙な位置。
そう、二人は付き合うようになったものの、荻上のその雰囲気は今までとあまり変わらぬぎごちないものだった。
以前のように笹原を拒絶するようなことはないが、距離が縮まったとも言えない態度。
そんな荻上の行動を見てふと考え込む笹原。
(確かに付き合い始めたけど、やっぱりまだ遠慮というか、……警戒されてるのかな)

「……あの、どうかしましたか?」
その様子に気付いて、不安そうに荻上が訊ねる。視線を受け、
自分がやや険しい顔をしていたことに気が付いた笹原は、軽く笑顔を浮かべて答えた。
「ん? ああ、いや。うん、大したことじゃないよ」
そのまま少し黙り込んだかと思うと、おもむろに荻上を見て「そっち、行ってもいいかな」と立ち上がった。
「え? え?」
訳も分からず狼狽する荻上を気にした風も無く、テーブルを回り込んで笹原は荻上の後ろに立つと、
そのまま真後ろに座った。
「ちょっとごめんね」
「あ、あの……、笹原さん?」
赤面しながら慌てて振り返ると、思ったよりずっと笹原が近くにいて、荻上は急いで前を向く。

(うわ! うわ! 近ぇ!! って、笹原さん、一体何で突然そんな……)
あらぬ妄想が頭をよぎり、思わず肩に力が入ってしまう。それに気付いた笹原は、慌てて言い訳をした。
「あ、いや、別にそんな、……やましいことをしようという訳じゃなくて」
そう言いながらも、「そう思われてもしようがないよなぁ、と言うか実際したいし」などと考えているが、
それは口に出さず言葉を続けた。
「その、練習をしようと思って」
「練習?」
聞き返しながら振り返ろうとするが、はっと気付いてまた前を向く。
その様子を微笑ましく思いながら、笹原は荻上を抱えるように手を伸ばした。
「あっ、あの! さ、笹原さん!?」
耳まで真っ赤にして体を強張らせる荻上、しかし抵抗する様子はない。

「あ、ごめん。嫌だった?」
急ぎすぎたか、と思い謝って離そうとする笹原に、荻上は首を微かに振った。
「……別に、嫌じゃないデス」
あくまでそっぽを向いたままそう答える荻上の姿に、
思わず笑みをこぼしながら笹原はほっとして言った。
「そ、そう? それならいいんだけど」
そして少しの沈黙。ほとんど密着している所為か、お互いの体温を衣服越しに感じる。
これでそれぞれの位置が逆ならば、「当ててんのよ」ということにもなるだろうか。
(それにしても、荻上さん、いい匂いだな……。うちの妹とは大違いだ)
初めて身近で感じる異性の匂いに、思わず「ワープ」する笹原。心なしか鼻息が荒くなっている。
すぐ後ろにいる笹原の吐息が首もとに当たってこそばゆいので、気を紛らわす意味も兼ねて荻上は先程の質問を繰り返した。

「それで、練習ってどういうことなんですか?」
「へ? あ、ああ、うん。練習ね」
ようやく現実に戻ってきた笹原は、落ち着くために小さく咳払いをした。
そして考えていたことを真剣に伝える。
「えっと、単刀直入に言えば距離感と言うか、人と関わる練習、かな」
「?」

不思議そうに小首を傾げる荻上に、笹原は言葉を続けた。
「俺、今まで女の子と付き合ったことなんてないから、どう接していいかいまいちよく分からなくてさ。
 出来れば、その、もう少しお互いに遠慮しないで話が出来るような関係になれればいいな、と思って。
 そういう意味で、練習と言うか、少しずつお互いを知っていく、みたいな」
「……はあ」
「いや、座る位置を変えたのはね? その、向かい合って話すと照れちゃうし、
 隣同士で目を合わせず話すのもあれかな、と思って。この体勢だと、
 お互い顔を合わせなくても相手を感じていられるからで、って別にそんな変な意味じゃなくて」

荻上の反応が薄いためか、言い訳じみた説明を必死に捲し立てる笹原。
しかし、言葉にすればするほど本来の気持ちから遠ざかっているような気がして段々と不安になってくる。
(いかんいかん。落ち着け、俺)
小さく息を吸って無理矢理気持ちを落ち着けると、笹原は仕切り直すように言った。
「その、荻上さんが不安になったり、遠慮しないでいいように、俺のことを知って欲しいし、
 荻上さんのことをもっと知りたい。って、ダメかな?」
笹原の問いかけに、小さく荻上が首を振る。
「ダメじゃ、ないです。私も、笹原さんのこと、もっと知りたいですから…」
俯いたままの小さな呟き。
しかし、笹原の耳にはしっかりと届き、それが耳から脳に達した瞬間、心拍数が一気に跳ね上がった。
(え? 何? これって、もしかして「そういうこと」?)
一方的な勘違いにより理性のタガが外れそうになる寸前、荻上の言葉が笹原を正気に戻した。
「あの……」
「ん?」

我に返った笹原は、自制を失っていたことを悟られないよう出来るだけさりげなく返事をした。
しばらく躊躇った後、髪に隠れていても分かるほど耳を真っ赤に染めながら荻上が訊ねる。
「……笹原さんは、その、こんな私の一体どこを、……好き、になったんですか」
最後の方はほとんど消え入るような声で呟いた。荻上の背中から感じる体温が少し上がったような気がする。
それだけ切実な問いということなのだろう。
それを感じ取った笹原は、ゆっくりと言葉を選びながら答えた。
「んー……、そうだね。感情を言葉にするのは中々難しいけど、それでもいいなら」
「はい」
こくりと頷く。握りしめた手の平に汗が滲んだ。
(我ながらホント図々しい質問だぁ)
穴があったら飛び降りて、いや、飛び込んで消えてしまいたいと思う。しかし、荻上にとってはどうしても聞いておきたいことだった。

自分で自分が認められない。それなのに、そんな自分を受け入れてくれる。
その気持ちはすごく有り難いと思うし、信じたい。
だけど、自分を否定しているためにどうしても認められない。
そのために、どうしても今でも笹原に対して一歩距離を置いてしまう。
このままではいけないと分かっているのに。
(笹原さんも距離感の練習って言ってた。私も、近づく練習をしないと)
そんな荻上の思いに応えるように、笹原はようやくまとまった思いを口にした。
「…俺が荻上さんを好きなのは、いつも一生懸命で、時々暴走しちゃうこともあるけど、でも実は割と周りに気を遣ってもいて、そういう不器用だけど、一途で、……優しいとこかな」
「…………」
笹原の言葉は確かに荻上に聞こえていた。その証拠に何度も頭の中で反芻している。
(優しい? 今、優しいって言った? 私が? 笹原さん、一体誰のことを言ってんだろ)

意外な言葉に動揺を隠せない荻上。そして笹原もまた、何の反応も示さない荻上を見て戸惑っていた。
(あれ? 俺、今まずいこと言ったかな)
そうした突如訪れた気まずい雰囲気の中、何かを堪えるように荻上は口を開いた。
「一つ、聞きたいんですが」
「何?」
「……優しいって、私がですか?」
「う、うん。そうだけど」
その答えで堰が切れた。
「前にも言いましたよね」
出来るだけ低く抑えていたトーンが徐々に上擦っていく。
自分が感情に飲まれていくのが分かる。けれど止められない。
「私は、前に笹原さんに言ったとおり、人を傷つけて……、
 それでも自分の欲望のために同じことをやめられずに繰り返している!
 そんな人間なんですよ!? それのどこが……」
ダメだ、と思った。こんなこと言いたくない、と。
けれど、一度頭に上った血はそう簡単に抑えられるはずもなく。
「そんな人間のどこが優しいって言うんですか!!」
気が付けば、俯いたまま爆発していた。わなわなと震える細い肩。
(私、また……)
自己嫌悪に苛まされる。笹原の見ている自分と、自分の思う自分との乖離。
そのギャップに寂しさと不安と怒りが入り交じった、例えようのないほどのどす黒い感情が渦を巻く。

高ぶった思いがそのまま涙へ変わろうとした時、後ろから回されていた笹原の手に、そっと力が込められた。
「ごめん、上手く伝えられなくて」
同時に耳元で聞こえる、少し不安そうな優しい声。
ただそれだけで、自分でも驚くほど気持ちが落ち着くのを感じた。
(……笹原さんはずるい)
そう思いつつも、笹原の手にそっと触れてみる。顔は見えなくても、確かにそこにいるという実感。
笹原が最初に言ったことが何となく分かる気がした。
軽く息を吐いて顔を上げる。
「私の方こそすみません。自分で聞いておきながら、取り乱してしまって」
素直に謝る。そうすることで、心が軽くなるのを感じて少し戸惑った。
「あぁ、うん。…まぁ、それは俺の所為でもあるし、気にしないで」
先程より少し離れた位置から笹原の声が聞こえる。

「ただ、俺はやっぱり荻上さんは優しいと思うよ」
自分を責め、嫌ったままの荻上。
そんなことを放っておくことは出来ず、笹原は再び同じ主張を繰り返した。
自分の好きになった人の良いところを、好きだからこそ、その本人に一番分かってもらいたい。そう考えて。
「……それは、どうしてですか?」
今度は冷静に聞き返すことが出来た。
そのことに笹原も安堵し、荻上の肩越しに様子を窺いながら慎重に口を開いた。
「過去のことは、もう起きてしまったことだし、俺は何も言えないし言わない。
 けど、荻上さんはずっとそのことを悔いて、人を傷つけたくないって思ってきたんだよね?
 そういうのって、……やっぱり俺は優しさだと思うんだ」
笹原の言葉が胸に響く。
けれど、長い間刻まれ続けた心の傷はそう簡単に消えるはずもなく、どうしても素直に受け止めることが出来ない。
「でもっ、やっぱり、また描いてしまってるわけですし……」
そう言ってまた項垂れる荻上に、笹原は諦めず言葉をかける。

「うん、だけど前にも言ったよね。妄想は誰にも止められないって。
 それに、今回のは俺が何も言わなかったら、誰にも知られずに済んだわけだし、
 荻上さんは人を傷つけたくて描いたわけでもないんだし」
笹原の言葉を荻上はただ黙って聞いている。
「だから、気にしないでとは言わないけど」
「………………」
「そんなに、自分を責めないで」
涙が溢れたのは、笹原の声が優しかったからか。
それとも、それがずっと聞きたかったと望んでいた言葉だったからか。
笹原の腕に手を重ねたまま、静かに荻上は泣いた。その涙は決して悲しさから来るものではなく、
どちらかと言えば久しく味わったことのない、暖かさから来るものだった。

そのまま少しの間、荻上は泣き続けた。やがてその泣き声が小さく治まった頃、笹原はそっと声を掛けた。
「大丈夫?」
「……すみません、何かいつもこんなとこばかり見せて」
まだ少し鼻声のまま答えると、荻上は何かをきょろきょろと探し始めた。
「?」
「あ、あの。ちょっといいですか?」
そう言うと、笹原の腕をそっと外して立ち上がる。
「すみません、すぐ戻りますんで」
そのままそそくさと部屋を出る。笹原は少しぽかんとした後、「ああ」と頷いた。どうやら荻上は洗面所へ向かったらしい。女として泣いた後というのは色々と気になるものなのだろう。

笹原は何となく息を吐くと、買ってきた飲み物が袋から取り出してそのままになっていることに気が付いた。
(コップとか、…いるかな)
自分の分はそのままでいいやと目に付いた一本を手に取る。
蓋を開けて喉に流し込むと、生き返ったような心地がした。
(もっとしっかりしないとな)
一息ついて落ち着いたのか、冷静に自分に言い聞かせる。
何となく、飲み慣れた缶コーヒーがいつもより甘い気がした。
(ブラックにすれば良かった)
そんな事を考えているうち、荻上が戻ってきた。
目元にまだ少し赤みが窺えるが、黙っていれば分からない程度だ。
「おかえり、荻上さんも何か飲まない? もうぬるくなってるけど」
努めて明るく声を掛けると、荻上は「あ、じゃあ私、コップ取ってきます」と再び部屋を出ていった。

コップを持って戻ってきた荻上は、何か迷っているような様子でテーブルと笹原の間をちらちらと見回した。
「どうしたの?」
笹原が訊ねると、「あ、いえ」と口ごもってまだ何かを躊躇っている。
不思議そうな顔で見守っていると、荻上は笹原の隣に歩み寄り、
「失礼します!」とやたら気合いの入った声で断ったかと思うと、そのまま腰を下ろした。
恥ずかしさの所為か、首もとまで真っ赤になっている。
一瞬呆気に取られた後、笹原は荻上の行動の意味を知って赤面した。
触れ合うほどの距離ではないにしろ、確かに隣に彼女がいる。
ついさっきまでは斜め向かいに座ろうとした彼女が。

口にするとせっかくの空気が壊れそうなので、意識して全然関係ないことを口走る。
「あ、ええと、荻上さん、どれ飲む?」
「え、あ、じゃ、じゃあ、私はこれを」
「あ、俺が注ごうか?」
「い、いえ、自分で注ぎますから」

ぎくしゃくとしながらも、確実に距離は縮まっている。
お互いを意識するあまり、会話は途切れ、ふと顔を上げれば目が合い、そしてまた黙り込む。
話を振ろうとすれば声が重なり、相手に譲ろうとすれば相手も譲る。
今だけしか味わえない、特別な空気。意識すればすぐに消える。
けれど、それは今、確かにそこにあった。
緩やかに流れる時が二人を優しく包んでいた。窓の外では夕日が空を染め上げている。
笹原と荻上、二人にとって特別な一日は、けれどまだ続いていくのであった。