会いたくて-おまけ- 【投稿日 2006/01/21】

カテゴリー-現視研の日常


翌日。昼下がりの部室には、笹原と荻上、それに大野、斑目の姿があった。
皆、思い思いに自分の時間を過ごしている。そんなまったりとした空気の中、突然勢いよくドアが開かれた。
全員の視線が向けられた先にいたのは、溢れんばかりの笑顔で挨拶する春日部であった。
「ういーす!!」
心なしか肌がつやつやとしている。そんな春日部の昨日までとはまるで違うテンションと上機嫌ぶりに押されてか、
みんなそれぞれ気圧されたようにぱらぱらと挨拶を返す。
そういった空気を気にした風もなく、当の春日部はつかつかと部室内に入ると笹原へ歩み寄り、
その肩をばんばんと叩きながら喜色満面に言った。

「や! ササヤン昨日はどうもありがとね!」
「……え? あ、ああ。うん」
春日部と共に視線の集中を浴びて、困った笑いを浮かべながらとりあえず相槌を打ちつつ、
笹原は「昨日?」と記憶を掘り返していた。
昨日は荻上の機嫌を直してもらうためにかなりの労力を割いたので、他の記憶がいまいち霞んでいたのだ。
(そう言えば、部室に来る前に春日部さんと話をしたっけ)
ようやく思い出したその時の会話の内容と今の春日部の様子を照合し、脳内で一定の結論を導き出す。
「…何か、うまくいったみたいだね。良かった」
「おかげさまでね。ばっちし!」
にっひっひ、と笑いながらブイサインを作る。周りの者は一体何の話かと全くついていけていない。

「お礼に今度ご飯でも奢るから」
「別に気にしなくていいのに」
苦笑しながら笹原が答える。隣から感じる荻上の視線がちくちく痛い。
(というか気のせいじゃなくて何か本当に痛い。特に荻上さんがいる側の右太ももが痛い って痛い痛い痛たたたたたたたってめちゃくちゃツマまれてるーッ!?)
よく見ると、表情一つ変えずに荻上が机の下で笹原の右足をぎりぎりとつまみ上げていた。ガスコンロであれば火力が最大になるくらい捻り込んでいる。
「お、荻上さん?」
「何デスカ? 笹原さん」
冷や汗をたらしながら問う笹原に、微かな笑顔で応える荻上。目は少しも笑っていない。
(ああ、愛が痛い…)

そんな二人の様子には誰も気付いた風もなく。
「で、何があったんですか? 咲さん」
みんなの疑問を代表してと言うか、我慢出来ずに大野が訊ねると、春日部は笑いながら手を振って言った。
「ああ、そんな大した事じゃないよ。ただ、昨日高坂が会いに来てくれたってだけ」
何故か斑目の眉がぴくりと動いた。そして荻上の手から笹原の足が解放された。
バレないように小さく息を吐く笹原。
大野はそれで合点がいったようで、嬉しそうに重ねて訊ねる。
「わ、良かったですね! それで今日はご機嫌なんですね。
 ……あ、でも忙しいんじゃなかったんですか? 高坂さん」
「うん、何かマスターアップ? がどうとかで、締め切りが近くてかなりヤバいってさ。
 すごく疲れた顔してた」
ははは、と笑う春日部の顔に昨日までの悲壮感は無い。
忙しい中、無理をしてでも自分に会いに来てくれたということで、また一つ関係が深まったのだろう。
聞いている大野もそれを感じてか、自分のことように嬉しそうな顔をしている。

そんな中、斑目と笹原は春日部の言葉から他のみんなと全く違うことを考えていた。
(……マスターアップ? プシュケでそろそろマスターアップと言えばアレか?)
(高坂君、ひょっとしてアレを手がけてるのかな? すごい)
どうやら二人とも新作のチェックはかかしていないようだ。知り合いが関わっているとなれば尚のことだろう。
そんな二人の妄想を余所に、大野と春日部はまだ話を続けていた。
元気になったお祝いに一緒にコスプレをしましょうとどさくさ紛れに持ちかける大野を、
何とか誤魔化そうとしている春日部。
荻上は自分に火の粉が降りかからないよう、出来るだけ関わらないよう努めている。

旗色の悪さを感じ取ってか、春日部はわざとらしく腕時計に目をやると、大きく声を上げた。
「あ! 私、そろそろ行かなきゃ」
「えー、今来たばかりじゃないですか。せっかく一緒にコスプレ出来ると思ったのに」
残念そうに俯く大野の肩をぽんと一つ叩くと、春日部は少し困ったように笑って言った。
「ほら、コーサカも頑張ってることだし、私も頑張らなきゃってね。こっちもいよいよ大詰めだし」
そう言われては大野も引き下がるしかない。
「でも卒業する時は絶対一緒にコスプレしてください」と真剣に見つめる大野に、春日部は苦笑しながら頷いた。
心の中で卒業までに何とか誤魔化す方法を考えないとな、などと考えつつ。
「何かばたばたしちゃって悪いね。それじゃ、また」
閉じられるドア。騒々しかった分だけ、それが無くなると反動で静けさを生む。
皆、何となく小さく息をついた。

「さて、俺もそろそろ戻るかな」
コンビニ弁当の残骸を片付けながら斑目が立ち上がると、軽く挨拶を交わして部室を後にする。
その横顔は相変わらず少し寂しげであった。
(ここに来るのもそろそろ潮時かな)
ふとそんな思いが頭をよぎる。久しぶりに見た春日部の笑顔に、何となく胸の奥がざわついた。
何故笹原が礼を言われたのかも気になった。漠然と感じる疎外感。
(いかんね、どーも)
頭を振って気持ちを切り替える。今日は帰りにアキバへ寄ろうと決意する斑目であった。

「それじゃ、私も田中さんと待ち合わせがあるんでそろそろ」
そう言って大野が席を立つ。
「……お二人はどうされるんですか?」
思い出したように言いながら笹原と荻上の方をちらりと見やる。
その表情は、暖かく見守ってと言うか、生暖かく見定めていると言うような感じだ。
どう答えたものかと荻上が言葉を探していると、笹原が笑いながら答えた。
「あー、うん。もう少しここにいるよ。今日は特に急ぎの用事もないしね」
大野は何となく頷くと、「それでは、ごゆっくり」と言って立ち去った。
去り際の笑顔が何となく含みを感じさせる辺り、さすがは大野と言うべきか。
そして部室には笹原と荻上の二人が残された。

窓から差し込む光はまだ色を帯びず、昼と夕の間であることを示す熱を感じさせた。
笹原は伏せてあった本を手に取り、荻上は閉じていたノートを開いて再び絵を描き始める。
何となくまだ二人きりになると思うように会話が進まない。
お互いを意識するぎごちない空気が漂う中、共に会話の糸口を探す。
先に口を開いたのは荻上の方だった。
「……あ、あのっ」
「ん?」
笹原が本から荻上へ視線を移すと、荻上はノートへ顔を向けたまま手を止めて言葉を続けた。
「さっきの、その、春日部先輩の事なんですけど……」
「ああ」
その言葉だけで荻上が何を聞きたいのか伝わっていた。

いつもの癖でつい腕組みをして笹原は答えた。
「昨日さ、ここに来る前にばったり出くわしてね。ちょっと話し込んだんだ」
「はあ」
荻上の顔が笹原に向けられる。
「高坂君としばらく会ってないって言うから、それじゃ会いたいってメールしてみたらって言っただけなんだけどね。
 やっぱり相手に気を遣って遠慮してたみたいで」
「遠慮……」
「ま、俺みたいなのが春日部さんにそんな偉そうなこと言うのもおかしな話だけど、
 結果として上手くいったみたいで本当に良かったよ」
そう言って軽く笑った。荻上はその隣で何やら考え込んでいる。
その様子に気付いた笹原は気遣うように声を掛けた。
「荻上さん、どうかした?」
「あ、いえ」

慌ててハッと顔を上げると、笹原が心配そうに見つめていた。その目を見て荻上は少し安堵する。
そして一瞬躊躇った後、荻上は笹原の話を聞いて胸に浮かんだ疑問を口にした。
「……その、やっぱり仕事に就いてしまうと、時間が思うように取れなくなったり、
 ……するんですよね」
言葉を形にするたびに、荻上の表情が少しずつ翳りを帯びていく。
まるで不安が形になって、それに蝕まれるように。
「忙しくて、会いたくても会えなくて、だんだん気持ちも擦れ違っていって、そして…」
気が付けば荻上の目には涙が浮かんでいた。
我慢しようとすればするほどそれは勢いを増し、膝の上で握りしめた手の甲へとぽつぽつ落ちていく。
「……私たちも、そうなっちゃうんでしょうか」
かすれ声で呟く荻上。その姿に笹原は狼狽していた。
いくら何度か経験した場面と言えども、やはり目の前で泣かれて慌てるなと言うほうが無理というものだ。

(ど、どうしよう。何か言わなきゃ。何か)
頭を巡らせるものの、こういう時に限って全く何も浮かばない。何とかしなければと思うほど気持ちだけが空回りする。
このまま何も出来なければ、荻上は放っておかれていることになる。
(それだけは避けないと)
必死に考えた挙げ句、何も思い浮かばなかった笹原は、黙ってそっと荻上の背を撫でた。
ゆっくりと、繰り返し。
俯いているので表情は分からないが、やがて荻上の肩の震えは次第に治まっていった。
「その……」
笹原の声に、荻上の体がぴくりと反応する。
「上手く言えないけど、俺はこれからもずっと荻上さんと一緒にいたいと思うし、
 そのために出来るだけのことをしたいと思ってる」
そのまま耳まで真っ赤になりながら、背中に回した手に力を込め、荻上を胸に抱き寄せた。

「確かにまだ先のことは分からないけど、でも、分からないからこそずっと続いていくことだってあるわけで」
まるで自分に言い聞かせるように、必死に言葉を綴る。
しかし、荻上を抱き寄せたことで気力を使い果たしたのか、頭の中はオーバーヒートし、
段々自分が何を言っているのか分からなくなってきていた。
「だっ、だから、その…。えーと、何て言えばいいんだろ。と、とにかく!」
混乱した頭で最善の言葉を考えると、それをそのまま口にした。
「これからも、ずっと俺と一緒にいてくださいっ!!!!」
言い終えると同時に深く息を吐く。そして静寂。荻上は笹原の腕の中で俯いたまま何も言わない。
「……荻上さん?」

不安になった笹原が恐る恐る声を掛けると、荻上は小さく肩を振るわせた後「ぷっ」と吹き出した。
そのまま体を起こすと、くすくすと笑いながら目元の涙を拭う。
「え、えーと?」
「すみません、何か最後の笹原さんの言葉が妙におかしくて」
そう言ってまた笑った。笹原は自分が必死の思いで伝えた言葉がまるっきり効果無しだったことより、
ともかく荻上の笑顔が見られたことで、どっと脱力した。同時に荻上が解放される。
「笹原さん? 大丈夫ですか?」
「あー……、いや。大丈夫。ちょっと気が抜けただけ」
ははは、と乾いた笑いを浮かべて返す。
荻上はようやく落ち着いたのか、椅子に座り直すと笹原を見つめて言った。

「笑ったりしてすみません。でも、笹原さんが言ってくれたこと、すごく嬉しかったです」
真っ直ぐに向けられた視線と言葉を受けて、笹原は再び赤くなった。照れ隠しに何とか笑おうとしながら答える。
「あ、は、はは。そ、そう? いや、それなら良かった。本当に」
「はい」
真剣な面持ちで頷く荻上。そしてふと会話が途切れ、お互いに視線を外す切っ掛けが掴めないまま見つめ合う。
今までの会話の流れの所為か、先程まで体に触れていた所為か、何やらあらぬ考えが浮かんできてしまって狼狽する二人。
(え? え? 何? この雰囲気。イケってこと?)
(笹原さん、何か、目が真剣だぁ…)
黙り込んでいるためか、心臓の音がやたら大きく聞こえる。喉が張り付いて声が出ない。
何を話せばいいかも思いつかない。そうして視線を絡ませたまま、時計の秒針だけが音を立てて回り続ける。

「お、荻上さん……」
「……あ」
二人の距離が次第に近づく。瞼を振るわせる荻上の肩をそっと手で包み、笹原が顔を寄せた。
受け入れるように目を閉じる荻上。夕刻間際の光が二人を照らす。
その影がやがて一つに重なろうとしたその時。
「こーにょにょーちわ~~」
音を立ててドアが開かれると同時に現れる芸人朽木。正に「空気を読んだ」仕事と言えよう。
次の瞬間の笹原と荻上の行動は瞬速だった。まず、ドアノブが回される音がした時点で、
二人息を合わせたように机の方へ向き直る。
そしてドアが開かれようとした時にはすでに近づいていた椅子も微妙な距離を取り戻していた。ここまででおよそ2秒。
朽木が姿を現した時、笹原と荻上はそれぞれまるで何もなかったかのように本を読み、絵を描いていた。

「や、やぁ、朽木君」
「……こんちは」
それぞれ挨拶を返す。慌てたためか、若干呼吸が乱れているのが何とも怪しさ抜群だ。
しかし、朽木はまるでそんなことには気付かず、鼻歌など歌いながらそのままいつもの席へ腰掛ける。
こっそりと安堵のため息をつく二人。
そして何故かその様子をぎりぎりと歯ぎしりしながら児文研の部室で双眼鏡越しに見つめている大野。
今にも悔し泣きせんばかりの表情で、口元のハンカチを噛みちぎらんとしている。
「くぅ~~~ちぃぃ~~~~きぃぃぃぃぃぃ~~~~~~ッ!!!!!!!」
そのあまりにも禍々しいオーラに、児文研の人達はおろか、無理矢理連れて来られた田中まで声を掛けられずにいる。
児文研の人達に断りを入れている田中の背中が物寂しい。

そしてまさか本当に生暖かく見つめられていたと言うか、覗かれていたとはつゆ知らず、
笹原と荻上の愛のメモリーは今日もこうして一日を終えるのでした。めでたしめでたし。
最終更新:2006年01月27日 02:35