ある朝の風景-おまけ- 【投稿日 2006/01/11】

カテゴリー-笹荻


朝食が用意されたテーブルの前に二人座る。
目の前に並んだ皿からは、湯気と共に食欲を誘う香りが漂う。思わず唾を飲み込む笹原。
「あ…、荻上さん、料理上手だね」
「まあ一応。これでも一人暮らししてますんで」
照れているためか、やや赤面した様子で荻上は素っ気なく答える。
何だかまるで新婚家庭のようだ、という思いが脳裏をよぎったのは果たしてどちらだったのか。
落ち着くために視線を逸らしお互いに小さく息をついた後、
二人、いただきますと手を合わせ、笹原はゆっくりと箸をのばした。

(…まさかここで実は見た目はちゃんとしてるけど、本当はそりゃあもうすごい味でしたー、
なんてどこぞのゲームみたいなオチはないよな)
頭の中をそんな妄想が駆けめぐる。そんな笹原の様子を緊張した面持ちで見つめる荻上。
(さっき味見した時はちゃんと出来てたっぽいけど…。笹原さん、美味しいって言ってくれっかなぁ)
微妙な緊張感に包まれながら、ゆっくりと料理が笹原の口へと運ばれる。
自分の箸を動かすことも忘れ、笹原の様子を見守る荻上。
そんな視線にも気付かず、笹原はもごもごと咀嚼した後、ゆっくりと飲み込んで口を開いた。

「うん、美味しいよ。荻上さん」
にこりと笑って言い終わると同時に、箸はすでに次の皿へ伸びている。
実に美味しそうに目の前で箸を進める笹原の様子に、荻上はようやくほうっと息を漏らして安堵した。
「…あれ? 荻上さん、お箸動いてないみたいだけど。食欲ない?」
「あ、いえ! 私、ちょっと食べるの遅ぐっで。ええ」
慌てて箸を動かす荻上。急いだためか、思わず喉につかえて噎せて咳き込む。
「ごほっ、ごほっ」
「だ、大丈夫? そんなに慌てなくても別に誰も取ったりしないよ」
飲み物を差し出しながら、優しく背を撫でる。
辛うじて飲み物で喉のつかえを流し込んだ荻上は、涙目になっていた。

「す、すみません…」
「いや、気にしないで」
苦笑しながらそう言うも、自分の失態が余程気になるのか縮こまったままの荻上の様子に、
何とか場を和らげようと思いつくままに笹原は言葉を続けた。
「でも、あれだね。荻上さん」
「…はい?」
「これだけ料理出来るなら、いい奥さんになれそうだよね」
「――――――ッ!!!!!!」

それはそれは見事な噴水だった。野外でならば虹がかかってもおかしくないくらい。
しかし、もしそうなったとしても笹原が目にすることは出来なかったであろう。
荻上が吹いた水は、物の見事に笹原の顔面に浴びせかけられたのだから。
「う、うわっ! え!? 何? 一体何が!!!?」
「ちょっ! な、何言ってんすか、笹原さん!!!!」
思わず顔を真っ赤にして抗議するも、笹原はそれに答えるどころではない。
毒霧ばりの目つぶしを喰らって、前後不覚に陥り、まるで阿波踊りのように手をばたばたとさせるのが精一杯だ。

その様子を見てようやく我を取り戻したのか、荻上は慌てて何か拭くものを探すために立ち上がった。
「え、えっと、タオル…、タオル」
とりあえず傍の棚にかけてあった物の中から一番近くにあった布巾を取って笹原へ渡す。
「と、とりあえずこれを」
「あ、ありがとう」
助かった、そう思ってひとまず目元を拭い、ようやく人心地ついた笹原は、
もう一度顔を拭おうとして手にした布をしげしげと見つめた。
タオルと一緒に何やら淡い色をした小さな布きれが見え隠れしている。
「…………荻上さん」
「はい?」
「ひょっとしてこれ…」

ぎぎぎ…、と首を回して差し出された笹原の手にあるのは、見間違うはずもない荻上自身の下着であった。
「――――――ッッッきゃあああああああああああああああああああああっっっっ!!!」
文字通り目にも止まらぬ速度で笹原の手から引ったくるようにして奪還を図る。
二人ともこれ以上赤くなる箇所が見当たらない程赤面している。
「そういう行為」に及んだ関係であるにしては、実に初々しい反応であると言えた。
「み、見ましたか?」
分かり切っている答えをあえて訊ねる荻上。
その目は笹原の顔面を突き刺して更に向こう三軒両隣に行き渡るほど据わっており、
ここで選択肢を誤れば確実に即「DEAD END」だ、と笹原のゴーストが囁くくらい鋭かった。

「い、いや…、その」
脳裏にいくつもの選択肢が浮かんだ。しかし、どれもこれも即死の匂いがもの凄い勢いで漂っている。
脳内カーソルがめまぐるしく動く。
(…せ、正解はどれだ)
笹原の背筋に冷たい汗が流れる。
「見ましたよね?」
じり、と迫る荻上。笹原を追いつめているようで、実は自分を追いつめていることにはまるで気が付いていない。
「えーと、その、ね? 見たと言うか…」
「見たんですね?」

(ああっ、タイムテーブルが今にもアウトゾーンへまっしぐらでGO!!)
目の前の荻上から発せられる恐ろしいほどの重圧に、
焦りのあまり頭の中が真っ白になった笹原は、蚊の鳴くような声で答えた。
「…淡いブルー?」
「――――ッッ!!!!!!!!!!!!!!!」
同時にまるで瞬間移動のようなタイミングで窓辺へ駆ける荻上。振り向く間もあらばこそ、
笹原は大慌てで荻上の腰へタックルを敢行した。
「待って! 荻上さん!! だから窓から飛び出しちゃダメだって!!」
「~~~~~~~~~~~ッ!!」
そんな笹原の制止の言葉も耳に入らず、荻上は半泣きでじたばたと窓へと手を伸ばす。
そしてやはり窓の外は快晴で、二人を暖かな日差しが優しく見守っていた。


これもまた、一つのいつまでも消えることなく心に残る、ある朝の風景。めでたしめでたし。
最終更新:2006年01月12日 19:52