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ある朝の風景 【投稿日 2006/01/11】

カテゴリー-笹荻


笹荻成立後の話。

夜、二人は荻上の部屋のベッドで共に眠りについていた。
初めて肌を合わせたのは少し前のことで、それから何度かそういう行為を重ねはしたが、
今日になって突然荻上の方から笹原へ「もし良かったら泊まっていきませんか」と切り出されたのだ。
普段は自分を極力抑える荻上の言葉に、笹原は内心驚きながらも嬉しく思い、
当然断ることなどあるはずもなく、その申し出を二つ返事で了承した。

ただその時の荻上の、他に何かもっと言いたい事がありそうで、
それを飲み込んだような表情が少し気になったと言えば言えた。

そして時刻は2時。ふと何かに気付いて笹原が目を覚ますと、
目の前で眠る荻上の顔が苦しそうに歪んでいた。
呼吸は荒く、顔色は青ざめ、うっすらと汗をかいてうなされている。
そんな荻上の様子に、笹原の寝惚けていた頭が急速にはっきりと覚醒していく。
(…荻上さん?)
胸の前で固く拳を握りしめ、何かを耐えるような荻上の姿に、一瞬どうしたのだろうと訝しみ、
「起こした方が良いだろうか」という思いが浮かんだが、すぐさまその考えを否定した。
思えば、あの荻上が自分から笹原に泊まっていくことを勧めたのは、
ひょっとしてこれが原因だったのではないかと薄々感じたからだ。

結果として起こすことになっても、出来るだけのことをしよう。
そう思った笹原は、きつく握りしめられた荻上の右手に、そっと自分の手を重ねた。
(ひどく冷えてるな)
その小ささに内心どぎまぎしながら、優しく手を包む。
少しでも自分の温もりが伝われば、と。
しかし、荻上の苦しそうな様子は変わらない。寄せられた眉根。
きつく閉じられた唇。目元には涙も滲んでいる。

堪えきれず、笹原はそっと囁いた。
「…大丈夫だよ、荻上さん」
少し、添えた手に力を込める。ほんの僅か。思いの分だけ。
「俺は、ここにいるから」
その声が聞こえたわけでもないだろうが、眠ったままの荻上の手が笹原の手をそっと握り返した。
まるで確かめるように。

(起こしちゃったかな)
そう思って様子を窺うも、その心配は杞憂だったようで、
荻上の寝息は次第に穏やかなものへと変わっていった。
あれだけ苦しそうだった表情も、今は子供のように落ち着いている。
冷え切っていた手もいつの間にかすっかり温もりを取り戻していた。
繋がったままの手。落ち着きを取り戻した今も、荻上は笹原の手を離そうとはしない。
その様子に何となく苦笑を浮かべながらも、笹原の心は嬉しさで満たされていた。

改めて見る荻上の寝顔は、笹原を動揺させるに充分な程愛らしく、
思わず頭の一つでも撫でたいところであったが、
さすがにそれは目を覚ますだろうとぎりぎりのところで思いとどまった。
握りしめられた荻上の手から感じる温もりが、笹原を次第に眠りへと誘う。
目を閉じる前、最後に見た荻上の表情は何だか少し微笑んでいるように見えた。
(おやすみ、荻上さん…)
もう一度だけ軽く手に力を込める。
どうか彼女の見る夢が、穏やかで優しく暖かなものでありますようにという願いと共に。

翌朝。荻上は実にすっきりと目を覚ました。自分でも驚くほど静かな目覚め。
こんなに自然な気持ちで朝を迎えるのはいつ以来だろう、と荻上は考えた。
恐らくは中学生の頃の「あれ」以来だろう。
あの一件があってからずっと、眠れば悪夢に襲われ続けていたのだから。
そう思い、そして何故今日に限って悪夢にうなされず目を覚ますことが出来たのか戸惑った。

そんな荻上の目に、ようやくぼんやりと笹原の姿が映る。
寝る時は眼鏡もコンタクトも外しているので、非常に視界が悪い。
ただ、それでもいつも見慣れている笹原の姿を見間違うことはない。
そしてようやく自分が笹原の手を握りしめていることに気が付いた。
意識すると同時に伝わってくる笹原の体温に、改めて赤面する。
(え…? 何で私笹原さんの手を握ってんの? 寝る時はちゃんと離れてたのに、いつの間に)

途端に手の平に汗が滲むのを感じて、焦りつつもそっと荻上は手を解いた。
急速に冷えていく手の平の感覚に、弱冠の寂しさを覚えながら。
改めて笹原の寝顔を見つめる。ややぼやけてはいるが、それでも分かるひよこのような無防備な寝顔。
そのあまりに笹原らしい寝顔に、荻上は少しの間見入っていた。
(可愛い寝顔だぁ…)
そして思った。この穏やかな目覚めは、きっとこの人がいてくれたからなんだろう、と。

期待していなかったと言えば嘘になる。いや、正直に言えば笹原ならばあの悪夢からも助けてくれると、
助けて欲しいとそう思ったからこそ、泊まっていくよう勧めたのだろう。
そして事実助けてくれた。思わず視界が滲む。嬉しさと喜びと愛しさで。
(いつも私は笹原さんに助けてもらってばっかりだ)
些かの罪悪感もある。悪夢を拭い去るために笹原を利用したとも言えるのだから。
けれど、それすらも笹原ならば、「俺で良ければいくらでも手助けするよ。と言っても、
あまり役に立たないかもしれないけどね」などと言って、
いつものように優しく微笑みながら受け入れてくれるのだろう。

知らず、涙が頬を伝う。笹原への思いと、自分への嫌悪で頭の中がいっぱいになる。
(私って本当に嫌な女だ…)
笹原を起こさないよう気遣いながらゆっくりと身を起こし、目元を拭う。
しかし、涙は後から溢れてきて止まってくれない。
何故こんな自分をこの人は選んでくれたのだろう、そんな暗い考えに囚われかけた時。
「ん………」
ごろりと笹原が寝返りを打った。投げ出された手が荻上の膝に落ちる。
そしてむにゃむにゃと口元を動かした後、にこりと幸せそうに微笑んだ。
弛緩しきった、だらしないとも言える幸福に満ちた顔。

「……ぷっ」
そのあまりに明るい笑顔に、思わず荻上は吹き出した。
同時にすうっと心が晴れていくのを感じた。
(眩しいなぁ…。目の前でこんな顔されちゃ、泣いてる自分が馬鹿みたいだぁ)
緩む口元。そっと手を伸ばすと、荻上は笹原の頬を人差し指で軽くつついた。
「うぅ…、ん」
再び寝返りを打ち、荻上のつついた頬の辺りをぽりぽりと掻く。
そんなお約束でとても愛らしい行動に、荻上はくすくすと笑って、もう一度だけ頬をつついた。
笹原は夜中に一度目を覚ましていた所為か、起きるそぶりも見せない。

「さて、と」
ベッドから下りると、荻上は大きく伸びを一つ。そして鏡を見てコンタクトを付けると、
布団にかけていた半纏を手に取り、慣れた様子で上に羽織った。
振り返ってもう一度笹原の寝顔を見つめる。
(せっかくだから、いつも傍にいてくれるこの大切な人のために、
せめて朝食でも用意しよう。精一杯の感謝を込めて)
心の中で呟きながら、台所へと足を運ぶ。

眠ったままの笹原を気遣って閉じられたままのカーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいる。
それは今日も快晴である証。まるで台所で我知らず鼻歌を口ずさんでいる荻上の心のように晴れ渡った空。
やがて朝食の支度を終えた荻上は、笹原を起こすためにカーテンを開いた。
瞼に差し込む光と荻上の声に促されて目を覚ました笹原は、窓越しの光に照らされた荻上の笑顔を見る。
かけがえのない大切な物。


それはいつまでも消えることなく心に残る、ある朝の風景。