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*アルエ・第五話 【投稿日 2006/07/09】 **[[アルエ]] 「何で春日部君が来ているんですか?」 ハルコは憔悴した顔で訊いた。 「ま~ね~。口出しした手前、ほったらかしってのも無責任だから、顔ぐらい出しとこうかな~と」 春日部がカッカと笑いながら返した。 「……ぶっ、あはははははーー! せくしーーー!」 「あ、ツボ入っちゃったよ……」 大笑いする春日部にハルコはいたたまれない様子で背中を丸めていた。 そりゃ、似合ってるとは思わないけど…。そんな爆笑することないじゃないの…。 「大丈夫ですよ、ハルコさん。とってもカワイイですから。もう食べちゃいたいぐらいですぅ~」 大野がテカテカした顔を全開の笑顔で彩ってハルコを励ました。 「私はむしろお前を食い千切りたいぐらいよ……」 ハルコは大野に精一杯の不快感を込めて眼光を放つが、眼鏡無しでボヤッとした影を睨んでも ちっとも効果あるように思えず、逆に立腹が倍増された。 「いや~~ん。ハルコさん目がこわ~~い」 やっぱり全く効果が無い。 「お前の思考の方が兆倍怖いって……」 ハルコは小さく溜息をついた。もう何か疲れた。 実際、ブースに来てからずっと立ちっ放しだったので、ちょっと足が痺れてきていた。加えて精神的疲労…。 ハルコはブースの裏へ振り返る。 「ちょっと誰かこうたーい」 へっぴり腰で両手をバタバタさせてパイプ椅子を探る。 その、そこはかとなく愛らしい仕草に大野はまたも黄色い声をかけた。 「きゃああーー、かわいい! はいは~い、こっちですよ、ハルコたん」 「たんはやめろ」 不倶戴天の敵に手を引かれてハルコは椅子に腰を下ろした。 隣に座っているのは、どうも春日部君らしい。 「……へぇ」 春日部はまじまじとハルコを眺める。 「……何でショーカ?」 たとえ影の塊と言えども、それが春日部かと思うとハルコは直視できなかった。 ましてや自分はあられもない衣装を身に着けているわけで。 「どーせキモイとか言うつもりなんでしょ?」 憎まれ口を叩いて唇を尖らせていても、本当は春日部の次の言葉を知りたくて、 ハルコの意識は耳に集中していた。 「いーじゃん。似合ってんじゃね?」 ハルコの顔が一瞬で真っ赤に染まった。 「な、何か逆にヤだなーソレッ! これ似合ってるって微妙じゃない?!」 声を張り上げてハルコは気持ちを誤魔化した。実際は、ちょっとというか、かなり嬉しかったけれど。 ただ飄々とした春日部の口調だと、どこまで本気で言っているのか分からなくて、警戒してしまう。 「本当に思ってる? バカにしてない?」 「思ってる思ってる」 春日部はあははと笑って、ひょいと隣の真琴に顔を向けた。 「なー、似合ってるよなあ? 真琴もそー思だろ?」 「うん、ホント素敵ですよ」 真琴の天使のような笑みと揃えるように、春日部はハルコに笑顔を向けた。 「ほらー」 「ぇえーー?! もー真琴ちゃんも適当なこと言わないでよー!」 「本当ですよ」 真琴は赤面しているハルコに微笑む。 「ハルコ先輩、肌も真っ白で綺麗だし」 「いや~、生っちろいだけだってコレは…」 「足も細くて羨ましいなあ」 「痩せてるのと細いのは違うよ。私はただ貧相なだけだよ」 「そんなことないですよー。背ぇ高いし、スタイルいいですもん」 「もう! そんな心にもないおべっか言わなくていいんだって」 「違いますよ。ハルコ先輩は自分の魅力に気付いてないんです」 「ないない。魅力なんてないの」 「ありますあります」 などという女子同士のキャッキャウフフな様子をまったりと春日部は見物している。 (ん?) ふと笹原を見ると、何やら様子がおかしい。 笹原の目は妙に泳ぎまくりで、視線はわざとらしいぐらいに目の前のハルコから逸れている。 それでいてちょいちょい目線のヒットアンドアウェイをハルコに対して繰り返しているのだ。 (ん~~~~~~?) 春日部は、笹原の顔を見て、ニヤリと笑った。 「ササヤンはどーお?」 「はひ?」 笹原はおもむろに面食らった顔を春日部に向けた。 「いんや、似合ってると思うかい? ハルコさんのコスプレ」 「やー…、それはー…」 笹原は何でもない風に手にしていたペットボトルの蓋を開けながら、視線をあさってに向けた。 「似合ってんじゃないですか…、まあ…、ヘンじゃないですよ…」 笹原は一瞬だけハルコに目を向けて、そして天を仰ぐようにお茶を一口、喉へ流し込んだ。 (ほほう…) 春日部はまたニヤリと笑って、キラリと目を光らせた。 隣で真琴が柔らかく微笑んでいる。 ハルコは春日部たちの表情は当然分からず、 「あーもう、暑っついわー! 皆が下らないこと言うから暑くなってきた!」 大野がコスプレとセットで用意した祭り手拭いで、しきりに汗を拭いていた。 それから、大野の背中をツンツンと突付いた。 「何ですか?」 「眼鏡返して。ジュース買いに行く」 大野の眉根を寄せて、語気を強めた。 「ダメです。ジュースは荻上さんが買ってきますから」 「勝手にパシリにしないで下さい」 今度は荻上が顔をしかめた。 「まあ、別にいいっすけど」 頑張っているハルコにジュースを買ってくるのはいいのだが、大野にパシられるのは嫌らしい。 「いいって、自分で行くから。それにトイレも行っときたいから。ほら、眼鏡を出しなさい」 「むむう、そう言われては出さざるを得ませんね…」 大野は観念してカバンからティッシュに包んだ眼鏡を取り出し、ハルコに渡した。 漸く帰ってきた眼鏡をハルコは掛ける。 暫くぶりだからか、何だか異様に良く見える気がする。気がするだけだろうけど。 「おー、見える見え…」 自分の格好もよく見えた。 着替えの時は真っ先に眼鏡を盗られたので、実際に自分の姿は見ていなかった。 もちろん、頭では自分の纏っている衣装は分かっているのだが、現実に目にしてみると、 大赤面! 「てめ、大野ォォオオ!! なんちゅーもの着せてんのよっ!!!」 ハルコは大野に詰める。 が、大野は視線を逸らせて開き直った。 「おほほほほほほ。今更文句を言っても遅いのです。もう皆にばっちり見られたという事実は消せないのですよ、ハルコさん!」 などとうそぶいていやがる。 「貴様の血の色は何色だ、大野!」 「赤に決まってるじゃないですか~~、やだなあ~~。ささ、早くジュースでも何でも買いに行っては如何です? 行けるものならばね!」 くぬのうぅぅ…コスプレ魔人があああ! と、罵ったところで最早手遅れ。客にも現視研の皆にも、春日部君にも見られていたのである。 とほほ…。 「あら、行かないんですか? うふふふ……。行かないなら、荻上さんにお願いしますけど?」 「………行くわよぅ、ちくしょゥ…。どーせアタシは汚れちまったのよ…」 「そこまで言わんでも……」 春日部の突っ込みに苦笑いしてフラフラと歩き出した。 か細い声で何事か呟いている。 「コスプレ潔癖症はね~、辛いわよ~。オタクの間で生きていくのが~。汚れたと感じたとき分かるわ~。それが~」 「エヴァですか…」 もやは笹原の声も届いていないかに思われたが、ピタリとハルコが立ち止まった。 見ている。周りの目がこっちを。 ガン見でなく、あくまでさりげなーく見てる。チラ見している。なんてゆーか、逆にこれは想像以上に…。 再び大赤面! ダッシュで現視研のブースまで戻ると、荻上の手を掴んだ。 「は? 何すか?」 「頼む、荻上! 一緒に来て!」 「はい? ちょ、ちょっとまってくだっ、そんな引っ張らねーで…」 「いいから!」 ハルコは荻上の手を引っ張ってブリザードに立ち向かうような姿勢で出発した。 そして蹴つまずきそうになっている荻上とともに人ごみの彼方に消えていったのだった。 あははははは、と春日部が再び爆笑している。 「いやー、面白いなあ、今日のハルコさんは」 「本人は災難だろうけどね…」 笹原は緊張が解けたのか、ふっと息をついた。あの格好で傍に居られると、心臓に悪い。 お茶を飲み、笹原は渇いた喉を潤した。 その横顔を春日部が企むような笑みを浮かべて見ていた。 「ほーほーほー」 「ん…、なに?」 「いやあ、何でもないよぉ」 「??」 キョトンとしている笹原を尻目に、春日部はクスクスと声を立てて笑った。 「まったく、今日の大野がいい仕事したなあ」 行列する女子トイレを横目に、荻上は通路の柱にもたれ掛かっている。 こういうイベントごとの常であるが、女子トイレはいつだって混雑しているものだ。 まだ特にトイレに用事の無かった荻上は、一人ハルコが出てくるのを待っていた。 手にはゴーグルと捻り鉢巻を預かっている。 ハルコは下駄も交換して欲しそうだったけれど、荻上とは靴のサイズが違ったのでハルコは下駄のまま行列に加わった。 女子だけに囲まれて、ハルコは少しほっとしてるように見えた。 「じゃあ、先にジュース買って待ってますから。何がいいすか?」 「あー、う~ん。緑茶系で。別に何でもいいから」 「わかりました」 自販機から帰ってくると、列にハルコの姿はなかった。 もうトイレ内には進んでいるのなら、もう少し待てば出てくるだろう。 荻上は自分用に買ったスポーツドリンクの蓋を開け、一息ついた。 通路は人でごった返している。 わいわいがやがやという人の声が密閉されたホールに響いて耳鳴りのように響く。 人が多すぎて、酸素濃度が低いんじゃないというほど、何だか息苦しい。 通路の先から外へ出て、ちょっと新鮮な空気でも吸ってこようか? ハルコ先輩が戻ったら、風に当たって一休みするのも悪くないかもしんね。 喫煙所の付近は中より人は少ねーし、ハルコ先輩のストレスになんないだろう。 と荻上はぼんやりと考えていた。 「ねー、あれ見た? 現視研のブース」 一際甲高い声が、聞こえてきた。どこかで聞いたことのある声だ。 「あー見た見た。あれでしょ? コスプレ」 「あん? また大野が巨乳コスしてんの? アイツよく恥かしくねーよなー」 侮蔑の篭った三つの声が重なり合って響いた。 その神経にくる笑い声を、荻上は思い出した。あれは今年の4月。 「ちげーって。大野のコスなんて今更珍しくないっしょ?」 「じゃー誰よ? あ、もしかして荻上?」 「うはは。違う違う。まあーアイツがやってても、それはそれでウケるけどさあ」 漫研の女子会員の声だ。 荻上は表情を強張らせた。 電子音のような不快さを持った彼女達の声が宙を跳ね回り続けている。 「斑目だよ。アイツまたコスプレしてんの。しかも今回もエロいの着てた」 うはー、という嘲笑が聞こえた。 「ぐえーマジでー? どんなんだった?」 「くじアンのいづみ」 「うわー。自虐的ですなー。貧乳ネタかよ」 「しかもしかもぉ、何か巻末でチラッと出てたテキ屋のコスだよ。もーヘソとか腿とか丸出し」 「イタターーって感じだった。何を勘違いしてんだテメーって言いそうになっちゃったよ」 「あー、それアタシも思った」 荻上は口の中で、うっせーと呟いた。 「何アイツ? 自分でスタイルいいとか思ってんの? ガリガリなだけじゃん」 「だよなー? 誰か注意してやるヤツいないのかネー?」 「何か足とか細すぎてマジキモイの。色白なのも不健康なだけって感じだったし」 「おばちゃんのくせに汚い肌を晒すなっての。誰も見たくねーよ」 「おばちゃん、病弱キャラ作ってんじゃねーの?」 「原口の元カノじゃ、説得力ねーー」 言えてるー、というユニゾンが聞こえたところで、荻上は舌打ちした。 彼女達には聞こえちゃいないだろうが。 「もー、マジで何とかしてほしいわ。元カレ共々どっか行けよ」 「コスプレで売ろうってのが、どーにもなあ~。脱力だわ」 「醜い肌晒してまで売りたいかねー。まあ、じゃなきゃ売れやしないんだろうけどさあ」 きゃはははと彼女達は笑っている。 荻上は気分が悪くなった。自分の過去が脳裏に甦って吐き気がした。 彼女は柱の影で、じっと彼女達の声が聞こえなくなるのを待っていた。 ふと気配を感じて顔を上げると、ハルコが立っていた。 「ごめん。行こっか?」 「あ…、はい…」 ハルコは笑っていたが、その笑顔は少し辛そうだった。 出来るだけ自分の表情を悟らせないように、荻上の前に立って足早に歩いていく。 ピンと背筋を伸ばしているはずなのに、悲しいそうに荻上には見えた。 「うわ。あれ斑目じゃん?」 後ろから漫研女子の声が聞こえた。 「え…、わー、ホントだ。やば…、今の聞かれてた?」 「ダイジョブじゃない? つーか聞かれても別にいーし」 「あははは、それもそっかー」 甲高いざわめきが、背中の神経を突付く。荻上は眉間にシワを刻んで、必死に振り返りたい衝動を我慢した。 ハルコはただ前だけ向いて歩いている。半纏の前を固く合わせて。 会場の高い天井と人ごみの中を二人は無言で進んでいく。ずんずんと。 「ね、荻上」 ハルコが肩越しに振り向いた。 「さっきの聞いたことだけどさ…。大野には言わないでよ」 「……はぁ、まぁ……いいすけど……。むしろ言ったほうが良いような気もしますけど…」 荻上の表情は険しいままだ。 「大野先輩、今日はちょっとやり過ぎだと思います」 「ははは、それはそーかもね…」 ハルコは笑顔は優しそうで、荻上は胸が痛くなった。 それを誤魔化すように、荻上はまた顔を強張らせる。 「はっきり言わないと、大野先輩は分かりませんよ」 「う~ん…………、でもなぁ……」 ハルコは少し見上げて、小さく笑った。 「大野も何とか成功させようって一生懸命なんだろうからなぁ…。私もこんくらいしか出来ることないしなぁ…。 笹原は会長として頑張ってて、久我山と荻上は苦労してちゃんと本作って、大野と田中はコスプレで、 真琴ちゃんも売り場で戦力になってて、朽木君は汚れ役として奮闘してて、春日部君は崖っぷちから立て直してくれて…。 私だけ何もしないわけにいかんからネ…」 はははと、乾いた声でハルコは笑った。 「恥ぐらいかかにゃー役に立たんのよ、私」 「でも……、嫌じゃないんですか?」 荻上はハルコの顔を見上げた。 あの手の女の陰口は、荻上も経験があった。 中学時代、高校時代、彼女自身が俎上に載せられてきた。 じかに耳にする機会こそ稀だったが、女子グループの自分を見る目を見ればどんなことを言われているか、おおよそ想像はつく。 彼女はその度に軽蔑の視線を作って、針のような気配を纏わせて、独りぼっちで過ごしてきた。 荻上には他人事とは思えなかった。 「原口さんの…っていうのも嘘なんでしょ?」 「こっちが何したって、悪口言うヤツは言うんだもん…。もう言われ慣れちゃったぁ…。」 その横顔は笑っているけど、それはいつもの笑顔とは全然違っていたから、ハルコは慣れてなんかいないんだと荻上は思った。 それなのに、ハルコは笑っているから、荻上はハルコの笑顔を見ているのが辛かった。 「ぜんぜん平気ヘーキ。私は平気だから、大野には黙っといてね」 「はい……」 荻上は小さく頷いた。 ハルコの背中を荻上は見つめる。荻上は思った。 誰か、この人を守ってくれたらいいのに。 「あっ、久我山さん」 「遅かったですね先生!」 「え、ま、斑目……。が、頑張ってるね……」 「にゃはははは……」 タオル装備の久我山がやっとブースに姿を見せた。 「ちゃーす。じゃ、そっち回って入って来て下さいよ」 「お……おう」 久我山は席に着くと、ふぅーと汗を拭った。 笹原が声を掛ける。 「けっこう売れてますよー」 「あ、そ、そう?」 久我山の目が売り場の二人に向いた。 「で……でもそれは、あの二人のおかげなのでは?」 「ま……、否定はしません」 笹原は苦笑いで応えた。二人が到着してからの経過をみると、確かに否定できない。 「これです、本」 「おお~~……」 感嘆の溜息を漏らし、久我山はパラパラと本をめくる。 「う、うん」 「え、それだけすか」 「いやー……。は、恥ずいよね……」 「自分が描いたエロ本だもんね~」 春日部は快活に笑いながらちゃちゃを入れた。 「あ、後でちびちび見るよ」 「そーすか」 笹原にも、久我山の気持ちは何となく分かる。 自分の性癖を晒すようなものだから、それはそれは恥かしいだろう。 「ありがとうございましたー」 ハルコの声が響く。幾分、戻ってきてからの方が言い方に気持ちが篭ってるような気がして、少しほっとした。 流石にちょっと罪悪感があったので、ハルコが乗り気になってくれたのは単純に嬉しい。 さて、と呟いて、笹原はパンと太腿を叩いた。 気持ちが軽くなったところで、あれを処理しておくか。 「俺、ちょっと原口さん関係の後始末に行って来ますんで、こっちお願いします」 「はーい」 誰とも無しに返事をして、笹原はブースを出ようとする。 と、その時、春日部が腕組みをしながらニヤリと笑った。 「ハルコさんも一緒に行ったら?」 「え?」 言ったのは笹原だ。春日部の発言に面食らっている。 「ハルコさんもその辺回りたいだろ? ついでに行って来くればいいんじゃない?」 「あぁー…、まぁ……、そうだけど……。でも……」 ハルコは自分の姿を一瞥して、 「この格好じゃ……」 「そーですよね……」 「大野さん、服出してあげれば? あと靴も。上から羽織るものとかあれば大丈夫でしょ? 真琴が大野のカバンを抱えてパイプ椅子の上にドンと載せた。 「う~ん。私としてはそのままの方がよいと思うんですけどねぇ…」 「ダメです!」 荻上が噛み付いた。 「ちゃんとした格好じゃないと可哀想です」 荻上の剣幕に意表を突かれたのか、大野はしぶじぶハルコの衣服と靴の返還に応じた。 女子が壁を作る形でハルコを取り囲み、ハルコは半纏を脱いでシャツを羽織った。 下駄も朝に履いてきた靴に履き替える。ゴーグルと鉢巻も外した。 「あー、ちょっと解放されたぁ~」 ハルコが安心した顔を見せたことに荻上は小さくはにかんだ。 でも、笹原さんは照れ臭そうにしてる。 「それじゃ、ちょっと行って来ます」 「うぃ~~す」 春日部に手を振られて、笹原はちょっと妙な顔をした。 うーん、なんだろ、これ? ハルコさんは、コスプレから解き放たれて嬉しそうだけど。 二人はブースを後にする。 「まずどっから行くの?」 「あー…。一番近いところは…、伊鳩コージさんですね」 「うわ、いきなりビッグネーム!」 とか何とか言いながら。 春日部が終始薄気味悪い笑顔でオタクの群れに紛れる二人の姿を見守っていた。 つづく
*アルエ・第六話 【投稿日 2006/07/16】 **[[アルエ]] 「うはー……。もろ大手っすね……」 屋外に続く行列にすっかり気後れしたように笹原は言った。 「誰が伊鳩さんだろ……? あの挨拶されてる人かな……?」 ハルコも緊張気味にキョロキョロとブースを見回している。 うず高く積まれた段ボールの山を前にすると、流石に溜息が漏れた。 ハルコは笹原の肩をポンと叩いた。 「……笹原行け」 「俺すか……。まあ、行きますけどね……」 笹原は頭の中で述べるべき口上をシミュレートしてから、恐る恐る眼鏡坊主の御方の元へ歩み寄った。 同じくハルコも恐る恐る笹原の後ろから付いて行く。 「あ……すません。あのー、伊鳩コージさん……、いらっしゃいますか?」 「はい、僕ですけど」 「あ! あ、すいません」 笹原は揉み上げから滴り落ちる汗とシンクロしたように頭を垂れる。 「椎応大学現代視覚文化研究会の笹原と申しますが、今回はご迷惑を……」 「斑目です。どうも、すいませんでした……」 ハルコも頭を下げる。 「あ、現視研の」 気安い伊鳩の声に、二人は少し安心した。 「ほんとすいません。断ったりして、失礼な事を……」 「いーのいーの、仕事減ったから。ありがたかったよ」 そう言って頂けて、こっちこそありがたいです。 と、笹原とハルコは目配せしてホッと胸を撫で下ろした。 「今日もハラグーロ、出没してるみたいだけど、大丈夫だった?」 笹原はチラッとハルコを目をやった。ただ苦笑いしているだけのハルコ。 鼓膜からハラグーロという音声をかき消すように、笹原は急いで返答した。 「いやぁ~~……。今のところ大丈夫です」 「そう、そりゃ良かった」 それから伊鳩はおもむろに段ボールをまさぐると、引き抜いた手を笹原に向かって差し出した。 手には同人誌が握られていた。 「はい、新刊」 「えっ……、いいすよ」 不意を突かれて笹原は反射的に遠慮したが、 「こーいう時はもらっとくもんだよ」 えっ……、そーなのか。そーいうもんなのか……。しまった……。 笹原もハルコも手ぶらだった。 「あ……あ、じゃあ、すぐウチのも持って来ますんで」 「いや、いいよ、わざわざ。発行部数が違うし、他の奴にも渡してたら結構な数でしょ?」 確かに……。伊鳩の余裕を漂わせた大人な態度に笹原は思わず唸った。 山積み段ボールの大手サークルと、この度初参加の現視研とでは規模が違うし、 何より同人誌のクオリティからして違うのは火を見るより明らかなのであるが、しかし……。 笹原は横目でハルコを見る。ハルコが『どうしよっか?』という目でこっちを見ていた。 「いや……。持って来ますんで」 「ありゃ、そう?」 「あ、ちょっと……」 ハルコは慌てて声を掛けたが、もう笹原は一も二も無く現視研のブースに駆け出して行しまっていた。 え~~、とハルコは小さく唸った。こんな顔見知りもいないところに一人で取り残されても…。 「あのぅ……、どうもすいません……」 ハルコは笹原が走り去った方を横目で見ながら、恥かしそうに頭を下げた。 まあ、気圧されずに持って来ると言った姿は、ちょっと頼もしいと思ったけれど。 「ふ~ん、笹原君とハルコさんが?」 「んー……。何かそういう雰囲気ある感じしない?」 ビッグサイト内のカフェで、春日部は真琴に切り出した。 真琴はストローを口の先で咥えたまま、春日部の顔を覗きこんだ。 春日部は何か新しい遊びを見つけた子供みたいに飛び切りの笑顔を浮かべている。 「それで二人で行かせたんだ」 「そーいゆこと」 春日部は悪巧みするような表情を浮かべている。実際、悪巧みしているのだろうが。 「まー、ちょっとしたアシストアシスト」 自身の面白半分のお節介をそう誤魔化して、春日部はずいっと真琴に身を乗り出した。 「でも、そー思わない。あの二人。絶対そーだって」 真琴が落ち着いた顔で、心底面白がっている春日部の表情を眺めた。 そして、ふーと息を吐いた。 「そうね。笹原君はそんな感じあったよね。去年の学祭ぐらいから」 「アレ? そんな前からだった?」 「そうよー。気付かなかった?」 「ううん。ここ2,3ヶ月かと思ってた」 あれー?と春日部は首を捻ったが、学祭の記憶を思い出すにつれ、納得したとばかりに膝を打った。 「あ、コスプレか!」 「あそこでハルコさんを女の子として意識しちゃったんでしょうね」 「ほー……、あれでねー……」 春日部はうんうんと妙に嬉しげに一頻り頷いている。 一回頷くにつれて顔のニヤニヤ度が確実に上昇していく。それはもう、楽しそうだ。 それを見ていた真琴が、朗らかに笑って言った。 「ハルコさんの気持ちはどーなんだろうね?」 「そんなの嫌いなわけないでしょう!」 と、春日部は自信満々に断定した。 いつも何気に鋭い真琴にしては、随分と的外れな心配をするものだ。 どー思っているも何も、そんなの入学からこっち、和気藹々とした二人の姿を見れていれば答えは自ずと出るだろう。 ハルコさんだって笹原を憎からず思ってたって不思議じゃない。少なくとも嫌いなはずはない。 「あの二人って元から仲が良いじゃんか。そんなもん、笹原を嫌いとか有り得ないって」 「そうね。私もそう思うわ」 真琴はニッコリと微笑む。 「もしあの二人が付き合ってくれたら、とても素敵だと思う」 「でしょ?」 ゲームやるにしたって、ダベるにしたって。いっつもツルみ過ぎるぐらいツルんでいたのがアイツらなのだ。 趣味もオタ同士でばっちりだし、むしろ笹原のオタ趣味にハルコさんは多大な影響を及ぼしている(はず)。 合わないはずがない。 つーか何だ…。今更だが改めて状況を検証してみるにつけ、付き合ってないのが逆に気持ち悪いような気がしてきた。 大野と田中だって、遅ればせながらというエクスキューズは必要なものの、付き合ってんだよ? あんだけ一緒に遊んどいて、そういうの微塵も考えなかったのか、あの二人は…? 何だか溜息が出る……。 「よくここまで付き合わなかったよな~…。それがオタクらしさなのか…。近過ぎて見えてなかっただけなのか…」 どっちにしろ、そろそろ納まるべきところの納まってもいい頃だろう。 何と言ってもハルコさんは4年生。今年度で卒業するんだ。 「だからー、俺達で協力してやろう」 「う~~~ん」 と、真琴は唸った。珍しく眉間にシワを寄せている。 春日部は、何をそんなに悩んでるだ、と言わんばかりの顔で真琴を見つめた。悩む要素など皆無だろうに。 そんな春日部の表情に真琴は小さく「まあ、いっか…」と呟いた。 「分かった。春日部君がそーしたいなら、私も協力するわ」 「しゃっ!」 春日部は虚空に向かって意気軒昂に両拳を握った。 「必要なのは、ちょっとしたキッカケだよ。周りが背中を押してやれば、あとは自然とくっつくって」 そして、くぅ~、バンバン、と自分の脳内で展開されるラブスーリーに悶えた。 やー、たまらん。甘酸っぱいなあ。青春だあ! 真琴は穏やかな微笑を返した。 「でも、私、手加減できないよ?」 真琴は真っ直ぐに春日部を見つめた。あまりに真っ直ぐ過ぎる視線を、彼にぶつけていた。 でも、当の春日部はただ嬉しそうに笑っただけだった。 「ま、一応さりげなーく、ね?」 春日部は無邪気な笑顔に、真琴はまた眉間にシワを寄せた。 それから春日部と真琴は現視研のブースに戻ることにした。 人並みを縫うように進んでいく最中も、春日部はこれからのアレやコレやのマル秘作戦に考えを巡らし、不気味に笑っている。 まるで妄想に浸るオタクのようだ。 「まずは大野たちのも話を通しとかないとなあ~。そんでー、何か理由つけて集まるようにしないと。 じゃないと夏休み明けまで会う機会ないもんなあ~。この夏中には何とかしたいからなあ。 つーか、あと8月も半分しかねーじゃん。あー、もっと早くに気付いとけばなあ~」 ぼやきつつも顔は笑顔だ。 「海がいいんじゃないかな? また皆で行きたいよね」 真琴がお馴染みの向日葵のような笑顔で相槌を打った。 一瞬考えるような仕草をして、ニヘヘと春日部が笑う。 「海か~…。海はいいかもなあ…」 二人は足取りも軽くごった返す会場を歩いていく。 と、突然に真琴が足を止めた。 「んー、どしたー?」 春日部が顔を覗きこんだ。真琴は遠くの方を目を大きく開けて見つめている。 花が綻ぶような麗しい笑顔も消えている。 何だろう? 春日部も視線の先を追って目を向けるが、如何せんゴチャゴチャっとしている会場である。 何を見ているやら判然としない。 じっくりと見ようと目を細めたのだが、不意に腕を引っ張られたかと思うと、 んちゅー と擬音語がつきそうなキスをされた。 それも、結構長い時間。 唇が離れた途端に、春日部が潜水から浮上したスイマーのように喉を震わせて肺に酸素を送り込んだ。 「どーしたんだよ。とーとつに…」 春日部は気まずそうに周囲に目を配った。 呪詛の念と言ってもいいかもしれない。周りのオタク達の放つ殺気をひしひしと感じる。 流石にちょっと苦笑いが漏れた。 まあ…、いつも所構わずしているんだけれど、ここではどうもねえ…、ロマンチックでも何でもないし。 「んー…。イヤだった?」 真琴が無邪気に笑う。いたずらっ子のような顔をして。 あまりの可愛さに思わず言葉に詰まった。 「ヤじゃないけどさー。ちょっとビックリはしたかな、はは…」 赤みが差している春日部の顔を満足そうな笑みで真琴は照らした。 そして手を取って、また弾むように歩き出した。 「ちょっとね、おまじない」 笑いを含んだ声で真琴が言う。 「おまじない?」 狐に摘まれたような顔をして、春日部はトタトタと引っ張られている。 おまじない? 一体何の? 「みーんなが幸せになるためのおまじないだよ」 「……さっきのが? なんで?」 応える代わりに、真琴は満面の笑みを返した。 春日部は頭にはてなマークを浮かべて、トタトタと真琴の後をついていった。 本当、未だに分かんないなあ…。この性格…。 でも結局、あの笑顔で許しちゃうだけどなあ。 春日部は諦めたようにフッと笑った。小さく揺れる真琴の後姿を見つめて。 その時の、笑顔の消えた真琴の顔は、春日部には見えなかった。 つづく

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