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「筆茶屋はんじょーき4」(2006/05/16 (火) 01:42:14) の最新版変更点
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*筆茶屋はんじょーき3 【投稿日 2006/04/28】
**[[筆茶屋はんじょーき]]
千佳は台所に駆け込んだ。心を静めようと水を飲む。
突然吐き気に襲われる。吐く。吐いて吐いて、胃が空になっても吐きつづける。
(これは罰だ)
千佳はそう思った。
過去の行いを、その結果を、その罪を忘れ、人を好きになり、かつてと同じ事をしている自分への罰。
ふと視界に包丁が映る。
手に取り、刃先を見つめる。
そして首筋に当てる。冷やりとした感触。
(楽になりたい)
その一心で力を込め、る寸前で包丁を放り投げた。
死ぬわけにはいかない。
あの日、凍死する寸前だったわたしを救ってくれた義父の為に、義父を失ってなおわたしを愛してくれる義母の為に。
なにより、あの人の母は言ったのだ。
死んだあの人の分も生きろ、と。
罪を背負ったまま生きて、苦しんで、苦しみ抜いて死ね、と。
”筆茶屋はんじょーき”
「千佳さん、大丈夫?」
笹原の声に、千佳はびくリと体を震わせる。
「どこか具合でも…」
「来ないで!」
笹原は歩み寄ろうとした足を止める。
「大丈夫ですから…すぐに行きますから…来ないでください」
「…そう?」
少し悲しげに言うと、笹原は踵を返す。
遠ざかる足音を聞きながら千佳は、振り返って引き止めたくなる気持ちを、必死に抑えていた。
千佳はしばらくして店に戻ってきた。
少々顔色が悪いものの、普段と変わらぬように見えた。
しかし、笹原と加奈子は気付いた。
千佳が決して笹原の方を見ようとしなかったことに。
夕刻になり、店を閉める。
以前、あまりの無為ゆえに、何か手伝わせてくれと頼み込んだ結果、この時には笹原も手を貸すのが常になっていた。
常であれば、「ご苦労さまでした」「また明日」で終わるのだが、今日は違った。
「…笹原さん。長い間ありがとうございました」
そう言って、千佳は少なくない金を笹原に握らせた。
「あの、これは?」
訳のわからぬ笹原が尋ねる。
「本当にありがとうございました。でも、明日からは来なくていいです。むしろ来ないで下さい」
千佳はうつむいたままそう言うと、笹原に背中を見せた。
「ちょっと待って!どういうことだよ!」
笹原の声に答えず、千佳は店に入ると表戸を閉めた。
「どういうことだよ…」
笹原は金を握り締めたまま呟いた。
千佳は表戸を閉めると、その場にへたり込んだ。
涙が頬を伝う。
(これでいいんだ)
(わたしの所為で、笹原さんを不幸にしてはいけない)
(会わなければ、きっと忘れられる)
(わたしも、笹原さんも)
「笹原さん…」
千佳はそう呟くと、顔を覆って泣いた。
かすかな嗚咽が、誰もいない店の中に響く。
あれから数日。
笹原は何もする気にもならず、長屋の自分の部屋に寝ていた。
実の所、今すぐにでも千佳の顔を見に行きたい気持ちではある。
しかし、『来ないで下さい』と言われた以上、それを違えるのも気が引けた。
「ちーす、アニキ~。生きてるか~」
間延びした声を響かせて、笹原の妹の恵子が訪ねてきた。
「あいかわらず小汚い部屋だな。そのうち虫が湧くんじゃねーの?」
「うるさいな」
相変わらずの毒舌ぶりに、笹原は面倒臭そうに返す。
余談であるが、笹原の部屋は恵子が言うほど汚くはない。汚さで言えば、斑目の部屋の方がよほど上だ。
もっとも男の一人暮らし、ということを考えれば、推して知るべしなのだが。
閑話休題。
「何の用だ?」
「金貸して」
恵子の答えに、笹原は露骨に顔をしかめた。
「…また男に貢ぐのか」
「うるさいな。玉の輿に乗るには、それなりに金がかかるんだよ!」
「それで何度騙された?いいかげん現実を見ろ!」
「うるせえ、サル!説教なんてたくさんだ!」
互いににらみ合う。やがて笹原はため息をつくと、無言で文机を指し示した。
そこにはあの時、千佳にもらった金が、手をつけずに置いてあった。
「なんだ、あるんなら最初から出せよ…え?どっから盗んだのさ、こんな大金」
「人聞きの悪い事を言うな。荻上屋の千佳さんにもらったんだ」
笹原の答えを聞いて、恵子はにんまりと笑う。
「そういえば、加奈子から聞いたけど、その『荻上屋の千佳さん』と最近仲いいんだって?」
「アニキもやるねえ。女に貢がせるなんて」
「そんな訳があるか!」
「じゃあどういう訳よ」
憤慨する笹原に、恵子は興味しんしんといった体で聞き返した。
仕方無しに、笹原はその日の出来事をかいつまんで説明した。
話を聞くうちに、恵子の表情がだんだん険しくなっていく。
「という訳なんだが…」
「ああ、そう。気になってる女が突然具合が悪くなっても、『大丈夫』って言ったから放り出して、『来るな』って言われたから、こんな所で悶々として、渡された大金の意味も、『わからない』で済ますんだ」
「サル並みの馬鹿だと思ってたけど、あんたサル以下だよ」
「おい、恵子」
「好きなんだろ?だったら気にならないのかよ!心配じゃないのかよ!」
「言われたから?嘘だね。アンタは知りたくないだけだ。知って傷つくのが怖いだけだ。怖くて逃げてるだけだ!」
「恵子!」
「うるせえ、馬鹿!サル!さっさと死んじまえ!!」
言い捨てて恵子は表へ飛び出していった。
金には一つも手を付けずに。
「おっと」
笹原の部屋に向かっていた斑目は、飛び出してきた恵子とぶつかりそうになり、慌てて脇へ飛びのいた。
恵子は見向きもせずに駆け抜けていく。
斑目には、なぜか彼女が泣いていたように思えた。
「笹原、ちょっといいか?」
「…いいですよ」
斑目が声をかけるまで、笹原は煎餅布団に座って、不機嫌に黙り込んでいた。
「さっき恵子くんと会ったけど、何かあったのか?」
「いえ、別に」
「そうか。ところでだ、この間言った『剣を教えて欲しい』という奴だが…」
「どうかしましたか?」
「只だよな?」
沈黙が流れる。笹原は軽く噴出すと、
「わかりました。ほかならぬ斑目さんの頼みです。只にしましょう」
そう言って立ち上がった。
木刀二本を手に、猫の額ほどの庭に出る。
片方を斑目に渡す。
「それじゃあやりますか」
言って構える。
「おい、いきなり手合わせかよ!」
「大丈夫、加減はします。それに腕前が判らなければ教えようがないでしょう?」
斑目はしぶしぶと木刀を構えた。
そして、さんざんに打ちのめされた。
「いたた…加減すると言ったじゃないか」
「してますよ。怪我してないでしょう?」
「痣にはなったがな。それで、俺はどうなんだ?」
「そうですね…とりあえず、素振りから始めましょうか」
「わかった。何回やればいいんだ?」
「とりあえず一刻ほど」
「時間で数えるのかよ!」
「付き合いますよ」
斑目の突っ込みをさらりと流して、笹原は木刀を構えた。
一刻後、息も絶え絶えに突っ伏す斑目の隣で、笹原は平然と汗をぬぐっていた。
「…なあ、笹原」
ようやく声が出せる位に回復した斑目が問い掛ける。
「何か、『これさえ憶えておけば大丈夫!』というような必殺技とかないか?…身がもたん」
笹原のこめかみに青筋が立つ。
「斑目さん」
普段と異なる調子の声に、斑目は笹原を見上げる。
笹原は笑っていた。
そして、その背後に、ものすごい、怒りの気配を背負っていた。
斑目が詫びようとした瞬間、
「そんなものがあったら俺のほうが教えて欲しいですよ!!」
笹原は叫んだ。
千佳は普段、荻上屋に寝泊りしている。
それはとある事情があってのことだが、その日、千佳は数日振りに荻上家の屋敷を訪れた。
「千佳さま」
用人の高柳が引き止める。
「覚悟のほうはお決まりでしょうか?」
「何度も申し上げておりますが、今や荻上家の跡取は千佳さましかいらっしゃらないのです」
「千佳さまには是非とも婿を迎えて子をなし、家を保っていただかなければならぬのです」
「先代が亡くなって早ニ年、もうこれ以上のわがままは…」
「千佳さま、奥方様がお呼びです」
女中の声に、高柳はしぶしぶ話を打ち切った。
千佳は安堵と罪悪感を覚えながら、義母の部屋へと向かった。
「ごめんなさいね、千佳。また高柳に何か言われたでしょう?」
義母は床についたまま千佳に話し掛ける。
「いいえ。高柳さんの言う事は間違ってませんから」
千佳は答えながら義母を見る。
義父を亡くしてから、めっきり衰弱してしまった義母は、もはや自力で体を起こす事すらできない。
「まったくあの人は…いくら貴方がかわいいからといって、後先も考えずに養子縁組なんかしてしまって…」
「本当にごめんなさいね」
「いいえ。わたしは義父に拾って頂かなかったら、こうして生きていません。感謝しています。心から…」
千佳は思い出す。
実家から与えられたわずかな路銀を騙し取られ、女衒に売り飛ばされそうになったことを。
なんとか逃げ出したものの、身一つのみで飢えと寒さに震えていた時のことを。
飢えと寒さで朦朧とした意識の中、自分を抱きかかえてくれた義父のことを。
そしてその後、数日に渡って寝込んでいた自分が目を覚ましたときの、義父と義母の笑顔を。
千佳は、自分が幸せだと思った。
そしてそれが苦しかった。
自分にそんな資格があるのか、という思いが沸き起こる。
義父も義母も、千佳の過去を問いはしなかった。
(それに甘えていたのかもしれない)
千佳は激しく後悔した。
(わたしは何も変わっていなかった)
(だから、そのうちきっとこの人たちを傷つける)
(やっぱりわたしはあの時に…)
「千佳」
義母の声に、千佳は沈んでいく思考を止められた。
「自分を責めるのはやめなさい」
「貴方の過去に何があったのかは知りません」
「でも、貴方が自分を責めて、不幸になっても、誰も幸せになれません」
「幸せになりなさい、千佳」
「それだけで十分です」
そしてこの言葉が義母の遺言となった。
*筆茶屋はんじょーき4 【投稿日 2006/05/12】
**[[筆茶屋はんじょーき]]
千佳の義母の葬儀は、滞りなく行われた。
通夜の席で、千佳は高柳を呼び、告げた。
「遅くなりましたが、荻上の家を守るため、縁組をしたいと思います」
「承りました」
千佳の決意に満ちた表情を見て、高柳は懐かしさと、悲しさを感じた。
それは、荻上家に来たばかりの彼女の顔だった。
”筆茶屋はんじょーき”
あの日、恵子に言われて以来、笹原は暇を見ては荻上屋を訪れるようにしていた。
しかし、店が開くことはなかった。
隣近所に話を聞くと、夜になっても明かりが灯らぬことから、既に空家なのではないか、ということだった。
笹原は少なからず衝撃を受けた。
ここにさえ来れば、たとえ無視されても、顔を見て、声を聞けると、そう思っていたのだ。
しかしあては外れ、彼女に会えないという現実が笹原を苦しめる。
斑目とともに、ただひたすらに剣を振る事で、気持ちを鎮めようとしていた。
そんな日々が続くにつれ、笹原の中で一つの思いが膨れ上がる。
(千佳さんに会いたい)
その日、笹原が荻上屋を訪ねると、ひさしぶりに表が開いていた。
気色ばんで駆け寄ると、そこに千佳の姿は無く、複数の男達が家財道具を片付けていた。
一人を引きとめ話を聞く。すると、
「へえ、店を閉めることにしたんだそうで。なんでも持ち主の家に不幸があったとか。ここの娘さん?家に戻ったらしいですぜ」
そう答えると、再び仕事に戻ろうとする。
笹原が呆然としていると、その男は何か思い出したようで、一つ手を打つと付け加えた。
「そうそう、そういえばその娘さんは喪が明けたら祝言だとか。まったく、忙しい話だねえ」
笹原はどこへ向かうでもなく、ただ歩きつづけていた。
歩きながら千佳のことを思った。
行き倒れた自分を助けてくれた彼女を、自分に茶と団子を出す時のつんと澄ましたような彼女を。
何か手伝わせてくれと頼み込んだ時の困ったような彼女を、そして、自分に笑いかける彼女を。
笹原の中をいくつもの感情が入り乱れる。
悲しみ。寂しさ。後悔。怒り。
笹原は足を止め、空を見上げた。
不意に自分が滑稽に見えて、自嘲する。
(何で俺はこんなに千佳さんのことを考えているんだ?)
脳裏にいつかの恵子の声が聞こえる。それは笹原を激しくなじり、そして、
(そうか。俺は彼女が好きなんだ)
ようやく笹原は自分の気持ちに気付いた。
時は少し遡る。
荻上家の客間で、千佳と男が向かい合っていた。
高柳は、千佳の横で苦虫を噛み潰したような顔をしている。
男が口を開く。
「原口と申します。このたびの荻上家との縁組、当家にとっても誠にありがたき申し出。誠に恐悦至極に存じます」
「こちらこそ、末永くよろしくお願いします」
無表情に千佳が答えると、高柳の渋面はさらに深くなった。
そのまま立ち上がると、千佳に一声かけて部屋を出る。
追って部屋を出た彼女に、高柳は詰め寄った。
「千佳さま。今からでもこの縁談、お断りなさい。あの男は駄目です」
「そもそもあの男は金で御家人株を買い、更にその立場を利用して、相当にあくどく稼いでいるという噂です」
「今回の件も、荻上家の財産だけが目的に決まっています!」
「でも、主家筋からの紹介では…」
「確かに。ですが、千佳さまが嫌といえば、この高柳が腹を切ってでも取りやめにして…」
「用人風情が家の一大事に口を挟むものじゃないよ」
いつの間にか、原口が二人の傍に立っていた。
原口は笑顔だった。
しかしの目が笑っていない事は、二人にも良くわかった。
原口は千佳を抱き寄せると、高柳に告げる。
「お前は首だ。今すぐ荷物をまとめて出て行け」
「お待ちください!彼は荻上家の家臣です」
千佳は原口を睨みつける。
原口は鼻で笑う。
「ならば、貴方が首にしなさい」
「!」
「家を潰したいのか?」
原口に凄まれ、千佳は目を閉じ、うなだれて言った。
「高柳。長い間ご苦労様でした…」
「千佳さま!」
「と、言う事だ。さっさと出て行け」
そう言い置くと、原口は千佳を抱いたまま、引きずるようにして客間へ戻っていった。
それ以降、千佳の周りは急変した。
原口は、荻上家の使用人全てを解雇し、家事の全てを千佳に押し付けた。
そして使用人たちと入れ替わるように、ごろつきやヤクザ者が入り込んだ。
彼らの世話まで押し付けられ、ついに倒れてしまった千佳に、原口は笑いながら話す。
「すまなかったね、千佳。これぐらいで倒れるとは思わなかったんだ」
「だから、一人雇う事にしたよ」
「俺の部屋にいるから、後で挨拶に来なさい」
「…ありがとうございます」
千佳にはそう答える事しかできなかった。
布団の中で千佳は思う。
(わたしはまた、間違いをしてしまったのかもしれない)
(でも、こうしなければこの家は…)
千佳の脳裏に義母の遺言が響く。しかし千佳は寂しげに笑うと、
(いいんです。この家さえ守れるのなら、わたしはどうなっても)
(それでいいんです)
心の中で、そう答えた。
まだ酷く重い体を、無理に起こす。
(挨拶に行かなくては…)
よろめきながら、千佳はかつての義父の、今は原口の部屋に向かった。
部屋の中からは、話し声がかすかに漏れている。
「失礼します」
言って襖を開けると、そこには原口と、忘れる事のできない、決して見たくなかった顔の女性がいた。
その女性はおもむろに口を開いた。
「お久しぶり。千佳」
「中島、様…」
千佳が呆然としていると、原口が口を挟む。
「知り合いか?」
「ええ、過去に、少し」
その悪びれない態度を見ているうちに、千佳の内心を様々な感情が過ぎる。
怒り。悲しみ。後悔。憎しみ。郷愁。
そして彼女のその態度が、過去の行いを忘れて同じ事を繰り返そうとしていた自分と重なり、千佳はその場に崩れ落ちた。
「能無しめ。挨拶もまともにできんのか」
倒れた千佳を冷ややかに睨みながら、原口は言い捨てた。
「ずいぶんとこき使っているようね」
千佳を抱き起しながらの中島の声には、明らかな険が含まれていた。
「ほとんど用済みだからな。抱く気にもならぬ、とすれば雑用にでも使うほかあるまい?」
原口は平然と答える。
「用済みなら、私がもらうわ。あと、もう一人雇うから」
「ずいぶんと御執心だな」
千佳の頭をなでながら話す中島を、原口は探るように見つめる。
「ええ、そうよ」
「なぜだ?」
「あなたにはわからないわ」
中島は、原口を見上げながら、見下した。
空気が険悪化していく中、原口が口を開こうとした直前に、中島は言う。
「むしろ私には、なぜあなたがそこまで金にこだわるのかわからないわ」
「…金は力だ」
原口の声は唸り声に近かった。
中島は千佳を抱くと、部屋を出る。去り際に振り向くと、
「その『力』で何をするの?」
と、明らかに嘲笑を含んだ台詞を残して去っていった。
残された原口は、しばらく黙り込んだ後、吐き捨てた。
「女狐め…」
同じ頃、それを聞いたわけでもなく、中島も吐き捨てていた。
「豚が」
千佳が目を覚ますと、そこには優しく微笑む中島がいた。
「大丈夫?」
中島の声とともに、千佳は冷やりとした感触を額に感じた。
ぼんやりとした意識の中、中島の声が聞こえる。
「ねえ、憶えてる?前にもこうやって倒れた千佳を看病したことがあったよね」
「すごい熱だったのに、無理に出てきて、突然倒れたの」
「『どうしてそんな無理したの』って聞いたら、『皆に会いたかった』なんて答えて」
「千佳が手を離さないから、私は添い寝までしたんだから」
憶えている。
ずっと隠していた、自分の衆道好きを受け入れてくれた友達を。
その友達と過ごした日々を。
うれしくて、楽しくて、夢のようで。
…そして夢だった。
『ねえ、巻田の息子って知ってる?』
『え、う、うん』
『あ~、彼?ちょっと線の細そうな…』
『そう彼。もし彼を主役にするならどんな話を作る?』
『う~ん。やっぱり”受け”よねえ』
『ただの”受け”じゃ面白くないよね。ここは”総受け”で!』
『あはは、それ良い!ねえ千佳。あなた書いてみない?』
『え、で、でも…』
『大丈夫、千佳なら書けるって』
『そうそう、それに千佳の書くのって本当にすごいし』
彼女たちはもういない。
彼もいない。
わたしが書いた本の所為で。
わたしの所為で。
わたしの所為で!!
「うわあぁぁぁあぁあ!!!」
千佳は叫びながら飛び起きる。頭を抱えて、全身を酷く震わせる。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…」
呪文のように呟きながら。
「千佳!」
中島が千佳の肩を掴む。
千佳はゆっくりと振り向く。虚ろだった瞳の焦点が合う。そして千佳は大きく目を見開き、
「ごめんなさい」
とだけ言うと、気を失った。
中島は悲しげにため息をつくと、千佳を布団に寝せて部屋を出た。
その日以降、千佳は寝込む事が多くなった。
そんな彼女を中島はずっと看病していた。
そして原口はそんな二人を苦々しく見ていた。
三人が三人とも、このままでは終わらない事を予感していた。