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*言葉に出来ない 【投稿日 2006/05/05】 **[[カテゴリー-斑目せつねえ>http://www7.atwiki.jp/genshikenss/pages/48.html]] かなわぬ恋だと知っていた。 それでも望んでいた。 いつか彼女が自分を振り向いてくれる事を。 多分、俺は出会った時には既に、恋に落ちていたのだろう。 『どこに惚れた』なんていう話が、いかに見当違いなのかが今になってわかる。 俺の好みとは全く違う、現実(リアル)な女性。 多分、だからこそ俺は彼女に強く惹かれたのかもしれない。 数年に渡る彼女との付き合いは、実に楽しかった。 当初、彼女は俺とは、まったく違う価値観を持っていた。 水と油と言っていいだろう。 それでも、様々な出来事を通じて、俺は、彼女は変わっていった。 言うな。 言わなくてもわかってる。 彼女は、彼の、高坂の為に、変わっていった。 …そして俺は、彼女の為に、自分を変えようとした。 彼女がオタクを理解しようとしたように、俺は彼女を知りたかった。 彼女の望む男になりたかった。 彼女の隣に…いや、彼女の『恋人』になりたかった。 俺は彼女を愛していた。 彼以上に。 きっとそうだった、と信じている。 彼女が卒業して、彼女に会えなくなって、伝える事すらできなかった俺の恋は終わった。 今でも思う。もしあの時、自分の思いを伝えていたら。 彼女は、拒んだだろうか。受け入れてくれただろうか。 わかってる。 こんなことは”今更”でしかない事を。 季節が過ぎ、今俺は彼女ではない彼女と付き合っている。 俺は彼女が好きだ。 一人きりで生きていくことに、耐えられなかったから。それがきっかけだったとしても。 それでいて、俺は、彼女と彼女を比べている。 彼女の姿を。声を。心を。 それに気付く度に、俺は哀しくなる。 自分が情けなくて。 いつからだろう。 俺は嘘をつく事が上手くなった。 周りに嘘をつき、自分に嘘をつく。 今も彼女に、大して興味もない、いわゆる”話題作”について熱く語っている。 彼女が笑うたびに、俺は傷つく。 全てをぶちまけたくなる衝動を、必死に堪える。 彼女に嫌われたくなくて。 いや、それも嘘だ。 彼女に嫌われて、一人きりになることが嫌いなだけ。ただそれだけ。 昔を思い出す。 笹原と『ツルペタ』や、『ロリ』や、『幼馴染』などで熱く語り合った日々を。 俺は人生最後の日まで、俺を貫けると思っていた。 だが今の俺は、自分の都合の為に自分を変える、当時最も嫌っていた生き方をしている。 それがくやしい。 ただ、くやしい。 春日部咲さん。 俺は貴方と出会って、変わってしまいました。 そしてそんな自分を、未だに好きになれません。 それでも思います。 『貴方に会えてよかった』と。 『貴方に会えてうれしかった』と。 この想いが彼女に届く事は無いだろう。 想うだけで、言葉にできなかったのだから。 それでも俺は想い続ける。 言葉にできなかった、この想いを。 おまけ 「なあ、斑目。あんた無理してない?」 「え?いや、別に…」 「そう?実は他に好きな人がいるんじゃない?」 「…」 「図星か」 「…ゴメン。どうしても忘れられないんだ…」 「忘れなくていい」 「え?」 「あたしは今の斑目が好きなんだ。”他の人を忘れられない”斑目がね」 「…いいのか?」 「だからって自分に都合のいい想像すんなよ?あたしが言いたいのは、『忘れられないなら、忘れさせてやる』ということだからな」 「…あ~…」 「んな情けない顔するな。いいか、絶対に、忘れてしまうほど、幸せにしてやる…あたしが。約束する」 「だから覚悟しろよ、斑目晴信!」
*空の下、大切な場所 【投稿日 2006/05/10~11】 **[[カテゴリー-斑目せつねえ>http://www7.atwiki.jp/genshikenss/pages/48.html]] (斑目のSS「さくら」の続編。斑目の話。) ***  5月の初め。空は青く青く透き通り、辺りは爽やかな春の日差しに包まれている。 …痛いほどに、明るい日光が自分の心にまで差し込んでくる。 そのためだろうか。見ないようにしていた生傷まで鮮明に見えてくるのは。 もう幾度めかのため息をつく。 どうしたら、この痛みから抜け出せるのか。 何故これほどまでに痛みから解放されないのか。 あれからもう1ヶ月はたっているのに。 …いや、4年という月日を忘れるのには、1ヶ月では全然足りないということか。 卒業式の日から、あの思い出から抜け出せない。 あの花のような笑顔を忘れられない。 思い出すたびに、息苦しくなる。 なぜだろう?昔は、あの人の顔を思い出すだけで楽しい気分になれたのに。 今の感情を一言で言うと、不完全燃焼、だった。 終われなかった思いがくすぶって、黒い煙をいつまでも吐きつづけている。 まっすぐ刺すようだった悲しみが、いつの間にか鈍い痛みを残し続けている。 暗く深い水の中で、息ができない。ぎりぎりまで息ができない。 ふっ、と苦しみが和らいだかと思うと、またすぐに引き戻される。 ただ、そんな日々。 いつの間にこんなものを背負い込んでいたのだろう。 大学の校門をくぐる。 …そう、俺は未だにここに通い続けている。 階段のすみに、向こうのベンチの影に、あの人の幻影を探す自分がいる。 こんな所にいるはずがないのに。 覚悟はしていたはずだった。もう、「安心」を得られない覚悟を。 この体中の力がなくなっていくような喪失感を、頭ではイメージできていたはずだった。 少し、覚悟が足りなかっただけの話だ。  斑目は部室のドアを叩いた。 奥から、少し低い女性の声で「どうぞ」と聞こえた。 ドアを開ける。そこには荻上さんがいた。 荻「あ、ども…」 斑「こんちは」 斑目はいつもの笑顔で答える。 (…大丈夫、ちゃんと笑えてるはずだ) 荻「あ、すいません片付けますね」 部室のテーブルには、ベタ入れした原稿が散乱している。乾かしていたのだろう。独特の墨の匂い。 斑「悪いね」 荻上さんが原稿をまとめるのを見ていた。手伝おうと思うのに、体が動かない。力が入らない。 荻「どうぞ」 斑「ん、アリガト」 斑目はようやく席に座る。 最近荻上さんと部室で会うことが多い。荻上さんはたいてい原稿をかいているか、ネーム作業をしている。 斑「また新しいやつ?」 荻「ええ、今回は投稿用なので、801ではないんですけど」 斑「フーン、できたら見せてくれな」 荻「ま、まだ駄目です!もう少し自信がついてから…」 荻上さんは慌てて言う。少し顔が赤くなる。 斑「ん、またいつでも、荻上さんのタイミングで」 荻上さんは乾いた原稿をまとめると、またすぐ描きかけの原稿に向かった。 よく飽きないなと感心する。 たまに、話しかけても答えないときがある。ものすごく集中しているときだ。 …どうしようかなと思ったが、話しかけることにした。 斑「今描いてるのって、801じゃないんだよね?どんな内容?」 801のときは、内容まで聞かない。原作は何かだけ聞いたりはするが。 荻「あ…少女漫画です」 斑目はコンビニで買ってきた昼飯を広げた。今日はサンドイッチだ。 斑「へえ、荻上さん少女漫画描くんかー」 荻「一度描いてみようと思って。笹原さんに、私の絵は少女漫画向きじゃないかって言われたんで」 斑「笹原、元気?最近忙しいって言ってたけど」 荻「ちょっと疲れ気味ですね…ストレスたまってるみたいです。最近イライラしてて」 斑「そうなん?」 荻「…ええ。今まではこっちが甘えてる状態だったのに、最近は逆です」 荻上さんは少し苦笑した。 付き合い始めのころは、恥ずかしがってこんな話しなかったのに、今ではすごく自然に笹原との話をする。 (可愛くなったよなー荻上さん…。入部したときとはえらい違いだ…。) 『オタクが嫌いな荻上です!』 最初の挨拶を思い出す。あのときの周り全てが敵という感じの、挑むようなあの目つき。 (…そういえば、春日部さんもある意味そんな感じだったな) 初めて部室に春日部さんが来たときのことを思い出した。 高坂が初めて部室見学に来たときに、一緒についてきたのだ。 ……………… 高「こんにちは。僕、高坂といいます。こちらのサークル見学したいんですけど、いいですか?」 高坂ははきはきと喋った。 そのとき初代会長は席をはずしていた。 斑「お、見学!?ようやく来たな!」 田「はは。このまま来ないかと思ったよ」 久「ぜ、ぜんぜん勧誘してなかったからなー。やる気なかったからなー」 斑「お前もな!」 田「…ん?そっちの人は?その人も見学?」 高坂の後ろから、仏頂面でくっついてきた女がいた。 高坂の服装と似ていた。黒いジャケットに赤いネクタイをしている。化粧が濃い。 その女が開口一番にいった言葉。 咲「オタクはだまってろ」 すごむような目つきでそう言った。まるでヤンキーだ。 思わず固まる一同をよそに、その女は高坂に甘えるようにこう言った。 咲「ねーコーサカぁ、天文研にしとこうよ!あそこ、夏は合宿あるらしいよ」 高「うーん、そうだね…。でも今はこのサークル見学してからね」 咲「じゃ、このサークル見学したら、あとで行こうよ。」 高「そうだねー…。あの、すいません。ここはどんな活動されてるんですか?」 高坂はその女の提案をやんわり流し、自分の聞きたいことを聞き始めた。 斑「そーね。うちは現代視覚文化研究会つって、漫画からアニメから、果ては同人誌から、なんでも研究するサークルなのです!!」 田「ま、なんでもありってことだ」 斑「研究内容は、その都度積極的に会議で話し合われ、不定期に「メバエタメ」という雑誌に編集されマス! あ、今は俺が編集してんだけど」 田「ま、てきとーにくっちゃべって、気がむいたら本にしてるんだ、こいつが」 斑「おーーーい田中、さっきからツッコミがキビしいぞーー?」 田「ああ、気にすんな。こいつ、演説好きなんだ。俺の言ったことでだいたい合ってるから。」 高「あはははは」 高坂は楽しそうに笑った。 咲「…なに、その内容。ただの雑談?サークルでする必要あんの?」 その女はずばりと言った。再び固まる空気。 (…この女、痛いところを…) 最近、アニ研の近藤にも似たようなこと言われた。 その時は口八丁で煙に巻いてきたが、本当はちょっと、気にしていた。 (………でもなあ。田中も久我山も、あんまりやる気ないしなあ…。) それを、いきなりさっき見学についてきたばかりの女に指摘され、ちょっとムッときた。 斑「あのさー君、さっきから何なの?興味ないなら帰れば?」 田「おーい、そういうこと言うな」 斑「こっちの『コーサカ』君は興味あるんだし。君、オタクじゃないんでしょ? 君とサークルの内容について話し合いする必要はないと思いますがネ?」 咲「ああん?喧嘩売ってんのか」 再び睨まれ、ちょっと怯むが、ここで引いたらオタクがすたる。 斑「そっちが先に売ってんだろ。こっちは別に迷惑かけてないんだから、一般人は口出し無用!自分の星にカエレ!」 田「おい…」 田中が制した。ちょっと言い過ぎたかと思ったが、生意気な一般人には、こんくらい言っといたほうがいいのだ。 棲み分けのために。これでこの女も来なくなるだろう。 するとその女はつかつかとこっちに向かってきた。 お、やるのか、と身構える前にいきなり右ストレートが自分の顔面に炸裂した。 「!!」 思わずよろける。一瞬だけ頭が真っ白になる。 そんなに思ったほど痛くなかったが、ついよろけてしまったのがショックだった。 斑「…ってーな、何しやがる!」 咲「だからオタクは駄目なんだよ」 春日部さんは毅然とした態度で言った。 …そのときは、春日部さんの言葉の意味がよく分かってなかった。そのときは。 (あ、「親父にもぶたれたこと(ryって、言うの忘れた………)とか思っていた。 ……………………… 今となっては、懐かしい。自分の未熟さとか、春日部さんの攻撃性とか、そういうイタい面も含めて。 思い出して、少し可笑しくなる。同時に、心がちくりとする。 そんな時代もあったのだ。 斑「そう言えば、笹原には漫画見せてるの?」 荻「ええ。…やっぱり、編集者ですから、自信がないのでも見てもらったほうがいいかなって。 というか、笹原さんがしょっちゅう見せろって急かすので…。」 荻上さんは笑う。 斑「フーン、でもどうなん?あいつちゃんと評価してくれる?」 荻「ええ、笹原さんけっこう厳しいんですよ」 斑「へー、あいつ意外と言うからね」 荻「前は褒めてくれたんですけど、最近は仕事疲れでイライラするせいか、酷評されますね。 あんまりストレートなんで、腹立つこともあります」 斑「腹立つ?荻上さんが?」 最近の穏やかな荻上さんを見ていると、腹を立てているところが想像できない。 荻「ええ。あんまり腹立ったんで、こう言ってしまったんです。『笹原さんって見る目あるんですか?』…って。」 斑「………………(汗)」 荻「そうしたら笹原さんにこう言われました。  『荻上さんこそ、本当にこの漫画面白いと思って描いてるの?だとしたらすごいね!』」 斑「………………………………………(激汗)」 荻「さすがにそう言われたときはショックでしたけど。 でも、ストレートに言ってくれたほうが自分のためになるってわかったんです。 笹原さんも、あとで何度も謝ってくれましたし」 斑「………なんか壮絶だね、君タチ」 荻「私、けっこうキツいこと言ってしまうタイプだし、笹原さんも思ったことそのまま出ちゃう人ですから。 だから、その方がかえって楽なんですよ」 荻上さんは相変わらず笑っている。心からそう思っているのだろう。 (…そういえば、春日部さんとよく喧嘩したな。春日部さんもやたらムキになって…。 本当なら、ウザがられて無視されるとこだよな。たいていはさ………。) 初対面のときから、何かと口喧嘩しまくっていた。 今思えば、本当に言いたい放題言ったのだが、春日部さんが部室に来なくなることはなかった。 もちろん、高坂のために来ていたんだが。 どんなにこっちの言いたいことを言いまくって、その後ちょっとだけ後悔しても、春日部さんは再び,、こりずにオタクに対する自分の疑問(喧嘩のネタ)を持ってやってくる。 面白くなった。根性ある一般人だな、と。 だから、とことんからかってやろうと思ったのだ。 (あれも、ある意味コミュニケーションだったんだなーー…。) いつからだろう、口喧嘩しなくなったのは。 …あれは俺が4年のときか。なんだか急に、春日部さんを強く意識し始めて、それからは言えなくなった。 そのころ、春日部さんも丸くなって、あまり喧嘩越しの態度に出てこなくなった。 親しくなったからか。少なくとも春日部さんは、そう思ってくれていたんだろうか。 (憧れだったんだろうな………春日部さんの存在が…。 すごくしっかりしてるとことか、実は情に厚いとことか、面倒見がいいとことか。 もちろん美人なとことか、そのわりに気取ってないとことか。意外と内面が繊細だったりとか………。) また、心が疼き始める。『いい思い出』のはずなのに、苦しみと表裏一体になっている。 荻「斑目先輩?」 斑「…ん?」 荻「どうしたんですか?」 荻上さんは心配そうな顔で、こちらを見ている。…そんなにひどい顔をしていたんだろうか。 荻「疲れてる、とかですか?」 斑「あ、いや!大丈夫。」 荻上さんは心配そうな顔でこっちを見る。…そんなに心配されると、なんだか照れくさい。 斑「いや、本当に平気よ?ちょっとボーッとしただけ!」 荻「…そう、ですか。」 荻上さんは言葉を止めた。 荻「…寂しいですね。」 斑「え?」 荻「いえ、新入生が、4月は入ってこなかったんで…大野先輩は就職活動だし、朽木先輩も何だか忙しいようですし」 斑「あれ、じゃ朽木君、最近来てないの?」 荻「いえ、夕方になったら来るんですけど。1,2年生のとき遊びすぎたらしくて、3年になってから単位取るために授業たくさん取るハメになったらしいです。自業自得ですね」 荻上さんは呆れたように言った。 斑「あーそう…じゃ、朽木君が会長に、って話はなくなったのかね?」 …だいぶ前に大野さんから、そんな話が出ていると聞いたとき、正直驚いた。 大野さん自身不安そうにしていたが、それでも前向きに考えているようだった。その大野さんの変化にも驚いたものだ。 (…それにまあ、あの朽木君に任せて大丈夫なんか?という不安もある。やっぱり。) 荻「いえ、今は朽木先輩が会長ですけど」 斑「え…マジで!?いや、こういう言い方はアレかも知れんけど、あの朽木く…」 荻「全然頼りになりませんよ、はっきり言って。」 荻上さんはズバッと言ってのけた。 斑「…あ、やっぱり?」 荻「書類の提出期限は破るわ、会議は脱線するわ、遅刻するわムダ口が多いわ、会長としては最悪ですね」 斑「………………」 どんな状態かはっきりとイメージできてしまう。 では何故、朽木くんに任せてるんだろう。どう見ても荻上さんのほうが向いている。 荻「…でもですね。最近朽木先輩変わったんですよ」 荻上さんの口調が、少し柔らかくなった。 荻「あの変な挙動は相変わらずなんですけど、少しずつ人に気を遣えるようになってきたみたいなんです。 あと、場を寒くするような言葉が大分減りました」 斑「ほー!あの朽木君が!」 荻「自分がまとめる立場になって、ようやく他人の苦労が分かったんじゃないですかね。 だから良かったと思います。あと、こっちも我慢強くなりました。些細なことで怒っても仕方ないって思うようになって」 荻上さんは少し皮肉まじりに言い、笑った。 斑「会長になったら、みんなすごく成長するんだなあ…」 荻「でも斑目さんは元々会長向きだったんじゃないですか?」 斑「いやいや、俺も例外じゃないよ」 荻「そうなんですか?」 荻上さんは意外そうな顔をした。荻上さんは自分と春日部さんがさんざん口喧嘩していた頃を知らない。 斑「春日部さんがなぁ…」 荻「え?」 (………ん?) 妙な沈黙。 荻「春日部先輩が…何ですか?」 斑「…え?あ、あーいや、最近寂しいっていってたからさ! 笹原もだけど、春日部さんも高坂も卒業したから寂しいのかなーーーって!」 慌てて取り繕う。 荻「え、ええ…そうですね…」 (うわ、ヤベーヤベー!思わず口から出てたよ…最近こんなことばっか考えてっから…) 荻「…そう言えば、春日部先輩、昨日来てましたよ」 斑「え、昨日?部室に?」 荻「ええ、久しぶりに顔見に来た、って」 斑「…へー!そうなんだ」 荻「ちょうど斑目先輩と入れ替わりで…昨日は大野先輩もいましたし」 斑「へえ、それは会いたかったなー」 (…ここで「会いたい」って言っても不自然じゃあるまい) 荻「ええ、春日部先輩も、会えなくて残念って言ってましたよ、斑目先輩に」 斑「え、春日部さんが?そんなこと言ったの?」 荻「ええ」 斑「フーーーン………………」 (…あれ、何か、スゲー嬉しいような………) 急に、体が熱くなるのを感じる。 (会えなくて残念…………………春日部さんが?本当に?) 荻「あの…」 斑「ん?」 荻「春日部先輩と、何かあったんですか?」 斑「…へ!?」 荻上さんはじっとこちらを見てくる。 斑「え、いや別に………な、何で!?」 荻「いえ、先輩最近元気ないから……………」 斑「え、そ、そうかな!?」 (バ、バレてる!?えーーー、どこまでバレてんだ!?) 焦ってしまい、頭が回らない。冷や汗がダラダラ出てくる。 斑「えーとその、そーいうアレじゃ…」 荻「えっ?」 斑「別に春日部さん意識してたとかじゃなくて、ただの仲間というかそんなんだから!!」 荻「…え?あの、春日部先輩と喧嘩でもしたのかな、と思っただけなんスけど………………」 斑「へっ!?」 荻「…いえ、それで気にしてるのかな、って…………………………」 目を見開いていた荻上さんの顔が、見る間に赤くなる。 (………アレ?なんか今いらん事言っちゃった?? えーと、『墓まで持っていく』つもりで『墓穴を掘った』みたいな。 あ、今うまいこと言ったな。 ………………………って、全然うまくねーーーーー!!!!!) 荻「………………………………(汗)」 斑「………………………………(激汗)」 沈黙。嫌な汗が出てくる。 (………荻上さんにバレた?今ので…………バレたよな。 ていうか何言っちゃってんの俺……?アレ?え、どーすんだコレ………) 荻「え、春日部先輩のこと…?」 斑「………いやその………………」 しばらく固まっていたが、次第に、急激に体中の力が抜けていくのがわかった。 胸の奥が締め付けられる。 見ないようにしていた苦しみが、一気に襲ってくる。 自分でも驚くほど、狼狽している。がっくりと肩を落とした。 (………何で………何でこんなに、落ちてるんだろう……………。 というか、今まで誰にも言わなかったのに………言わないつもりだったのに………………) 正直、誰にも言わずにいるのは辛かった。でも、誰かに言っても状況が変わることがない以上、その人にまで秘密を背負わせるのはどうかと思った。第一こういう話をすること自体苦手だし。 …なのに。 (…とりあえず、荻上さんには黙っていてもらおう。それしかない………) 斑「………荻上さん」 荻「は、はい」 斑「その…。誰にも言わないでくれるかな………。頼む!!か…春日部さんにも言ってねーし………………」 言いながら、自分の声が震えるのが分かる。 荻「…言いません」 少し低い声で答えが帰ってくる。斑目は顔を上げた。 荻「言いません。絶対、誰にも言いません。」 荻上さんは真剣な目でこっちを見ていた。それを見てほっとする。同時に色々な思いが込み上げてくる。 斑「…ちょ、ちょっと頭冷やしてくるわ………」 そう言って席を立つ。部室の扉を開けて出て行った。 トイレで顔を洗う。…いつから自分はこんなに弱くなったのだろう。 冷たい水に、少しだけ冷静さを取り戻す。同時にひどく空しくなった。 戻ってくると、荻上さんも動揺していた。心配そうな目でこちらを見上げる。 荻「あ、先輩………」 斑「…変なこと言ってスマンね」 荻「いえ!そんな………」 そう言いかけて荻上さんは視線を泳がせる。 斑「アハハ……墓の中まで持っていこうと思ってたのになー…」 そう言いながら思った。 (重いって、そんな言葉…荻上さんにこれ以上気を遣わすなって………!) 荻「…それが先輩の秘密なんですか?」 斑「え?ああ、そうね………」 荻「最近元気ないの、それが原因ですか?」 斑「…情けねーよなー俺…たかがそんなことでさ………」 荻「そんな風に言わないで下さい」 斑「え?」 荻「私も、人に自分の秘密が言えなくて、心を閉ざしてました…このサークルに来るまで。 人は何かしら心に傷を抱えてると思います。傷一つない人間なんていないと…私も………」 そこまで言って荻上さんは口を閉じた。少しためらい、再び話し始めた。 荻「…私も、斑目先輩に秘密にしていることがあります。」 斑「え?」 荻「………じゃあ、今度は私がそれを打ち明けたいと思います。明日の昼、また部室に来てもらえますか?」 斑「あ、明日?いいけど………?」 荻「明日、私の秘密を見せたいと思います。」 ……………………… 会社に戻りながら、考えていた。 (…『私の秘密を見せたい』って、何だろ? ていうか、それなんてエロゲ…いやいや、ゲームのやり過ぎだっての。 …しかし、つい言っちまったなぁ……) 言ってしまったことが、やはりショックだった。だが、今は明日のことに気をとられている。 (何を見せられるんだろう…?) 次の日、斑目はある意味「エロい」ものを見ることになるのだが、それはまた次のお話。 *** 「明日、私の秘密を見せたいと思います。」 ………………今日の昼、荻上さんにそう言われた。 その夜、斑目はベッドの中で、なかなか寝付けないでいた。 暗がりでじっと考えていると、昼間よりもさらに気持ちが急降下していくのが分かる。 (…ずっと「底」だ、と思っていたのに…。まだ底があるんだな………………) こんな形で本音が出てしまうなんて。しかも言う相手を間違えている。 過去の幻影にすがっても、得られたものは苦しみしかない。 …本当はずっと分かっていた。でも、忘れることもできず、振り切ることもできず、打ち明けることも出来ない。 ただじっと身をかがめてやりすごす方法しか、自分は知らない。 だから耐えるしかないと思っていた。それなのに。 明日、本当は部室に行きたくない。 これ以上格好悪いところを見られたくない。…でも。 (荻上さん…すごく真剣な目だったな………。 行かなかったら、あの目を裏切ることになるんだな………。) (どうしようか…) 頭が少しずつ思考停止してゆく。考えすぎて疲れた。 ゆっくりと浅い眠りの中に落ちていった。 ……………………… 次の日の昼休み。直前まで悩んだが、やっぱり部室に行くことにした。 行かなかったら、荻上さんと気まずくなってしまう気がする。それは避けたかった。 斑「………………」 部室のドアの前で固まる。一度深呼吸して、決意を固める。ゆっくり2回ノックする。 荻「はい」 いつものように荻上さんの声が聞こえ、斑目はドアを開けた。 荻「あ、ども…」 斑「や~どうも。今日は暑いね、特に」 荻「そうですね、5月だっていうのに夏みたいな気温ですね。」 荻上さんが右に座っている。自分はドアに一番近いところの椅子を引いた。 最初は当たり障りのない話から入った。斑目は笑顔を作る。 斑「今年は気候が極端だよな~」 荻「きっと地球温暖化ですよ」 斑「ああ…温暖化ネ…」 荻「………………」 荻「で、これが例のモノなんですが!!」 斑「は、ハイ!?」 荻上さんは急に大声で言った。びっくりする斑目。 荻上さんは手に大きめの茶封筒を持っている。 斑「え~それが”私の秘密”??」 荻「…そうデス」 荻上さんが封筒を差し出したので受け取る。 斑「見ていいの?」 荻「…どうぞ」 茶封筒を開けて中の紙束を取り出しかける。その間荻上さんは体を硬くして縮まっていた。 何かをこらえるようにぎゅっと目をつぶる。 斑「お、荻上さん?大丈夫?」 荻「大丈夫です…とりあえずそっちを見てください」 大丈夫に見えないのだが、ひとまず言われたとおりにする。封筒から紙束を取り出す。 (…あ、やっぱ801漫画か………) 一応予想はしていた。荻上さんは今までちゃんと見せようとしなかったのだが、ようやく見せてくれる気になったのだろう。 最初に見たのは2人の男の顔のアップだった。 (?…何の漫画のキャラなんだろ?麦男?でもこっちのメガネは千尋っぽくないな…) 紙をめくると、その2人が裸で抱き合ってるところだった。 めくるごとに表現が直接的になる。 …ただ、今まであらゆる成人向けの同人誌を読んできたので、それほど驚くような内容でもない。 (…フーン、こんなんなのか…絵がきつくないから見れなくはない、かな…ん?) コマ割りで漫画になっている表現の絵が出てきた。 そのページを見て、固まる。 『ネクタイの正しい使い方を教えてあげますよ…斑目さん』 『さ、笹原…何を……』 『お仕置き…ですよ』 そこにはちょっと眉毛がつり上がり気味の笹原と、妙に線の細い女の子みたいな自分(?)の姿が。 (………………………ていうかこのメガネ、俺!!!???) 他の絵も同じキャラのようなので、…この絵は全部、笹原と自分を描いたモノらしい。 (…はーーー!!そういや801って実在の人物もネタに描くらしーけど…まさか自分が描かれてたとは…。 うわーこれは…いや、内容はともかく…………………………。) (俺が受けなんだ…orz) (えーそうなんだ…組みしかれてる絵が多いけど…俺ってそんな弱そうに見えるのかね?うーむ…) 荻「言っていいですよ、気持ち悪いって」 荻上さんが言った。 斑「え、いや、その…」 荻「言ってください、正直に」 荻上さんは真剣な目でこっちを見ている。この絵を見せるのに、そうとうの覚悟をしていたらしい。 斑「………正直言うと…俺、『受け』なのかー、って」 荻「…ああ、それですか…」 斑「え?」 荻「試しに笹原さんが受けの漫画を描いて、笹原さん本人に見せたことがあります。そしたら、やっぱりそこで引っかかってました。 攻めのほうがいいかな、って」 斑「………………」 荻「もし描かれるなら、攻めで描かれてたほうがいいんですかね…?」 斑「…まあ、人によると思うけど…。」 荻「私…中学生のとき、クラスの男の子の『総受け本』を描いた事があります。それは私と仲間の周りだけで見せ合うだけの本だったのに、その男の子本人の手にそれが渡ってしまったんです。 …その男の子は、不登校になって…転校してしまいました。私のせいで。」 斑「………………」 荻「もしかしたら『総攻め』だったら結果は違ってたのかも。…いえ、801自体が受け付けなかったのかもしれませんが…。 …今となってはもう、分かりません。聞くこともできないですし。」 荻上さんの瞳に、少し翳りが見えた。 荻「私はその時からずっと、自分の趣味が男の人に激しく嫌悪されるもので、恥ずかしいものだと思ってました。でも…。 もっと深く考えてみる必要があったんじゃないか、と思ったんです。 なぜ『嫌悪される』のか、それでもなぜ自分がこんなに801を描きたくなるのか。 801好きの人がなぜこんなにいるのか、って。…だから、男の人の意見を聞きたかったんです。」 荻上さんはそう言うと、ひとつ息をついた。青ざめて、額に汗をかいている。 荻「…でも、すみません。気持ち悪いもの見せて…」 斑「うーん、でもさ、例えば女の人で、男性向け同人誌見て拒否反応示す人いるし…。それに似てるんじゃないか? 単に個人の趣味とか、許容範囲の問題じゃないのかね。 …まー確かに、中学生の時に自分のそういうの見たらショック大きいかも知れんけど。今は801がどーいうモンか知ってるしなぁ。 笹原も俺も、前知識があるからそんなに気持ち悪いとは思わんよ。 …ま、俺の意見は参考程度にしといてな。他の感じ方もあるだろうし。」 荻「そうですか…。そう言ってもらえると…。 でも…中学のときに私がしたことは、悪気がなかったからといって許されることではないです。それはわかっています。 だからこそ男の人の率直な意見を聞きたかったんです。過去と向き合うために。 でも、コレ最初に笹原さんに見せたとき、何ていったと思います?」 斑「…?何だろ。『攻め』で良かった、とか?」 荻「…えーと、その………一瞬だけど『反応した』って言うんです」 斑「反応?」 荻「ええ、その、アレが……………(///////)」 斑「………………」 斑(ささはら………………………………………orz) 荻「直接的な表現が多くて、絵柄がキツくないからって言ってました。別にホモなワケじゃないけど、『エロいから』ってことでした」 斑「なんかあまりにストレートで…つーかそういうこと言うかフツー?好きな女の子の前で!」   …自分が昔、春日部さんに「正月休みに冬コミ新刊がないとヒマでしょーがない!」とか言ったことは忘れている斑目であった。 荻「ええ、でもそのストレートっていうか、『見当違いな答え』なのが良かったんです」 斑「?」 荻「ああ、この人嘘つかないな、って。その上で気持ち悪がられなかったんです。だからすごくホッとしました…」 斑「ナルホド、フツーだったらもっと気を使って発言しそうなトコだもんな。全くあいつは…」 荻「そうですねー」 荻上さんは思わず苦笑する。それを見て自分もホッとして笑う。 斑「…しかし俺、受けなのかー…」 荻「受けです。というかですね、私が『メガネ受け』萌えだからです」 斑「そーなん?」 荻「その人を低く見てるとか、弱そうに見えるとか、そういうことじゃないんです。そのメガネキャラに萌えたから、受けさせたいんです! というかこの配役も、メガネキャラを受けさせたいがために笹原さんを強攻めにしたんです!」 荻上さんは熱く語る。 荻「…あ、でも、あくまでキャラとしてなので…」 斑「ほほう…ま、荻上さんが実際付き合ってるのは、メガネキャラじゃないしな、笹原。」 荻「そうです…そーいうモノなんですよ」 斑「ふーん、なるほどねー…」 属性と、実際好きになる人が違う。…それは自分もそうだから分かる気がする。 荻「ま、『カワイソスギ』なのはさすがに…そこに入れてませんし…ブツブツ…」 斑「へ?」 荻「い、いえ何でも!!…あっそうだ、大野先輩は『斑目先輩はへタレ攻めのほうがしっくり来る』って言ってましたよ」 斑「………君らいつもそんな話してんの?(汗)」 荻「いっ、いつもじゃないスよ!…いやでもスミマセン(汗)」 斑「まぁ複雑な気持ちにはなるわな」 荻「スミマセン………」 斑「…例えば、例えばだよ?俺が笹原や他の男どもと、百合モノで『大野さん×荻上さん』について語り合うよーなモンかね?」 荻「え!?」 斑「いや例えばの話。そんな話はしたこと無いけど」 荻「…それは…複雑ですね………。」 斑「でしょ?きっとその違和感と同じよーなモンなんだよ。」 荻「わたすが受けなんですか………orz」 斑「そっちかい!!!」 荻上さんが「受け」に不満があるようなので、試しに逆の、 『荻上さん×大野さん』について考えてみた。     ↓   荻「なんですかこのネクタイは?わたすを置いて卒業しようとでも?(ニヤリ)」   大「いっ、いえ違うんです、コレは………!」   荻「わたすから逃げられっとでも…いやわたすを忘れられるとでも思ってんですか?」   大「くうっ…」 斑・荻「………………………………………。」 斑「変だろ(汗)」 荻「変ですね…(汗)」 …会社に戻りながら、さっきまでのことを考えていた。 荻上さんは、自分が絵を見ている間ずっと顔色が悪かった。きっとそうとうな覚悟で、あの絵を見せたのだろう。 …話を聞くことで、荻上さんは少しでも楽になったのだろうか?楽になったのならいいのだが…。 その次の日も部室に行った。 自分にも、話したいことがある。今まで誰にも言えなかったことが。 斑「…でさあ、何かついてるなーと思って見てみたら………………鼻毛出てたんだよ」 荻「は、鼻毛ですか!?」 斑「やーもうびっくりしてさ、思わず飲んでたお茶噴きそうになったよ。 …注意してあげよーかと思ったけど、ホラ相手が仮にも(笑)女の子だしさー。」 荻「確かにそれ、男の人に注意されたらハズカシイですね…。でも、教えてあげなかったんですか?」 斑「もちろんそーしようと思ったが!でも、下手な言い方したら傷つくかも知れんよなーって思って、どんな風に言おうか考えててさ。 それに俺、一回話しかけたのに無視されたしさーーー。ジュースもいらないって言われたし。声かけづらかったんよ。 どーしようかなーって、頭の中にゲームの選択画面が!!」 荻「ああ、わかります!私もそんなことあります。」 斑「でも良く考えたら、いねーよな。…絶対いねぇ~、『鼻毛のヒロイン』!!」 荻「ぶっ…そ、そうですね………」 荻上さんは思わず噴き出した。 斑「俺ぁ心の中で叫んだね。 『気づいて~~~春日部さ~~~ん!!色んな意味で!!!』」 荻「ぶはっ!あはっ、は、はは………!!」 荻上さんはお腹を抱えて笑っている。 斑「も~俺一人でオロオロしてさー。でも言おうとしたんだぜ?このままじゃ自分に負けるっつーか、何かに負けてしまう気がしたのだよ、魂的に!!そんで勇気を出して春日部さんに近づいたらっ!」 荻「ど、どーなったんですか?」 斑「変に力んじゃっててさ。急に春日部さんの方に近づきすぎたらしくて、ビビった春日部さんに殴られた。」 荻「殴られたんですか!?」 斑「『うわーーーーー!』って叫ばれて、バシーン!!吹っ飛ぶ俺とメガネ!!!」 荻「あ、あはは…ははっ………!!先輩、ハハ…腹痛ぇ……!!」 斑「あ、その勢いで鼻毛も飛んでったみたいでな。殴られた後に見たら、もうついてなかった。よし! 結果オーライ!!!みたいな」 グッと握り拳を作る。 荻「あ、はははははっ………!!」 荻上さんは笑いすぎて呼吸困難になっている。 荻「…す、すいません、笑っちまって………」 荻上さんはまだ肩を震わせて、涙目になっている。 斑「いや、笑ってくれて助かったよ。」 荻「え…そうですか?」 斑「うん。」 …話せて良かった。 誰かに笑って話すことができて良かった、と思った。 もう少しでこの思い出さえ、「辛い思い出」に変わってしまうところだったから。 だから…良かった。 妙に体が軽くて、不思議だった。 特に何か状況が変わったわけでもないのに。…春日部さんに言ったわけでもないのに。 肩の荷物をようやく降ろせたみたいな………。 ……………………… …その日から一週間が経っていた。 斑目は今日も昼休みに大学に来ていた。部室に行こうとして、ふと廊下から中庭を眺める。 最近は以前のような、胸が締め付けられるような気持ちにはならなかった。 5月の空は相変わらず高く、青く透き通っている。 (いい天気だなぁ…) 今日はとても過ごしやすい日だった。 日光が降り注いでいたが、涼しい風が吹いている。 しばらくじっと中庭を眺めていた。 「斑目!」 不意に自分を呼ぶ声がして、振り返る。 すぐ後ろに春日部さんが立っていた。 咲「よっ」 斑「…ひ、久しぶり」 咲「久しぶり。どうしたのこんなトコで」 斑「あー、ちょっと中庭見てた」 咲「ふうん?」 春日部さんは自分の横に来て、中庭を眺める。 …少し髪を短くして、跳ね気味だった髪を内巻きにしている。 襟のついた袖なしの少しぴったりしたワンピースを着ていた。白地に薄い青のストライプが入っている。 ちょっと大人っぽい服装になった。 思わず見とれていると、春日部さんはこっちに気がついた。 慌てて目をそらし、中庭のほうを見る。 咲「ん?何、どうしたのニヤニヤして」 斑「…え、マジ?ニヤニヤしてた!?(汗)」 咲「なんかいいことでもあった?」 春日部さんも笑いながら言う。 斑「え、あ、まーね…………………」 咲「そーいえばさ、さっき校門のトコで笹原に会ったんだけど」 斑「お、今日笹原も来てるのかー」 咲「…なんかさ、変なこと聞いたんだけど」 斑「ん?どんな」 咲「最近荻上さんがアンタの話ばっかする、って。なんか不安そーにしてんの、笹原が」 斑「はぁ…。何で不安になるのかね?」 咲「だからアンタと荻上が…って思ったんじゃないの?」 斑「は!?何だそりゃ。笹原のやつ何考えてんだ?」 咲「私もまさかって思ったけどさ」 斑「馬鹿だなー。荻上さん、俺に笹原のノロケ話とかすんだぞ?」 咲「へえ!そうなんだ、あの荻上が?じゃあ、笹原の話って…」 斑「ない。全然ない。」 咲「なあんだー、アハハハ。心配しすぎだね」 斑「ったく、笹原はー…」 アハハハと2人で笑う。 さて。そのころ部室では、笹原が同じことを荻上さんに聞いていた。 荻「………は?」 笹「いや、その、ねえ?だって最近ずっと斑目さんの話ばっかするからさー…」 荻「…笹原さん、もしかして妬いてるんですか?」 笹「え、んんー…。まあねえ………」 荻「………くすっ」 笹「荻上さん?何で笑うの?」 荻「いや、スミマセン。なんだか嬉しくて…」 笹「え?」 荻「笹原さん。私は斑目さんのことなんとも思ってませんよ。ていうかなんでそんな話になるんスか」 笹「いや、ホラ…。例の801漫画でも、斑目さんの方が気合いいれて描かれてたし…」 荻「それはそれ、コレはコレです。」 笹「…そっか。」 荻「それに斑目さんは、か………」 言いかけて、止まる。 (あ、駄目だ。これ言っちゃいけねって。絶対言わないって約束したでねか!) 笹「ん?斑目さんが?」 荻「え、えーと…斑目さんはメガネキャラだからです!私が『メガネ受け』が基本なんで。でもあくまでキャラとしてですよ?」 荻上さんは慌てて取り繕った。 笹「ふうん、なるほどね…………」 (そうかァ…笹原さん妬いてくれたんだァ…) 妙に嬉しくなって、一人でニヤニヤしてしまった。 廊下では、斑目と春日部さんがまだ話をしている。 斑「最近どう?店とか。やっぱ忙しい?」 咲「そうだね、大変だよ。特に今の時期…オープンしたてで、まだ客足はあるけど。今後どうなるか…。」 斑「フーン…大変なのか…」 咲「覚悟はしてたつもりだけど、ね…。気苦労がね…」 春日部さんはひとつ息をついた。 斑「…高坂はどうしてんの?」 咲「それがねぇ…全然顔合わせられなくてさ。」 斑「そーなん?」 咲「休みも合わないし。出勤時間も違うから、せっかく来ても、こっちが寝てる時間に来て、私が起きる時間にはまだ寝てたりさ…。 これじゃあねえ…」 斑「………」 咲「…でも仕方ないかな、って思うようにしてる。コーサカも仕事頑張ってるわけだし。寂しいなんて言ってられな…」 斑「それ言っといたほうがいいんじゃないか?」 咲「え?」 春日部さんは斑目の顔を見た。 斑「言っとくだけでも全然違うと思うぞ。言わなきゃ伝わらんし。高坂もそんな風に思ってるかも知れねーし。」 咲「………………そう、か…。そうだね…。」 春日部さんは頷きながら言った。 咲「アンタ、たまにすごく良いこと言うよね」 斑「たまにって失礼な」 思わず苦笑する。 咲「でも、そうだね…言ったほうがいいんだよね………」 春日部さんは少し考え込むように俯いた。 咲「ねえ斑目」 斑「ん?」 咲「…アンタさ、私に何か言い忘れてることって、ない?」 斑「へ?ないけど…?」 咲「…本当に?」 春日部さんはじっと斑目のほうを見つめる。 斑「………………。」 言い直すことにした。 斑「…前はあったけど…今はねーよ。」 咲「…………そっか。」 斑「うん。」 春日部さんはしばらくこっちを見ていたが、再び中庭に目をやる。自分も中庭のほうを見た。 咲「…ならいいや。」 斑「うん。」 (言わないって自分で決めたからな………。) 今、自分は穏やかに笑えていると思う。 あの時、卒業式の日、春日部さんに言ったことを思い出した。 (『幸せに』………か。今は本気でそう思う。) 木々の緑がまぶしい。まだ柔らかい若葉の色をしている。 風が吹いて、ひとつひとつの葉が日光を浴びて輝きながら揺れる。 しばらく黙って木が揺れるのを眺めていた。 大「あ、咲さーん!斑目さんも!!」 後ろから大きな声が聞こえた。 振り向くと、大野さんがこっちへ歩いてくる。後ろに朽木君もついてきていた。 咲「おお!大野じゃん。元気だった?」 大「はい!最近ずっとコスプレのイベントに行ってたんで忙しかったんですけどね。今とっても充実してます!」 咲「…ふうん、そりゃよかった………」 大「良かったら咲さんも…」 咲「もー絶対やらん!!!(怒)」 大「わかってますよ。もう無理じいはしません。咲さんが『やりたい』って言ってくれる日まで気長に待つことにします!」 咲「安心しろ大野。そんな日は絶対来ないから!」 大「あうう~…」 斑「…朽木君?なんか疲れてるようだけど、どーしたの?」 さっきから妙に大人しい朽木に話しかけた。朽木は猫背のまま、がっくりとうなだれている。 朽「…ハア。実はワタクシ、最近五代目会長に就任いたしまして…。」 斑「あー、それは知ってる。荻上さんに聞いた」 咲「へー、クッチーが会長やってるんだ」 朽「そーなんデスガ…慣れないことやるとどーしても、投げ出して外に飛び出して行きたくなりまして…。毎日、自己の衝動と闘っているでアリマス。 今のトコ7割くらいの割合で、衝動に打ち勝っているでアリマスが!!」 咲「…つまり3割の確率で、外に飛び出してるワケね?(汗)」 斑「…まあ、今までの朽木君のことを思えば、成長したか…な?(疑問形)」 朽木君は急に姿勢を正して右手を額につけ、ビシッと敬礼する。 朽「不肖朽木、皆さんの期待に応えるべく、至らないながらも立派に勤め上げてみせマス!!」 大「ええ、本当にまだまだ『至らない』んで、頑張ってくださいね?」 朽「おおぅ、大野先輩の厳しい突っ込み!これぞ私が求めていたものだァ、アハハハハ!!」 斑「…朽木君、ヤケクソになってないか?」 咲「ま、いいんじゃない。クッチーにはいい薬でしょ。」 皆でわいわい話しながら、部室に向かう。  5月の中頃。空は青く青く透き通り、辺りは爽やかな春の日差しに包まれている。 …とても暖かく感じるほどに、明るい日光が自分の心にまで差し込んでくる。 そのためだろうか。今は心が弾むように軽い。 五月晴れの空の下、大切な場所は、今も変わらずここにある。                             END

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