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*笹荻BADEND3 【投稿日 2006/04/28】 **[[笹荻BADEND]] 手を繋いだまま屋上へ続く階段を上る。 荻上の手は痛いくらいに笹原の手を強く握り締め、その手は汗ばんで震えている。 手だけではない。体中汗をかき、息は荒く、顔は青く、今にも倒れそうだ。 「大丈夫?やっぱりここに残る?」 その様子を見た笹原は心配そうに顔を覗き込みながら言ったが、 荻上は小さく「大丈夫です」と答えるだけだった。 後、少し、後少しで終わる。 明日からはまた平和な日々に戻るんだ。 だからこれ以上このことで、笹原に迷惑をかけたく無い。 「行きましょ。」 青ざめた顔のまま荻上はそう言って笹原の手を引く。 そんな荻上の様子に、酷く危ういものを感じながらも留める理由が無い笹原は 荻上に引かれるまま屋上に向かった。 階段を上がりきり、屋上に出る。 外周に沿って段差があるだけで、柵や仕切りは無い。 いくつかの貯水タンクがある他は何も無い、ただ広いだけの屋上。 落ちかけた日がその屋上を赤く染めている。 高さがあるからか随分と風が強い。 中島はその階段と正反対の端の角。 先ほどまで居た部屋の丁度上にあたる場所の段差にうなだれたように座っている。 距離があるし逆光になっている為、表情は伺えない。 「行こう…。」 今度は笹原が荻上を促す。荻上は笹原の手を強く握り返す。 二人はゆっくりと歩を進める。その間、中島は微動だにしなかった。 笹原はいっそのこと死んでてくれてれば楽なのにと思う。 正直、もう一度あの表情と面と向かう勇気は無い。 それ程、あの時の中島を恐ろしいと思った。 後5mと言う所で笹原と荻上どちらも歩が止まる。 笹原はもう一度荻上の手を強く握り直す。それが合図だった。 2人同時に歩き始めた時、中島がピクリと動いた。 ぞっとする笹原。目を逸らさずにいられたのは荻上がいたからか。 だが、顔を上げてこちらを向いたその表情はあの時の恐ろしいものでは無かった。 「オギ…。」 笹原と荻上の手が強く握られているのを見た中島の顔が悲しそうに笑う。 「そう…あんたも結局、私から去っていくのね…。」 その表情も、声色も、本当に悲しそうで、今にも泣き出しそう。 荻上はまるで高校までの自分がそこにいるように感じた。 自分から周りを傷つけ、それでも傷ついた相手が去ってしまうことが悲しい。 荻上は何も言う事ができなかった。 彼女を見捨てることは、かつての自分を見捨てることのような気がした。 それでも、ここで生きることはできない。 笹原に身を寄せる。それが彼女が示せる精一杯の答えだった。 それを見て、中島の顔がすっと暗くなる。 笹原の体がこわばる。荻上も何かを感じたのか笹原の腕にすがる。 「そう…いいわよ。どこへだって行けば。」 俯いてそう呟くと、中島は外周の段差、巻田が最後に身を投げたと言う場所に立つ。 「だけど覚えておくことね。」 風が一際強く吹く。 赤い夕日を背にし、髪を振り乱し、あの時のように常軌を逸した表情を浮かべた中島。 「あんたはあんたの罪から逃れられないし、私の呪縛からも逃れられない。」 そのままゆっくりと後ろに倒れていく中島。 「っ待て!」 「ナカジ…!!」 その意図を察した荻上が動き、中島の表情に体が固まっていた笹原が一瞬遅れる。 それでも十分に間に合う距離だった。 「じゃあね…。」 重力に引かれて落ちていく中島。 彼女を止めなければ、ただそれだけの気持ちで走り出した私の視界に あるはずの無いものが映り、私の体が意思に反して動きを止める。 中学の時の巻田と、死に向かったやつれ果てた巻田、 中学の時の自分と、高校の時の自分。 皆一様に、恨み、憎み、蔑む視線でこちらを見ている。 その口が言葉を紡ぎだす。 『自分だけ幸せになってるなんて。』 「っ!!!!!!!!!」 心臓が壊れたかと思う程の激痛。 膝から力が抜け、崩れ落ちる所を笹原に受け止められる。 その肩越しに見た中島が、同じ視線でこちらを見ながら落ちて行った。 最後に 「人殺し。」 と一言、言い残して。 ガシャンと何かが壊れる音がした。 「今日は暖かいね。」 「あ。そう言えば斑目さん、ようやく結婚するらしいよ。」 「これでようやく、当時のメンバー全員家庭持ちだ。」 「田中さんちは子沢山で大変らしいよ。頑張るよね、あの人。」 知る人ぞ知る穴場の大きな桜の木の下。 満開を過ぎ花が散り始める、最も美しくもの悲しい時期。 彼女は静かに車椅子に座っていた。 あの時の中島の言葉は正に呪いだった。 最初は少しの違和感と疲労感。 あれだけのことがあったのだから、仕方が無い。 ゆっくり休めば直る、誰もがそう楽観していた。 気付いた時は既に手遅れだった。誰もそうなるまで気付けなかった、 それ程、緩慢にそれでも確実に、彼女の心は壊れていった。 幻聴にうなされ、幻覚に襲われ、 悪夢と現実の境すら失い、ただ磨耗していくだけの日々…。 いっそのこと狂ってしまいたい、そう泣きながらも何度も何度も繰り返し、 だが決して彼女自身の罪の意識がそれを許さなかった。 その果てに彼女がたどり着いた静寂。 例えそれが、生きるものが全て死に絶えた砂漠のそれであっても。 せめてその静寂の日々が続けばと願う。 ...END
*笹荻GOODEND 【投稿日 2006/04/28】 **[[笹荻BADEND]] 手を繋いだまま屋上へ続く階段を上る。 荻上の手は痛いくらいに笹原の手を強く握り締め、汗ばんで震えている。 手だけではない。体中汗をかき、息は荒く、顔は青く、今にも倒れそうだ。 踊り場を2つ過ぎ、最後の階段に差し掛かる時、 荻上が急に立ち止まったことから、つないだ手が解け、笹原が振り返る。 「荻上さん?大丈夫?」 いつも通りの呼び方に戻っている笹原が、心配そうに問う。 荻上は首を振ると、すぅと小さく息を吸い、笹原の顔を正面から見据える。 笹原を急かし、こうして中島を追っているものの、彼女と向かい合うのが怖かった。 彼女の言葉はいつも自分の胸を鋭く深くえぐる。 面と向かった時、投げかけられるであろう言葉を考えるだけでも足が震える。 だからもう一度聞きたかった。 そうすれば、きっと、中島のどんな言葉にも耐えられる。 「もう一回、言って下さい。」 「え?」 突然の発言にきょとんとする笹原。 今度は笹原に大きく聞こえるくらい、大きく息を吸い込み溜めること3秒。 「私のこと、受け入れてくれるってもう一回言って下さい!」 勢いに任せて言った後、荻上の顔が真っ赤になる。 笹原の顔も真っ赤で、にやけてるんだか引きつってるんだか分からない表情だ。 「え?え?もう一回…?」 視線が泳ぎ、額に汗が浮かび、言葉も末尾も震えている。 名前の呼び方と言い、この様子と言い、やはりあの言葉は笹原にとっては 相当勇気を振り絞ってのものだったのだろう。 あ~、う~と喚き、唸る笹原。 その様子が可愛いくて、ついいたずらしたくなる。 「言ってくれないと私このまま実家に帰らせて頂きマス!」 ふんっ!と鼻を鳴らして、不機嫌そうな顔でそっぽを向く。 「うわっ…脅しだ…。」 笹原の顔色は真っ赤で、表情はもはや、完全に引きつっているだけだ。 うつむいて頭を掻き、ため息をついて、額に手を当てて唸る。 そうして暫く悶えた後、意を決したのか顔を上げる。 真剣な眼差しで、荻上としっかりと目を合わせる。 その目に荻上はどきりとしたが、その後にはさらにとんでもない爆弾が控えていた。 「千佳のことが好きだから、ここにいるし、守りたい。何があっても受け入れる。」 やられた。 予想以上だった。 (ああ!!もう!!なんで!!この人は!!) はじめて笹原の口から「好きだ」と聞いた時の 言葉に被せたそれは荻上が想像していた以上の衝撃で、 荻上の頭を揺さぶる。 足元がおぼつかない。体中が熱い。視界がぐるぐる回り、 頭がくらくらして、それでいて心地がいい。 良い酒に酔ったような感覚だ。 絶望・失望で立てなくなることは過去にもあったが、 幸せで倒れそうになるなんて初めてだ。 あの時、嬉しかったのに素直になれずに逃げ出した。 それでもあの時、笹原は追いかけて来てくれた。 そして今だってここに居てくれる。 その笹原の思いに応えられるよう、荻上も顔を逸らさずにはっきりと答える。 「はい。ちゃんと側にいて守ってください。」 階段を上がりきり、屋上に出る。 外周に沿って段差があるだけで、柵や仕切りは無い。 いくつかの貯水タンクがある他は何も無い、ただ広いだけの屋上。 落ちかけた日がその屋上を赤く染めている。 高さがあるからか随分と風が強い。 中島はその階段と正反対の端の角。 先ほどまで居た部屋の丁度上にあたる場所の段差にうなだれたように座っている。 距離があるし逆光になっている為、表情は伺えない。 「行こう…。」 今度は笹原が荻上を促す。荻上は笹原の手を強く握り返す。 二人はゆっくりと歩を進める。その間、中島は微動だにしなかった。 笹原はいっそのこと死んでてくれてれば楽なのにと思う。 正直、もう一度あの表情と面と向かう勇気は無い。 それ程、あの時の中島を恐ろしいと思った。 後5mと言う所で笹原と荻上どちらも歩が止まる。 笹原はもう一度荻上の手を強く握り直す。それが合図だった。 2人同時に歩き始めた時、中島がピクリと動いた。 ぞっとする笹原。目を逸らさずにいられたのは荻上がいたからか。 だが、顔を上げてこちらを向いたその表情はあの時の恐ろしいものでは無かった。 「オギ…。」 笹原と荻上の手が強く握られているのを見た中島の顔が悲しそうに笑う。 「そう…あんたも結局、私から去っていくのね…。」 その表情も、声色も、本当に悲しそうで、今にも泣き出しそう。 荻上はまるで高校までの自分がそこにいるように感じた。 自分から周りを傷つけ、それでも傷ついた相手が去ってしまうことが悲しい。 揺らぎそうな気持ちをしっかりと持ち直し、笹原の手を離して一歩前に出る。 「私は、私の場所に帰る。ここには戻らない。」 中島を見据え、自分自身の決意、笹原への誓いを込めて、 はっきりとした口調で告げる。 その言葉を聞き、中島の顔がすっと暗くなる。 笹原の体がこわばる。荻上も何かを感じたのか体を硬くして身構える。 「そう…いいわよ。どこへだって行けば。」 俯いてそう呟くと、中島は外周の段差、巻田が最後に身を投げたと言う場所に立つ。 「だけど覚えておくことね。」 風が一際強く吹く。 赤い夕日を背にし、髪を振り乱し、あの時のように常軌を逸した表情を浮かべた中島。 「あんたはあんたの罪から逃れられないし、私の呪縛からも逃れられない。」 そのままゆっくりと後ろに倒れていく中島。 「っ待て!」 「ナカジ…!!」 その意図を察した荻上が動き、中島の表情に体が固まっていた笹原が一瞬遅れる。 それでも十分に間に合う距離だった。 「じゃあね…。」 重力に引かれて落ちていく中島。 彼女を止めなければ、ただそれだけの気持ちで走り出した私の視界に あるはずの無いものが映り、私の体が意思に反して動きを止める。 中学の時の巻田と、死に向かったやつれ果てた巻田、 中学の時の自分と、高校の時の自分。 皆一様に、恨み、憎み、蔑む視線でこちらを見ている。 その口が言葉を紡ぎだす。 『自分だけ幸せになってるなんて。』 胸が痛み、視界が歪む。体から力が抜けていく。 「人殺し。」 そんな私を嘲笑うかのように、落下していく中島の言葉が胸に突き刺さる。 そうだ。私は人を殺した。巻田を殺し、彼の両親を殺した。 そのことを知らず、過去から目を背けて、自分だけが幸せになっていた。 だけど、私はもう、私自身の不幸を望むことはできない。 幸せに生きたい。 友人に囲まれ、大切な人と過ごし、自分の好きなことを好きと肯定したい。 それが例え身勝手だとしても。 「ごめんね。でも私は私の生きる場所に帰る。」 精一杯の謝罪を込めて、決意の言葉をもう一度口にする。 それで、彼らは消えた。 体に力が戻り、中島だけが視界に残る。 伸ばした荻上の右手は中島の右手首をしっかりと掴み、 その荻上の体を後ろから笹原が倒れこみながら抱きかかる。 人一人が落下する衝撃を受け止めた荻上の右腕がみしみしと嫌な音を立て、 荻上は痛みに呻き声を上げる。 中島は呆然とした様子で荻上を見上げる。 何が起きたか分からない、そんな顔だった。 状況を悟った中島が力無く笑う。 「はは、はは。あんた馬鹿じゃないの!?」 荻上は答えない。 ただ厳しい表情で中島をにらみつけているだけ。 「憎くないの!?散々あれだけ弄んでやって!!傷つけてやって!! 今だって『ここ』から飛び降りながら人殺しって罵ってやれば あんたは一生傷つくって分かっていてやったのに!! 一生苦しみ続ければいいって思ってやってやったのに!!」 まくし立てるように、泣き叫ぶように中島が言う。 「憎いっ!!憎くない訳が無い!!」 荻上の声も悲鳴だった。 罪で縛り上げられ、何度も心の古傷をえぐられ、悶え苦しみんだ。 毎日行われた行為は心にも体にも深い傷を残した。 それはただひたすら続く絶望の時間だった。 癒される時間すら与えられず、痛みが日常となって、 いつしかイタイと言う感覚すら忘れていた。 笹原と再会し、その暖かさに触れて、やっと取り戻した痛みの感覚。 それは今この瞬間も耐え難いほどの痛みを訴えてくる。 私はこの先生きていく限り、この罪から逃れられず、痛みを忘れることもできない。 彼女の言う通り、それらを背負って一生苦しんでいくのだろう。 それでも… 「憎くったって…死んでいい訳が無いじゃない…。」 死に損なって、自暴自棄になって、周りを傷つけ、孤立していた私にも居場所ができた。 「私は罪を負ってでも生きる。同じ罪を共有しているって言うんなら…」 だから、きっと彼女にだって生きてさえいれば居場所は見つかる。 「ナカジも…生きて…」 そう信じている。 強く目を閉じた荻上から大粒の涙がこぼれ、中島の顔に落ちる。 憎めなかった。 あれだけのことをされて、追い詰められて自ら死を選び その死の間際にですら自分を傷つけようとした人間でも恨むことができなかった。 「オギ…」 呼びかけれられて見た中島の顔は憑き物が落ちたように優しい顔立ちになっていた。 「私には無理。私はあんた程強くない。 私はいろんな人間を傷付け過ぎたし、それ以外の生き方を知らないし、 でも…もう、それも疲れた。」 「ナカ…ジ?」 ゆっくりと目を閉じて中島が言う。その目じりには涙が浮かぶ。 「嬉しかったよ。同じだって言ってくれて。あんな酷いことした私の為に泣いてくれて。」 それは本当に嬉しそうな、花のような笑顔。 「駄目…。」 彼女の言葉が、別れの言葉であることを理解した荻上が首を横に振る。 「ごめんね。最後の最後まで本当に嫌な奴で。」 そう言って、中島が、荻上の手を振り払った。 「ありがとう。」 最後にそう、一言言い残して。 女子大生が同級生を一ヶ月に渡り、監禁、性的虐待、その果ての投身自殺。 それが引き金となった有力者の失脚劇。 あまりにもスキャンダラスなその事件は、全国的な話題となった。 幸い、被害者の名前は報道では公表されることは無く、 荻上の失踪を知るものは身内と言える人間だけで、 そこに接点を見出せるものはいなかった。 それだけは救いと言えたのかもしれない。 雨の音が聞こえる。 梅雨らしいどんよりとした雲は気持ちまで暗くさせるようだ。 毎日にようの放映されるあの事件をソファーに座りながら荻上が見ている。 その唇はかみしめられ、震えながら、目だけは画面を注視していた。 彼女は決して目を逸らさない。 それが辛い。 まだ彼女の口からあの一ヶ月の間に行われたことを直接聞いたことは無い。 だけど、直接聞かなくても、断片的に知ったことをかき集めただけでも、 毎日のように報道される内容がでたらめであることは十分に分かった。 「もう良い。もうこれ以上…。」 もうこれ以上傷つかなくても良い。傷つかないで欲しい。 その言葉に荻上は首を横に振った。 「これは私が受け止めないといけないことなんです。」 「違う。」 その言葉に納得がいかなかった。 あの時中島は罪を背負っていくのが怖くて死を選んだ。 何故、荻上だけがこんなに苦しむ。 荻上だって逃げてしまえばいい。 荻上だけがこんなに苦しむ必要は無いはずだ。 苛立ちとやりきれなさで声が荒立つ。 「逃げたっていつかは追いかけて来るんです、過去は。 だから今度は、ちゃんとここで整理してそれから進みたいんです。」 その様子を見ながら、少し困ったように荻上が答える。 前に進む為に。 その言葉を聞いて何も言えなくなる。 沈黙を破ったのは荻上だった。 「ひとつだけ良いですか?私の中で整理がついたら、あの一月のことを全て笹原さんに話します。 話したらきっと笹原さんを傷つけると思います。軽蔑されるかもしれません。 でも全て話すって約束します。だから…今はただ、側にいて見守っていて欲しいんです。」 しっかりとこちらの顔を見て彼女が言った。 「大丈夫です。本当に…耐えられない位に辛くなったらすぐに頼りますから。」 少し間をおいて、そう付け加えると照れくさそうに笑った。 「不器用者…。」 不満そうに言ってその頬を指でなでる。 本当に不器用だと思う。 疲れて、やつれて、元々小さな体はますます小さくなってしまったようだ。 それでもその目にはしっかりと光が宿っていた。 自分から辛い時は頼ると言ってくれた。 だから大丈夫。 そう自分に言い聞かせる。 心配であることには代わりは無いけど、 その日が来るまで彼女を信じて待っていようと思う。 夏も盛り、ギラギラと差し込む太陽は部室の温度を際限なく上げ、 セミの大合唱が暑さに花を添える。 そんなある日、俺こと、斑目晴信は非常にあせっていた。 現視研一の問題児、朽木と、名前は知らないがその朽木に匹敵する目に余る言動に 朽木2号の称号を持つ(正確には俺が呼んでいる)1年生が熱く論争していたからだ。 いや、それ自体は良い。好きな作品に関して熱く論ずるのはオタクの性。 そうした熱意が市場を底上げし、創作者を助け、更なる良い作品を生む…かどうかは 正直、最近疑問に思えてくることもあるが、好きなものを語りたいという気持ちを否定はしない。 だが、その内容が大変頂けない。 「だから陵辱ネタのエロ同人はリリンの生み出した文化の極みだにょ!!!」 「認めん!!認めんぞ!!肉欲におぼれて愛を忘れた同人作家の作品など、この俺がいる限り認めはせんぞぉ!!」 平たく言えば、愛の無い『実用性の高い』同人誌と、愛のある『実用性の無い』同人誌、どちらが優れているか。 実用性最重視の朽木に対して、愛の無い作品など認めないという朽木2世。 この手の話題は往々にして、ループを繰り返すうちに論点がずれて有耶無耶になることが多いのだが、 折り悪く今日は、たまたま論点の歯車がばっちりとかみ合ってしまったようで、 ヒートアップすれど収集に向かう気配が全く無い。 (まずい…非常にまずい。) 嫌な予感に心臓がバクバクする。 おりしも今話題になっている同人誌は少し昔のゲームを題材としたもので そのヒロインをちょっと頭が歪んだ主人公が、監禁・調教していくと言う大長編の同人だった。 (あ~、その同人、俺も買ってたんだよなぁ…随分お世話になったっけ。 何巻まで買ったんだっけ?後半はもう別キャラになっちゃってたなぁ。 完結したんだっけ?あれ?ってそんなこと冷静に思い出してる場合ですか、俺は。) 一人ボケ一人突っ込み。 何の打開策も打ち出せないまま、 この上なく、最悪のタイミングで最悪のお方が登場。 「こんちわ~。」 本日の私、斑目の最大の頭痛の種、荻上 千佳殿のご登場。 荻上さんにすら気付かず、ヒートアップしっぱなしの実用の1号、愛の2号。 もはや言葉では通じないとお互いに悟ったのか「きしゃー」とか「うがー」とか 妙なポーズを取りながら威嚇しあっている。 「どうしたんですか?あれ」 思いっきり怪しいものを見る目で、思いっきり嫌そうな声で聞いてくる荻上さん。 「いや~、はは…。」 笑って誤魔化すところだな。ここは。うん。 俺が会長席に座っていることから、荻上さんは向かって右前の席に座る。 その段になってようやく、1号機が荻上さんの存在に気付いたようで、 あきらかに逝っちゃってる視線を荻上さんに向ける。 「むむ、オギチン!!丁度良い所に!!」 嫌な予感がして、俺はみがま… 「拉致監禁調教経験済み801同人作家のオギチンの意見を聞きたいにょ!! 陵辱エロ同人に愛は必要かにょ!?実用性があれば良いんじゃないかにょ!?」 える間も無かった。 最高に最低。完璧に最低。全てが最低。 デリカシーのデの書き出しの1本目の横棒すらなく、 何のフォローの余地すらない発言につま先まで血の気が引く。 荻上さんの顔は真っ赤で、その拳はぶるぶる震えている。 俺はその後の顛末に恐怖し、目を合わせることができない。 (ああ、やっべぇ。こんなことだったら殴ってでも止めさせるべきだった。 いくらなんでもそこまで言っちまうか、GP-01!! どうする?止められるか?飛び降りそうになる荻上さんを俺一人で抑えられるか? いやそもそも変な所触っちゃったらどうするんだ!?あ~誰かどうにかしてくれぇ!!) ズッ!ドムッ!!!! 重い地鳴りと、とてつもなく重厚で鈍い音。 (ああ、だめだ!!窓を開いてもう飛び降りようとしているズッ!ドムッ!! って窓を開けて荻上さんが…) 「…ってズッ!ドム!?」 あまりにパニックになったせいか軽く飛びかけていた俺の頭は その音でこちらの世界に戻ってくる。 戻ってきた俺の目に映ったのは… 「に゛ょ゛!?」 と体をくの字にして30cm程地面から浮いている朽木。 その腹部には、荻上の左の一の腕の半分くらいがめり込んでいる。 荻上の踏み込まれた左足は、打ちっぱなしのコンクリートの 部室の床を踏み砕かんばかり。 そのまま数秒時間が止まり… 閃光一閃、かつてのこの身に受けた春日部さんの本気のグーパンチを思わせる 豪快で、しなやかで、それでいて苛烈にて強烈な右ストレートが朽木の顔面の中央を打ち抜く。 緩急をつけた実に美しい連携。 ふわりと広がるスカートと太陽の光を反射し輝くネックレスが その勇姿に華を添える。 何故かその様を見て胸がときめく俺。 いや、嘘だ、嘘だ、嘘だ!!嘘だぁああ!! 毎日振り切ろうと四苦八苦しているのに、更にそんな泥沼フラグをもう立てるんじゃない。 頭の中の選択肢を必死にかき消した俺は再度状況を確認する。 まさに「ぶッ飛ぶ」勢いで殴り飛ばされた朽木は2号を巻き込みロッカーにたたきつけられていた。 年代物のロッカーはあっけなくひしゃげ、上においてあった 使わないコスプレ用の小道具、剣や杖やら100tハンマーが振動で 凶器の雨となって降り注ぎ、友情の1号2号は、俺が俺の中で立ち掛けた妙なフラグを 処理している数秒のうちに、物言わぬ肉塊と化していた。 「はぁ、はぁ、はぁ。」 死体2つと固まって息もできない俺。 静寂の部室に、ただ荻上さんの荒い息がこだまする。 握り締めたこぶしを突き上げ、高々と宣言する。 「愛の無い監禁調教801なんかありません!!!!!!!!!!」 「突っ込みどころはそこかぁあああああああ!!!!!!!!」 いすから滑り落ちながら俺は叫んでいた。 「こんちわ。って、うわ、どうしたのこれ?」 5分遅れて笹原が到着し、凶器で剣山のようになり息も絶え絶えの2人を見て感想を漏らす。 そののんきな様子に頭にきた斑目は笹原のネクタイを思いっきり引っ張る。 「お!!せ!!ぇ!!よ!!」 「ぐぇ、苦しい!!ネクタイ引っ張らないでくださいよ!!」 「お陰で飯の味も分からなかったじゃないか!?」 「な、なんのことですか!?痛い、痛い!!」 引っ張るだけじゃ飽き足らないのか、頭を脇で抱え込み髪の毛をぐしゃぐしゃと掻き回す。 「なんだこの頭は。いちっぱしに整髪剤なんざ使いやがって!! いつのまにこんなすれた子に育ってしまったんだ!?お兄さんは悲しいぞ!!」 「うわ!?やめ?そんなの斑目さんも同じじゃないですか!?」 本人達はじゃれあってるだけのつもりだが、荻上の目にはそうは映らない。 「あ、意外と笹原さんが受けってのも良いかも…。」 眼鏡をはずすと一変し、強気に変わる斑目さん。 その眼鏡を掛けられると途端に流され受けになる笹原さん…。 「フフフフ」と笑いながら、妙な方向にワープし始めた荻上を見て、二人の動きが止まる。 「どこか行ってないか?あれ?」 「…サァ・・・ドコニイッテルンデショウネ?」 斑目の脇に抱えられたまま、笹原は引きつった顔で片言にそう答えるしかない。 荻上が笹原と斑目でワープしていることはすぐに分かったが、 それを斑目に言う訳には行かない。 第一・・・ 何か今日のワープは方向性が違う気がした。 「こんちわ~。」 そうこうしているうちに大野が部室に顔を出す。 その手には…中味を問うまでもない大きなカバン。 「荻上さ~~ん?どこ行っちゃってるんです、これ?」 「さぁ、それはむしろこちらが聞きたいくらいで…。」 笹原は苦笑いしながら答える。 かなりディープな方向に飛んでいってしまっているらしく、 荻上の目は妖しい輝きすら灯り始めている。 「その方が都合は良いですねぇ…脱がしてしまえば勝ちですから。」 良いですねぇ…の後、途端に黒モードに切り替わる大野。 「あ、はは。俺達は撤退しますか?」 その様子に冷や汗を掻きながら笹原。 「そうだな。死体2つは片付けるとして。」 そそくさと退散の準備を始める男2人。 「あれ良いんですか?過程も楽しめば良いのに~。」 大野はわざとらしく笹原に向けてそう言う。 「いや、良いです。『戻って』きた時、俺が止めようとしてなかったってばれると後が怖いんで。」 そう言い残して、斑目と共に部室の外に出る。 ガサガサ、ゴソゴソ、ジー、バサ… 「さすが、脱がされ慣れてますねぇ。」 部室の中から聞こえる音と声にどぎまぎしながら耳を傾ける笹原と斑目。 「なぁ、笹原…俺思うんだけどさ。」 「はい?」 「部室から出たって『止めようとしてなかった』ことには変わらないんじゃないのか?」 「…俺ごときで止められると思いますか?あの大野さんを?」 「…カップリングさせられるのがオチだな。」 「…でしょ。」 「…って?え?え?何で私脱いでるんですか!?…!!大野先輩何やってるんですかぁああああ!?」 「やだなぁ。荻上さん、あんなにノリノリでコスプレしますって言ったくせに~。」 サークル棟全体に響き渡る荻上の怒声と大野の楽しそうな声。 「言ってません!!言ってません!!笹原さん!!どうせ外にいるんでしょ!?何で止めてくれないんです!?」 「笹原さんなら後は任せた!!って言って行っちゃいましたよ。」 眉間にしわを寄せうなだれる笹原の肩に、斑目ぽんと手を置く。 「さぁ往生なさい。どうせもう!!上も下も素っ裸!!!!!!逃げ場なんて無いんです!!!」 「そう言うことを大声で言わないでください!!」 吹き出す笹原、ずっこける斑目。 “上も下も素っ裸”と言う所をやけに大きく強調する大野と、既に声が半泣きの荻上。 「なんか萌えるシチュエーションだなぁ。」 「そ…そうっすね。」 大野の楽しそうな声と、荻上の半泣きの怒声、通路前でその様子を想像し激萌え中の男2人。 そして相変わらず死にッぱなしの2人。 「ふふふ。観念しましたか? 大丈夫!笹原さんの衣装もしっかり用意してます。 今日は逃げられましたがコミフェスの時はカップリングで着てもらいます!」 しわが寄った顔に手を押し当て、ずるずると座り込んでいく笹原。 「…奴は常にわれわれの想像の少し斜め上を行く…。」 昔の漫画のセリフで笹原を慰める斑目。 「笹原さんの!!!馬鹿ぁーーーーーーーーーーーーーーー!!!」 どうやら、堕ちたらしい荻上の最後の断末魔がサークル棟にこだまする。 「笹原君、斑目先輩、久しぶりです。」 「なに?この騒ぎ?また大野とオギーが何かやってるの?」 「や、高坂君に春日部さん…。」 高坂と春日部の到着に座り込んだまま笹原が顔を上げる。 「まぁ、色々と…。」 胸の高鳴りと、少しの嫉妬、安心感。 複雑な思いを隠したまま、斑目が春日部にそう答える。 「コレハイッタイナンノサワギダーーー!!」 階下まで響き渡る荻上と大野の声にただならぬものを感じたらしい スーが息を切らしながら階段を駆け上がって来た。 「あ、ちょっと」 「ま…。」 部室のドアを開け放つスー。 止めようとして振り向いた斑目と笹原、事情が飲み込めず吊られて振り向いた 春日部と高坂の視界には… 完全にフリーズしている荻上と、視線を泳がす大野。 大野が着付けをしていたらしいが、見方によっては逆に脱がしているように見える。 気まずい沈黙。 「シャッターチャーンス!」 「コレガデンセツノユリプレイカーーーーー!!」 いつの間にか復活を遂げていた朽木のデジカメがシャッターを切り、 スーが分かっているのか分かっていないのか、とんでもない発言をする。 それがきっかけで、止まっていた時が動き出す。 「離してください!!もう私お嫁に行けません!!」 「ここは三階だから!!お嫁になら俺が貰うから!!それに半裸だから!!」 窓から飛び降りようとする荻上を必死で引き止める笹原。 「お前には死すら生ぬるい!!!!!」 「にょ!?んひょ!?ああん!!にょほ~!!」 怒りの形相で朽木をタコ殴りにしている春日部と何故か嬉しそうに身もだえする朽木。 「お嫁に貰うからって笹原さんったら、だいた~ん♪」 「コノニクキュウノプニプニヲオソレルノナラカカッテコイ!!」 当の原因は無責任そんなことを言っており、 スーはゲームのキャラのセリフを絶叫している 「そのつながりベタ過ぎ…。」 斑目はそのセリフに冷静に突っ込みを入れる。 「うわっ!?なんじゃこりゃ?」 「い…いったい何の騒ぎ?」 最後に田中と久我山が到着する。 「お~久しぶり。久我山、痩せたんじゃねぇ?田中は逆に太ってるよなぁ。」 「く、苦労してんだよ。ま…斑目は全然変わってないね。」 「いろいろあんだよ。それより、お前本当に変わらんなぁ。ちゃんと働いてるのか?」 久々の再開、第一声に容赦ない言葉を浴びせ合う3人。 「ふざけんな!俺だって色々あるんだよ!」 「げ…現役より在室率高いOBだって、ゆ、有名だぞ。」 「そうだな。お前、実はもうクビになってるんじゃないのか? それがばれるのが怖くて昼の時間だけ…」 「好き勝手言ってんな、田中!!」 そこでやいやいと口論を始める3人。 元々、今日こうやって集まったのは世話になった礼がしたいと 笹原と荻上が提案したものだった。 しかし当の2人は混乱の極みにあり、春日部は怒声を上げながら朽木にヤキを入れている。 大野とスーはキャーキャー言いながら笹原と荻上を煽っているし、 斑目、田中、久我山に至ってはすでに最近の熱いアニメについて語り始めている。 もはや誰も何故今日ここに、こうやって この面々が集まっているかすら覚えてはいないだろう。 「あはは~。変わらないな~。」 高坂はその滅茶苦茶ぶりを見ながら、上機嫌に笑っている。 それはそれは賑やかな、いつものげんしけんの風景。 ...fin

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