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*Zせんこくげんしけん2 【投稿日 2006/03/13】
**[[せんこくげんしけん]]
【2005年8月9日/12:50】
話は遡るが……。
大野はこの日、スージーとアンジェラを再び大学内に連れてきていた。
咲から、「キケン、大学にクルナ」と短いメールが入り、続いて簡潔に状況が知らされた時、すでに大野達は大学に来ていた。
「もう遅いんですけど……」
引き帰そうにも、正門には、野球のユニフォームを着て緑色のマスクをかぶった怪しい人物がこちらを見ている。
マスク男が近付いて来た。
旧現視研メンバーと思われる不審者を捕まえようというのだが、マスク男自身が不審者そのものである。
逃げることもできず、「あうあうあ……」と、うろたえるばかりの大野。
アンジェラは隣で、「What is it festival today? I want also to wear that Mask.」と誤解して笑っている。
マスク男が声を掛けようとしたとき、その後方から、「あー、いたいた! 何をしてたんですか“ヨーコ”さん!」と声がした。
スーツを着込んだ元漫研のOB、高柳が息を切らして駆け込み、大野達とマスク男の間に割って入った。
高柳は強い口調で、「彼女達は文学科のブラッシー教授のお客さまと、その通訳のカンナヅキさんだけど、何か用かね?」と切り出し、さっさと大野、アンジェラ、スーを連れて行った。
ある程度歩いて立ち止まった一行。高柳は、斑目同様に近藤の電話を受けて異変を知り、大学に様子を見に来ていたのだ。
大野は両手で高柳の手を取り大げさすぎるくらいに礼を述べた。
思わず赤くなる高柳は、「大野さんのためだからねー。ひとまず漫研へ行こう。あそこはまだ中立だから」と案内をかって出た。
ホッと胸を撫で下ろす大野だったが、直後に恐ろしいことに気が付いた。スーの姿が見当たらないのだ。
傍らのアンジェラは、「It is safe. She comes back sooner or later. 」と大して気にしていない。
「そのうち帰ってくるって言ったって……ノンキ過ぎよ」と嘆く大野であった。
【8月9日/13:15】
斑目は午後の急用をでっち上げて電話先の上司に必死に頭を下げ、恵子とともに行動を開始。咲や笹原と合流するために大学内の稲荷のほこらに向かう。
林の長い小道を歩く途中、ふと斑目が足を止める。ザワザワとした妙な違和感を感じるのだ。
一緒に立ち止まり、「どした?」と尋ねる恵子に、「悪ぃ、先に行っててよ。そのまま行けば春日部さん達がいるはずだから……」と応える。
キョトンとした恵子は、あー…と納得した素振りを見せ、「立っション?」とデリカシーのない一言をぶつけた。
斑目は、(これだから現実の女は……)と呆れ、追い払う手ぶりをしながら、「そういうコトにしといてよ」とだけ答えた。
恵子が道の向こうへと消え、斑目が周りを見回した直後、不意に、「どうしたの?」と声がした。
「うおっ!」驚く斑目の背後には、いつの間にか初代会長が立っている。
(この人は何者なんだ?)と思いつつ斑目が、「初代、いま大変なことに……」と切り出そうとすると、初代会長は、「うん知ってるよ。“だから僕も来たんだ”。で、どうしたの急に立ち止まって」と最初の質問を投げかけた。
「いやちょっと……変な感覚がしたものですから……」と斑目が答えると、初代は意外な言葉を返した。
「“もう一人の自分”に出会った時のような感覚かい?」
斑目の表情は一気に強張り、「なんで初代が“それ”を知っているんですか」と低い声で尋ねた。
(解説せねばなるまい。斑目の言う“それ”とは、「3年前にもう一人の自分と出会った」ことであり、この斑目は、前作での「斑目2002Ver」のその後の姿なのだ)
あの日以来、(あれは悪い夢、幻だったんだ)と思っていた。否、思うよう心掛けていた斑目だったが、「あのとき、見ちゃってねぇ」とアッサリ答える初代会長の言葉にがく然とした。
さらに初代は、「何故かは知らないけど、あの場に荻上さんがいたでしょ」と語る。
斑目は、3年前の自分が「斑目05」を問い詰めていたとき、近くで失神した女の子がいたことを思い出した。
「あれが荻上さん?」
初代会長は、混乱する斑目に、「僕の“仮説”だけどね…」と語り始めた。
初代が言うには、原口が持っていた荻上のノートと同人誌は、2005年から2002年に迷いこんだ荻上の物だという。
斑目2人が口論し、荻上が失神したときに、雑誌などと共にバッグから落ちたものであり、当時の斑目05が荻上を介抱する際に、拾い忘れていたもの。
3年分の情報や801に関する着想が記されたノートや雑誌、同人誌を拾った原口は、情報を精査してその後の801の流行を先取りした……。
「最初の1年は様子を見て、資料と現実の流行の相違を確かめた。後年は自分の知り合いの作家を動かして実際の流行を一歩先んじればいい。HiってHaraguchiの頭と末尾だね。ヒネリがないね、ふふ」
(この人、ハラグーロが現視研を訪れた時にその場にいなかったはずだよな?)と、思いつつも耳を傾ける斑目。仮説とはいえ、コトの発端が自分にあることに呆れた。
初代は、「しかしノートに書かれた3年分の蓄積が無くなろうとしている今、次の手を打ってきた。それが荻上さんの同人誌だよ。タイムスリップした荻上さんは、たぶん1、2か月先の人なんだろうね。だから完成された本がある」と続けた。
斑目「ハラグーロは、荻上さんが今年の夏に同人誌を仕上げるのを待っていたというんですか?」
初代「カネとヒトを動かし、待つ時は待つ。彼はそうした才能に長けているね。彼の居場所はオタクという消費者側ではなく、消費のシステムを作る側だよ」
初代は、「ここでボクから忠告」と人さし指を立てた。
「現視研は新体制で存続するらしいし、これも歴史の一つとして認めるか、抵抗するかは君らに任せるよ。ただし……」
斑目「ただし、何ですか?」
初代「時間は自然と同じで、厳然とした仕組みがあるとは思わないかい?」
斑目「はあ?」
初代「未来の情報が過去に流れてしまい、時間のパラドックスを大きく揺さぶった。ありえない事が起きれば、それを修正する働きも出てくると……」
斑目は、「ははは…“ネコドラくん”のタイムパトロールみたいなもんスか」と愛想笑いをした。
初代「そんな組織的ものじゃなく、ね」
斑目が質問しようとした時には、もう初代の姿は消えていた。
初代の言う、時間の“修正する働き”が何かは分からなかった。だが、(コレが本当なら、自分にはどうしようもない)という諦めの気持ちが心を支配しはじめていた。
【8月9日/13:30】
「悪い、遅くなった」
斑目が稲荷のほこらの前に到着した。恵子が、「ひょっとして“大きい方”?」とまたもヒドイ一言。
咲の携帯に大野から、漫研に退避していることが伝えられ、集まれるだけの人数で対策を協議することになった。
「じゃあ先輩、アレお願いしますヨ」と朽木に促された斑目は、「え? あーアレね。では、第1回部室と荻上さんを取り戻すにはどうすればいいのか会議~」と、張りの無い声で号令を掛けた。
咲「この問題はうちらには大きすぎだよ。大学事務に訴え出ようか?」
笹「簡単に話が進むとも思えないよ。不利な情報を流されていたら…」
朽「いっそ真正面から玉砕を図るでアリマス!」
咲「1人で玉砕してろ。それにアタシらで喧嘩して勝てるわけないじゃん」
恵「でもあのデヴは一度シメないと気が済まないよ」
斑目は議論に加わろうとしない。それどころか、「……このままでも、いいんじゃないかなぁ」とポツリと本音が出た。
「嘘ーーーっ!?」周りが驚きの声をハモらせる。
斑目は(時の趨勢には逆らえない)と、及び腰になっているのだ。
「“決まったこと”には逆らえないんじゃないかな……荻上さんにとっても後々はメジャーになれて……」
「フザケないで下さいよ!」声を荒げる笹原。彼は荻上の涙を見ている。咲も同調し、「アンタそこまでヘタレとは思わなかったよ……」と嘆く。
斑目はチラリと咲を見た。
3年前に出会った「未来の自分」は咲に惚れていた。自分はそれに反発していたハズなのに、今、まんまと同じ轍を踏んでいる……。だからこそ「逆らえない」と感じてしまうのだ。
笹原は、苛立ちを隠せない。
「斑目さんはOBだから、直接は関係ないでしょう。でも僕らは現役ですし、荻上さんは大切な……仲間です。斑目さんの力は借りません。もう行きます」
朽木と咲も笹原に続いた。去り際、咲は寂しげな目を斑目に向けた。
去っていく後輩達、「春日部さん、高坂君と連絡取れる?」「どうかなぁ……」との声が次第に遠くなる。
斑目はしばらくうつむいていたが、ふと顔を上げると、恵子が残っていた。
「部室は居心地がいいって言ってたじゃん。取り返そうと思わないのかよ」
斑目は答えない。
「根性なし……」それだけ言うと、恵子は3人の方へと駆け出していった。
【8月9日/14:10】
現視研部室で、沢崎と荻上が向かい合って座っている。
沢崎「ところで荻上さん。“彼女”は知り合い?」
荻上「いいえ。知りません…」
2人の視線の先、入り口に近いロッカーの前に、スージーが座っていた。いきなり部室にやってきた彼女は、荻上たちを一瞥しただけで、後は一時間近く黙々と同人誌を読みふけっている。
荻上は、スージーとは前日に出会ったばかりだが、知らぬフリを決め込むことにしていた。
一方の沢崎は焦っていた。見張りの網をスルスルとくぐり抜けて、言葉の通じない外国人が部室に入り浸っているのだ。
ちょうど原口が留守にしていたので良かったが、彼が印刷関係の打ち合わせから帰ってきたら、自分が責任を取らされるのではないかと思っている。
「誰かいないですか?」沢崎は、廊下にいるはずのマスクマンを呼んだ。赤いマスクをかぶり、赤いポンチョを身にまとった背の高い男がやってきた。
沢崎「……何のサークルの方?(汗」
男「メキシコ文化研究会です」しゃがれた声が返ってくる。
沢崎「すまないけれど、この女の子を連れて行ってください」
スージーは、赤マスクの男を見上げて、「?」と首をかしげた。男はカタコトの英語で語り掛ける。
「さすがメキシコ文化研究会だ」と感心する沢崎に、荻上は(公用語違うだろ)と心中で突っ込んだ。
スージーと男の姿を眺める沢崎の横顔には、原口のような意地の悪さがないと感じた荻上は、「あなたは、何でこういう事をするんですか?」と尋ねた。
沢崎はためらいの表情を見せたが、「僕は現視研に入ったことがあるんだ。でも、春日部咲にひどい仕打ちを受けて、すぐにやめちまった」と答えた。
「春日部先輩、そんなことする人じゃないし……」との荻上の反論に、沢崎は、「事実追い出されたんだよ僕は」と、垂れた目をつり上げて反論した。
「さっきのコギャルが、ここが居場所だとか言ってたけど、僕はその居場所を追われた。こうして新しい会長になって、それを取り戻せたんだよ」
赤マスクの男は2人の会話に耳を傾けていたが、「英文科の学生のところに連行してきます」と、スージーの手を引いて部室から出て行った。
荻上と沢崎、そしてスージーの姿を、外から監視する視線があった。向い側の窓。サークル棟4階の児童文化研究会の部室からである。
【8月9日/14:30】
笹原、咲、朽木、恵子は、無事にサークル棟に侵入。児文研部室に匿ってもらっていた。2階の漫研よりも現視研の様子が掌握できるだけでなく、児文研自体が目立たないサークルだからだ。
「お茶入りましたよ」「あ、どうもすみません」「いいええ」
マターリとした室内で、朽木が絵本や児童文学の山に隠れるようにかがみ、双眼鏡を構えている。
その後ろでお茶をすすりながら、咲が笹原に問いかけた。「何かおかしくなかった? 私たち、あまりにも楽勝でこの部屋に来られたけど」
笹原も腕組みをしながら、「盗聴のおかげもあるけど、まるでルートを開けてもらったような……」と考え込むが、「罠だとしても、荻上さんは絶対に助けなきゃ」と、自分に言い聞かせるように力強く語った。
その姿を見て咲も表情を引き締める。
「じゃ、打ち合わせ通りに。手荒くて古典的だけど、やるっきゃないね」と言い、絵本に手を伸ばしている恵子に、「アンタも頼むよ」と声を掛けた。
恵子が緩い返事をかえす。朽木は双眼鏡を覗きながらブツブツと、「状況開始ヒトゴウサンマル時、ヒトゴウサンマル時……」と復唱した。
笹原はちょっと気掛かりな様子で、「春日部さんは、いいの?」と尋ねた。作戦内容に、ある不安がよぎっているのだ。
「大丈夫、私も腹くくったから!」
咲は心配そうな視線を振り払うように笑顔を見せた。
【8月9日/14:35】
漫研。高柳と部員らが外の様子を見に行き、大野とアンジェラが残された。スーが捕われたことは、児文研から連絡を受けている。
アンジェラは、『ホラネ、彼女の居場所はすぐに分かるでしょ』と笑う。「敵の手中にあるんですが……」との大野の呟きは気にも留めない。
高柳の前では、笑顔と感謝を忘れない大野だが、内心は、(会長である私を差し置いて新現視研だなんて。原口許さん!)と憎悪がトグロを巻いていた。
「私も何か役に立ちたいけど……」
ふと、アイデアが浮かび、田中の携帯に電話を入れた。すると慌ただしい声で彼が電話に出た。
「斑目から電話があって状況は聞いてるよ。今からそっちに向かうところ!」
大野は(斑目さんも動いてくれたんだ)と心強い思いがした。そして、携帯を握る手にグッと力を入れた。
「田中さん、お願いがあります!」
【8月9日/14:50】
斑目は、1時間以上、稲荷のほこらの側に座り込んでいた。(仕方ないだろ、こちとらただのオタクだ。何ができるっていうんだ……)
しかし、胸の中は後悔でいっぱいになっていた。咲の寂しげな視線が辛かった。恵子は最後に、涙ぐんでいたようにも見えた。
そうこう考えているうち、何やらまた妙な違和感を感じはじめた。
その時、「斑目晴信ッ!」との叫び声が林の木々を振るわせるように響き、斑目はビビって立ち上った。周囲を見回すと、50mほど先、小道の向こうに声の主と思われる人影が見えた。
身体全体が赤い、赤のマスクに赤いフード、いやポンチョを着込んだ男が拡声器を持って立っていた。メキシコ文化研究会の男だ。変な生き物を見るように男を凝視する斑目。
「俺を捕まえにきたのか!?」との問い掛けを無視した赤い男は、「この女、預けるぞ」と、後ろに隠れるように立っていたスージーを斑目の方へと歩かせた。
男は、「拡声器を使ったから、他の追っ手が来る前に動かないと、今度は本当に捕まるぞ」と言い残して姿を消した。
スージーが斑目の前にトボトボと歩み寄って来た。デフォルトで突き刺すような視線を向けてくる。「預けるったって、言葉わかんねーよ」と頭が真っ白になるヘタレ。
スージーは無表情のまま、「Circumstances are heard from him. (彼から事情は聞いた)」と声を掛け、手書きのメモを手渡した。
メモの先頭には、「8月9日行動レジュメ」と書かれていた。
【8月9日/15:10】
現視研部室では、原口が荻上をねちっこく説得していた。
「このままミナミ印刷から原稿をいただいてもいいんだよ。最悪、同意がなくてもね」
押し黙っている荻上。原口は言葉を続けた。
「ほら、笹原君だっけ? ボクが友達の編集者に掛け合って就職を便宜してやってもいいんだよ」
「!」荻上がハッとした表情で原口を見たが、すぐに、「そんなことをして喜ぶ人じゃありません!」と目をそらした。
見守る沢崎のトランシーバーから、ノイズまじりの音声が流れてきた。
『現視研らしき人物を講堂前で発見の情報あり、柔術サークル、野鳥観察同好会は現場確認に急行せニョ!』
「二ョ!?」原口、沢崎、荻上の3人は思わずハモった。
【8月9日/15:25】
咲は、サークル棟内でも人の気配が無い、1階角の空き部屋の前に来ていた。
屋内を見回っていた柔術サークル、野鳥観察同好会は、朽木の虚偽情報でおびき出してあり、この場所までくるのは容易だった。
カチンッ、カチンッ、カチンッ……。咲は物憂げな顔で、久々に手にしたジッポーのフタを開け閉めしている。
「あの日」以来、ジッポーは自分を戒めるためにカバンの中に入れてあった。それを、こんな形で使うとは……。
カチンッ、カチンッ、カチンッ……。無意識の動作は続く。携帯が鳴った。電話の向こうから「ねーさん、準備できたよ」と、恵子の声。彼女は咲とは別の場所で、同じ行動を取っていた。
サークル棟内で小規模のボヤ騒ぎを起こそうというのだ。周りに延焼するものがないことを確かめ、壁にはバケツで水を掛け、児文研からいただいた古い雑誌や、廊下に放置されているゴミをかき集めて置いた。
カチンッ、カチンッ、カチンッ……。電話をしながら、視線は燃やす対象物をうつろに見据えている。
咲は、「お前、本当に建物を燃やすなよ。煙が出て報知器が作動すればオッケーなんだからな」と軽口を叩いた。
「ダイジョーブよ!」と返事する恵子に、携帯を持つ咲の手の震えは見えるはずもない。
15:30。時間だ。
咲は意を決してジッポーに火をつけた。種火になる新聞紙に火を移し、雑誌の山の横へと投げた。徐々に火が燃え移る。
(あの時と同じだ)ゴミ置き場を燃やした時と同じように火は古い雑誌を瞬く間に焼きはじめた。自分は近場の漫研へ逃げなければならない。
しかし、足が固まったように動かない。咲の瞳に火の赤が映え、そこから目をそらすことができない。ガクガクと足が震えはじめた。
火が炎に代わっていき、熱が足下や頬に伝わってくる。十分に周囲との間隔を空けているから延焼こそ起こさないが、煙が廊下を満たしはじめた。
ジリリリリリリリリリリリリリリリリリッ!
火災報知器のベルと同時に咲は、恐怖にかられて「コーサカッ!」と叫んだ。その瞬間、後ろから腕を取られ、引っ張られた。
「こーさか?……」
振り向くと、そこには真っ赤なマスクの男が。あっけに取られる咲。
「質問無用。早く漫研へ行って!」男は咲の手を引いて階段まで連れて行き、また煙の中へと姿を消した。
【8月9日/15:30】
火事の記憶が恐ろしいのは、咲だけではなかった。
「ひっ!」火災報知器のベルが鳴り出した瞬間、サークル自治会室では木村が極端に反応してうろたえだした。
前回のボヤ騒ぎの時に迅速的確な指示をくれた北川百合枝は、すでに卒業している。自分の任期にあのような事件がないように祈っていた木村の願いは破れた。
タイミングの悪いことに、夏期休講中で、ちょうど自治会室には自分しかいない。
手もとの無線からは、事実確認を求める連絡が相次いでいる。1階に煙が充満しているとか。火元は1階だとか、3階だとか。炎が強くて初期消火ができないとか。デマを含むパニクッた怒声が次々に流れてきた。
木村は震える手で放送を流しはじめた。
『か、か 火災が発生! か 館内の人は迅速に建物の外へ避難するように! これは訓練じゃない!』
「木村ではボヤ騒ぎに対処できない」という、咲や笹原の読みは当たった。おまけに朽木が無線にデマ情報を流して煽っていたのだ。
けたたましく鳴り続けるベルと、うっすらと流れてくる煙の中、笹原は4階から3階に降りてきた。
「煙が……火が強くないか」と心配しながら、廊下の向こうの現視研部室に目を凝らした。ちょうど、赤いマスクの男が部室のドアが開けて中に入ったのを見た。笹原は物陰に身を隠す。
ボヤ騒ぎに乗じて見張りを遠ざけ、荻上を奪還するという予定だったが、マスク男が一人同行していることに笹原は戸惑った。
赤い男の指示に従って原口が廊下の向こうへと走って避難していった。間を置いて、赤い男と沢崎が、荻上を連れ出して廊下に出てきた。
廊下の向こうを見守る笹原だが、ふと人の気配を感じて後ろを振り向くと、一緒にスージーが隠れているではないか。
「うわ! いつの間に?」と慌てる笹原にスージーは、廊下の方を指差した。笹原がその指の先に視線を戻すと、赤いマスク男がこちらを向いて、手招きをしている。
「味方?」
その時スージーが笹原の背中を押して、「スリヌケザマニカッサラエ!」と声を掛けた。
「あ、っは、ハイ!」笹原は弾かれるように、廊下の向こうの荻上に向かって走り出した。
赤い男は、後ろから走り寄って来た笹原に荻上を受け渡すように道をあけ、荻上の背中を押して「走れ!」と叫んだ。
瞬間、後ろから笹原の手が、荻上の手を取った。荻上は一瞬戸惑ったが、握った手が笹原のものだと気付くと、一緒に、懸命に走り出した。
廊下には、呆気にとられた沢崎だけが残された。気が付くと赤い男もいない。
「あ……え? えーーーーっ!?」
笹原と荻上は息を切らしながら走る。3階から2階へと駆け降りた時、2階トイレ前に斑目が立って、大きく手招きをした。
笹「斑目さん!何でここに!」
斑「説明は後! このまま普通に漫研へ逃げ込んでも、すぐに見つかるぞ。俺が時間を稼ぐから!」
その横で荻上は、スージーに女子トイレの中へと引っ張りこまれていた。直後に中から、「何するの!」「きゃあっ」「嫌ぁんっ」「あぁんっ!」と、荻上の悲鳴が聞こえてくる。
笹原と斑目は、顔を見合わせて頬を赤くした。
火の付いた雑誌類が見つかって消火された後、緑色のマスクをかぶった男達がサークル棟内に次々と入り、逃げた荻上を探しはじめた。
一方、サークル自治会室では、木村が電話で大学事務局に報告を行い、報知器の誤作動とデマによる混乱だと必死で弁明をしていた。
まだ煙が立ち込めている1階の非常口から、スモークを振払うように男女が飛び出して来た。一人は斑目だ。
4階児文研で待機する朽木のトランシーバーにも、“荻上千佳発見!現視研の男性と思われる人物と正門へと逃走…”と通信が入ってきた。
【8月9日/15:45】
斑目は追っ手から逃れて、学内の林の道へ逃げ込んだ。その先は昼に訪れた稲荷がある。
2人は、ほこらの前に座り込む。斑目は、「上手いことまいたかな」と声をかけたが、荻上は笹原の持っていた帽子を目深にかぶり、息を切らして言葉が出ない。
直後、ザワザワザワ……ッと、木の葉の舞う音がしたかと思うと、2人を囲む四方から、黒尽くめの衣装に緑のマスクをかぶった男達が駆け寄ってきた。
「椎応甲賀流忍術同好会推参!」「何でそんなもんまであるんだよ!」思わず速攻で突っ込む斑目。
「これも活動費用助成の為、許せ」と同行を促された“荻上”がスッと立ち上がり帽子を脱ぐと、ブワッと金髪が風にたなびき、その奥から目つきの悪い碧眼が現れた。スーだ。
背格好が荻上に似ていることから衣類を交換。斑目と一緒に囮になったのだ。
「うわっ騙された!」がく然とする忍に、スージーはカタコトの日本語を発した。
「キミノオトウサマガイケナイノダヨ!」
「図ったな現視研ーッ!」
ネタは理解できるがついていけない斑目は、「肌の色で気付けよ」と、脱力するばかりであった。
*Zせんこくげんしけん3 【投稿日 2006/03/16】
**[[せんこくげんしけん]]
斑目とスージーが囮になっている間に、笹原は荻上を連れて廊下をひた走り、息を切らせて漫研部室前にたどり着いていた。
荻上は、スーが着ていたひざ丈の短いワンピースを身にまとっている。(恥ずかしい…)スーと服を取り替えてトイレから出て来た時も、笹原の視線を受けるのがつらくて仕方がなかった。
一方の笹原も、普段は見ることのないその姿に思わず見とれてしまう。淡い青のワンピース。スカートから伸びた足は、夏の陽差しをほとんど受けることなく過ごしてきただけに、白く透き通って見えた。
ドアを叩きつつ、「結構似合うんじゃないかな……それ」と思わず口にする笹原に、荻上は「そんな事絶対ありません!」と、裾を両手で抑えながら真っ赤になって否定した。
漫研には既に、咲と恵子が逃げ込んできていた。笑顔で迎えられた荻上はホッとしたものの、「ご迷惑かけまシタ……」と小さく呟き、なかなか顔を上げることができなかった。
【8月9日/15:50】
荻上は、高柳に礼を述べている笹原の姿を目で追いつつ、部屋の隅、つまり窓際で両膝を抱えてうずくまっていた。1年生の春、口論の末に自分が飛び下りた場所だ。記憶がよみがえり、震えた。
(結局、自分のせいで皆に迷惑がかかったんじゃないのか? この漫研から出て行って、現視研もなくなって、皆に迷惑かけて…)自分を責める言葉が心の中で反芻された。
その時、「荻上…」と聞き覚えのある声に呼ばれて、体がビクッと反応する。漫研の女子2人が目の前に立っていた。
(結局逃げたところで、ここも私にとっては敵地じゃないか…)緊張する荻上に掛けられた言葉は意外なものだった。
「ハラグーロに負けちゃだめよ。現視研はあんたに合った場所なんだろうからさ」「せっかく納得して描きたいと思ったんなら、頑張んなさいよ」
共通の“敵”がいることもあって、言葉には優しさも感じられた。荻上は目を合わせられないものの、うつむいて、「ハイ…」とだけ答えた。
漫研女子らが「偵察」のために出て行った後、大野が荻上の傍らに腰掛け、「良かったですね」と声を掛けた。
「私いつか、言いましたよね。“全員が仲良くできるわけじゃない”でも“全員をひとくくりにして嫌うことはできない”って」
「……」
「こうして、対立してた人だって心を開いてくれることもあるんですから……。かたくなにならずに、私たちにもっと甘えたっていいんですよ」
わだかまりがほんの少し解けた荻上は、涙ぐんで小さく震える。大野は笑顔で荻上の肩を抱きしめた。
その様子を遠目に眺めていた高柳は、笹原に向き直り、「大野さんは優しいねぇ…。いや~最初は押し付けるようにしてお願いしちゃったけど、荻上さんを現視研に入れてもらって良かったよ~」と笑った。
【8月9日/16:00】
児文研部室で監視体制に入っている朽木から、笹原の携帯にメールで入電があった。
“所属不明の乗用車西門から接近デアリマス”
西側を守る新現視研派の無線が、パニック状態を伝えているという。西門に立っていたマスク男達の静止を振り切り、軽乗用車が大学内に侵入。サークル棟に向かって暴走しているというのだ。
笹原は、周囲の皆に、「何かがこっちに向かってきてるみたい」と伝えた。「来た!」と大野が叫び、隣の荻上が転がらんばかりの勢いで立ち上がる。
反撃が始まろうとしていた。
軽乗用車は久我山の会社の営業車だった。
久我山の隣には、コスプレ衣装を持参した田中が乗っている。斑目の求めに応じて、OBが立ち上がったのだ。
「むむ 無茶だよこんなの~」ハンドルを握りながらも泣き言が出る久我山。車内のカーステレオからは、「サンバ・テンペラード」(by大野雄二.カリ城)がけたたましく鳴り響いている。
車はあり得ない動きで大学内の階段を上り、マスクの男達の静止を振り切って、サークル棟入り口まで突入した。
ほとんど激突しそうな勢いで、入り口の階段前に急停車したクガピーカー。これ以上は車では進めない。周りからはどんどん緑マスクの男達が駆け寄ってきた。
携帯で「すす スミマセン納品は ああ、ら 来週に~」と泣きを入れる久我山。田中は車を降り、目前の階段に飛び移るように駆け出した。
小さな車に男達が飛びかかり、久我山は早速取り押さえられた。
「久我山ッ!」田中は一目だけ振り向くと、後は必死で2階まで駆け上がり、漫研の部室にたどり着いた。
田中を受け入れ、ドアが閉められた直後、部室の前には追っ手が迫っていた。
「開けなさい!」「開けろ!」「自治会からキー借りてこい!」
怒号が飛び交う漫研部室前。騒然とする中、コスプレカップルが向き合った。
息を切らしながら田中が、「おれたちも何かやらないとな……、大野さん達だけに無理はさせられないよ……な、会長」と声を掛ける。
「ありがとうございます!」
大野は感極まって田中に抱きついた。
2人の抱擁を目の当たりにして、赤面する笹原と高柳。
高柳「あぁ~、短い夢だったなァ…」
笹原「高柳さん?」
大野「あの~、窓のカーテンで仕切りを作ってくれませんか」
高柳&笹原「仕切り?」
【8月9日/16:05】
漫研部室のカーテンが取り外され、両端を咲と恵子が持って間仕切りをした。大野はその奥で、田中が持って来たコスチュームに着替えはじめた。
荻上はさすがに立ち上がって、「こんな時にもコスプレですか!」と声をあげたが、カーテンの向こうからは、「こんな時だからです!」と強い語気が返ってきた。
「こんなことくらいしか出来ないけれど、私なりに囮にでも何でもなるつもりです。私、会長ですもの!」
ほどなく、裾や袖を短かく切り詰め、肩も露わな和装の大野、いや、くじアンの如月副会長の決戦仕様が姿を現した。
大野は、「おお~っ」とどよめく周囲には目もくれずに、いつもの黒大野マスクを口元に着用する。まるで“ギンッ!”という効果音が入ったかのように劇的に目が据わってきた。
高柳「大野さんのコスプレ見られたのはいいんだけど、あのマスク何なの?」
笹「ははは…(汗)
「咲さんにも会長用を持って来てますよ!さあ!さあ!さあ!」
大野の圧力に青ざめる咲。「イヤ私ガ着ル必然性ナイシ…」
「そんなこと言わずに。気持ちが乗ってくるって!」と語る田中も、すでに「英国与太郎哀歌」なるホラー漫画の主人公のコスチュームに着替えていた。
真夏だというのに血のように真っ赤なロングコートを羽織り、丸ブチのメガネをかけ、意味不明の紋章が入った白手袋をして、馬鹿でかいモデルガンを手にしている。
田中はニコニコとしながら、大野の対となる「会長コスチューム」を広げてみせた。
「田中テメエ…!」
しかし咲は、田中の足もとに置いてあった会長コスの“一部”に目をとめた。
(これ、前にも付けたやつだ…)アニ研主催のコンテストで着用したことのあるヘルメットと手甲だ。(これなら…!)
咲は周りに、「これだけだよ!“実用的”だから!」としつこいほど伝えた後、(実用、実用…)と自分に言い聞かせて手甲を装着。さらにヘルメットを深々とかぶった。
「せっ…先輩っ」と驚く荻上に、咲は「あー見るな見るな!」と叫んだ。
「Is there my costume?」
「アタシもなんか着たい~」
さしもの田中も、アンジェラと恵子のコスまでは想定していなかった。
「何だよツマンネ~ッ!」
この恵子の言葉と同時に、「ドドンッ!」と漫研部室のドアが破られた。
【8月9日/16:30】
漫研部室にマスク男が侵入した。廊下に2人控えている。黒のマスクに黒のアマレス姿。最初に現視研部室に乱入した「黒い三年生」だ。
入り口に一番近い位置にいるのは大野だった。「?」対峙しているのがコスプレ女とあって、侵入者の動きが止まる。
「田中さんッ、残雪ッ!」
阿吽の呼吸で田中が投げ入れた日本刀「残雪(模造)」を手にした大野。黒マスクは思わず後ずさりする。
大野は普段から心掛けている“キャラの内面を再現する”意識を極限まで高めていく。荻上も思わず立ち上がり、笹原の後ろへ身を隠すほど、周囲の空気が変わってきた。
鞘に納めたままの残雪を腰に据え、膝にタメをつくり、姿勢を低くして、いつでも抜刀できる姿勢になる。長髪と風邪マスクの間からわずかにのぞく瞳は、いつ人を斬り殺してもおかしくない殺気をみなぎらせている。
もちろん実際の殺傷力は皆無に等しい。目的は威嚇だ。
緊張感が張りつめたところに、大野の後方から田中のハンドガンが火を噴く。「バッ!」と白い粉が舞い、黒マスクがうずくまった。目つぶしだ。
「腹くくるかッ!」
咲がうずくまる男の背中を蹴り越え、廊下に飛び出した。黒マスクがお約束を叫ぶ。
「俺を踏み台にし……」次の瞬間、恵子、笹原、高柳が黒マスクを取り押さえた。
咲はタイトなスカートもあらわに跳躍して廊下の黒マスクの目前に着地した。
ビビって先手を仕損じた相手の目前で舞うように身体を反転させ、体重を乗せた裏拳で殴りつける。手甲がヒットして2、3歩引き下がったところに、「腕が伸びて見える」「斑目を幸せな気分にさせた」グーパンチを叩き込んだ。
慌てるもう1人に、田中が再び「目つぶし」を当てて動きを封じた。「ぅわはははははははッ!」攻撃を加えながら、爽快感に思わず笑いが出てしまう咲。大野&田中はドン引きだ。アンジェラは観戦に徹して呑気にはしゃいでいる。
荻上「何かヤなことでもあったんでしょうか?」
笹原「あー…。最近忙しそうだからね、ストレスが……」
「これはたまらん!」黒い三年生が思わず引き下がる、笹原らに捕らえられた一人も後ろ手に縛られたまま放り出された。
しかし、廊下の向こうのからは新手のマスク男が集まりつつあった。
新手のマスク男たちは、「あ゛~~~~」「う゛~~~~」と低いうなり声を上げながら、ゆっくりと、不規則な足取りで歩いてくる。
腕は力がなく垂れ下がり、マスクの下は普段着だが、みな浮浪者のように薄汚い。
彼等は「ジョージ・A・ロメロ版リビングデッド研究会」、通称「ゾンビ研」だ。力は無いが数は多い。このままでは数に飲み込まれてしまう。
大野「こんなサークルあるの?(汗」
咲「今度のはキモイな……表出るよ!」
咲の号令で、田中がゾンビ研の群れに向かって目つぶしを乱射。続いて恵子が廊下の消化器を発射し煙幕を作った。
【8月9日/16:40】
大野を旗頭に反撃が開始されたことは、現視研部室のトランシーバーから伝えられ、原口と沢崎はかじりつくように聞いていた。
荻上の原稿自体は、ミナミ印刷からキャンセルとして騙し取ってある。すぐにでも印刷にまわせばいい。
「しかし、今後必要なのは“作家”荻上千佳を確保することなんだよ」と、珍しく原口が焦りを見せた。
その時ガチャリと、部室のドアが開き、ゆら~りと朽木が姿を現した。
「!!」驚く原口「どうやってここに!?」
朽木「ふふふ、我輩は実体を見せずに忍び寄る白い影」
沢崎「いや見せてるし」
漫研前の戦線が中庭へと移っていく中で、見張りも参戦&野次馬で居なくなっていた。朽木は軽々と児文研部室から現視研部室までやってきたのだ。
朽木は異様に鼻息が荒い。乱闘という「お祭り」が眼下で始まったというのに、自分だけ盗聴や後方撹乱ばかりやっているのが耐えられなかったのだ。
「ワタクシのテンションは今ッ! アニ研を抜けて現視研に入部した時代に戻っているッ!女に手を挙げ、盗撮もやってのけたあの当時にだッ! 無遠慮!不道徳!そのワタクシが貴様を倒すニョーッ!」 と威嚇する。
呆れる原口は、「沢崎くんたのむよ」と後ずさりする。
ゆらりと立ち上がり、朽木の前に立つ沢崎、背後の原口に視線を向けて、「……彼はココの入会テストのゲームでも、俺に頼りっぱなしでしたからね。負けはしません」と余裕を見せた。
にらみ合う“同期”の2人。朽木は部室のゲーム機を目で差した。
2人の思い出のゲーム、現視研初入部時にプレイした「ドラキュリーナハンター」での勝負が始まった。
【8月9日/16:42】
斑目は、顔を赤らめながらサークル棟へと走ってきた。囮となって走り、『もう歩けない』などとゴネるスージーをお姫様ダッコで連れて来たのだ。
サークル棟に近づいた時、中庭の乱闘に出くわした。「うわ、凄いことになってるな」と呆気にとられた。
ゾンビ研を相手に、咲を中心にして田中や大野が暴れている。恵子まで角材を持って立ち回っているではないか。
(笹原の妹だけはシャレにならん気がする)
スーが斑目のもとから飛び降りると、サークル棟に向けて手を振っていた。
斑目が視線を移すと、アンジェラが陽気に手を振りかえしてる。高見の見物を決め込んでいるようだ。
「なんなんだこの外人は?」
しかし斑目を最も驚かせたのは咲の格好だ。咲は“律子・キューベル・ケッテンクラート”会長のヘルメットをかぶって乱闘しているのだ。
斑目が憧れ、大事にしている「最後の砦」が、今、目の前で躍動していた。
「かっ…かっ、春日部さんっ!?」思わず声が出る。
呼びかけに気付いて振り返った咲は、「あ、斑目、ちょっ!見るな!」と動揺する。
次の瞬間、咲は死角から竹刀による“突き”をヘルメットに受けた。同調サークルの剣道マスク男が増援に駆けつけたのだ。ヘルメットが飛んだ。
それでも咲は続くゾンビ研を2、3人殴り倒すが、剣道マスク男と対峙しつば迫り合いの要領で突き倒された。
「げっ!何しやがる!」
斑目は思わずゾンビ研の群れや竹刀をくぐり抜け、咲の所へと向かう。咲の手を取って引き起こそうとする時、「邪魔だ」とばかりに背中に竹刀の一閃を受けた。
「!」驚く咲。
「アンタ喧嘩できないんだから、見てればいいのに!」
「イテテ、女を前線に出して見てるわけにゃいかんでしょ」
「また、オタクくさいことを」
咲が気が付くと、田中、大野、恵子も包囲されている。
斑目は何とか咲の縦になろうと前に立つが、何とも頼りない。
「もういい加減にしろよ現視研ッ!」苛立ちのこもった竹刀が咲と斑目めがけて振り上げられる。思わず目をつぶる咲。
バシィッ!と激しい打撃音が響いたが、痛みは無い。目を開けると、剣道マスク男と自分達の間には、ポスターケースで竹刀を受け止めている高坂が立っていた。
瞬間「1stガンガルの予告編BGM」が高らかに流れはじめる斑目の脳内。オタクらしい連想は悲しい性だ。
「遅くなったね、咲ちゃん」
コスプレカップルを追撃していた剣道マスクも加わり3対1となるが、高坂はバッグをシールド代わりに巧みに竹刀を受け、かわす。
決して攻撃は加えないが、動き回って軽くいなすうちにマスク男の息が上がって来た。
そのうち、「げ、現視研の新手は化け物か!」と肩で息をし、その場にひざまづいた。
田中は、「相手は慣れないマスクを防具の下に着用している。呼吸が苦しく、しかもこの猛暑だからスタミナの消耗は激しい。しかし徹夜作業を経てこの運動量とは……」と、この手の展開にありがちな解説役になっている。
その隣で恵子はウットリと高坂を見つめていた。
【8月9日/16:47】
乱闘騒ぎのざわめきが外から聞こえてくる中、屋内はカチャカチャカチャカチャという操作音が支配している。
男2人が黙々と画面に見入っている。余裕があったはずの沢崎だが、次第に表情が曇りはじめた。
「ば、ばかな……」沢崎はついに3連敗で朽木に惨敗した。
現視研で時折、高坂らに揉まれてきた朽木の経験値が、ただ破れ去っただけの沢崎との差になって現れたのだ。
無言でがっくりとうなだれ、ふらふらと部室から出て行く沢崎。
原口「あ、沢崎くん? おーい…」
よほどショックだったのか、原口の呼びかけにも反応せず、沢崎の姿はドアの向こうに消えた。
朽木「沢チン、僕と一緒に現視研に戻っていれば、こんな事にはならなかったのに……」
【8月9日/16:50】
沢崎は、朽木に破れ、フラフラと階段前のテラスまで来ていた。まだ中庭の乱闘は終わりそうにない。しかし、沢崎の戦いは一足先に終わった。
(負けた。またも部室を追われてしまった)
敗北感に打ちのめされ、テラスのイスに腰掛けてうなだれていた。
「沢崎君……」
目の前に誰かが立っている。沢崎は、蚊の鳴くような声で、「ほっといて下さい……」と呟く。
「アニ研に帰らないのかい?」
沢崎が見上げると、赤いマスクをかぶった「メキシコ文化研究会」の男が立っていた。
「アニ研も裏切って原口さんについた僕に、居場所はないんです……ん?」沢崎は途中で何かに気付いた。赤い男はしゃがれた声色をやめていた。
赤い男は、不自然に身ぶり手ぶりを加えて、上手く伝えられない自分の気持ちを語りはじめた。
「えーと、“あの時”は、俺に力がなかったんだ……。こんなことを人と話すなんてあまり無いから、何と言ったらいいのか分かんないけど。ともかく……君を守って引き止められなくて、ゴメン」
「ああ……、やっぱり“会長”でしたか……」
「もう、二代も前の“元会長”だけどね」
赤い男は話を続ける。
「でも、どうか春日部さんを恨むのはやめてくれ。彼女は昔とは違うんだ。俺らのことをある程度は理解して、朽木君みたいなキャラでも受け入れる心の広さがあるんだ……優しい人なんだよ……」
沢崎は、「好きなんですね」とポツリ呟いた。赤いマスクがさらに赤く染まったように見えた。
「俺なんかに言えることじゃないけど……。居場所ができなかったことをいつまでも悔やむより、新しい居場所を切り開いていってくれ……」
赤い男に、沢崎は、「あなたは……どうなんですか?」と尋ねた。“彼”だって前向きとは思えないのだ。会社からいつも部室に来ては入り浸っているではないか。
赤い男は、「あ、俺?……そうねえ。いつもと変わらないけど、“自分で切り開く”ってことは、ほんの少し分かってきた気がする」と答えた。
「そうすか……。あ、近藤さんはアニ研の部室に閉じ込められています。助けてやってください」と語り、沢崎はゆっくり立ち上がった。
そして赤い男に頭を下げて、再び顔を上げたとき、「あなたがそうなら、俺も、ちょっと頑張ってみます」と微かに笑った。