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*斑恵物語-2- 【投稿日 2006/02/24】 **[[カテゴリー-斑目せつねえ>http://www7.atwiki.jp/genshikenss/pages/48.html]] 月曜日の朝である。 月曜日の朝というものは、多かれ少なかれ憂鬱なものだが、今日は特にそうだ。 (まさにブルー・マンデー…。) 斑目は上半身を起こしたっきり、ベッドの上に静止していた。 頭が重い…。 (いきたくねー…。) 会社がイヤなのではない。酒が残っているわけでもない。 今日はアレ以後の第一関門がまっているわけで…。 (今日は部室いかんとこうかな~…。) カーテンはもう太陽をいっぱいに浴びて、その繊維の隙間から日の光が零れ落ちそうなほどだった。 原付が鬱陶しい騒音を上げて近づいて、走り去っていく。 散らかし放題の部屋の片隅を、斑目は空っぽにした頭でじっと見ていた。 (でも時間置くと行きづらくなるしな~…、あーやだ…。笹原と顔合わすの…。) まさか、かの後輩をここまで恐怖するとは…。 しんとして室内に自嘲が漏れた。 突然、けたたましく目覚しが鳴る。 (はあ~ぁ…、んじゃ、起きっかね…。) 布団を除けて、床に足をついた。 少ない地面を探して流し場に向かう。 あとはいつも通り、朝のルーチーンワーク。 時計代わりのテレビを点けて、電気を点け、 歯を磨き、顔を洗い、髪を整え、 トイレに行って、 着替える。 Yシャツに、いつものスーツ。 いつものネクタイ。 (あれ…、土曜日ってどっちのネクタイ締めてたっけ?) 斑目は2つしかないネクタイを毎日交互で締めていた。 ファッションに疎い斑目なりの自意識である。 「ま、いいや…。」 片方を手に取ると、もはや手馴れたふうにネクタイを締めた。 充電していた携帯を取って時間を見る。 いつも通りの時間だ。 「いくかな…。」 テレビを消して、戸締りを確認、電気を消す。 鍵とハンカチをポケットにしまった。 「忘れもんねぇな…。」 最後にカバンを肩にかけて、革靴を履く。 (はあ~、いきたくねーなあ…。) 斑目はため息混じりで通勤の途についた。 斑目はドアの前で立ち止まり、深呼吸した。 (こんちわ~。あ、笹原。昨日は悪かったね~。…よし、こんな感じ…。) もう一度深呼吸して、ドアノブに手をかける。 大丈夫…、俺はやれば出来る子…、俺はやれば出来る子…。 「こんちわ~。」 正面に座った笹原が、斑目を睨んだ。 「あ、笹原…。」 (さあ、言え! 言うのだ! 昨日は悪かったね~、と! 何事もなかったように!) 「あ~、昨日は…。」 そう言いかけたところで、笹原は視線をマンガ本に戻した。 (へ…、へぇぇ~、挨拶もしてくれないんだぁ~…。…そうなんだぁ~……。  そして、笹原ってマジで怒るとああいう顔するんだぁ~…、初めて見た…。) 「こんちわー。」 「ああ…、こんちわ、春日部さん…。」 咲に虚ろな挨拶を返すと、笹原と微妙な距離感を保ちつつ、斑目は席に付いた。 コンビニ袋からガサゴソと昼飯を取り出す。 食欲は一切無いというのに…。 視線を向けてはいないが、笹原の気配を斑目は細心の注意をもって伺っていた。 (なんだろ、いま、俺…。『円』が使えてる気がする…。念能力が目覚めたのか…。) 部室には、笹原、咲、斑目の三人きり。 笹原は今日発売の週刊少年誌を読み、咲はファッション誌を読み、斑目は飯を食う。 会話が、ない…。 「……アレ…、あんたら、何かあった?」 雰囲気の奇妙さに気づいた咲が、無邪気にそう言った。 斑目はすかさず『円』で笹原の反応を伺う。 「いや、別にないけど…。」 声が低い。いつもの笹原の声ではない。 「いやっ、明らかにヘンじゃん。無言じゃんか。いっつもくっだらないオタ話してんのにさぁ。」 笹原は少し考えて、応える。 「いま、マンガ読んでるから…。」 「あー…、そう?」 ここっ! と、斑目は覚悟を決めた。 ここで! ここでこの波を逃したらもう今日は喋れない。 ここしかない! (いけ、俺!) 斑目は『エクソシスト』の女の子のような動きで、顔を笹原に向けた。 「あの~、笹原…。ちょっといいかな。」 斑目は笹原に笑顔を向ける。 笹原の目は誌面を見つめたままだ。 「昨日のことだけどね…。誤解があると思うんだよ…。二人の間にね…。」 「…………。」 (引くな、オレ!) 「ちゃんと説明すればね……、分かり合えると思うんだよね…。」 「………。」 笹原は無言のまま、チラリとあさっての方向を見た。 斑目は苦笑いを浮かべる。 笹原は…、また視線を誌面に戻した。 「あははー、ササハラ君、ちょっと聞いてよ~。」 斑目はマンガ本に手をかけて邪魔をする。 もはやこれしかない…。 「ちょ、なんすか、斑目さんっ!」 「ほらね…、今のうちに話しといた方がいいんじゃないかな。俺も昼間しかこれないし。」 「話は昨日したでしょ?」 「いやいや、まだ話し足りない…。まだ行き違いがあるのよ、その態度は!」 「あ、やっぱ何かやったの…。斑目…。」 呆れたような咲の目に、斑目は少し焦った。 「やー、何もしてないんだけどね! 笹原がさ! ちょっとなんか、勘違いしててさっ!」 「勘違いしてないっす。」 「いやしてるよぉー! 笹原ー。すごいしてるぞ、いま!」 咲はファッション誌を置いてため息をついた。 (なんなんだか…。) 「で、何やっちゃったのよ…。」 「え!?」 斑目は息を飲んだ。 (こ、これは、言えないよね…。笹原も言えないはずだしね…。) 「いや、まあ、こっちのことだから…。」 「はー…、言えないの?」 咲の顔が、少しだが確実にタチの悪い顔になりつつあった。 斑目は、額の汗腺が開いたのがハッキリと分かった。 「なになに、何で言えないの? 私に言ったらマズイ?」 「まあまあ、あんまり人に言うようなことじゃないから…ね。」 咲は横目で笹原を伺う。 やや赤面して視線を逸らす笹原。 「ふ~ん…、まあ、いいわ…。どうせオタク臭い話なんでしょ?」 「ははは…、まあね…。」 斑目は咲に感づかれないように小さくため息をつく。 (ふぅー、どうやら最悪の事態は回避できたか…。) 「まあ、笹原さ、あとでちゃんと話しとこうよ…。じっくり…。」 「別にいいっす…。」 「ははは、まあ、そう言わずに…。今日電話するから。」 「………。」 (これはOKってことだよな…。) 取り合えず勝ち取った小さい戦果に、斑目は人知れず祝杯をあげた。緑茶で。 「コンニチワー…。」 荻上が気だるそうに部室にやってきた。 何だかひどく眠そうな表情だったのだが、斑目を見たとたん、ビクッっと跳ねるように目を覚ました。 斑目はその様子に苦笑いした。 「や…、こんにちわ…、荻上さん。」 「ちわー、オギー。」 「こんにちわ。」 荻上はそそくさと斑目の後ろを通ると、恥ずかしそうに笹原の隣に座った。 「おー、いーじゃーん。」 「何がですか…。」 「そういうの、すごいカップルっぽい。」 「なっ! 止めてくださいよ!」 荻上は顔を赤らめてそっぽ向いてしまった。 笹原はやっといつもの笑顔を見せた。 (ふー、よかった。この空気、いつもの現視研。よかった。こんなに嬉しいことはない…。) 感慨に耽る斑目を、無情にも咲の言葉が切り裂いた。 「あ、そうだ。オギー知ってるー? 何か斑目と笹原がケンカしてんの。」 (ああ………。) ぶわっと汗が噴出し、肌着が体に吸い付いた。 「オギーは原因知らない?」 何故か荻上の顔が真っ赤になっていた。 「知らないっす…。」 「ん~、ホントに~?」 惚れた女ながら、なんてワルイ顔していやがるんだ、と斑目は思った。 「ホントに知らな~い?」 「……知らないっす。」 荻上に対する咲の執拗な責め苦に、笹原の表情が曇り始めた。 (ヤバイ! また心に鍵をかけてしまう。  心の迷宮に閉じこもってしまう!) 堪らず斑目が口を挿んだ。 「ちょっ、春日部さん、それもういいじゃないっすか!」 「いや、気になるんだよ、私が。」 「いや、関係ないから、こっちの問題ですからネ…。」 「えーーー。」 咲は心底つまらそうに叫んだ。 (ヤバイ、春日部さんのスイッチが入った…。この状態では何が何でも聞き出しかねん…。  どうすべ…。) もやは咲の詮索に、荻上は顔を背けて耐えることしかできない…。 「まま、今日のところは収めてくださいよ。きっちり片付いてから春日部さんにもお話しますから…。」 「えー、今知りたーい。」 「まま、ここは、今日のところは…、どうぞヨシナニ…。なっ、笹原っ! なっ!」 必死に目で訴える斑目にほだされたのか、笹原も助け舟を出した。 「……まあ、今日のところは、勘弁してもらえますか…。」 (よかった…。まだ笹原の心の扉は閉じ切っていない!) 「しゃーねーなー。」 咲も渋々、刀を納めた。 (ふー、一難さってまた一難か…。ヤバかった。) 斑目は疲労した己の肉体と精神を潤した。緑茶で。 「ちわーす。」 (うわ……。) 一番来て欲しくないヤツが来てしまった…。 「あ、斑目悪かったねー昨日は。せっかく面白かったのにさー。」 恵子の言葉に、斑目は、相槌を打ったような気もするし、打ってないような気もした。 「あ、アニキー。まだ怒ってんの昨日のこと! あ~、こめんね、気にしないでね斑目。アニキってエロいからさっ!」 「誰がエロじゃ。」 「あ、何、あんたも絡んでんの?」 咲がググイと身を乗り出してくる。 「あん? なにが?」 「なんだかね、さっきから斑目と笹原の様子がヘンなのよ。ケンカしてるみたいなんだけどさ。あんた原因知ってんの?」 (や、やめてくれ…、それ以上はもう…。) 斑目は泣いていた。 「あぁ、それ? 昨日さ、アニキんちでまだら…。」 「まああああぁーーーー!!! それは、あとでいいんじゃないかなああぁーー!!」 唐突に絶叫しながら斑目は立ち上がった! 心の中に『特攻』という文字が浮かんでいた。 「いまねっ! 話すことではじゃないんじゃないですかねっ!! 今この場ではっ!!!!!」 斑目は必死に目で恵子に訴える。 (ほれっ! わかんだろっ! ほれっ! 昨日のアレっ!!) もう、メガネの奥の目がヤバイくらいに拡大していた。 「え、なに?」 (声に出すなよ!) 「ほら、今はいいんじゃない? みんな居るしさ…。」 斑目の視線が、一瞬、咲を捉えた。 恵子は理解した。 「ん…、あ~、そうだね…、いま言うことじゃないないよね…。」 (そういうことか…。そりゃそうだわね…。) 恵子は目で、OK、と返信した。 「えー、なんだよ! 知らないの私だけじゃん! 言ーえーよー!」 「まあ~、ねーさんここは。アタシの顔に免じて。」 「何か気に食わないんですけどっ!!」 「まあまあ、そう言わないでさ。ネ、ねーさん(はぁと)。」 「クッソ、みんなで除け者にしやがって。」 恨めしそうに全員の顔を睨む咲。 苦笑いの斑目。 恵子はその斑目の様子を見る。 (アブねアブね。ねーさんの前で言っちゃかわいそーだよな、流石に…。余計な恨みを買うとこだった。  まー、今更何をばらしたところで変わらないだろうけどさ…。) 恵子はバッグを机において席に着いた。 「う~ん…、話を総合するとだね…。」 顎に手を当てつつ、思案顔の咲。 斑目はビクついた。 「あ、春日部さん…、まだ諦めてない…?」 「そう簡単には引き下がらないよ、私は!」 (ねーさん、しつけー。) 「もういいんじゃん? その辺にしとこようよ。」 「恵子あんたねー、私をここまで本気にさせといて、それは通らないよ!」 うわ…、マジたちわりー、と恵子は思った。 「総合すると、昨日、ここにいる私以外の面子が、笹原んちで、面白いことをしてたときに…、笹原がエロいことをした…。」 「してません…。」 困り顔で笹原がツッコむ。 斑目はバクバクだ…。 「だよなあ…。第一それじゃ笹原が怒ってんのがわからないし…。」 ソワソワしながらやり取りを見守る斑目。 恵子は頬杖を付きながら、斑目を見ている。 「じゃ、やっぱ斑目がエロいことをした?」 「シテネーヨ!」 明らかに一段上のテンションで否定する斑目。 咲の眼光が怪しく光る。 「ほうほう、斑目さんですか…、なるほど…。」 「イヤイヤ、してないよ! なんでそうなるの? 憶測で決めつけてはイカンヨ!」 焦る斑目を、恵子はじっと見つめている。 (オタクくさ…。そんなにバラされたくないもんかねー。別にヤッたわけでもないのに…。  だいたい、ねーさんに脈も何もあったもんじゃないっしょ?  未練たらしく片思いしてんなっつーの…。) 「ホントしてないから、ほら、恵子ちゃん、俺エロいこととかしてなかったよね?」 「あん?」 再び、斑目が目で訴えかける。 「ネ!」 恵子はその目をじっと見つめて…。 ニコっと笑った。 「まあ、いい線ついてんじゃない?」 恵子はそう言って笑った。 「ほうほう、なるほどなるほど…。」 いい笑顔を浮かべる咲。 何気にショックな笹原。 斑目は裏切りに心を痛めた…。 「恵子ちゃん…、嘘はいけないよね…。特に今は……。」 もう恵子は斑目の目を見ない。 (いい気味…。) 頬杖をついたまま、そっぽを向いてしまった。 (はは…、女を殴りたいと思った月くんの気持ちが「言葉」でなく「心」で理解できたぜ…。) 「と言うことは…、どういうことだ?」 咲はまたもや思案顔で推理に頭をひねる。 「斑目がエロいことをしたってことは…。」 「いや、してねーデスカラ!」 もはやその言葉は咲に届いていない。 「斑目さ~ん、見苦しいですよ~。」 恵子は抑揚のない声で追い討ちをかけた。 (はは、バレちゃえバレちゃえ。そっちのが楽になれるよ。) 「う~~~…、わかった!」 咲が両手をパンッと鳴らした。 「斑目が、笹原にエロいことをした!」 斑目は脱力のあまり、崩れ落ちた。 笹原が苦笑してツッコむ。 「………なんでそうなるんすか?」 「えー、だって斑目が女子にエロいことなんか出来るわけないし。そしたらササヤンしかいないじゃんか。」 「フン……。」 恵子はつまらなそうに鼻を鳴らした。 「あ、ハズレ? かすってもない?」 キョロキョロと一同を見渡すが、荻上はぽーっと赤面しているし、笹原は苦笑い、恵子は不機嫌そうで、 斑目は疲れ切っていた。 「なんだよそのリアクション。だったら真相を教えてよ!」 斑目はゆらゆらと立ち上がった。 (はは、何か疲れたよ、昼休みなのに…。) 「あー、じゃ、そろそろ時間なんで、会社戻るわ…。」 「あー待て、逃げんな。」 「いや、マジで時間なんでネ…。そいじゃ失礼…。」 そう言ってコンビニ袋にゴミをまとめる。 「笹原、マジで今日電話するから…。」 「はい……。」 (ま、これだけで十分かネ…。) 斑目は現視研部室から出ていった。 「なんか疲れてましたね、斑目先輩…。」 「………ま、反省してるってことかな…。」 笹原は苦笑いを浮かべて、荻上に視線を送った。 「なに、なによ! やっぱ斑目が何かやっちゃったんでしょ?!」 「もういいから、春日部さん…。」 血に飢えた野獣のように食い下がる咲を、笹原が何とかなだめる。 もういつもの笹原に戻っていた。 「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるわ…。」 笹原と咲のやり取りの横で、恵子は部室を後にした。 学内の通りで、恵子は斑目を見つけた。 ゴミはもう捨てていて、飲みかけの緑茶のペットボトルだけを片手に持っていた。 「ちょっと斑目!」 「ん…。」 斑目が振り返る。 こうやって立って並ぶと、斑目の身長は恵子より頭ひとつ高かった。 「あ~…。」 恵子は視線を外して、言葉を探す。 「悪かったね、さっき。悪ノリしちゃって…。」 斑目はポッキリと首を折った。 「ああ…、まさかあそこで、裏切ってくるとはネ……。」 「はは、マジごめ~ん…。」 苦笑いをしていたが、声は少し沈んでいた。 「こめんねぇ…。ねーさんもいたのに…。」 「…まあ、いいよ。事無きを得たし…。」 「………。」 「それに、ハナから負け戦デスカラ…。」 斑目は乾いた声で笑った。 恵子はその表情が、やけに心に引っかかった。 「ねぇ…。」 「ん?」 恵子はソワソワと腕をさする。 「………ねーさんに告んないの…?」 よそを見ながら尋ねる。 「はは、いや、…今更言えないっしょそんな!」 また斑目は、乾いた声で笑う。 「言ったところでどうなんもんでもないし。結果が目に見えてんよ。」 斑目の言葉に、恵子は小さく応える。 「そうだけど、ね…。」 恵子の頬に笑顔はない。 「まあ、後は笹原にちゃんと話せば問題ないと思うから。今夜電話しとくわ。  恵子ちゃんからも、ちゃんと説明しといてよ。」 「うん…。」 生返事のような恵子の声。 斑目には、恵子が少し沈んでいるように見えた。 「さっきのはホント気にしなくていいから。そんじゃ、春日部さんのフォロー、宜しく頼んマス。」 「そう…、わかった…。」 斑目は振り返って、大学の正門の方へ歩いてく。 恵子はそれを少し見ていてから、部室に引き返した。 「おー、どこ行ってたんだよー。恵子ー。こいつらひでーんだよ。仲間はずれだよー。」 「………。」 「なー、お前は私の味方だよなー?」 「………。」 「ん? どしたー…?」 「…ねーさん、ウザイっっ!!」 「??」 恵子は乱暴に腰を下ろした。 ドンブリからもうもうと湯気が上がる。 出来上がったばかりのサッポロ一番塩らーめん。 笹原も恵子も塩が一番好きなのである。 テレビからはコナン終わりの流れでバラエティ番組が垂れ流されている。 特に話すわけでもなく、二人はズーズー、スビズバーと麺をすすっていた。 「あのさ~…。」 「ん~?」 麺を咥えたまま笹原が応える。 「斑目から電話きた~?」 「ん~? まだきてねぇけど。」 テレビに目を固定したまま、笹原は麺をすする。 「ふ~ん………。」 恵子は箸をドンブリに刺して、手を止めた。 「あんさ~…。」 「ん~?」 麺を咀嚼しながら、笹原が応える 「昨日のことだけどさ~…。」 「ん~…。」 「ほんとに何もないかんね~…。」 「ん~…。」 「だだ酒呑んで~、ダベってただけだかんね~…。」 「ん~…。」 「…だいたいアニキんちで、んなことするわけないし~…。」 「ん~…。」 「……斑目とそんな雰囲気になるわけないし~…。」 「ん~…。」 「………アニキはここでオギーっとヤッてるかもしんないけどさ~…。」 「ヤッてねーよ。」 「…なんだ、聞いてんじゃん。」 笹原はドンブリを持って、汁をごくごくと呑んだ。 「ま~、いいよ、昨日のことはよ。」 「あ~?」 恵子はハス目で笹原を睨んだ。 「今朝はあんな怒ってたじゃんか!」 「ま~、それはな…。いちおう兄として。」 「なんだそれ!」 「いいだろ、もういいつってんだから。」 納得いかなげに、らーめんをいじくる恵子。 笹原は満腹感からふぅーっと息を吐き、座椅子に体をあずけた。 「まー、お前より俺のが斑目さんとの付き合い長いかんな。信用があんだよ。」 「そうですか~…。」 もう相手にしないで、恵子は麺を口に運ぶ。 笹原はコップに注いだウーロン茶を飲みながら恵子を見ている。 恵子は無視して、らーめんを頬張る。 笹原はコップをテーブルに置いた。 「ま、よくよく考えれば、斑目さんつーのもアリかもしんないな…。」 ブッ。 「な、何言ってんの?」 「まー、アリかナシかで言えばアリかなって。」 「いや、ナシだって…。ビジュアル的にありえん…。」 苦笑いの笹原。 「まあ…、ビジュアルはひとまず置いとくとして…。」 「ダメ、そこマジ重要だから。」 「まー置かせろよ…。そうすっと、今までお前が付き合ってた男よりはマシじゃねーの?」 「えーー! マジありえねーーー!」 らーめんカスを飛ばさんばかりの咆哮。 笹原は苦笑いで見守る…。 「だいたい、アニキ、アタシの彼氏知らねーだろ?」 「ま、全員はね…。でも大概似たようなもんだろ…。顔が良くって、頭悪いつーか…。」 「うっ……。」 (こりゃ言い返せねーわ……。) 「だろ?」 「まー…、そうじゃない人もいたよ!」 ジト汗をかきつつ、そっぽを向く恵子。 「それとか、なんか、アザ作ってるときとかあっただろ。男に殴られて。」 「それは一人だけ!」 「何してんだかわからんヤツとかさ…。」 「まあ…、それはケッコーいたかな…。」 「ほら、斑目さんのがマシじゃん。」 う~、と唸る恵子。 笹原はリモコンを取ってチャンネルをザッピングする。 「まあ、そういうのに比べれば、まだ斑目さんのが安心ってこと。」 う~、う~、と恵子は悔しそうに唸る。 そして少しだけ、真顔で考えてみる…。 「でも…、ねーわ、斑目は! 好みじゃないし…。だいいち…、オタクじゃんか!」 「そーですか~…。っと、あ、電話きた…。」 笹原はリモコンを置いて、ジーパンのポケットから携帯を取り出した。 「はい、もしもし、あ、はい…、いま仕事終わったとこすか? あ、そうすか……。」 笹原は再びリモコンをひったくって音量を下げた。 「あー、いんスいんス、もう。ははは…、や、信頼してますから…。ああそれは…、ちょっと面白かったんで…。  ははは、悪かったっス、はは……。」 「……ったく、らーめん冷めんじゃん…。」 小さく毒づくと、恵子は温くなったらーめんをすすった。 「じゃ、それじゃ、どうもー、失礼しまーす…。」 ひとしきり話すと、笹原は携帯を閉じた。 少し神妙な表情で、携帯をテーブルに置いた。 「…斑目さん謝ってたよ。」 「そう…?」 ドンブリを流し台に置く恵子。もちろん、自分が食べた分だけだ。 それにイラついたわけでもないが、笹原は語気を強めて言った。 「お前も謝っとけよ!」 「謝ってるでしょ。」 「俺じゃなくて斑目さんにだよ。」 蛇口をひねってジャバジャバとドンブリを水に浸す。 「斑目さんの携帯とメール教えとくから、あとで埋め合わせしとくんだぞ!」 「なんでよ!」 「オメェーのせーだろーが!」 む~……。 「うっせー。」 軽くスポンジで擦っただけで、恵子はドンブリを棚にしまった。 「どけ、ゲームやる。」 恵子はハエを追い払うように兄を追っ払う。 笹原はヤレヤレといった感じでベッドの上に退避した。 「メールで送っとくからな。」 「うっせーし、マジウゼー。」 恵子はコントローラーを引っ張り出し、ゲーム機にディスクをセットする。 「へーへー…。」 諦めた笹原は、恵子の携帯にメールを送ると転がっていた雑誌を拾った。 ヴゥーー   ヴゥーー ヴゥーー   ヴゥーー 恵子の携帯が震える。 ヴゥーー   ヴゥーー ヴゥーー   ヴゥーー 恵子は目の端っこで、ブルブルと揺れる携帯を見ていた。
*斑恵物語-2- 【投稿日 2006/02/24】 **[[斑恵物語]] 月曜日の朝である。 月曜日の朝というものは、多かれ少なかれ憂鬱なものだが、今日は特にそうだ。 (まさにブルー・マンデー…。) 斑目は上半身を起こしたっきり、ベッドの上に静止していた。 頭が重い…。 (いきたくねー…。) 会社がイヤなのではない。酒が残っているわけでもない。 今日はアレ以後の第一関門がまっているわけで…。 (今日は部室いかんとこうかな~…。) カーテンはもう太陽をいっぱいに浴びて、その繊維の隙間から日の光が零れ落ちそうなほどだった。 原付が鬱陶しい騒音を上げて近づいて、走り去っていく。 散らかし放題の部屋の片隅を、斑目は空っぽにした頭でじっと見ていた。 (でも時間置くと行きづらくなるしな~…、あーやだ…。笹原と顔合わすの…。) まさか、かの後輩をここまで恐怖するとは…。 しんとして室内に自嘲が漏れた。 突然、けたたましく目覚しが鳴る。 (はあ~ぁ…、んじゃ、起きっかね…。) 布団を除けて、床に足をついた。 少ない地面を探して流し場に向かう。 あとはいつも通り、朝のルーチーンワーク。 時計代わりのテレビを点けて、電気を点け、 歯を磨き、顔を洗い、髪を整え、 トイレに行って、 着替える。 Yシャツに、いつものスーツ。 いつものネクタイ。 (あれ…、土曜日ってどっちのネクタイ締めてたっけ?) 斑目は2つしかないネクタイを毎日交互で締めていた。 ファッションに疎い斑目なりの自意識である。 「ま、いいや…。」 片方を手に取ると、もはや手馴れたふうにネクタイを締めた。 充電していた携帯を取って時間を見る。 いつも通りの時間だ。 「いくかな…。」 テレビを消して、戸締りを確認、電気を消す。 鍵とハンカチをポケットにしまった。 「忘れもんねぇな…。」 最後にカバンを肩にかけて、革靴を履く。 (はあ~、いきたくねーなあ…。) 斑目はため息混じりで通勤の途についた。 斑目はドアの前で立ち止まり、深呼吸した。 (こんちわ~。あ、笹原。昨日は悪かったね~。…よし、こんな感じ…。) もう一度深呼吸して、ドアノブに手をかける。 大丈夫…、俺はやれば出来る子…、俺はやれば出来る子…。 「こんちわ~。」 正面に座った笹原が、斑目を睨んだ。 「あ、笹原…。」 (さあ、言え! 言うのだ! 昨日は悪かったね~、と! 何事もなかったように!) 「あ~、昨日は…。」 そう言いかけたところで、笹原は視線をマンガ本に戻した。 (へ…、へぇぇ~、挨拶もしてくれないんだぁ~…。…そうなんだぁ~……。  そして、笹原ってマジで怒るとああいう顔するんだぁ~…、初めて見た…。) 「こんちわー。」 「ああ…、こんちわ、春日部さん…。」 咲に虚ろな挨拶を返すと、笹原と微妙な距離感を保ちつつ、斑目は席に付いた。 コンビニ袋からガサゴソと昼飯を取り出す。 食欲は一切無いというのに…。 視線を向けてはいないが、笹原の気配を斑目は細心の注意をもって伺っていた。 (なんだろ、いま、俺…。『円』が使えてる気がする…。念能力が目覚めたのか…。) 部室には、笹原、咲、斑目の三人きり。 笹原は今日発売の週刊少年誌を読み、咲はファッション誌を読み、斑目は飯を食う。 会話が、ない…。 「……アレ…、あんたら、何かあった?」 雰囲気の奇妙さに気づいた咲が、無邪気にそう言った。 斑目はすかさず『円』で笹原の反応を伺う。 「いや、別にないけど…。」 声が低い。いつもの笹原の声ではない。 「いやっ、明らかにヘンじゃん。無言じゃんか。いっつもくっだらないオタ話してんのにさぁ。」 笹原は少し考えて、応える。 「いま、マンガ読んでるから…。」 「あー…、そう?」 ここっ! と、斑目は覚悟を決めた。 ここで! ここでこの波を逃したらもう今日は喋れない。 ここしかない! (いけ、俺!) 斑目は『エクソシスト』の女の子のような動きで、顔を笹原に向けた。 「あの~、笹原…。ちょっといいかな。」 斑目は笹原に笑顔を向ける。 笹原の目は誌面を見つめたままだ。 「昨日のことだけどね…。誤解があると思うんだよ…。二人の間にね…。」 「…………。」 (引くな、オレ!) 「ちゃんと説明すればね……、分かり合えると思うんだよね…。」 「………。」 笹原は無言のまま、チラリとあさっての方向を見た。 斑目は苦笑いを浮かべる。 笹原は…、また視線を誌面に戻した。 「あははー、ササハラ君、ちょっと聞いてよ~。」 斑目はマンガ本に手をかけて邪魔をする。 もはやこれしかない…。 「ちょ、なんすか、斑目さんっ!」 「ほらね…、今のうちに話しといた方がいいんじゃないかな。俺も昼間しかこれないし。」 「話は昨日したでしょ?」 「いやいや、まだ話し足りない…。まだ行き違いがあるのよ、その態度は!」 「あ、やっぱ何かやったの…。斑目…。」 呆れたような咲の目に、斑目は少し焦った。 「やー、何もしてないんだけどね! 笹原がさ! ちょっとなんか、勘違いしててさっ!」 「勘違いしてないっす。」 「いやしてるよぉー! 笹原ー。すごいしてるぞ、いま!」 咲はファッション誌を置いてため息をついた。 (なんなんだか…。) 「で、何やっちゃったのよ…。」 「え!?」 斑目は息を飲んだ。 (こ、これは、言えないよね…。笹原も言えないはずだしね…。) 「いや、まあ、こっちのことだから…。」 「はー…、言えないの?」 咲の顔が、少しだが確実にタチの悪い顔になりつつあった。 斑目は、額の汗腺が開いたのがハッキリと分かった。 「なになに、何で言えないの? 私に言ったらマズイ?」 「まあまあ、あんまり人に言うようなことじゃないから…ね。」 咲は横目で笹原を伺う。 やや赤面して視線を逸らす笹原。 「ふ~ん…、まあ、いいわ…。どうせオタク臭い話なんでしょ?」 「ははは…、まあね…。」 斑目は咲に感づかれないように小さくため息をつく。 (ふぅー、どうやら最悪の事態は回避できたか…。) 「まあ、笹原さ、あとでちゃんと話しとこうよ…。じっくり…。」 「別にいいっす…。」 「ははは、まあ、そう言わずに…。今日電話するから。」 「………。」 (これはOKってことだよな…。) 取り合えず勝ち取った小さい戦果に、斑目は人知れず祝杯をあげた。緑茶で。 「コンニチワー…。」 荻上が気だるそうに部室にやってきた。 何だかひどく眠そうな表情だったのだが、斑目を見たとたん、ビクッっと跳ねるように目を覚ました。 斑目はその様子に苦笑いした。 「や…、こんにちわ…、荻上さん。」 「ちわー、オギー。」 「こんにちわ。」 荻上はそそくさと斑目の後ろを通ると、恥ずかしそうに笹原の隣に座った。 「おー、いーじゃーん。」 「何がですか…。」 「そういうの、すごいカップルっぽい。」 「なっ! 止めてくださいよ!」 荻上は顔を赤らめてそっぽ向いてしまった。 笹原はやっといつもの笑顔を見せた。 (ふー、よかった。この空気、いつもの現視研。よかった。こんなに嬉しいことはない…。) 感慨に耽る斑目を、無情にも咲の言葉が切り裂いた。 「あ、そうだ。オギー知ってるー? 何か斑目と笹原がケンカしてんの。」 (ああ………。) ぶわっと汗が噴出し、肌着が体に吸い付いた。 「オギーは原因知らない?」 何故か荻上の顔が真っ赤になっていた。 「知らないっす…。」 「ん~、ホントに~?」 惚れた女ながら、なんてワルイ顔していやがるんだ、と斑目は思った。 「ホントに知らな~い?」 「……知らないっす。」 荻上に対する咲の執拗な責め苦に、笹原の表情が曇り始めた。 (ヤバイ! また心に鍵をかけてしまう。  心の迷宮に閉じこもってしまう!) 堪らず斑目が口を挿んだ。 「ちょっ、春日部さん、それもういいじゃないっすか!」 「いや、気になるんだよ、私が。」 「いや、関係ないから、こっちの問題ですからネ…。」 「えーーー。」 咲は心底つまらそうに叫んだ。 (ヤバイ、春日部さんのスイッチが入った…。この状態では何が何でも聞き出しかねん…。  どうすべ…。) もやは咲の詮索に、荻上は顔を背けて耐えることしかできない…。 「まま、今日のところは収めてくださいよ。きっちり片付いてから春日部さんにもお話しますから…。」 「えー、今知りたーい。」 「まま、ここは、今日のところは…、どうぞヨシナニ…。なっ、笹原っ! なっ!」 必死に目で訴える斑目にほだされたのか、笹原も助け舟を出した。 「……まあ、今日のところは、勘弁してもらえますか…。」 (よかった…。まだ笹原の心の扉は閉じ切っていない!) 「しゃーねーなー。」 咲も渋々、刀を納めた。 (ふー、一難さってまた一難か…。ヤバかった。) 斑目は疲労した己の肉体と精神を潤した。緑茶で。 「ちわーす。」 (うわ……。) 一番来て欲しくないヤツが来てしまった…。 「あ、斑目悪かったねー昨日は。せっかく面白かったのにさー。」 恵子の言葉に、斑目は、相槌を打ったような気もするし、打ってないような気もした。 「あ、アニキー。まだ怒ってんの昨日のこと! あ~、こめんね、気にしないでね斑目。アニキってエロいからさっ!」 「誰がエロじゃ。」 「あ、何、あんたも絡んでんの?」 咲がググイと身を乗り出してくる。 「あん? なにが?」 「なんだかね、さっきから斑目と笹原の様子がヘンなのよ。ケンカしてるみたいなんだけどさ。あんた原因知ってんの?」 (や、やめてくれ…、それ以上はもう…。) 斑目は泣いていた。 「あぁ、それ? 昨日さ、アニキんちでまだら…。」 「まああああぁーーーー!!! それは、あとでいいんじゃないかなああぁーー!!」 唐突に絶叫しながら斑目は立ち上がった! 心の中に『特攻』という文字が浮かんでいた。 「いまねっ! 話すことではじゃないんじゃないですかねっ!! 今この場ではっ!!!!!」 斑目は必死に目で恵子に訴える。 (ほれっ! わかんだろっ! ほれっ! 昨日のアレっ!!) もう、メガネの奥の目がヤバイくらいに拡大していた。 「え、なに?」 (声に出すなよ!) 「ほら、今はいいんじゃない? みんな居るしさ…。」 斑目の視線が、一瞬、咲を捉えた。 恵子は理解した。 「ん…、あ~、そうだね…、いま言うことじゃないないよね…。」 (そういうことか…。そりゃそうだわね…。) 恵子は目で、OK、と返信した。 「えー、なんだよ! 知らないの私だけじゃん! 言ーえーよー!」 「まあ~、ねーさんここは。アタシの顔に免じて。」 「何か気に食わないんですけどっ!!」 「まあまあ、そう言わないでさ。ネ、ねーさん(はぁと)。」 「クッソ、みんなで除け者にしやがって。」 恨めしそうに全員の顔を睨む咲。 苦笑いの斑目。 恵子はその斑目の様子を見る。 (アブねアブね。ねーさんの前で言っちゃかわいそーだよな、流石に…。余計な恨みを買うとこだった。  まー、今更何をばらしたところで変わらないだろうけどさ…。) 恵子はバッグを机において席に着いた。 「う~ん…、話を総合するとだね…。」 顎に手を当てつつ、思案顔の咲。 斑目はビクついた。 「あ、春日部さん…、まだ諦めてない…?」 「そう簡単には引き下がらないよ、私は!」 (ねーさん、しつけー。) 「もういいんじゃん? その辺にしとこようよ。」 「恵子あんたねー、私をここまで本気にさせといて、それは通らないよ!」 うわ…、マジたちわりー、と恵子は思った。 「総合すると、昨日、ここにいる私以外の面子が、笹原んちで、面白いことをしてたときに…、笹原がエロいことをした…。」 「してません…。」 困り顔で笹原がツッコむ。 斑目はバクバクだ…。 「だよなあ…。第一それじゃ笹原が怒ってんのがわからないし…。」 ソワソワしながらやり取りを見守る斑目。 恵子は頬杖を付きながら、斑目を見ている。 「じゃ、やっぱ斑目がエロいことをした?」 「シテネーヨ!」 明らかに一段上のテンションで否定する斑目。 咲の眼光が怪しく光る。 「ほうほう、斑目さんですか…、なるほど…。」 「イヤイヤ、してないよ! なんでそうなるの? 憶測で決めつけてはイカンヨ!」 焦る斑目を、恵子はじっと見つめている。 (オタクくさ…。そんなにバラされたくないもんかねー。別にヤッたわけでもないのに…。  だいたい、ねーさんに脈も何もあったもんじゃないっしょ?  未練たらしく片思いしてんなっつーの…。) 「ホントしてないから、ほら、恵子ちゃん、俺エロいこととかしてなかったよね?」 「あん?」 再び、斑目が目で訴えかける。 「ネ!」 恵子はその目をじっと見つめて…。 ニコっと笑った。 「まあ、いい線ついてんじゃない?」 恵子はそう言って笑った。 「ほうほう、なるほどなるほど…。」 いい笑顔を浮かべる咲。 何気にショックな笹原。 斑目は裏切りに心を痛めた…。 「恵子ちゃん…、嘘はいけないよね…。特に今は……。」 もう恵子は斑目の目を見ない。 (いい気味…。) 頬杖をついたまま、そっぽを向いてしまった。 (はは…、女を殴りたいと思った月くんの気持ちが「言葉」でなく「心」で理解できたぜ…。) 「と言うことは…、どういうことだ?」 咲はまたもや思案顔で推理に頭をひねる。 「斑目がエロいことをしたってことは…。」 「いや、してねーデスカラ!」 もはやその言葉は咲に届いていない。 「斑目さ~ん、見苦しいですよ~。」 恵子は抑揚のない声で追い討ちをかけた。 (はは、バレちゃえバレちゃえ。そっちのが楽になれるよ。) 「う~~~…、わかった!」 咲が両手をパンッと鳴らした。 「斑目が、笹原にエロいことをした!」 斑目は脱力のあまり、崩れ落ちた。 笹原が苦笑してツッコむ。 「………なんでそうなるんすか?」 「えー、だって斑目が女子にエロいことなんか出来るわけないし。そしたらササヤンしかいないじゃんか。」 「フン……。」 恵子はつまらなそうに鼻を鳴らした。 「あ、ハズレ? かすってもない?」 キョロキョロと一同を見渡すが、荻上はぽーっと赤面しているし、笹原は苦笑い、恵子は不機嫌そうで、 斑目は疲れ切っていた。 「なんだよそのリアクション。だったら真相を教えてよ!」 斑目はゆらゆらと立ち上がった。 (はは、何か疲れたよ、昼休みなのに…。) 「あー、じゃ、そろそろ時間なんで、会社戻るわ…。」 「あー待て、逃げんな。」 「いや、マジで時間なんでネ…。そいじゃ失礼…。」 そう言ってコンビニ袋にゴミをまとめる。 「笹原、マジで今日電話するから…。」 「はい……。」 (ま、これだけで十分かネ…。) 斑目は現視研部室から出ていった。 「なんか疲れてましたね、斑目先輩…。」 「………ま、反省してるってことかな…。」 笹原は苦笑いを浮かべて、荻上に視線を送った。 「なに、なによ! やっぱ斑目が何かやっちゃったんでしょ?!」 「もういいから、春日部さん…。」 血に飢えた野獣のように食い下がる咲を、笹原が何とかなだめる。 もういつもの笹原に戻っていた。 「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるわ…。」 笹原と咲のやり取りの横で、恵子は部室を後にした。 学内の通りで、恵子は斑目を見つけた。 ゴミはもう捨てていて、飲みかけの緑茶のペットボトルだけを片手に持っていた。 「ちょっと斑目!」 「ん…。」 斑目が振り返る。 こうやって立って並ぶと、斑目の身長は恵子より頭ひとつ高かった。 「あ~…。」 恵子は視線を外して、言葉を探す。 「悪かったね、さっき。悪ノリしちゃって…。」 斑目はポッキリと首を折った。 「ああ…、まさかあそこで、裏切ってくるとはネ……。」 「はは、マジごめ~ん…。」 苦笑いをしていたが、声は少し沈んでいた。 「こめんねぇ…。ねーさんもいたのに…。」 「…まあ、いいよ。事無きを得たし…。」 「………。」 「それに、ハナから負け戦デスカラ…。」 斑目は乾いた声で笑った。 恵子はその表情が、やけに心に引っかかった。 「ねぇ…。」 「ん?」 恵子はソワソワと腕をさする。 「………ねーさんに告んないの…?」 よそを見ながら尋ねる。 「はは、いや、…今更言えないっしょそんな!」 また斑目は、乾いた声で笑う。 「言ったところでどうなんもんでもないし。結果が目に見えてんよ。」 斑目の言葉に、恵子は小さく応える。 「そうだけど、ね…。」 恵子の頬に笑顔はない。 「まあ、後は笹原にちゃんと話せば問題ないと思うから。今夜電話しとくわ。  恵子ちゃんからも、ちゃんと説明しといてよ。」 「うん…。」 生返事のような恵子の声。 斑目には、恵子が少し沈んでいるように見えた。 「さっきのはホント気にしなくていいから。そんじゃ、春日部さんのフォロー、宜しく頼んマス。」 「そう…、わかった…。」 斑目は振り返って、大学の正門の方へ歩いてく。 恵子はそれを少し見ていてから、部室に引き返した。 「おー、どこ行ってたんだよー。恵子ー。こいつらひでーんだよ。仲間はずれだよー。」 「………。」 「なー、お前は私の味方だよなー?」 「………。」 「ん? どしたー…?」 「…ねーさん、ウザイっっ!!」 「??」 恵子は乱暴に腰を下ろした。 ドンブリからもうもうと湯気が上がる。 出来上がったばかりのサッポロ一番塩らーめん。 笹原も恵子も塩が一番好きなのである。 テレビからはコナン終わりの流れでバラエティ番組が垂れ流されている。 特に話すわけでもなく、二人はズーズー、スビズバーと麺をすすっていた。 「あのさ~…。」 「ん~?」 麺を咥えたまま笹原が応える。 「斑目から電話きた~?」 「ん~? まだきてねぇけど。」 テレビに目を固定したまま、笹原は麺をすする。 「ふ~ん………。」 恵子は箸をドンブリに刺して、手を止めた。 「あんさ~…。」 「ん~?」 麺を咀嚼しながら、笹原が応える 「昨日のことだけどさ~…。」 「ん~…。」 「ほんとに何もないかんね~…。」 「ん~…。」 「だだ酒呑んで~、ダベってただけだかんね~…。」 「ん~…。」 「…だいたいアニキんちで、んなことするわけないし~…。」 「ん~…。」 「……斑目とそんな雰囲気になるわけないし~…。」 「ん~…。」 「………アニキはここでオギーっとヤッてるかもしんないけどさ~…。」 「ヤッてねーよ。」 「…なんだ、聞いてんじゃん。」 笹原はドンブリを持って、汁をごくごくと呑んだ。 「ま~、いいよ、昨日のことはよ。」 「あ~?」 恵子はハス目で笹原を睨んだ。 「今朝はあんな怒ってたじゃんか!」 「ま~、それはな…。いちおう兄として。」 「なんだそれ!」 「いいだろ、もういいつってんだから。」 納得いかなげに、らーめんをいじくる恵子。 笹原は満腹感からふぅーっと息を吐き、座椅子に体をあずけた。 「まー、お前より俺のが斑目さんとの付き合い長いかんな。信用があんだよ。」 「そうですか~…。」 もう相手にしないで、恵子は麺を口に運ぶ。 笹原はコップに注いだウーロン茶を飲みながら恵子を見ている。 恵子は無視して、らーめんを頬張る。 笹原はコップをテーブルに置いた。 「ま、よくよく考えれば、斑目さんつーのもアリかもしんないな…。」 ブッ。 「な、何言ってんの?」 「まー、アリかナシかで言えばアリかなって。」 「いや、ナシだって…。ビジュアル的にありえん…。」 苦笑いの笹原。 「まあ…、ビジュアルはひとまず置いとくとして…。」 「ダメ、そこマジ重要だから。」 「まー置かせろよ…。そうすっと、今までお前が付き合ってた男よりはマシじゃねーの?」 「えーー! マジありえねーーー!」 らーめんカスを飛ばさんばかりの咆哮。 笹原は苦笑いで見守る…。 「だいたい、アニキ、アタシの彼氏知らねーだろ?」 「ま、全員はね…。でも大概似たようなもんだろ…。顔が良くって、頭悪いつーか…。」 「うっ……。」 (こりゃ言い返せねーわ……。) 「だろ?」 「まー…、そうじゃない人もいたよ!」 ジト汗をかきつつ、そっぽを向く恵子。 「それとか、なんか、アザ作ってるときとかあっただろ。男に殴られて。」 「それは一人だけ!」 「何してんだかわからんヤツとかさ…。」 「まあ…、それはケッコーいたかな…。」 「ほら、斑目さんのがマシじゃん。」 う~、と唸る恵子。 笹原はリモコンを取ってチャンネルをザッピングする。 「まあ、そういうのに比べれば、まだ斑目さんのが安心ってこと。」 う~、う~、と恵子は悔しそうに唸る。 そして少しだけ、真顔で考えてみる…。 「でも…、ねーわ、斑目は! 好みじゃないし…。だいいち…、オタクじゃんか!」 「そーですか~…。っと、あ、電話きた…。」 笹原はリモコンを置いて、ジーパンのポケットから携帯を取り出した。 「はい、もしもし、あ、はい…、いま仕事終わったとこすか? あ、そうすか……。」 笹原は再びリモコンをひったくって音量を下げた。 「あー、いんスいんス、もう。ははは…、や、信頼してますから…。ああそれは…、ちょっと面白かったんで…。  ははは、悪かったっス、はは……。」 「……ったく、らーめん冷めんじゃん…。」 小さく毒づくと、恵子は温くなったらーめんをすすった。 「じゃ、それじゃ、どうもー、失礼しまーす…。」 ひとしきり話すと、笹原は携帯を閉じた。 少し神妙な表情で、携帯をテーブルに置いた。 「…斑目さん謝ってたよ。」 「そう…?」 ドンブリを流し台に置く恵子。もちろん、自分が食べた分だけだ。 それにイラついたわけでもないが、笹原は語気を強めて言った。 「お前も謝っとけよ!」 「謝ってるでしょ。」 「俺じゃなくて斑目さんにだよ。」 蛇口をひねってジャバジャバとドンブリを水に浸す。 「斑目さんの携帯とメール教えとくから、あとで埋め合わせしとくんだぞ!」 「なんでよ!」 「オメェーのせーだろーが!」 む~……。 「うっせー。」 軽くスポンジで擦っただけで、恵子はドンブリを棚にしまった。 「どけ、ゲームやる。」 恵子はハエを追い払うように兄を追っ払う。 笹原はヤレヤレといった感じでベッドの上に退避した。 「メールで送っとくからな。」 「うっせーし、マジウゼー。」 恵子はコントローラーを引っ張り出し、ゲーム機にディスクをセットする。 「へーへー…。」 諦めた笹原は、恵子の携帯にメールを送ると転がっていた雑誌を拾った。 ヴゥーー   ヴゥーー ヴゥーー   ヴゥーー 恵子の携帯が震える。 ヴゥーー   ヴゥーー ヴゥーー   ヴゥーー 恵子は目の端っこで、ブルブルと揺れる携帯を見ていた。

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