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とある部屋の風景

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匿名ユーザー

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 とある海辺の一件しかない小さな古いホテルに、人が消える部屋があるという噂があった。元々心寂しい海辺の町で、数名の旅人が、時たま足を休めては、また去って行った。静かな町だった。人々は穏やかで小さな生活を送っていた。ホテルのオーナーは美しく、透き通るような白い肌と金色の雫を振り撒くような笑顔をしていた。旅人はこの町の不気味さを超えた神秘さに心惹かれ、長く滞在したい、また訪れたいと思うのだが、再び辿り着いた者は今までいなかった。
 ある探偵が、数十年も前にその海辺の町に出掛けたきり帰って来ないという少年を探しに、このホテルにやって来た。――人を探しているんです。こちらには人の消える部屋があるそうで。オーナーは微笑んだ。彼女が快く見せた宿泊名簿の中に、少年の名は無かった。予想通りの結果に取分け落胆することも無く、その部屋です、と言われ、彼は三階の角部屋にトランクを持って入って行った。バルコニーからは青い、青い海が開け、静かな波音が部屋を満たしていた。彼は仕事に倦んでいた。数十年も前の人間を探せっこないじゃないか。彼は現在の生活にも倦んでいた。このままこの部屋に消えてしまえたら――その途端、彼に激しい記憶の波が押し寄せた。
 三十年前の夏、一人の少年がこのホテルのベルを鳴らした。パンパンのリュックを背負い、薄汚れたTシャツと半ズボンの彼を、オーナーは快く迎えた。疲れきって押し黙ったままの少年に彼女はスープを振る舞い、少年は以来、三階の角部屋に寝泊りするようになった。少年は一日中窓から海の色の移ろうのを眺めた。やがて彼はシーツを干したり、買出しに行ったり、オーナーを手伝うようになった。
 ――何をしに来たの?――トウボウ。――何から?お母さん?学校?――違うよ。ずうっと先の、自分からだよ。
 家出少年の探索願いがこの町にも出され、何人もの捜査員や警察官が町中や沖を探し回った。少年は部屋に引き篭って隠れたが、とうとうある日、数人の警察官がホテルを訪れた。彼らは片っ端から部屋を調べ、鍵の開かない三階の角部屋を怪しんだ。縋り付いて引き止めるオーナーを振り払い、彼らはドリルやらハンマーやらを使って扉をぶち破って、少年の名を叫びながら部屋に入ると、そこには誰も居らず、丁度太陽が陰って青い部屋が一層青く染まり、波の音だけが響いていた。
 ――人が、人が消えたぞぉ、、、!
 翌日、探偵は海岸を歩いた。砂浜に続く自分の足跡を振り返ると、遠くに彼の幼い頃の幻影を見た。ああ、そうか、俺は俺に探されていたのか。彼は明るい気分になった。
 荷物を纏めホテルを去る彼に、オーナーが言った。――この町に再び辿り着いたのは、貴方が初めてですよ。――ええ、私は彼を、忘れません。
 彼が去った後も、町は無関心に、そしてあの部屋は夕暮れでまた一層青く、青く染まって行った。

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