妖精
鏡を覗いたとき、驚いてはいけないよ。そこに映るのはおまえの知っているおまえではない。おまえは俺の守護する川辺にひどく腐敗して流れついたのだから ね。その醜さに死にたくなるかもしれないけれど、そんなことできないよ。もうおまえは死んでいるのだから。おまえは感じていないだろけど、おまえは今では 腐敗していてひどく臭い。俺の鼻をひどく刺激する。
ここにはたくさんの死人が流れつく。みんな不自然な死に方をしたやつばかりだ。どれもだからどこかしら損傷している。
鏡をまた一つこしらえた。洪水が起きそうなほど、昨晩から雨がはげしく降りつづけている。雨音にも驚くような縁飾りして、妖精が棲むに相応しい、とても ナイーブな鏡だ。ただしいちど捕まえた妖精が逃げ出してしまわないよう、鏡面にはしっかり檻をつけている。自分のこの仕事に満足してから、俺は川岸へと出 かけた。
鏡をまた一つ拵えた。雨音にも驚くような縁飾りして、妖精が棲むに相応しい、とてもナイーブな鏡だ。ただしいちど捕まえた妖精が逃げ出してしまわないよう、鏡面にはしっかり檻をつけている。自分のこの仕事に満足してから、俺は川岸へと出かけた。
魂の風車をくるくるとまわし、鼻をひくつかせ、俺はすぐに見つけだす。もはや顔の判別できないほど腐敗した、若い女の死体。異臭が鼻を刺す。そのまわりを一匹の蝶がいつまでも舞っている。
かつてこの女はとても美しかった。一ヵ月ほど前までは、まだこの女が生きていた時分には。しかしもうその面影もない。今がいちばん醜悪な時。やがて腐敗が完了し、一時、その白骨に美しさが現われはする。しかし生きていた時のこの女の美しさにはとうてい適わないだろう。
類い稀な美しさと我が侭でこの女は彗星のような人生を送った。貧しい階級の出身であったが、あれよあれよと言う間に、ハイクラスな贅沢な生活へと駆け 上って行った。金持ちの男からもっと金持ちの男へと、蝶のように飛び回っていた。挙げ句の果て、前の男の嫉妬の銃弾を脳天にくらったのだ。
いま女の死体はその魂とともにこの川岸に淋しく漂着した。魂は蝶となり茫然とその骸のまわりを舞っている。自分がかつてその骸に棲んでいた者などとは気づきもしない。俺は果なさに哀れをもよおし、涙する。
蝶は記憶の鱗粉を撒き散らす。そこに女の短い生涯の物語を俺は読む。回れまわれ、魂の風車よ。その物語をお前に俺は紡いでゆくのだから。
蝶はやがて全ての記憶を撒き散らし、俺はその全てを風車に紡ぎ取る。そのとき蝶は力尽き哀れに骸へと落下する。そのとき空かさず蝶を拵えた鏡に俺は受けとめる。否。鏡の中へと導き入れるのだ。
蝶は鏡の中で可憐な妖精へと生まれ変わる。彼女はふたたび人間の形を取り戻す。しかし、その背には虹色の羽がり、もはや人間ではない。過去のことなど何も覚えてはいないのだ。このニンフは、鏡の中でこれからずっと歌い踊りつづけるのだ。