法律的な基礎知識


説明及び注意事項(最終更新日:2009/06/04)

①このページに関しては、全てまとめ管理人が書いています。管理人は法律の専門家ではありませんので、やや捉え方に問題のある記述などをしてしまう場合もあります。
②質問・情報提供や間違いの指摘等ありましたら、こちらのコメント欄までお願いします。
③このページの最新更新日は2009/04/26で、以下の項目を追加しました。
閣法と議員立法では、人権制約立法(表現の自由の制約等)を行う場合に違いがあるのでしょうか?

一般人が法律を読む上の基本的事項

法律を読む上での基本的な心構え

人権擁護法案・国籍法改正案の時に有名になった「法律を読む上での基本的な心構え」は、以下になります。
人権擁護法案:まとめエントリー - 世界の中心で左右をヲチするノケモノ
http://d.hatena.ne.jp/plummet/20050501/p4
「法案を読む上で頭に入れておくこと」
  • 法はその法だけで運用されるわけでなく、他の法との重ね合わせの中でしか運用が出来ない
  • 法文とは独自の読み方があり、通常の文として読むと読み違える
例 この法律案にはこんな事かいてないぞ!! だからザル法、反対!!
→別の法律にそれに関する規定が書いてあるので書かないだけです、など。
  • 国籍法には認知した場合の扶養義務が定められていない。だからザル法、改正反対!!
→扶養義務は民法に定められています(当該項目)。
  • 国籍法改正の際の偽装認知の罰則が設けられたが、罰金20万円だけというのは軽すぎる。だから偽装認知推奨法、改正反対!!
→罰則は他の法律との併合罪であり、「七年六ヶ月以下の懲役または百二十万円以下の罰金」というのが実際の罰則のラインです(当該項目)。

関連項目

法案の問題点を指摘する際の心構え

いよいよ法務委員会の審議が始まるが、これだけは言っておきたい|衆議院議員早川忠孝の一念発起・日々新たなり
http://ameblo.jp/gusya-h/entry-10161713636.html
立法府を動かすためには、まず正確な事実の認識が必要である。
立法者と認識を共有しなければ、有効な提言は出せない。
皆さんの懸念を的確に立法府に伝えるためには、できるだけレッテル張りはしないことだ。
言葉を選びながら、丁寧に事実を訴える。
提案をするときは、いくつか、考えられる限りの対案を示し、それぞれの問題点を一緒に検討して、共により良い提案に変えていく。
はじめから自分の提案が最善だ、などと押し付けるようなことは避ける。
文中にいかにも聞きづらい言葉が踊っていたら、その提案の中身がいくら良くとも、それで終わり。
そう思われた方がいい。

法案の問題点を指摘するときは、様々な問題点を、出来るだけ具体的に、数多く用意しなさい。
法案の問題点がひとつだけしかなかったら、どれだけ決定的なものであっても、法案自体を阻止することは出来ない。
立法側は、問題点が少なかったら法案を一部修正したり、付帯決議でお茶を濁そうとするし、悪くすると国会答弁で「対処する」と回答してお終いにしようとするから。
上記はロビイングしている際に民主党議員やスタッフから「繰り返し」アドバイスされたことらしい
「出来るだけ具体的に」
「数多く」
この二つは特にポイントだと思うのでどうかみなさんの知恵を集めて、よりよい対抗言説を作ってほしい

関連項目

立法に関する整理

閣法(内閣提出法案)と議員立法

立法には、閣法(内閣提出法案)と議員立法の二種類があります。
それぞれの違いは、以下のようになります。

①閣法:(実質的に)官僚が作成し、内閣が提出する法案。内閣法制局の審査を受ける。
実質的には原案作成段階のからの下審査が行われ、法律案の審査は法律案の題名から目次、さらに本則、付則はもとより、法律案に附される提案理由までを含み、「憲法および他の現行法制との関係、立法の内容の法的妥当性ということの検討はもとより、立案の意図が、法文の上に正確に表現されているかどうか、条文の配列等は適当かどうかといったこと、さらに、用事や用語の誤りはないか、というような点についてまでも、法律的・技術的にあらゆる角度から検証される」(小島和夫「法律ができるまで」)。
そのため、「憲法以下の法体系との整合性を求めて完璧主義」が貫かれているといわれています。

②議員立法:国会議員が直接作成する法案で、内閣法制局の審査は受けない。
立法業務は、衆議院もしくは参議院の法制局が、立法の趣旨・目的及び内容を正確には把握する事から始める。それらが明確でない場合は議員に確認し、それらを補完する必要があり、(建前上は)立案の内容について次のような観点から検討を行う。
(1)法律で定めるのに適しているかどうか
(2)法律で定めた場合に実行が可能かどうか
(3)憲法に適合しているかどうか
(4)個人の人格の尊重と社会全体の福祉との調和が保たれるかどうか
(5)公権力の不当な行使をもたらすことにならないかどうか
(6)既存の関連する法律制度と矛盾しないかどうか
上記の①~⑥のいずれかに適合しないと認められる場合には、衆議院もしくは参議院の法制局が立案の要求を行った議員にその旨を申し述べて再考を求め、改善が可能なもにについては議員に助言し改善を加える(という事に、建前上はなっています)。

法案が国会に出てくるまでの関門(与党審査)

法案が国会に出てくるまでの関門としては、閣法・(与党提出の)議員立法共に与党審査というものを経る必要があります。
法案には実質的に官僚が作成する閣法(内閣提出法案)と国会議員が作成する議員立法の2種類があります。
議員立法を新規に提案する場合、まずは党(自民党)の部会で取り上げてもらうための条件を整える必要があります。
議連が役に立つ条件|衆議院議員早川忠孝の一念発起・日々新たなり
http://ameblo.jp/gusya-h/entry-10174107933.html
議連の活動が役に立つのは、議連で粗ごなしをして得た成案を自民党の部会に正式に提案できる環境があるとき。
党の部会が取り上げないときは、どんなに超党派での議論を積み重ねても、先に進むことができない。
そのことをご理解いただきたい。
党の部会に取り上げて貰えるようにするためには、ある段階で法制局に入って貰う必要がある。
衆議院議員が中心の議連であれば衆議院法制局、参議院議員が中心であれば参議院法制局。
議員の数は衆議院が圧倒的に多いので、大体は衆議院法制局が議員の要請を受けて諸外国の制度を調べたり、関連法制との整合性等のチェックを行う。
党の立場としては、院の法制局がオーケーしていれば、一応党として正式に検討することに問題がない提案だとみなすようだ。
そういう人脈や根回しがないままに議連という名で提案をしても、まず法案として取り上げられることはない。
ネット等で話題になっている「問題法案」に関しては、閣法・議員立法共にこの段階の議論は終了していますので、次の段階の与党審査というものに移り、法案に反対する国民が声を届けるのはこの段階になります。
国会内審議に十分な時間を 参議院議員 世耕弘成
http://www.newseko.gr.jp/pressroom/kenkai/k_20050222.html
 自民党では議員立法や内閣が提出してくる法案について、まずは政務調査会の各部会において議論が行われる。部会を通過してきた法案をさらに高い視点でチェックするのが政策審議会の仕事である。この政策審議会を通過すると、今度は総務会にかかり、総務会で了承されると、党として正式に法案を認めたことになり、法案への賛否について党議拘束がかかり、勝手に反対したりすると処分の対象となるのである。
 政策審議会は法律に関して、精緻なチェックを行える最後の関門であり、その任務は重要である。しかしすべての法案について事前説明を受け、問題点がないかどうかを確認し、政策審議会本番に備えて準備をしなければならないから大変である。
この中でも最も重要なのが(自民党の場合)部会・部会内で設定されるプロジェクトチームや小委員会で、その役割は以下のようになっているようです。
司法と行政と立法と世論が協働する社会をネットが造ろうとしている|衆議院議員早川忠孝の一念発起・日々新たなり
http://ameblo.jp/gusya-h/entry-10164962493.html
縦割りの行政が続いてきたため、国会の委員会はそれぞれの省庁に対応するような形になっている。
特定の法律を所管する省庁ごとに国会の委員会がある、と考えた方がいい。
立法府に本当の立案能力が備わっていないと、行政府が提示した案がそのまま立法府に回ることになる。
議院内閣制の場合は、この場合の立法府は、事実上自民党である。
自民党の部会が立法府の機能を果たすことになる。
部会では、一定の時期までに党として何らかの結論を出さなければならない案件については集中的な審議をするため、プロジェクトチームや小委員会を立ち上げる。
結局、プロジェクトチームの座長や小委員会の委員長の識見や能力といったものが結論を左右する。
勿論こういった部会には自民党の国会議員であれば誰でも出席して自分の意見を述べることが許されているのだが、こういった立法のプロセスを知らない人は部会に出ない。

関連項目

参考サイト

法令の仕組み(法律→政令→省令→告示(通達))

5.政令、省令、通達とは? 明るい!?国家公務員のページ
http://www.ops.dti.ne.jp/~makinoh2/official/law2.html
 日本の法令は法律→政令→省令→告示(通達)という順番になっています。
 考え方としては法律で原則的なこと、政令で各省と関係のある原則的なこと、省令で具体的な数字的なきまり、告示(通達)で細則・手続きという感じで作られています。
※以前は担当局長や担当課長などが出す「通達」により、法の解釈が示されたり、実際の方の運用が行われていたりしました。
 しかし、近年通達の原則廃止が行われています。この結果、告示による法的根拠の明確化や「解釈集」などによる統一的な解釈の明確化がなされています。
 ですから、細かい決まりが法律に書いていない場合は、省令を見ると書いてあるケースが多いので、少し面倒ですが関係の六法を図書館などでチェックすると良いと思います。
 この理由は法律はやはり前述のように大変な作業量なので、細かいところまで決めきれないからです。
 ですから、イメージとしては法律で区画整理をし、政令でそれぞれの区画で基礎工事をし、省令で建物を建て、告示(通達)で内装工事などをする、といった感じでしょうか?
参考サイト

立法に関するQ&A

閣法と議員立法では、人権制約立法(「表現の自由」の制約等)を行う場合に違いがあるのでしょうか?

閣法と議員立法には各種の違いがありますが、その最大の違いは内閣法制局の審査を受けるか受けないかという点にあります。
人権制約立法を行う場合、「立憲国家的な人権保障」という枠組みが前提とあり、それに沿った憲法・刑法上の制約があります。
日弁連 - 人権保障を通じて自由で安全な社会の実現を求める宣言
http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/hr_res/2007_1.html
これらの施策は、国家権力の行使は謙抑的であることを求め、保護されるべき法益の侵害又はその具体的危険性が生じて初めて、一定の人権の制約が認められるという立憲主義的な人権保障の枠組みを、テロや犯罪の防止ないしは安全という名の下に突き崩すこととなりかねない。
また、国が、市民生活の細部にまで立ち入って個人の情報を取得・統合して個人の生活や思想を監視することを許すことにもなり、プライバシー権が侵害されたり、監視や規制をおそれる結果、民主主義社会を支える言論・表現の自由を萎縮させることとなる。さらに、地域社会における、多様性や寛容性が否定されて社会の分裂がもたらされるおそれもある。
共謀罪や外国人向け指紋採取の際の日弁連の見解ですが、上記が「立憲国家的な人権保障」についての基本的な理解になります。
ここから大きく外れた立法は違憲の可能性が高く、司法に違憲判決を出されて無効になる事もあります。
但し、違憲判決は戦後で8例しか出ておらず、司法による違憲立法審査は殆ど機能していないため、実質的には立法段階での合憲・違憲の憲法審査が極めて重要になっています。

人権制約立法(法規制)を行うには、議員立法と政府提出法案の閣法の2種類がありますが、それぞれ以下のような特色をもっています。
①閣法→「法律1行に30分、1時間費やすことなどザラ」と言われる内閣法制局の厳しい審査を受ける。この際、憲法および他の現行法制との関係など、法律的・技術的にあらゆる角度から検証される当該立法が合憲かどうかの厳格な審査も行われる。
②議員立法→内閣法制局の審査は受けない。建前上は、以下の項目を考慮する事になっている。
(1)法律で定めるのに適しているかどうか
(2)法律で定めた場合に実行が可能かどうか
(3)憲法に適合しているかどうか
(4)個人の人格の尊重と社会全体の福祉との調和が保たれるかどうか
(5)公権力の不当な行使をもたらすことにならないかどうか
(6)既存の関連する法律制度と矛盾しないかどうか

内閣法制局の審査は前述した通りに極めて厳しいものですが、議員立法において上記(1)~(6)までの項目がきちんと検討されている形跡は余り見られず、実際は厳密な憲法解釈を含めた内閣法制局の審査が通るかが疑問視されるような法律を、審査が緩い議員立法として提出するという利用のされ方がされる場合もあります。
そういった、人権制約立法における閣法と議員立法における違いの具体的なケースとしては、2009年の「レイプレイ事件」に絡んだ創作物規制での警察と内閣府の見解があり、そちらが参考になります。
王様を欲しがったカエル ソフ倫が凌辱ゲーム規制を決意するまでの経緯
http://toriyamazine.blog100.fc2.com/blog-entry-237.html
10)警察、及びに内閣府のソフ倫に対する見解は、「政府(この場合は官僚)は表現の自由を規制する法律を作れない。憲法に抵触するおそれがあるからだ。しかし、議員立法の場合は、表現の自由を切り離した規制法案を成立させることは可能である」というものだった。

関連項目

参考サイト

ネットで問題視されている法案に反対する際、世論の声を有効に届けるためにはどうすればいいのでしょうか?

現役の自民党所属の国会議員である早川議員が関連記事を書いていますので、そちらが参考になると思います。
いよいよ法務委員会の審議が始まるが、これだけは言っておきたい|衆議院議員早川忠孝の一念発起・日々新たなり
http://ameblo.jp/gusya-h/entry-10161713636.html
立法府を動かすためには、まず正確な事実の認識が必要である。
立法者と認識を共有しなければ、有効な提言は出せない。
皆さんの懸念を的確に立法府に伝えるためには、できるだけレッテル張りはしないことだ。
言葉を選びながら、丁寧に事実を訴える。
提案をするときは、いくつか、考えられる限りの対案を示し、それぞれの問題点を一緒に検討して、共により良い提案に変えていく。
はじめから自分の提案が最善だ、などと押し付けるようなことは避ける。
文中にいかにも聞きづらい言葉が踊っていたら、その提案の中身がいくら良くとも、それで終わり。
そう思われた方がいい。

名工は一撃で岩をも砕く|衆議院議員早川忠孝の一念発起・日々新たなり
http://ameblo.jp/gusya-h/entry-10167649958.html
世論が有効に機能するポイントは、同時に、国会議員がもっとも立法者としての役割を果たせるポイントである。
出来上がりつつある法案の内容を一挙に変えるためには、部会の議論の最終取り纏めに当たっている部会に5人くらいの議員が出席し、それぞれ原案の問題点を的確に指摘し、かつ出席委員が頷くことが出来るような、優れた代案を修正提案すること。
単なる反対意見に止まると、最終的には多数決、もしくは部会長、政調会長に一任、ということになる。
一人がどんな良い提案をしても、目利きが出来る人がいないと、ただの、全体の流れを乱す人、異端児扱いになりかねない。
事前に問題点を勉強し、複数で部会に臨むと、断然その人の意見が光ってくる。
議員連盟や色々な政策研究グループ、あるいは支持団体の提案と基調を同一にしているものであれば、もはや個人的意見ではなくなる。
専門家は議員連盟や各種の政策研究会等の検討よりも先を行っていることが多いが、その専門的見地からの意見を丁寧に述べれば、それまで問題の所在を理解していなかった他の議員の賛同が得られ、結果的に部会の意見を変えさせることが出来る。
だいたいそんな風に考えていただければいい。

自民党の部会の審議はこんな風にして行われる|衆議院議員早川忠孝の一念発起・日々新たなり
http://ameblo.jp/gusya-h/entry-10174861650.html
自民党の中で、5人の国会議員が正確に問題の所在を認識し、大事な法案の審議をする部会等で問題点の指摘をする。これが重要だ。
通常は、部会の幹部でない一般の一人の議員が主張しただけでは、部会等の流れを変えることは出来ない。
個人的な、独自の意見ということで、座長や部会長が、色々ご意見を頂戴しましたが、政審、総務会が何日に予定されており、それまでに部会としての結論を出さないと、党内手続きが進みませんので、政調会長ともご相談いたしますが、本日は、部会長、座長に一任ということにさせていただきたいと思いますが、如何でしょうか、と発言する。
ここで異議なし、という声が出たら、それでおしまい。
大勢の議員が異議なしの声を上げれば、たった一人で反対論を述べても、それでは本日の部会は、これで終了します、という座長や部会長の発言で、正式の会議は終わる。
自民党では、当選の回数にまったく関係せずに国会議員は大事な法案の立案作業に参加することが許されている。
たとえ主査や幹事に選ばれなくとも、自由に部会に出席して意見を述べることが許されている。

関連項目

人権制約立法をする場合、「抽象的危険」を理由にしたものは駄目なのでしょうか?

国会は民主主義で成立する機関ですが、同時に少数派を弾圧する立法を行う事も可能な危険な機関でもあります。
そのため、立憲国家的な人権保障の枠組みとしては、国家権力の行使は抑制的であることが求められ、保護されるべき法益の侵害又はその具体的危険性が生じて初めて、一定の人権の制約が認められるという事が基本になっています。
これを噛み砕くと、立憲国家においては、人権制約を行う立法を行う場合には、抽象的危険を理由にする事は基本的に駄目で、具体的な危険がある事が必要なルールになっているという事です。

具体的なチェック&バランスの仕組みとしては、司法(裁判所)に違憲立法審査権を与え、国会が憲法にそぐわない法律を作った場合には、これを無効にする事が出来るように憲法で定められています。
そのため、「抽象的危険」に基づく立法は絶対に駄目という訳ではありませんが、立法を行った後に違憲訴訟を起こされた場合に問題になってきます。
抽象的危険や根拠のない理由に基づく人権制約立法を行った場合には、違憲判決が出る可能性が高くなり、違憲判決が出た法律は法改正が迫られる事になります。

追記)
但し、上記は厳密な法解釈をする閣法(内閣提出法案)の場合で、議員立法の場合はこの辺りの制約はかなり緩くなります。
閣法と議員立法では、人権制約立法(「表現の自由」の制約等)を行う場合に違いがあるのでしょうか?

関連項目

参考サイト

共謀罪、児童ポルノ法などの反対論の際に出てきた「立法事実」というのは、どのような概念なのでしょうか?

立法事実論について具体的に分かりやすく教えて下さい。 - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q108867940
立法事実とは、人権制約規定を正当化する社会的事実を意味します。
憲法訴訟において、人権制約規定の合憲性が問題になった場合、立法事実の存否が検証されるわけです。
具体的には、人権制約の目的は正当か、人権制約の手段は相当か、目的と手段との間に牽引性が認めらるか、などについて、それを支える立法事実が検証されます。
立法事実の存在に関する証明責任は、規制を正当化する国側にあります。国側がそれを証明できなかった場合には、当該人権制約規定は違憲であると判断されます。
上記の説明について、学問的なものではなく、法律家の視点で見ても妥当なものかを弁護士の方に質問した所、「教科書の回答としては正解。ただし、ある事実が立法事実足りうるかの判断は判断権者(立法者、裁判官)の裁量によるものが大きい」という趣旨の回答をいただきました。

参考サイト

国際条約を結んだ場合、国内的な「立法事実」が無くても立法は可能になるのでしょうか?

条約刑法(共謀罪)の時に問題となった事が、「国内的には立法事実はないが条約批准のために立法を行う」というケースです。
共謀罪の際は、法務省は法案提出理由について「国連国際組織犯罪条約批准のためであって、国内にこのような処罰規定を必要とする状況=立法事実はない」として、法制審議会で国内的な立法事実については余り指摘されなかった事について質問された際には、「国内的にそのニーズに応えるという形はとっておりませんで、条約締結のために必要な犯罪化等を図っていきたいということを基本に考えているわけでございます」と答弁しています(平成14年10月9日付第2回議事録)。

こういった政府側の「条約を結んであれば、国内においての立法事実はなくても立法は可能」という解釈は通常行われている解釈なのか、それとも条約刑法(共謀罪)の場合にだけ適用される無理筋の解釈なのかについて弁護士の方に質問した所、「その条約の性格や趣旨によって様々なのでケースバイケース。ただ、刑罰法規の場合は、なるべく慎重にとはいえます」という回答をいただきました。

参考サイト

司法・裁判に関する整理

訴訟の類型

訴訟の類型 年間の件数 方針 備考
民事訴訟 弁論主義 処分権主義
刑事訴訟 当事者主義
行政訴訟 年間2000件程度 原則:弁論主義、職権主義を採用
人事訴訟 年間10,000件程度(内90%近くが離婚) 職権主義

参考サイト

民事法・刑事法・行政法での法解釈の考え方

民事法では、当事者間の公平と取引安全ということを考慮において、法解釈がなされます。
刑事法では、国家権力が私人の人権を制限するという法律の性質から、「その手続きをとることや刑罰を課すことを正当化できる理由があるか」という観点から、法解釈がなされます。

行政法では、当事者間の公平というよりも、労働法や独占禁止法など資本主義社会における力の格差を是正する目的で法律が制定されているので、その法律の目的にかなうかどうかという観点から、法解釈がなされます。
そのため、行政訴訟においては、個別法規だけでなく関連する法律や条約などを参照した主張も認められています。

関連項目

司法・裁判に関するQ&A

判例の先例拘束力や射程は、どの程度までと捉えるのが一般的なのでしょうか?

◆産学連携実務の現場から 第4回「知財判例に対する誤解と争点の読み方」◆
http://innovation.nikkeibp.co.jp/mailbn/20070411-00.html
判例を学ぶ上では、判決文のどこまでが「先例」としての価値を持つかについて検討します。
判決には、私権を「どのように処理するか」という主文に関係する部分と、直接の争点にはなっていないが裁判所の見解を述べた「傍論部分」があります。
付随的審査制を採用している現行法の下では、主文部分だけに「先例」としての価値があり(厳密な意味で先例拘束性といえるのは、最高裁判例などに限定)、「傍論部分」には先例としての価値はありません。傍論ではない、主文を導くのに直接関連した部分だけを「判例」と考えて学ぶことが正しい読み方です。
上記の記載は、知的財産に関わる弁護士の方が民事訴訟の判例の読み方を解説したものですが、(訴訟分野によって用語や概念の違いはありますが)判例全般の読み方としても概ね妥当なものだと思います。

その上で補足すると、上記で触れられた「先例」としての価値を持つ部分がどこまでか、そこで現れた論理を用いて類似の問題を解決できるのかという「判例の射程(その判例に現れた論理を用いて、どこまでの範囲で問題を解決できるのか、あるいはできないのか)」を考える事が、日本の法解釈学の勉強の中心になります。
法科大学院での2~3年間の勉強は半分以上判例の射程を考えることに費やされ、憲法を例にとると、地裁の判決・高裁判決・上告理由・最高裁判決と延々長い文章を読んでから皆で議論して、「結論は出ません」となるのが、多くの法科大学院の授業の風景です。
そのため、厳密にいえば、どこまでが主文に関係する部分で、どこまでが傍論部分になるのかも論者によって様々で、一定の結論は出ないようです。

日本の裁判所が「社会の変化」を法解釈に反映させたリベラル寄りな判決を出さない傾向があるのは何故でしょうか?

国籍法最高裁判決雑感 ~ Don de Fluir - いしけりあそび
http://blogs.yahoo.co.jp/isikeriasobi/53769250.html
判決についてもうちょっとコメントすると、国際化の進展に伴う日本人父と外国人母の間に生まれた子どもの増大、外国の立法例や法改正、国際条約を引用して「国内的、国際的な社会的環境の変化」にてらしてみると、現行国籍法に合理性を見いだすことがもはや難しくなっている、とした点が興味をひきました。いっぱんにプロパーの法律家は社会の変化を法解釈に反映させることに慎重で、それにはそれなりの理由はあるのですが、国籍だビザだといってみても、実際に制度の合理性をささえているのは、この判決が指摘する「社会的環境」なんであって、そのうち、「外国人さまを強制送還にするなんてとんでもない!」なんて時代がこないなんて誰もいえないと思いますよ。
上記記事で国籍法3条1項の違憲判決を勝ち取った弁護士の方が言及していますが、一般的な傾向として、日本の裁判官は「社会の変化」を法解釈に反映したリベラル寄りな判決は出さない傾向にあります。

この理由としては、法律解釈には予測可能性・前の事案と後の事案の公平という要請があり、リベラル寄りな判決を出して、その事案の被害者という個別を救済した場合でも、その事によって法的安定性という全体の利益(多くの国民の利益)が損なわれる可能性があるからです。
「諸外国の立法例」「社会の変化」に関しても、そういったものを安易に採用してリベラルな判決を出した場合はこの法的安定性が害される可能性があるため、日本の裁判所は保守的な法解釈をする傾向が強いと言われています。

民事法のように、裁判所の判例が取引におけるルールを決める役割を担っている場合は、有力説にのっとった判決を出すこともありますが、労働法の判例や憲法判例を見ていると、誰が見ても「これはひどい」と言わざるを得ない事件でなければ、「権利主張」はなかなか認められない傾向にあります。
例えば、民法900条の非嫡出子の相続分が嫡出子の相続分の2分の1と定めている規定は、何度も違憲訴訟が提起されていて、学界でも違憲であるという説がほぼ通説ですが、いまだに違憲判決は出ていません。

関連項目

判例評釈において、学者の書いた判例評釈の論理と最高裁の論理が食い違う事もあるのですが、これは何故でしょうか?

http://h.hatena.ne.jp/tari-G/9234263202497472712
②『学者の議論は、行政解釈や裁判例を補強する以外には(つまり体制側に賛成する学者の意見以外は)、ほとんど実務に影響を与えていません。私の印象では、学者の議論は、不当であろうが矛盾だらけであろうが実務がそれでやってきた、という重みについての理解が不十分な傾向があると感じます。長年政権交代がなかったことが影響しているのかも知れませんが、日本の行政・司法はそれ自体として閉じた体系を形作っています。それを外から変えようと思うのであれば、不当であろうがなんだろうが、相手なりのロジックを理解したうえで、弱点を探し、チャンスがあれば徹底的に利用しなければならない。マクリーン事件を批判する学者の論文を読んだり、そうした学者と話をする度に「そんな簡単なら苦労はないよ」と心の中でつぶやいています。』
学者の議論(学説)の場合は論理的整合性を重視しますが、最高裁を頂点とする司法の場合、論理的整合性を重視するよりも、「結論の妥当性」を理屈づける発想でやる事が多々あります(この事が、「司法が閉じた体系を形作っています」という指摘に繋がります)。

刑法は特にその傾向が強いといわれ、弁護士さんに、刑法の「結果無価値論」と「行為無価値論」の争いについて質問した所、「実務(判例)は行為無価値論(二元論)といわれていますが、実際には実務(判例)は「行為無価値論が正しい」と考えてそこから演繹して結論を導いているわけではなく、常に具体的妥当性との均衡をにらみながら理論的裏付けを探って結論を出すという過程を経ています(そのため、「判例は行為無価値である」というような言い方は誤解を招きます)。実務的な価値判断としては二元論というべきであり、実務は行為無価値であると言っても大過はありませんが、そういうものだと理解すべきだと思います」という回答をいただきました。

関連項目

日本が批准した条約(国際法)は、個人の権利主張の際の根拠として使えるのでしょうか?


憲法の基本的人権の保障規定は、私人間(一般市民同士の間)には適用されないのでしょうか?

最終更新:2009年08月04日 11:11
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