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国会での審議の中継


丸山和也議員/自民党所属(参議院法務委員会(2008/11/27))

丸山和也 - Wikipedia
○丸山和也君 自民党の丸山ですけれども、よろしくお願いします。
 お二方に二、三点、同じ質問を順次さしていただきたいと思いますけど、若干やや大まかな、大まかというか、大局的な観点からどういうお考えを持っておられるかということをひとつお聞きしたいんですけれども。
 たしか私の記憶では、福沢諭吉が明治維新のころに封建制度は親の敵であるとたしか言って、有名な言葉、有名かどうか知りませんけど、私の記憶の中にあるんですけど、やはり日本のいわゆる、まあ今封建時代じゃないはずなんですけれども、いわゆる戸籍制度、戦前は家族制度というのがありましたから、そこに、いわゆる戸籍制度と国籍制度というのはこれ非常にリンクしている問題だと思うんですけれども、いわゆる戸籍万能主義というか、それと婚姻万能主義というか、これの結び付いたところで、実際この国籍法の問題にしたりあるいは他の民法との関連の中で恐らく最高裁が言うような法の下の平等が発生してきていると思われるんですが。

参考人への質問事項

 そこでお聞きしたいんですけれども、そもそもいわゆる日本の言う戸籍というような制度が、私も若干は勉強しているんですが余り専門家じゃないので、世界的に見て非常にたぐいまれな制度なのか。韓国なんかはあると思うんですけれども、外国で戸籍というのは余り、私もアメリカにおりましたけど、そういう発想がないものですからお聞きしたいんですけれども、戸籍というのは、世界の中で日本的な戸籍というのはどのように位置付けされるのかということを一点お聞きしたいのと、それからいわゆる二重国籍の問題なんですけれども、例えば日本人が、最近よくあるんです、日本人女性が外国人男性と結婚すると、当然といいますか、例えばヨーロッパならヨーロッパの国籍を取得しますね。すると、日本の国籍法にすると国籍の選択という義務があるんですけれども、要するに二重国籍を原則として日本の国籍法は認めないんですけれども、これについて、例えば二重国籍を許容する国もいっぱいあるんですけど、この点についてどのようなお考えをお持ちなのかと。あるいは二重国籍を、例えば日本人女性が外国人と結婚した、しかし、日本にいる父親、母親が老後になって介護の必要が出てきた、すると、日本に帰るときは今度外国人として帰らなきゃならないとか、いろんな問題がたくさん出ているんですね。だから、二重国籍問題というのも避けて通れない問題だと思うんですよ。こういう点についてどういうお考えかということが第二点と。
 第三点として、今回の六月の最高裁判決というのは、この問題だけじゃなく、例えば嫡出子と非嫡出子の違いによる、やっぱり親の地位というか位置付けによって子が不当に差別をされることは法の下の平等に反するというところがやっぱり僕は主眼だと思うんですね。そうすると、民法九百条とかの問題なんかも避けて通れない近々の問題になると思うんですけれども、こういう点についてどのようにお考えか、この判決の効果といいますか、思想的な流れとしてどのようにお考えかということを簡潔にお聞きできたらと思っています。

○委員長(澤雄二君) すべての質問を両参考人でよろしいですね。

○丸山和也君 はい。

○委員長(澤雄二君) じゃ、今度は遠山参考人にお願いいたします。

○参考人(遠山信一郎君) まず、戸籍については、先生以上の知見を私持っておりませんので、ちょっとお答えができません。
 二重国籍の問題は、実は今回の改正が第一楽章であれば、第二楽章の問題かなというふうに思っています。たしか衆議院の附帯決議にも後ろの方にそのような重国籍のことが書いてありました。
 私の認識としては、例えばノーベル賞をアメリカに国籍を取った人が出たときに、実は日本人だったというときに日本の誇りと言いづらいとか、そういうふうなこともありますので、二重国籍ということは今まではどちらかというと忌み嫌われたという風潮があるかなと思っていますけれども、これからはそれも揺らいでいくのではないかというふうな感覚を持っております。
 先生がおっしゃっていたのは非嫡差別の問題なんですが、これも実は第二楽章だと思っておりまして、今回は、個別の判例のテーマとしてはこの国籍の問題でございました。でも、そのセンスの、最高裁の物の考え方の本流にやっぱり非嫡差別はいかぬというのがあると思います。ですから、これはその流れからすると、親の都合で婚外子になったということで不当な不利益を与えるのは、これはもう憲法違反であるという流れにあるのかなというのが私の大局的な感覚です。
 以上です。

世界の中で日本的な戸籍というのはどのように位置付けされるのか?

○参考人(奥田安弘君) 丸山先生の御質問に対して私の答えが少しずれていたりしますと、そのときは御指摘いただきたいと思いますが、まず戸籍が万能かどうかという、これ質問の中に入っていませんでしたが、戸籍はあくまで公証力がある、公に証明するという力があるだけでありまして、それは実際に例えば後で裁判で覆るというようなことはあるわけです。ですから、万能という言い方は少し違うかなと思っております。
 その上で、世界の中での我が国の戸籍制度ということですが、家族登録制度というふうに言い換えますと、それはどのような国、どこの国でもあるわけです。出生、婚姻、離婚、死亡、そういうものを全部一つにまとめてあるという意味では、日本の戸籍制度というのはかなり優れていると思っております。例えばアメリカなどでしたら、出生届、婚姻届、死亡届というものが全部ばらばらでありまして、それを一つにまとめるものがない、ですから丸山先生が向こうでは戸籍を見なかったと、こういうようなことだろうと思います。
 家族登録というのは、しかしどこにも、どこの国でもあるわけでして、それは登録されたことによって、じゃ子供が国籍を取るのかというと、それは逆でありますね。日本人である、国籍法によって日本人であるということが確定されて初めて戸籍ができると。戸籍あって国籍じゃなくて、国籍があるから戸籍だという、この順番を考えますと、そういうことでいいますとほかの国と何ら違いはない、共通しているものだと思います。

二重国籍の問題について

 次に二重国籍の問題ですが、私が最初の説明で少し申し上げましたように、今回届出によって日本国籍を取得した場合、外国国籍を失う危険というのが非常に多くあります。ですから、私は裁判ではそれは望ましくないんじゃないかということを主張しましたが、しかし最高裁判決が出て、届出は残しておくべきだと、こう判断されたわけですから、私がそれに従って考えますと、そういう自分の意思による国籍取得によって元の国籍を失う、これは実は自動的でございまして、例えば日本人がアメリカに帰化して、それをしかし日本の戸籍とかに届け出なければ日本国籍をあたかも失ってないかのように見えますが、実は国籍法では既にもう失ったことになっているわけです。私は、そういう意味で、むしろ仮装認知より仮装二重国籍の方が問題かなと思っています。
 今回、私が言いたかったのは、届出によって日本国籍を取得しましたということを元の国籍国に通知するということ、これが非常に重要だろうと思います。本当はもう元の国籍を失っているのに、あたかも失っていないかのようにパスポートもそのまま持っているというようなことは望ましくないだろうということでありまして、この辺が丸山先生の御質問とかみ合っているかどうかというのはちょっと私分かりませんが、私の方が言いたかったのはそういうことであります。
 二重国籍一般の問題については、今コメントを差し控えさせていただきたいと思います。

非嫡出子差別の問題

 三番目の非嫡出子差別の問題ですが、子供にとってどうしようもないことということがすべて違憲だということにはもちろんなりません。社会的身分による差別は確かに憲法十四条で禁止されていますが、しかし、そこには合理性が問題となるわけです。婚内子と婚外子が全く同じかといいますと、それは同じではありません。それは嫡出子、非嫡出子という用語、言葉を廃止した国においても、やはり差別はないけど区別は残っているわけです。母が産んだ子供はその母の夫の子であるという推定、これはそういう嫡出、非嫡出という用語を廃止した国でも残っておりまして、その辺の区別はやはり残っているわけであります。
 したがって、今回の違憲判決の射程距離、射程範囲ということですが、これはあくまで国籍についてこれは不合理であったという判断をしたわけでありまして、相続分差別の方はまた合理性は別個に判断すべきことだということであります。つまり、問題によってやはり分けて考えていかなければならないということが申し上げたかったわけであります。
 以上です。

木庭健太郎議員/公明党所属(参議院法務委員会(2008/11/27))

木庭健太郎 - Wikipedia
○木庭健太郎君 公明党の木庭健太郎でございます。今日は、奥田、遠山両参考人、貴重な御意見をありがとうございました。
 まず、今回の最高裁判決がどこまで射程にとらえているのかということを両参考人からお伺いしたいんです。

今回の最高裁判決のとらえかた

 今回の最高裁判決でございますが、別件の上告人九人も含めて十人の子供たちは、いずれも日本国内で出生し、日本国内で生活している子供たちです。また、最高裁判決の冒頭の事案の摘示におきましても、「日本国民である父とフィリピン共和国籍を有する母との間に本邦において出生した上告人が、」とされているわけでございまして、この判決の射程という、この日本国民から認知された子というのは、そのようないわゆる日本国内において出生し生活しているという子が前提ということになるのか、あるいはそのような限定なしに日本国民から認知された子と考えてよいのか、この点について両参考人から御見解をお伺いしたいと思います。

○参考人(奥田安弘君) 我が国の国籍法は血統主義でありまして、そういうことからいきますと、日本で生まれて日本で育って日本語しか話せないということは全く本来関係のない話でございます。親が両方とも外国人であれば日本国籍を取るわけがないわけでありまして、そういう意味では今回の裁判の原告の子供たち、これも日本で生まれて日本で育ったということは余り関係ないだろうと。
 それから、法律的な意味で日本における居住、これ住所と置き換えてみますと、法律的な意味の住所が第一次訴訟の子供にあったかというと、実はなかったわけですね。少なくとも国籍取得届の時点では不法滞在の状態ですから、退去強制命令を受けていたわけですから、法律的な意味の住所は日本になかったと、こういうふうに解されます。そうしますと、そういう子供についてしかし違憲判決が出たということは、つまり住所要件というのは全く問題外であろうと思います。
 それから、日本で生まれたということも、今回はやはりたまたまで、そういう子供たちについて裁判なされたというふうに理解しております。
 そういうわけで、今回の判決は、やはり法律上の親子関係が成立したんだから、だからせめて届出による国籍取得くらいは認めるべきであると、そういう趣旨が私の理解でございます。
 以上です。

○参考人(遠山信一郎君) 最高裁が国籍要件、つまり国との結び付き要件として、出生から住所ということも要件としているというメッセージを送っているというふうには私も考えてはおりません。その意味では奥田参考人と同様でございます。
 以上です。

偽装認知の問題について

○木庭健太郎君 当委員会でも一番議論になっているのがやはり偽装認知の、これをどう本当に防ぐのかという問題がずっと議論になっているわけなんですけれども、私は、奥田参考人が先ほどおっしゃったように、本法そのものも、例えば虚偽の届出に対する罰則を設けるとか、元々の法律の仕組みの中で、公正証書原本不実記載の問題も御指摘いただきましたが、ある程度仕組みの中でそういうものはあると考えているわけでございます。
 ただ、それでもなおかつ議論の中で大きく主張されるのは、先ほども御指摘ありましたが、DNA鑑定など親子関係の科学的な証明、これを提出を必ずすべきであるという議論は一向に消えないところでございます。
 先ほど遠山参考人は、そこまで求めることになればそれは人権侵害という問題も考えなければならないという御意見でございましたが、奥田参考人はこのDNA鑑定の問題についてどうお考えになられるのか、先ほどちょっとイギリスの例をおっしゃっていましたが、これを当初から仕組みとして導入するということについてどうお考えかということについて御意見を伺いたいと思っておりますし、遠山参考人からは逆に、でしたら、この偽装認知の防止対策としてこれからどんなことにある意味じゃ取り組まなければならないのか、もしそういう策について御意見があれば遠山参考人から伺っておきたいと思います。
 以上です。

○参考人(奥田安弘君) 偽装認知の問題に関しては、これが必ず防げるか防げないかというふうなことは、これは研究者の立場としては言えることではございません。どういう方法を取れば必ず確実だということは言えないわけでありますが、私は、その罰則とかDNA鑑定よりももっと重要な問題があるんじゃないかと思っております。
 今回、偽装認知を心配されていらっしゃるのは、例えば胎児認知の偽装なんかも随分多かったじゃないかという声がございます。しかし、胎児認知の場合は、これは出生による当然の国籍取得ですから、元々持っていた国籍を失わないわけです。これに対して、届出による国籍取得の方は元々持っていた国籍を失うという可能性が非常に高うございまして、やはりこの点はかなりハードルになるんじゃないかと。例えば、いわゆるオールドカマーの人たちが日本に帰化するかどうかを判断するときに、元々の国籍を失うということはかなり心理的な障害になっているというふうに聞いております。帰化の場合は元の国籍を失うということは皆さん御承知だと思うんですけれども、日本に帰化した場合、元の国籍を失うということは皆さん御承知だと思いますが、今回の届出による国籍取得で元の国籍を失うかどうか、これは余り認識されていらっしゃらないんじゃないかと思います。
 我が国の場合、こういう戸籍や国籍の問題について諸外国と協力関係を結ぶということをやっていらっしゃるのかどうか、これは私、詳しくは存じませんが、これから非常に重要になってくるだろうと思います。そういう情報交換ですね、届出によってこの度日本国籍を取得されましたということを相手国政府に通知をする、そうすることによってまた相互主義で相手国政府からも情報が得られるだろうと、そういう協力関係が非常に重要だろうと。そして、そういう協力関係を密にすることによりまして情報交換がなされれば、それは偽装ということはやりにくい環境ができ上がるわけでありまして、私はむしろそちらの方が重要だろうと思っておりまして、DNA鑑定はやはり必要ないというのが私の意見でございます。
 以上です。

○参考人(遠山信一郎君) 今回、私の陳述骨子の第五というところが思い付く範囲の国家管理の手法のメニューを示しました。私の考え方は、事前管理としてのDNA鑑定をこれは差し控えましょうというふうに考えておりますと、あと四つ残るんですね。ですから、この四つをうまく組み合わせて、なおかつ運用もしっかり実施してもらうというところでいかがなものかというふうに私自身は考えております。
 以上です。

○木庭健太郎君 終わります。

仁比聡平議員/日本共産党所属(参議院法務委員会(2008/11/27))

仁比聡平 - Wikipedia
○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。お二人の参考人、本当に今日はありがとうございます。
 私からも、まず、奥田参考人に今回の最高裁判決の意義についてまずお尋ねをしたいと思うんですが、立法府の裁量の範囲とその制約原理をどのように考えるのかということについて、今回の最高裁判決は厳格な審査を行ったというふうにも言われているわけですけれども、その辺り、奥田参考人の御意見、特にどうして最高裁判決はそのような原理を取ったのかという点についてお伺いをできますでしょうか。

立法府の裁量の範囲とその制約原理

○参考人(奥田安弘君) まず、最高裁判決の意義でございますが、確かに、国籍というのは要するに自国民の範囲を決めるということですから、それぞれの国が自国の主権作用としてその範囲を決めると。その国にとって一番基本の問題ですからその国が自主的に決めるということは当然のことでございますが、これはただ、直ちにじゃ立法の専権事項になるかということにはならないんだろうと思うんです。憲法で違憲審査が認められている以上、裁判所は憲法違反だという判断はできるわけでありますから、したがって、今回、立法権の裁量を、立法権を侵害したというようなことにはならないだろうと思います。
 その上で、じゃなぜ違憲審査に当たっていわゆる厳格審査のようなことをしたのかという点でございますが、国籍は、アメリカなんかではこれは権利を取得するための権利というような言葉を使っておりますが、国籍を請求する権利、裁判で国籍を請求する権利というものは、確かにそういうものはなかなか実定法上は言えないだろうと思います。国籍はやはり国民としての法的地位でございまして、国籍請求権というものがあるかといったら、そういうわけではないでしょう。ただしかし、その国籍を取得することによって得られる権利というものが非常に重要でございます。参政権とか公務就任権とか言われますが、私はやはり日本に住む権利、居住権、これが一番重要だろうと思います。
 現に、今回の第一次訴訟の子供は、日本人父から認知を受けているにもかかわらず退去強制命令を受けていたわけですね。それは日本国籍はないんだから当然じゃないかと思われるかもしれませんけれども、そういう法律上の親子関係が成立しているにもかかわらず日本に住む権利がない。これは国籍そのものの問題ではないけれども、国籍が前提となって居住権が与えられるわけですから、だからその前提となる国籍もこれは人権として保護しようじゃないかと。法律用語で言いますと背景的権利と言っておりますが、そういう意味で重要な人権問題だからこそ厳格審査をしたのであろうということでございます。
 つまり、単なる利益とかそういう問題ではないだろう、かといって実定法上の権利というものでもないだろう、その中間的なものといいますか、実定法上の権利の前提となる国籍ということで厳格審査が必要になったわけでありまして、これがじゃどんな場合でも厳格審査でいくかということにはならないかと思います。
 以上です。

国際人権規約B規約あるいは児童の権利条約について

○仁比聡平君 さらに、奥田参考人、今回の最高裁判決が国際人権規約B規約あるいは児童の権利条約について触れているわけですけれども、この点は先生はどんなふうに受け止めていらっしゃるでしょうか。

○参考人(奥田安弘君) 判決を検討しますと、判決の中では差別の禁止というところだけが取り上げられておりますが、私は、これらの人権条約の中に国籍取得権も規定されているということに注目してほしかったと思っております。
 先ほど、実定法上の権利ではないと言いましたが、いわゆる背景的な権利としての国籍取得権です。この国籍取得権そのものは直ちに具体性を持つものではありませんが、なぜそうかといいますと、それぞれの国は血統主義を取るか出生地主義を取るか、それは自由でございますので、直ちに具体的な権利には結び付かないわけですが、ただ、それが差別の禁止と結び付くこと、差別の禁止という規定と相まって、血統主義を取るんだったら、そこで国籍取得について差別をしてはいけないと、こういう形でこの二つの規定が合体して具体的な権利を生むんだろうと思います。
 ただ、判決自体は条約違反ということを直接的には認定しておりませんで、いわゆる間接適用ですね、これ間接適用と言うんですが、条約を間接的に適用して我が国の憲法の解釈の参考にしたと。最高裁の立場はそうだろうと思っております。
 以上です。

○仁比聡平君 そうした形で、先生のお言葉で言えば間接的に適用したと、間接的にでも適用したというところの重みを私ども受け止めたいと思うんですけれども。
 この婚内子と婚外子の区別について、これが、父母の婚姻が子の意思や努力によって変えることができない事柄であるという判決がございまして、これは先ほど少し話題になりました相続分についての嫡出でない子の差別にかかわる平成七年の最高裁判決とはこれは違った考え方を取っているのかもしれないと。平成七年の相続分についての最高裁の大法廷は言わば大変広い裁量を立法にもゆだねているというふうにも感じられるわけですが、その辺りは先生はどんなふうにお考えですか。

○参考人(奥田安弘君) 平成七年の判決そのものについて詳しくコメントをするというわけにはまいらないと思いますが、私自身が感じますのは、相続分差別の場合、相続分の区別の場合ですね、これをなくした場合に、つまり婚内子と婚外子と相続分を同じにするということの意味が直接財産的なものに結び付いてくる。つまり、婚外子が二分の一であったものを平等にするということは、その分だけ婚内子の取り分が減るわけですから、そういうものを考慮するということはあり得ると思います。ただ、私は、それが適切かどうかということについてはコメントを差し控えたいと思いますが、一つの考え方として、つまり婚内子の方に影響があるというところが相続分の方では問題となり得るだろうと、こう考えております。
 ところが、今回の国籍の場合は、婚外子が国籍を取っても婚内子に何の影響もないわけです。その点では、相続分差別の合憲判決というのは今回の国籍法の判決とは全く関係がないといいますか、区別して見るべきだろうと、こういうふうに思っております。
 以上です。

実務家としてのDNA鑑定の難しさ

○仁比聡平君 遠山参考人に一点だけお尋ねしたいんですが、実務家として、DNA鑑定の義務付けの問題について実務的には厄介なことを抱えることになると冒頭の陳述でおっしゃったと思うんですけれども、この厄介さというのをどんなふうにお感じになっていらっしゃるか、教えていただけませんでしょうか。

○参考人(遠山信一郎君) 実は私も自分でDNA鑑定したことがなく、先生方もしたことが余りないかとは思うんですね。実際の訴訟空間であれば法的バックアップの中でかなり正確性を持ってくるんですが、どの業者がどのくらいの精度でどれぐらいの料金でどのようなことを実際に行っているかということ自体は全く分からないわけですね。
 そうすると、その正確性をじゃ届出の役所がどうやって対応するんだろうか。例えば、一番簡単なアイデアというのは、国が指定業者をつくって、なおかつ費用も国が持って、それでやってしまうというのであれば、アイデアとしては出てくるんだけれども、とてもそういうことは国民的理解も得られないんじゃないかというふうないろんな選択肢がある中で設計がすごく厄介である、なおかつ、それに苦労するほど価値のある管理方法かという問題がそもそも論であるということで、かなり厄介な問題かなという印象を持っているということでございます。

○仁比聡平君 ありがとうございました。

近藤正道議員/社民党所属(参議院法務委員会(2008/11/27))

近藤正道 - Wikipedia
○近藤正道君 社民党・護憲連合の近藤正道です。
 今日は、お二人の参考人、大変貴重な御意見いただきましてありがとうございました。何点かお尋ねしたいというふうに思っています。
 最初に奥田参考人に質問いたしますが、先ほど国籍取得権についてのお話がございました。今回の法案の直接のきっかけになった最高裁の大法廷判決、法改正の論理の一つに国際人権規約、自由権規約と児童の権利条約がございます。この二つの国際人権規約からいきますと、国籍取得権をどういうふうにとらえたらいいのか。外国では、とにかく認知さえあれば、つまり法律上の親子関係さえあれば、新たに国籍取得という手続にどれほどの重みを持たせたらいいのか、そもそもそういうものは必要ないんではないかという議論さえ出てくる中で、日本は認知があって、かつ届出による国籍取得という新たな行為を求めているわけですね。
 ところが、この国際人権規約からいくと、私はまず国籍取得権あるいは届出による国籍取得、この法的性格をやっぱりきちっとまず整理をしておくことが必要なのではないか、こういうふうに思えてならないんですが、奥田参考人はこの点についてどういうふうにお考えでしょうか。

国際人権規約との関連性

○参考人(奥田安弘君) 国籍取得権について、これら二つの国際人権条約では随分もちろん議論がございました。その辺の議論については私は研究いたして論文などを書いたりしたところでありますが、そこで問題となったのは、各国が血統主義と出生地主義に大きく分けて二つ相対立してあるわけです。人権条約に書かれております国籍取得権は、血統主義を採用せよとか出生地主義を採用せよと、そういうことは言っておりません。ですから、具体性に欠けるんじゃないかという議論もございました。
 今回の認知による国籍取得との関連でございますが、例えば、我が国のこういう国際人権条約に基づく報告書に対して人権委員会や子どもの権利委員会が勧告をいたしまして条約違反じゃないかというようなことを意見を述べております。どうしてそう言われたかといいますと、それは国籍取得権そのものからは直ちに条約違反とは言えないけれども、しかし差別の禁止という規定と結び付くことによって条約違反になるんだと、こういう理屈でございます。
 それでは諸外国はどうなのかということですが、諸外国の例を見るときにまず気を付けなければいけないのが、認知制度がそもそもあるかどうかなんです。先ほど言いましたように、英米には認知制度はございません。それから、ドイツも最初はなかったんです。認知制度がなくて、非嫡出親子関係そのものを、非嫡出父子関係ですね、これをかつては否定していたというような、そういう歴史がございます。最初から認知制度があった国、つまり日本が認知制度をつくるときにモデルにした国はフランスが第一ですし、ほかにベルギーやイタリアなんかがそうですね。で、フランス、ベルギー、イタリアにとっては、認知があれば国籍取得を認めるというのは、実はもうその国籍法を作った最初から当然のこととして認められておりまして、これを要するに戦前から戦後に至るまで一度もやめたことはございません。
 日本だけが、戦前の旧国籍法では認知による国籍取得の規定があったのに、戦後やめてしまったんですね。これは立法過誤かもしれませんが、この点はしかし問題にすべきではないだろうと思います。で、そのまま来まして、昭和五十九年の改正で準正による国籍取得、ただし届出による国籍取得を認めたと、こういう流れでございます。
 私、日本の国籍法と民法の、これ連動するということを申し上げましたが、そういうことからいくと、日本は最初からずっと認知制度があったのだから、やっぱり国籍取得に連動させるという方がむしろ自然だったんでしょうが、やはり国籍法は国籍法でその連動を制限するという判断、それをするということもまたそれは一つの判断であろうと思います。
 こういう認知制度があるにもかかわらず、しかし一度認知による国籍取得をやめてしまった国というのは、実は余りほかには見当たらないわけであります。ドイツの場合も、最初は認知制度がなかったけれども、一九六九年でしょうか、正確なことは覚えておりませんが、そのころに民法の方で認知制度をつくったんで、それじゃ国籍法も改正しましょうといって一九九三年に認知による国籍取得の規定を置いたわけです。
 だから、これは人権条約と直接関係する話ではありませんが、立法のことですから直接は関係しませんが、しかしドイツでもその九三年の法改正のときは随分やはり人権侵害じゃないかという議論がございまして、それで九三年にそういう規定を設けたわけですので、民法との連動ということからだけではなくて、やはり人権の観点から国籍取得を認めるべきであると。その背景にあるのは、国籍がないことによって生じる様々な権利の制限ですね、特に大きいのは居住権ですが、そういうものを考えると、やはり人権の観点を見逃すわけにはいかないだろうと思います。
 以上です。

スムーズに国籍取得させるべきでは?

○近藤正道君 時間がもうなくなってきているんですが、私は、その国籍取得権とかあるいは国籍届出による国籍取得、ここに余り大きなウエートを掛けるべきではないと、認知という制度があるんだから、できるだけその後はスムーズに国籍取得のところにいくべきだと、こういうふうに思っているんですね。
 ところが、日本の実務は、その国籍の取得の届けがあったときに、まあ様々、本人を出頭させたり、あるいはその父親の身分関係を様々証明させたり、あるいは最近では、この本法案の審議の中で出てきたことなんですが、母親について、外国籍の母親だけにDNA鑑定を求めたり、ある意味では過度の負担といいましょうか、あるいは新たな差別とも受け取られるような、そういうことをいろいろ今は準備をしているんですが、これは基本的にちょっとおかしいんではないかな、行き過ぎではないかな、こういうふうに私は思えてならないんですが、奥田参考人、遠山参考人、お答えいただけますか。

○参考人(奥田安弘君) 手短にお答えいたします。
 その国籍取得届は、今回新たにつくるわけではなくて、準正による国籍取得、昭和五十九年の改正のときに届出が必要だと、こう言ったわけで、今おっしゃったような手続もそのときに定められておりまして、今回の最高裁判決の趣旨は、ただ準正子と準正のない子供とを平等にしなきゃいけないと、そういう趣旨でございますので、判決の趣旨からいくと、もう届出のところは仕方のないことなのかなと思っております。
 ただ、私個人の考えでは、先ほどおっしゃったように、認知があれば当然国籍取得があるんじゃないか、届出を再度させるというのは変じゃないかと。これは立法論としては不適切ということは言えるかもしれませんが、最高裁判決に沿った改正ということであれば仕方がないかなということでございます。
 以上です。

○参考人(遠山信一郎君) 人権擁護という発想で考えると、確かにハードルをできるだけ下げるという発想はよく理解できる話だと思っています。
 ただ、一方で、だれをこの国の主権者とするかという問題でもあるんですね。そうすると、ちょっと言葉が乱暴ですけれども、むやみに主権者にするわけにはやはりいけないというお考えも十分に考えられて、そこが立法政策の問題にかかわるのかなと思います。
 だから、このハードルの取り方というのは、まさに立法府のバランス感覚で考えていただくしかないのかなというのが私の考えでございます。

○近藤正道君 終わります。

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最終更新:2009年01月09日 06:48
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