国会質疑 > 児童ポルノ法 > 2009-05

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衆議院・法務委員会(2009/06/26/午後)/前田雅英首都大学東京教授

○山本委員長 ただいま、両案審査のため、参考人として、首都大学東京法科大学院教授前田雅英君、弁護士一場順子君、財団法人日本ユニセフ協会大使アグネス・チャン君、上智大学文学部新聞学科教授田島泰彦君、以上四名の方々に御出席を願っております。
 この際、参考人各位に委員会を代表して一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙の中、御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。それぞれのお立場から忌憚のない御意見を賜れば幸いに存じます。
 次に、議事の順序について申し上げます。
 まず、前田参考人、一場参考人、アグネス・チャン参考人、田島参考人の順に、それぞれ十五分程度御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑に対してお答えをいただきたいと存じます。
 なお、御発言の際はその都度委員長の許可を得て発言していただくようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、御了承願います。
 それでは、まず前田参考人にお願いいたします。

○前田参考人 首都大学東京法科大学院の前田と申します。
 児童ポルノに関しては、初めに、平成十一年の法律のころにも若干お手伝いさせていただいて、森山先生以下に若干の御説明をさせていただいたことがあるんですが、法律ができたことによって、やはり児童ポルノ、少なくとも、活字媒体といいますか、本屋の店頭からはかなり様相が変わって減った。非常によくなったと思うんですが、状況の変化に合わせて、やはり今回、両党の案、非常によくできていると思いますが、さらに進歩をさせていただきたい。
 その意味で、法律の細かいことをちょっと申し上げるかもしれませんが、私は刑法の専門ですので、刑罰法令をつくるときの観点からいって、それから現行の処罰の状況を踏まえて、どう改正するのが最も児童のためになるかという観点から発言をさせていただきたいと思います。
 一つは、初めの立法のころに比べて特に留意しなければいけないのは、ネットの問題ですね。法益侵害性が非常に高まってきている。児童ポルノが一たんネットの中で流れ出してしまうと、もう消えることはあり得ない。永遠に残ってしまう。もちろんなるべく残さないように消していくことが重要だと思いますけれども、本人にとって非常におぞましい画像が一生消えない形で残り続けるということ、これを何とかしなきゃいけないということなんだと思います。
 立法の状況としてもう一つ変わってきているのは、刑事法の側からいいますと、刑罰というのはなるべく狭い方がいいというのは今でも変わらないんですが、例えば、家庭内の子供のしつけなんかについて刑罰が入るのはとんでもない、男女間のトラブルに法律を使うのはとんでもない、夫婦げんかは犬も食わないと言っていたのが、児童虐待の法律ができた、ストーカーの法律ができた、そしてDV法ができた。その間ずっと見ていまして、やはり適切に、国民の意識の変化に合わせて立法状況、進めていっていただいていると思っております。
 その中でやはり、児童ポルノ法を初めにつくったところで、後で申し上げますが、日本の文化の特殊性という意味で、非常に慎重目につくっていった。だんだん機が熟してきて、さらに国際的なレベルに合わせて動いていけるようになってきているという感じがいたしております。
 やはり、ネット社会が中心になってくると余計そうなんですけれども、グローバルな視座というのは非常に重要だと思います。ほかの研究会なんかでアメリカ大使館の方なんかに来ていただいてお話を伺っていても、やはり、その国の評価をするときに、子供に対してのスタンス、しかも、こういう画像に対してのスタンスがどうであるか、これが非常に大きなものであるというのが実感としてわかります。今回、いや、外国の言うなりになってどうこうということだけではないんですが、やはり恥ずかしくない立法ということで、どういう理由でこうしたかということを世界に向かって常識的に説明のできる立法ということが重要だと思っております。
 先ほど、ちらっと申し上げかけたんですけれども、日本の特殊性といいますか、東洋の特殊性といいますか、性に関しての問題というのは国ごとに大分事情が違うわけで、何をどこまで処罰するか、例えば、同性愛処罰というのは西欧では非常に問題になるんですが、我が国では同性愛そのものを処罰するということはないわけですね。近親相姦の処罰ということもない。
 そういう状況の中で、児童ポルノの平成十一年の法律ができる前は、刑法百七十五条のわいせつ罪の対象として児童ポルノをどうやってマネージしていくか、抑圧していくかという観点だったんですね。ところが、その当時は、わいせつ物というのは、これはこういう場ですから申し上げざるを得ないんですが、例えば、陰部の陰毛の部分がどれだけ写っているかがわいせつ罪にとって重要である、わいせつのチェックはそれでやっていたわけですね。そうすると、児童はそれがないからわいせつではないから、児童ポルノは問題が少ないものとして、大人の性的な好奇心の対象のものに代替するものとして、より広く使いやすいものとして出版されたというような経緯も少しあるんです。
 それが、児童ポルノの法律、世界の流れの中で、単なる性的な法益侵害、風俗としての法益侵害を超えて、子供の人格権、人権、そういうものに移っていく中で、児童ポルノというのは従来のポルノ犯罪とは違うという形に変わってきた。名前を児童ポルノとしておくこと自体、私はそれ自体は全然問題ないと思うんですが、その揺れ動きはきっちり見ておく必要があって、レジュメにも書いたんですが、性的自由といいますか、性犯罪に関しては、強姦、強制わいせつというのが片一方であって、もう片一方にはわいせつ物陳列みたいなものがあって、児童ポルノはわいせつ物陳列的なものの延長線上としてとらえてきたのが、いや、もっと人間の人格の根本を害すると。その意味で、強姦、強制わいせつに近いような、被害者は社会じゃなくて少女そのものだという方向に大きく振れていくんですね。
 ただ、児童ポルノの問題というのは、それだけに特化してしまいますと、限定してしまいますと、問題を見誤るのであって、やはり児童ポルノ自体が社会全体に対して風俗的な侵害も与えているということも考えていかなきゃいけない、これが今回の改正案を見るときの一つの視座になると思います。
 この中で、よく小児性愛の問題なんかを考えるときに、児童ポルノを禁圧すると、特にこの場合は漫画のことなんかを考えている人が多いんですけれども、これを禁圧すると犯罪がふえると。要するに、幼児に対していたずらをしないで済んでいるのは漫画や画像を見て満足しているからであるというようなめちゃくちゃな議論もあります。これはもちろん立証されていない。逆に、こういうものがなくなれば、幼児に対してのそういう侵害が減るかといったら、そう単純ではないと思います。だから、これをなくしてもそういうものが減らないから禁圧すべきでないというようなめちゃくちゃな議論をする人もいます。
 これも、犯罪を減らすためだけの手段でやるのではなくて、その画像が出ること自体で少女自体が大変な侵害を受けて、おぞましいものを見せられているというものもあるし、それから、社会全体から見て、小学生等を強姦しているものを写して、それが、いや、強姦罪に当たるけれども画像としては問題ないんだみたいな議論、これはやはりおかしいんだと思いますね。
 その辺のバランスをどうつかまえながら現在の国際的な常識に合わせて法案をつくっていくかということなんですが、その意味で、両案を見せていただいて一番気になったのは、やはり児童ポルノの定義ですね。
 現実に、きのうも東京都の関係で、こういう画像とか出版物の問題点をチェックしていて、一番たくさんあふれているのはやはり幼児の裸なんですが、裸になるかならないかぎりぎりのところで、小さな切れ端をつけて水着様に見せて、これで今全裸ではないからオーケーだみたいなものをたくさん出しているわけですね。それでも十分広まる可能性があるし、重要な部分である。
 今回のものを見ますと、殊さらに露出させとかなんとかという絞りをすると、要するに、ただ全裸のものの写真だけで性器が余り写っていないみたいなものが落ちる可能性がある。これは非常に危険なことだと思います。現実に広がっている画像とかそういうものの観点からいって、この点は、児童ポルノの問題を考えるとき、それからPTAの方々や何かの御意見を伺っていても、これは非常に困るということですね。
 「殊更に」というのがどういうふうに解釈されるか、我々法律家の常識からいったら、これはやはり専ら性器を写したもの以外取り締まれないというふうに変わると読みます。その意味で、この案は気にはなる。
 ただ、民主党案にも非常にすぐれた点があって、後でも述べます、盗撮の防止とか、それは非常にすぐれていると思いますけれども、性器に余りこだわるのはよくないといいますか、それに特化してというのは、先ほど申し上げたような意味での広い法益侵害をカバーするという意味で十分ではないという気がします。
 私は、わいせつ物の審査みたいなものを警察の関係でも若干お手伝いしている中で、結局、わいせつの方に引きつけ過ぎると、性器が何%写っているかだけでいってしまうんですね。だったら、性器がぼんやりしか写っていないから、女の子から見たら耐えがたい裸の写真でもこれはオーケーということになる。これは非常にまずい。その可能性があるようなものであるとすれば、むしろ後退になるのではないかという危惧感を持っているということでございます。
 ただ、それに関連して、盗撮防止なんかで民主党案が提案されているのは、私、盗撮の問題を何とかしなきゃいけないと考えている者としては、非常に重要な御提案だと思うんですが、それが児童ポルノの定義の変更と組み合わさってしまうと、問題の解決が不十分になるというふうに考えております。
 あと、時間の関係で、ちょっと単純所持罪の方に移っていきたいと思うんですが、先ほどの世界の趨勢に合わせてということ、それ以上に、現実の取り締まりとか実効性のあるチェックという意味では、やはり単純所持の禁止をうたうことは非常に重要だというふうに思います。もちろん民主党案も単純所持に対しての対応を試みておられる。ただ、単純所持自体の禁止規定、罰則のない禁止規定は、特にネット社会でブロッキングの問題や何かが出てくる、それから削除要請をするというようなときに、法的にこれは違法な画像であると言えるか言えないかというのは非常に重要なんですね。
 処罰するかどうかに関しては、構成要件の明確性は非常に重要です。それに対して、民主党案、自民党案、それぞれ苦労されていて、それについて一言申し上げたいと思うんですが、その前提として、処罰規定の外に禁止規定を設けることが非常に重要な意味を持っているということを強調しておきたいと思います。
 「みだりに、」という概念、もちろんこれはあいまいだと思いますけれども、この程度の規定というのは、ほかの法文からいって、不明確であるというようなそしりは決して受けないんだと思うんですね。
 あと、具体的な所持罪の中身ですけれども、自民党の方は、「自己の性的好奇心を満たす目的で、」ということで、目的規定、これは考え方によっては不明確になる。ただ、一つの考え方は、こういう縛りをつけないで、単純所持をもっと広く処罰すべきだというのが世界の流れからいって筋だと私は思います。平成十一年のころから、単純所持を処罰する議論の方がむしろ強かった。ただ、処罰範囲が広過ぎるとか、日本ではまだ児童ポルノがそんなになじんでいないということで、もうちょっと熟すのを待ちましょうといって今まで来ているんですね。
 その中で、自民党の案もやはりなお慎重に、「自己の性的好奇心を満たす目的で、」と。客観的に、ただ一枚持っているとかじゃだめで、法律家の感覚からいくと、ある程度の枚数を持っているとか、持っている形状からいって、やはりそれはある程度判断できる、ある程度じゃなくて、今までの刑事の世界はそうやって立証するわけですね。絞り過ぎるという感じはあるけれども、やはりこの程度の縛りをするというのは、ある程度やむを得ないかなということなんですね。
 法律家から見て、あと、みだりに、有償または反復してというのも非常によく使う合理的な根拠というか構成要件の絞り方なんですけれども、これは実際上の運用を考えたときに非常に厳しいことになる。ポイントは、取得したときに児童ポルノの認識がなきゃいけないので、取得行為の立証、どこで、どうやって、いつ、だれから買ったかの認定をどうしていくか。
 もう時間がないので、ちょっと急いじゃいますけれども、今でも児童ポルノ捜査というのはハードルが高いです。特に、十八歳未満の認識がなきゃいけないんですね。それから、児童をちゃんと特定していなければ、特に年齢を立証しなきゃ構成要件該当性は認められませんから、大変なことになるし、あと、ネットにもう移ってきていますから、それをどうさせるか非常に難しい。
 その中で、所持罪をどうつくっていくかというときに、有償、これまた有償も立証が非常に難しいんですね。ですから、肝心の人が逃げてしまう余地がかなり高くなる。あと、反復といっても、これだけ満ちあふれているいろいろなサイトから一個ずつ持ってくると、反復じゃないみたいな議論をされちゃいますと、潜脱することがかなり容易に見えるような構成要件にも見えるんです。
 ちょっと、重箱の隅をつつくとか、揚げ足をとるような議論をしているように見えて申しわけないんですが。私、パーフェクトということはないと思いますが、基本的に、今回の改正で、両案、非常に御努力されたというのは認めるんですが、どちらかといえば、政府・与党案については、唯一、「自己の性的好奇心を満たす目的で、」というのが若干絞り過ぎかなという感じはしますけれども、現実に動かすには、やはり現実に考えられる案としては、結局はベストに近いというふうに考えております。
 以上で終わります。(拍手)

衆議院・法務委員会(2009/06/26/午後)/一場順子弁護士

○山本委員長 どうもありがとうございました。
 次に、一場参考人にお願いいたします。

○一場参考人 弁護士の一場でございます。
 このたびは、発言の機会を与えていただきましてありがとうございます。
 私は、日弁連子どもの権利委員会や東京弁護士会子どもの人権と少年法に関する委員会に所属しております。また、現在、社会福祉法人カリヨン子どもセンターの理事もしております。そのような弁護士としての活動の中で、性的虐待を受けた子供のケースを扱うことがたびたびありました。カリヨンは子供のシェルターを運営していますが、性的虐待を受けた子供が入居することもあります。本日は、児童ポルノ禁止法の一部を改正することに関しての参考意見ということですので、これまでの子供の権利にかかわる私の経験を踏まえてお話しさせていただきたいと思います。
 今回の改正の眼目は、先ほど前田先生もおっしゃられたように、児童ポルノの単純所持の処罰化の問題ですが、私は、現在の児童ポルノ禁止法の児童ポルノの定義があいまいである点に問題があると考えています。
 同法の第二条三項によれば、「「児童ポルノ」とは、写真、電磁的記録に係る記録媒体その他の物であって、次の各号のいずれかに掲げる児童の姿」、正確には「姿態」ですが、言葉にするとおかしいので姿と言いかえますが、「児童の姿」「を視覚により認識することができる方法により描写したものをいう。」というふうになっています。
 そこに言う「児童の姿」とは、一号で「児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿」とあります。これはどういう姿かが具体的で、違法性は明らかです。そして、二号が「他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿」。ですから、これもどういうものか具体的です。
 ところが、三号は、「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿」となっています。イメージしていただければすぐわかると思いますが、これだけでは、裸の赤ちゃんもプールの水着の子供もみんな入ってしまいます。もちろん、このどれにも「性欲を興奮させ又は刺激するもの」というものが加わっていますけれども、何が「性欲を興奮させ又は刺激するもの」かは、客観的、一義的に明確ではありません。構成要件の明確性というのは先ほど前田先生がおっしゃいましたけれども、そういう意味でこの定義は問題だと私は考えます。
 一号、二号はもちろんこのままで構わないと思いますが、三号は、そういう意味で、親が撮影した子供の写真も客観的にはみんな入ってしまうということになるので、このような定義のままで単純に持っていることを処罰するということは、処罰の範囲が広がり過ぎる危険があると思います。
 児童ポルノの定義としては、お手元に参考資料としました児童の権利に関する条約の選択議定書、この二ページ目には、「「児童ポルノ」とは、現実の若しくは擬似のあからさまな性的な行為を行う児童のあらゆる表現又は主として性的な目的のための児童の身体の性的な部位のあらゆる表現をいう。」というふうに定義しています。あからさまな性的な行為、主として性的な目的のための子供の身体の性的な部位といえば、その内容は具体的で、なぜ違法かは客観的にも明らかです。
 また、もう一つ、次の資料は、昨年四月に米国大使館でアンドリュー・オースターバーン米国司法省児童搾取・わいせつ部部長がお話をされたときに資料として配付されたものです。やはりこの二ページ目の三に、まさに、「自分の子供が海で遊んでいる裸の姿を親が撮影する場合はどうですか。その親は有罪となりますか。」という質問が書いてあります。この質問に対して、「こうした画像は米国法では児童ポルノには当たりません。合衆国法典第十八編第二千二百五十六条に明記されている米国の児童ポルノの定義では、違法な児童ポルノであるには、描写に一定の特徴が示されていなければなりません。最低限でも、描写に「児童の性器や恥部のみだらな表出」が含まれていなければなりません。この定義に合致しない児童の描写を所持する人が訴追されることはあり得ません。」と答えています。
 違法か違法でないかはその文言から一義的にわかるような明確な定義でなければならないのは言うまでもないことです。先ほども申しましたように、処罰範囲の拡大の危険性があります。この資料で答えられているように、違法となる児童ポルノの定義は適切に行わなければなりません。
 そのような観点で見ると、現行法の児童ポルノの定義は、三号が極めてあいまい、不明確です。今回の与党案は、この児童ポルノの定義を変えないまま、これを所持した者を罰する罰則規定を新設している点で非常に問題があると私は考えます。民主党案は、問題となっている第二条第三号を削除し、定義を客観化し明確にしている点で評価できると私は考えます。
 次に、被害児童の保護に関してですが、現在の児童ポルノ法でも十五条に「関係行政機関は、」「当該児童がその受けた影響から身体的及び心理的に回復し、個人の尊厳を保って成長することができるよう、相談、指導、一時保護、施設への入所その他の必要な保護のための措置を適切に講ずるものとする。」と規定されています。この文言から、児童ポルノ法において考えられている児童の保護に関する制度とは、主として福祉による保護です。関係行政機関とは、児童福祉にかかわる行政機関である厚生労働省、都道府県、児童相談所、福祉事務所及び市町村と考えられているのだと思います。
 与党案は改正の対象にしていませんが、民主党改正案では、保護の措置を講ずる主体と責任を明確化して、これらの機関を例示しています。責任の主体を明確にしたことは大いに評価できるのですが、福祉の分野だけに限られている点が、それだけでは足りないと私は考えます。
 資料の最初の選択議定書を見ていただきますと、第八条において、この選択議定書を締約した国は、「刑事司法手続のすべての段階において、特に次のことを行うことによって、この議定書によって禁止されている行為の被害者である児童の権利及び利益を保護するための適当な措置をとる。」としています。現在の日本において決定的に不足しているのは、この刑事司法手続における子供の権利の保護のための措置です。
 刑事司法手続に登場する機関として考えられるのは警察、検察、裁判所ですが、このどの機関においても、被害を受けた児童の保護のための特別な制度、特別な取り扱いは考えられていないと私は思っています。裁判ではビデオリンクや遮へい措置がとられるようになりましたけれども、これも犯罪被害者一般、成人も含めた被害者、証人のための保護の制度であり、子供に対する特別な措置として設けられたものではありません。
 資料の最後、「自由と正義」へ私が寄稿したものですが、司法面接の制度を導入すべきだと考えます。
 子供は、暗示、誘導に陥りやすい特性があります。幼い子供は時間の観念が乏しく、目の前のことしかないので、起こった事実を時間に沿って並べることはとても難しく、また、もともと言語的表現がつたないので、大人から情報を入れられると、それもまた事実関係の中に入れてしまいがちです。誘導しないように正確な真実を語ってもらうことは難しく、児童心理に詳しく、特別な訓練を受けた中立的な立場のインタビュアーによる面接が必要です。
 司法面接ができなかったばかりに無罪になった事件があると聞いております。しかし、正確な事情聴取は難しいのですが、子供が受けた苦痛に満ちた経験そのものは小さな子供でも語ることができます。大人のようにきれいに整理して話すことができないだけです。そのような子供からの事情を聴取する手法として、そしてそれを裁判にもたえられるような証拠能力を持った証拠とすることができるようにするための制度として、欧米では司法面接の制度ができ、司法手続の中で取り入れられています。
 また、きちんとした事情聴取を保護された最初の段階で行うことで、福祉の保護手続、刑事司法手続で繰り返し事情を聞かれることによる二次的被害を回避することができます。
 かつて、裁判で証言した後、精神的に不安定になって自殺した少女の話を聞いたことがあります。被害をきちんと聞いてもらうということは傷ついた心をいやす作用がありますが、苦痛に満ちた体験を何度も何度も、いろいろな場面で繰り返し聞かれるということは、二次的被害を拡大する可能性があります。日本にも、ぜひ司法面接の制度を取り入れていただきたいと思います。そのためにも、民主党案の例示する関係機関に警察、検察、裁判所を入れていただきたいと私は思います。
 子供のころに心身に受けた傷をいやすことができないまま思春期になると、さまざまな問題行動を起こすことがあります。人格の統合的な発達そのものが阻害される場合もあります。カリヨンに来る子供たちを見ていても、幼いときにきちんと保護されないまま成長し、さまざまな心の傷を抱えていて、その自立の援助は容易ではありません。この児童ポルノ法は、子供の権利の擁護をその目的としていることが明記されています。子供の権利擁護を実現できるように、政府の具体的施策をお願いしたいと思います。
 最後に、与党案はアニメ等についても検討課題としていますが、この法律は、第一条にあるように、児童の権利擁護を目的としているのですから、実在の子供の被害者のいないアニメ等の問題は、この法律とは別の問題として考えるべきだと思います。
 以上です。(拍手)

衆議院・法務委員会(2009/06/26/午後)/アグネス・チャン参考人(日本ユニセフ協会)

○山本委員長 どうもありがとうございました。
 次に、アグネス・チャン参考人にお願いいたします。

○アグネス・チャン参考人 皆様、こんにちは。アグネス・チャンと申します。
 きょうこの場に呼んでいただき、感謝を申し上げます。きっと、先生たちが私を呼ぶ理由というのは、現場の声を聞きたい、その願いで私がここに立っているのではないかと思います。だから、きょうはできるだけたくさん現場の話をし、子供たちの叫びを先生たちに届けるように頑張りたいと思います。今、まるで自分の背中にたくさん被害者の子供たちが乗っかっているような気持ちで立っています。
 ユニセフの正式な見解は、さっき配った資料の中に書かれてあるので、この限られている時間の中では申し上げません。むしろ、現場の話を中心にして話してまいりたいと思います。何か、私の日本語は少しなまっているらしいんです。確かに言葉は足りませんが、その分、心を込めて、最後まで頑張って話してまいりたいと思います。
 まず、先生たちに、法改正案、そして審議に入ることに感謝です。本当にうれしいです。世界じゅう、いろいろな人たち、とても期待していました、きょうこの日。本当に私たちにとってはとても大事な時間です。
 そもそも、私がこの問題にかかわったのは、一九九八年、日本ユニセフ協会大使として任命されたときです。その日です。任命された日です。その夜、私はスウェーデン大使館に呼ばれました。そこで言われたこと、日本は児童ポルノのナンバーワンの輸出国です、ナンバーワンの加害国ですよと言われました。ショックでショックで。私は、この問題についてよく知らなかったし、そういうふうに言われたときは、信じられない気持ちでした。
 その年、私はタイに行かされまして、児童買春、児童ポルノの実態を見てきなさいと。そこで現実を見ました。確かに日本がかかわっています。後ほど、そこで会った子供たちの話もしたいんですが。その後、カンボジア、フィリピン、遠くはモルドバ共和国まで足を運び、実態を見てきました。たくさん被害者の子供たちを抱き締めましたよ。話も聞きましたよ。そして、命を落とした子供たちの話も聞きましたよ。そこで関係者が必ず私たちに言うことは、どうか日本ももっと厳しく児童ポルノを規制してください、その言葉でした。
 幸い、日本も一九九九年、いわゆる児童ポルノ、児童買春禁止法が成立され、一定の成果はあったと思います。少なくとも、コンビニからはすべて児童ポルノは消えたと思います。二〇〇四年、法改正が実現でき、インターネットで配布あるいは販売することも禁止されるようになりました。それでも不十分ですとよく言われます。それはなぜかというと、もう何回も先生たちが言っているように、インターネット、携帯、そういうサイバースペースの中で物すごく広まっていっているんですね。むしろ事態は悪化しています。
 各国はすごく一生懸命取り組んでいるんです。例えば、資料の中にも配られてありますが、二〇〇七年の欧州評議会、そしてG8の司法・内務大臣会議、その中でもずっとこの問題を取り上げ、そして、どうやって取り組んでいかなければいけないのかというのを話し合っていました。特にG8の司法・内務大臣会議は、二〇〇七年から三年連続、この児童ポルノ問題の対策の重要性を訴えています。昨年十一月のブラジルでの第三回児童の性的搾取に反対する世界会議では、児童ポルノの製造、販売、配布、所持、それはもちろんいけないんですが、インターネット上のアクセスや、そして、読んだりする行為も法的に禁止するように求める宣言を採択しました。
 日本の法律がおくれていると言われています。実際に、G8の中で児童ポルノを持っても許されるというのは日本とロシアだけなんです。私はいろいろな人から言われます。国連の方、外国の政府の関係者、一生懸命フィールドで働いているボランティアの皆さんも含めまして、日本はどうして所持を許すんですか、無責任だと言われます。
 私は悔しいです。私は、日本は無責任ではないと思います。日本の国民は、本当に子供のことになると一生懸命応援してくれます。ユニセフが一番よくわかっています。本当に私たちの活動を一生懸命支援してくれているんです。
 しかも、この問題についても無関心ではないんです。二〇〇七年の内閣府が実施した世論調査で、児童ポルノの単純所持は規制した方がいいかどうかというような問題があり、その質問に、規制すべき、どちらかといえば規制すべき、賛成する人たちが九〇・八%です。反対する人たちは四・八%しかいないんですね。国民の意思は明らかです。さらに、二〇〇八年三月、「なくそう!子どもポルノ」キャンペーンを、私たちは各団体とスタートさせました。ことしの一月まで、あっという間です、全国から十一万五千人を超える賛同の署名をいただきました。国民は意思を決めているんです。児童ポルノの単純所持を規制してください、その叫びに私は聞こえます。
 今回の法改正の論点の一つは、やはりこの単純所持を違法にするかどうか、罰則がつくかどうかということだと思います。迷っているなら原点に戻ろう。原点に戻るというのは、そういう児童ポルノが製作されている現場を私が話します。ぜひ皆さん、子供たちの話、つまり被害者の話、そして加害者の意見も聞いていただきたいと思います。
 私、初めてタイに行ったとき、ミャンマーの国境近くにチャンライという町があって、たくさん外国の人たちがそこで子供を買いに行くんですね。ホテルで待っていました。そうしたら、子供三人がお客さんに連れられてロビーに入ってきました。このぐらい小さいんです。余りの小ささで私は驚き、胸が詰まり、柱の後ろに逃げて号泣しました。結果としては子供たちと話ができるようになって、幾つですかと聞いたら、口をそろえて十四歳と言うんです。なぜ。そのとき日本の法律は、十四歳以下の子と性行為してはいけないという、それだけしかなかったんです。児童ポルノ、児童買春禁止法はまだ成立していなかったですから。だから、子供は教えられているんです。日本人に聞かれたら十四歳と言えと。そんなことないんだろうとずっと話していくうちに、実際に、一人は九歳、一人は十一歳、一人は十四歳。二人はミャンマーから買われてきた子です。一人はタイの違う地域から買われてきた子です。そういう子供たちはいろいろなことをされます。必ず写真を撮られるそうです。
 フィリピンのアンヘレスという地域に行きまして、その町でも、やはりたくさんの外国の人が子供を買いに来ます。
 何百人もの子供たちを助けたボランティアの話を聞きました。町を歩いたら、こんなちっちゃい子ですよ、五歳、七歳の子がいるんです。えっ、この子供たちも買われるんですか。ええ、そうですよ、性行為ができなければ口とか手でやってもらうんです。特に日本の方は写真を撮るのが大好きですね。何でだろう、撮ってどうするんだろう。先生たち、私たちはわかっています。その写真を撮ったらどうするのか。配る、売る、自分で楽しむんです。そういう写真をなくさない限り、子供たちは浮かび上がれません。
 日本の被害者の話も聞いてください。
 一人の女の子は、小学校のときです、おふろに入っていたら音がしまして、窓を見たら、ぱちぱちぱちぱち写真を撮られた、もう、わあっと声を出して、親もすぐその男を追っかけましたが、逃げられました。警察に届けを出しましたが、なかなからちが明かない。
 彼女の声です。あの写真がどうなったのかを考えると恐ろしく、中学生に上がってから、私はリストカットや自殺未遂を何度も繰り返しました。ネット上に自分の写真がばらまかれていないかと、何かに取りつかれているように毎日探しています。そこで、日本人だけでなく外国の子供たちが写っている児童ポルノを目にして背筋が寒くなり、何度も嘔吐して泣きました。でも、自分の写真を探すことはやめられないのです。今のように児童ポルノが簡単に手に入る世の中では、私はとても過去を忘れることはできません。自分の人生は終わってしまったような感じです。もし世の中を変える力のある人たちがいるのなら、どうか私を助けてください。
 世の中を変える力を持っている人たちは、先生の皆さんです。どうかこの子を助けてあげてください。
 もう一人、日本の被害者の話です。再婚したお母さんの相手。自分がまだ七歳、八歳のときに何度も何度もひどいことをされ、いろいろなポーズをとらされ、写真も撮りました。そのときはちっちゃかったから何もわかりません。大きくなって、もしかして、インターネットで、自分の写真が写っているのかなと探してみたら、ありました。その子の叫びです。事件から何年も何十年もたっても、写真や映像の残っている被害者は、来る日も来る日も新たに傷つけられ、性暴力を受け続けています。それは拷問にも等しい苦しみです。私たち被害者にとって、児童ポルノは、ポルノなどではなく、犯罪や虐待の現場を永久に残した、心をずたずたにする残酷な凶器です。凶器を持ち続けることを許してはいけません。
 では、加害者の話を聞いてくれませんか。
 私は、この活動にかかわってから、自分のホームページにも、手紙も電話も来ます。もう本当にいろいろな攻撃的な、脅迫的な、そういうようなことが起きてくるんです。彼らの言い分にしては、何でいけないの、私の個人的な趣味でしょう、子供が性的に好きだから、法律は禁止されていないのよ、何でこのばばあがそういうことを一々言うんですか。私は、そういう人たちを許すことはできません。
 今回、法改正は、世界じゅうが注目しています。例えば、シーファー前米国駐日大使、シルビア・スウェーデン王妃、ユニセフ本部からもメッセージが届いています。この結果を皆さん注目しています。そして、たくさん、たくさんの犠牲者の子供たちもこれをとても期待しているんです。性的目的での所持が違法であることを明確にすることを要望します。
 どういうのが児童ポルノだって。昨年のブラジル会議で明らかになったのは、児童ポルノの三〇%は三歳以下です。あんなちっちゃい子供をどうやって。縛って、自分の性器を子供のあらゆる穴に突っ込みます。自分の性器じゃなくてもほかのものを突っ込みます。それで楽しむんです。そういうことを絶対許してはいけないと思います。それをばらまいてみんなで永遠に持ち続けて見るんです。
 フィリピンで会ったストリートチルドレンの子、彼女も体を売っていた子です。当然写真もたくさん写されたと思います。今一番欲しいものは何ですかと聞いたら、消しゴム下さいと言ったんです。自分の人生を全部きれいに消したいです、いろいろなことをされたことを消したいんです。そうです、単純所持を違法にしなければ消せないんです。ずっと持っているんです。その子の願いはかないません。
 子供たちをこれ以上苦しめないでほしい。子供たち、子供だった犠牲者もこれ以上苦しめないでほしいんです。これからの子供たちもポルノの犠牲者にされないために、今国会で改正案を成立し、単純所持を違法にしていただきたいと思います。
 これは私だけの願いじゃないんです。それは毎年百万人以上犠牲になっている子供たちの熱望です。彼らの人生があるのかないのか、明るくなるかならないのか、幸せになれるかどうかというのは、私はこの法律の改正にかかっているのではないかと思います。
 もちろんいろいろな細かい議論はあると思いますよ。でも、何で大人が一生懸命頑張るんですか。何でですか。私たち、どうして生きているんですか。それは子供たちを守るためです。子供は自分のことを守ることができないからこそ、私たち大人はやりがいがあるんです。子供たちに人生を返してあげてください。消しゴムを何とか、ぜひ今回の法改正で、子供たちに与えてあげてください。
 ぜひ、今回のことによって世界の子供たちが、日本の皆さんは本当に私たちのことを考えてくれているんだなと。今度世界会議に出たときには、仲間から、政府関係者からも、ああ、よくやってくれました、これから手を組んで頑張ってやっていきましょう、そういう声をかけてもらえるように、ぜひ皆さん、よろしくお願いします。(拍手)

○山本委員長 どうもありがとうございました。

衆議院・法務委員会(2009/06/26/午後)/田島泰彦上智大学教授

○田島参考人 よろしくお願いします。
 私は、日ごろは表現の自由の問題とかあるいはジャーナリズム、あるいはメディアについて主として研究をし、教育に携わっている者です。ということですので、今回の児童ポルノ等に関する法律の改正という問題については、その立場から、すなわち、主として表現の自由の立場からという形で意見を申し述べたいと思います。
 やはり、いずれにしましても非常に大事な問題であると思います。ですので、いろいろな角度から、あるいはいろいろな立場から、理性的な議論を交えて、時には非常に厳しいやりとりもした上で、それで、よい方向を目指していくというのが我々の社会が目指していく方向かな、そういうふうに考えて、きょう議論に参加するつもりでおります。
 さて、今回の問題につきましては、御承知のように、与党案と民主党の案の二つの提案が示されております。私の立場からいうと、与党案が提示している問題、法律案、改正案ですね、そこにやはり主として疑問に感じるところが少なくないなというふうに考えていますので、その点を中心に検討を試みるという形にしたいと思います。
 さて、法の改正を考える上では、やはりこういう視点が大事かなというふうに私は考えております。すなわち、私たちの社会が健全に維持されるためには、やはり児童の、子供たちの人権のしっかりした保護、これはもちろんだと思うのですね。とともに、しかしながら、表現の自由との適切な調整ということを一方で欠かしてはならないというのも確かではないかなというふうに私は考えています。それが私の基本的なスタンスです。
 その点から、あらかじめ結論を申し上げますと、与党による今回の、特に単純所持罪の新設という問題、それからさらには、将来の新設の可能性にもかかわりまして、実在の児童を描写しているというものではなくて、それをはるかに超えたいわゆる創作物規制、一般にそういうふうに言われていますけれども、そういう規制の調査研究規定の導入、これが二つの大きな問題かなというふうに私は考えております。
 その二つの点については、やはり表現の自由の保障という観点から見たときに、私は、やや過剰な規制になっていないだろうかというふうに思います。もし過剰な表現規制ということであるとすれば、私たちが維持しなければいけない自由な市民社会というものが少し息苦しい方向に向かうということになると思われますので、やはりそれは十分に注意して検討しなければいけないのかなというふうに思います。
 一つは、現在の児童ポルノ法、これは買春も含みますけれども、便宜的に児童ポルノ法という表現を使います。現行法の枠組み自体が、やはり私は少し問題を抱えているところがあるのかなというふうに思います。すなわち、表現の自由という観点、それからさらには諸外国との比較などから見てもやや過剰な規制に傾いているところがあって、児童の、子供たちの人権の保護と表現の自由の両者のバランスというのが必ずしも適切な形で確保されているとは言えないのではないかというふうに考えております。
 そもそも、これはきょう議論するつもりはありませんけれども、保護対象の十八歳未満というくくり方、すなわち年齢が、保護の対象として妥当かどうか、これは別な機会で恐らく議論はしなければいけないと思いますし、それから、立法過程の中でも、その議論はもう既に制定時にもあったと思います。それは別としても、特に、やはり対象になっている児童ポルノの定義の問題ですね。
 先ほど来、ほかの参考人の御意見にもありましたけれども、特に二条三項の三号の規定です。すなわち、「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するもの」というのがその規定であります。これはどう考えても、やはり本来イメージする児童ポルノとは違うものがそこには含まれているということになっていると思います。すなわち、対象がかなり広いくくり方になっている。しかも、必ずしも客観的な要件ではないと思われる主観的要件も含んでいる。そのことの結果、先ほど言いましたように、いわゆる一般的なポルノやわいせつなどのものだけではなくて、それとはかけ離れた単純なヌード、いわゆるソフトヌード的なもの、こういう表現も法の規制の対象にされてしまっているのではないかというふうに考えます。
 この点、例えば諸外国ではどうかということですけれども、アメリカ合衆国では連邦法典で、これは千四百六十六のA条というところで、例えば露骨な性的描写を含むわいせつであるものであるとか、あるいは性器間なども含むSM行為、交配行為であるとか、さらには、文学的、芸術的、政治的、科学的価値のないものとか、いろいろな留保や制限をつけて、極めて客観的で限定的な定義を示しております。他の先進諸国も、多かれ少なかれこれに従っているものというふうに思われます。
 少なくとも欧米では、規制は、詳細な、ポルノ的な行為ないしわいせつ的なものに限る、あるいは性的なものに限るということであって、また、芸術等の例外も許容をしている。そうであるとすれば、ソフトヌードのような単純なヌードまで過度に規制されていないというのが実情ではないかなというふうに私は理解をしております。
 欧米では、確かに単純所持規制や創作物規制も設けられているところが少なくありません。しかし、それは、このような、先ほど示したような表現の自由への配慮のもとで、極めて限定的な枠組みのもとでそうした措置が用意されているということが大切なのではないかなというふうに考えます。そうであるとすれば、日本ではこうした前提を欠いているがゆえに、過度に広過ぎる規制になっているにもかかわらず、新たに単純所持規制や将来の創作物規制が加わるということになると、やはり問題なのかなというふうに私は考えております。
 すなわち、いろいろなことが想定され得るわけですね。例えば、市民のだれもが規制対象になってしまうおそれがあったり、あるいは、芸術活動も広く規制の網にかけられる、さらには、書店やメディアも自主規制を含め法規制のもとに厳しく置かれるという事態が生じます。また、そういうもとでは、恣意的で政治的な捜査機関の権限濫用とか、あるいはさまざまな形での行政上の規制などが懸念されることになるのではないかなというふうに私は考えております。
 なお、運用上の注意規定ですけれども、これは、民主党の案も含めてそういう運用上の注意規定というのが設けられておりますけれども、私の立場からいうと、肝心なことは、例えば表現の自由などに対して濫用されたような事態が、あるいは予想されるような事態が生じた場合には、ただ単にこの種の注意規定を置くということだけでは、やはりその濫用は防止できないだろうというふうに思います。
 大事なことは、その濫用に対する実効的な歯どめ、すなわち異議の申し立てや救済のためのきちんとした具体的な措置をやはり用意するということをしないと、気休めの規定に終わってしまう可能性があるのではないかな。これはいろいろな法律でそういう規定があるんですけれども、それが果たして本当に機能しているかどうかということについては、その実例も含めてシビアに検証し、チェックする必要があるのかなというふうに私は考えております。
 このように考えますと、児童ポルノ法の改正の方向というのは次のようになるのかなというふうに私は思います。
 現に問題をはらんでいる現行法をそのままにして、単純所持罪を新設したり、将来の創造物規制を導入したりするという方向ではなくて、欧米等の国際的水準にも配慮し、合わせて、さらには表現の自由への適切な考慮、あるいは二つの権利の妥当な調整ということを行った上で、現行法の枠組み自体を整理し、限定するということがまず何よりも私は必要なのではないか。そして、それを踏まえた上で、それがきちんと確認をできた上で、さらに求められる事柄、必要な事柄があれば、新たな規制を慎重に検討していくという方向が望ましいというのが私の意見であります。
 いずれにしても、そういうことを考えると、私は、大きな方向としては、もちろん個別的に幾つか問題点も感じられるところが全くないというわけではありませんが、民主党が提案しているような方向での法の改正、その方向が基本的に私の観点からいうと妥当かなというふうに思います。
 いずれにしましても、両法案とも共通する部分ももちろんありますし、異なった部分も少なくないところがあるわけであって、ぜひその両者のけんけんがくがくの議論も踏まえて審議を行っていってほしいなというふうに強く希望いたします。
 以上です。(拍手)

○山本委員長 どうもありがとうございました。
 以上で参考人の方々の御意見の開陳は終わりました。

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最終更新:2009年07月04日 22:21
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