報道記事 > 足利冤罪事件


朝日新聞

逮捕から17年「判断遅すぎる」 足利事件・刑執行停止(2009/06/04)

http://www.asahi.com/national/update/0604/TKY200906040181.html
 90年代初頭に実施されたDNA型鑑定の結果が再鑑定で覆されていた「足利事件」をめぐり、東京高検は受刑者の刑の執行停止という異例の判断に踏み切った。冤罪を訴え、早期の釈放を求めてきた弁護団からは評価する声が出る一方、判断が遅すぎるとの反発の声も上がった。
 東京・霞が関の東京高検では4日午前、渡辺恵一次席検事が、「刑の執行を停止する」などとしたコメントを淡々と読み上げた。
 「再審で無罪論告をするのか」と問われ、「釈放措置がすべてを物語っている」と否定しなかった。刑の執行停止については「厳しく受け止めている」と述べた。
 再審請求審では、検察側と弁護側がそれぞれ推薦した鑑定人2人が、どちらも「DNA型が一致しない」とする鑑定結果を出した。検察側は刑の執行は停止したものの、弁護側が推薦した本田克也・筑波大教授(法医学)の鑑定については「信用性に欠ける」と主張している。本田教授は「釈放は大変結構なことだ。しかし、なぜこのタイミングなのか。20ページ余りの鑑定書を読んで結論を出すのに、なぜ1カ月もかかるのか全く納得がいかない」と批判した。
 菅家利和受刑者(62)の弁護人を務める渋川孝夫弁護士は「良かったのひとことだ。検察にも良識があったのかと思う。ただ、本当なら、再鑑定の結果が出た時点で釈放すべきだった」と語った。佐藤博史弁護士は「誠に一方的で唐突な釈放。17年半も自由を奪った人に対し、自らの責任の重さを自覚しない行動だと思う」と声を荒らげた。
 弁護団によると、菅家受刑者は先月8日、「DNA型は不一致」とする鑑定書を千葉刑務所でガラス越しに見せられ、涙を流した。「一日も早く再審開始をしていただいて、一刻も早く出してもらって両親のお墓参りをしたい」と語ったという。
 4月11日付で、朝日新聞記者に寄せた手紙にも「私は無実」と繰り返し書かれていた。「再審開始になると信じて毎日すごしております」ともつづられていた。

     ◇
■足利女児殺害事件の経緯
90年5月 栃木県足利市内で女児が行方不明。翌日、渡良瀬川河川敷で遺体が見つかる
91年11月 警察庁科学警察研究所のDNA型鑑定で、菅家受刑者のものと「一致」との結論
  12月 菅家受刑者を逮捕・起訴
92年2月 公判で菅家受刑者が起訴事実を認める
  12月 菅家受刑者が被告人質問で一転、否認
93年7月 宇都宮地裁が求刑通り無期懲役判決
96年5月 東京高裁が菅家受刑者の控訴棄却
00年7月 最高裁が上告棄却、無期懲役判決が確定
02年12月 菅家受刑者と弁護団が独自のDNA型鑑定を新証拠に宇都宮地裁へ再審請求
08年2月 宇都宮地裁が再審請求を棄却。弁護団が東京高裁に即時抗告
  12月 東京高裁がDNA型の再鑑定を決定
09年5月 再鑑定の結果「不一致」との結論

読売新聞

菅家さんと免田さん、冤罪撲滅へ“共闘”誓う(2009/06/05)

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090605-OYT1T00818.htm?from=nwlb
 栃木県足利市で1990年、当時4歳の女児が殺害された「足利事件」で無罪が確定的となり釈放された菅家利和さん(62)と、元死刑囚として初の再審無罪を勝ち取った福岡県大牟田市の免田栄さん(83)が5日、面談し、冤罪(えんざい)撲滅へ“共闘”を誓い合った。
 免田さんはこの日、身柄拘束で国民年金の加入機会を奪われたとして、総務省に受給資格を求める申立書を提出するため上京していた。菅家さんが東京拘置所にいた時に数回、激励に訪れており「喜びを分かち合いたい」と面談を求めた。
 東京・霞が関の弁護士会館で顔を合わせると、免田さんは、再審間近とされる菅家さんを「元気そうで何より。正しい者は最後に勝つ。自分のやっていることに信念を持ちなさい」と、激励。菅家さんは「協力して、冤罪で困っている人を助けましょう」と、力強く応じていた。
(2009年6月5日19時25分 読売新聞)

足利事件と同じDNA鑑定法、飯塚事件再審請求へ(読売新聞/2009/06/06)

http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20090606-OYS1T00214.htm
 1992年に福岡県飯塚市で女児2人が殺害された「飯塚事件」で死刑判決が確定し、昨年10月に刑が執行された久間三千年(くまみちとし)元死刑囚の弁護団が、今秋以降にも福岡地裁に再審請求する方針であることがわかった。
 久間元死刑囚は無罪を主張していたが、最高裁は2006年9月、DNA鑑定の信用性を認めた。弁護団は「足利事件」と同じDNA鑑定法だったこともあり、鑑定の不備を柱に再審を求める方針。久間元死刑囚の親族も請求に同意しているという。
 久間元死刑囚は92年2月、小学1年の女児2人(いずれも当時7歳)を車で連れ去り、殺害して山中に遺棄した疑いで94年9月に逮捕された。犯行を直接裏付ける物証はなく、遺体周辺から採取された血痕のDNA鑑定が一致したことが逮捕につながった。
 飯塚事件の鑑定法は足利事件と同じく、DNAの配列の一部だけを目で見るなどして調べる「MCT118型検査法」を採用。弁護側は「鑑定は不正確」として無罪を主張したが、最高裁は鑑定結果の信用性を認めた。
 弁護団は約15人態勢で、7月上旬にも会議を開き、再審請求に向けた立証方針を決める見通し。まずはDNA鑑定に関する検証に取り組むが、当時の試料は残っておらず再鑑定はできないという。
 弁護団の岩田務弁護士は「再審請求に向けて、さらに鑑定不備を裏付けるような証拠を固めていきたい」と話している。
(2009年6月6日 読売新聞)

産経新聞

【足利事件】「捜査は妥当だった」「思い出したくない」 栃木県警元幹部ら(2009/06/04)

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090604/trl0906041213005-n1.htm
 足利事件で菅家利和さん(62)の釈放が決まった4日午前、事件捜査にあたった元栃木県警幹部らは「捜査は妥当だった」と強気の姿勢を示す一方、「事件のことは思い出したくない」と複雑な表情をみせた。
 「えっ、そうなの」。県警職員は庁舎内で菅家さん釈放決定のニュースを見ると、絶句。幹部らが情報収集に追われた。
 当時の刑事部長(75)は「無罪が確定したわけではない。問題はこれから。法律に基づいて妥当な捜査をし、自供も得ている。(菅家さんが)やったと信じている」と話した。
 別の捜査幹部は、菅家さんの釈放決定を県警関係者から4日朝、電話で知らされたという。自宅前で記者に「何も言うことはない」と繰り返し、いらだちを隠せない様子。「もう思い出させないでくれ」と、記者の質問をさえぎった。
2009.6.4 12:11

<「足利事件」とDNA鑑定>佐藤博史弁護士に聞く(あらたにす/2009/06/02)

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最終更新:2009年06月08日 08:02
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