アメリカの移民政策の歴史
移民政策の年表
1965年 |
メキシコとの間の合法的な農業労働者の輸入協定(ブラセロ計画)の廃止 |
1970年代末 |
国境などでの不法入国による逮捕者が100万人を突破する |
1986年 |
「移民改革統制法」の可決 |
1987-88年 |
「移民改革統制法」に含まれる非合法移民へのアムネスティによって270万人が合法化 |
1990年代 |
草の根的な反移民運動が盛り上がりを始める |
1994年 |
カリフォルニア州で非合法移民への社会的サービスを打ち切る「提案一八七」が可決(賛成59%) |
1996年 |
「非合法移民改革および移民責任法」可決 |
1998年 |
移民帰化局が非合法移民が580万人にのぼるとの推計を発表 |
2000年 |
国勢調査により非合法移民が830万人を超えることが明らかになる |
2001年9月 |
9.11の同時多発テロ事件が勃発 |
2005年 |
非合法移民の数が1200万人以上という推計が有力になる |
2006年3月 |
ロサンゼルスで100万人規模の大規模移民デモ |
関連項目
1986年:「移民改革統制法」
1986年の「移民改革統制法」の大まかな内容は、以下の4点になります。
(1)国境警備などの移民の取締りの強化(新規移民の抑制)
(2)「非合法」であると知った上での移民労働者を雇用した者に罰金を科す「雇用者処罰」の導入
(3)5年以上に渡って継続的にアメリカに滞在していると証明できる非合法移民の合法化(アムネスティ)
(4)農業団体の利害に考慮して、(3)とは別のカテゴリーとして1985-1986の間に90日以上農業に就労した者を合法化するという特別農業労働者プログラム(SAW)
それぞれの規定は、以下のような成果をあげたようです。
(2)の雇用者への懲罰に関しては「故意に不法就労者を雇用」という規定にしたので、実際には偽の証明書を使用する事が広範に行われ、監督官庁と雇用者の間での癒着もあって、この規制は空文化したようです。
(3)の規定には、87年5月~88年5月にかけての1年間で176万人が出頭して、数年のうちに158万人が合法化。
(4)のプログラムには、130万人が応募して110万人が合法化。
1994年:カリフォルニア州での「提案一八七」
「反移民」感情の盛り上がりによって、カリフォルニア州では、不法滞在者向けの社会的サービスの打ち切りを目的とした「提案一八七」という法案が1994年に可決されました(賛成59%、反対41%で可決)。
内容は、公的な医療サービスを受ける事、州立の小中高校及び大学に入学させる際に「合法」「非合法」のチェックを必要とするなどのものですが、連邦裁判所によって「違憲」の疑いがかけられて執行は停止されました。
1996年:非合法移民改革および移民責任法
共和党が提出した法案。
①取締りの強化
②公的サービスへのアクセスの制限
③就労のための証明の電子化の試み
④「7年アムネスティ」と呼ばれる7年間継続して滞在した者への合法化の条件を、「10年以上滞在し、送還されれば、米国市民あるいは合法的な居住者
である配偶者、両親、子供に例外で極端な苦痛を与える場合のみ」に変更。その上限も、年間4000人に定める。
2001年:9.11同時多発テロ事件
「愛国者法」の成立によって、予防的な検挙が可能になり、ムスリム系移民が主な対象になる。
2002年に「移民・関税管理局」が非合法移民を5年間で半減させる計画を発表
報道記事
最終更新:2009年03月23日 06:03