フランスの移民政策の歴史
移民政策の年表
1931年 |
滞在外国人数289万人(人口の7%)に到達 |
1954年 |
植民地のモロッコとチュニジアが独立 |
1960年 |
植民地のセネガル、マリ、モーリタニアが独立 |
1962年 |
植民地のアルジェリアが独立 |
1960年代 |
高度経済成長を達成するためのガストアルバイターの大量受入れ開始 |
1960年代 |
旧植民地出身者(マグレブ、ブラックアフリカ、東南アジア)の大量入国開始 |
1969年 |
トルコとの二国間協定を結び、トルコ人をガストアルバイターとして受入れ開始 |
1973年 |
アムネスティの実施 |
1973年10月 |
第4次中東戦争を契機にオイルショック勃発 |
1974年7月 |
新規の外国人労働者の受入れ停止 |
1976年10月 |
配偶者と未成年の子供限定で移民の家族呼び寄せを許可する政令を発布 |
1977年5月 |
1人1万フランの補助金付き外国人労働者帰国奨励政策開始 |
1981年 |
アムネスティの実施(13万人:1981年1月1日以前に入国、安定雇用を前提に永住許可) |
1981年夏 |
移民の若者の抗議行動 |
1982年7月 |
ポジティブ・アクションとしての「教育優先地域」政策(ZEP)を開始 |
1991年 |
アムネスティの実施 |
1996年3月 |
サンパピエ(不法滞在者)がパリ東部の教会を占拠し正規化のアピール |
1996年8月 |
フランス政府は教会からのサンパピエの強制排除を通告。報道陣の見守る中、排除を実行 |
1996年10月 |
改定移民法(ドブレ法)が提出される |
1997年 |
アムネスティの実施(8万7000人:7年以上居住の家族/雇用申出があり5年以上居住の家族などに永住許可) |
1999年代 |
マグレブ系・ブラックアフリカ系・東南アジア系・トルコ系で外国人人口の55%に |
2005年11月 |
パリでの移民暴動 |
2006年春 |
新移民法の原案提示(選別的移民受入れ、不法滞在者の正規化ストップ→送還) |
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関連項目
移民政策の年表の補足
- 1954年は外国人人口約176万人(ベルギー人、スペイン人、イタリア人、ポーランド人などのヨーロッパ系が8割でアフリカ系が2割)。
- 1960年代。フランスから独立した旧植民地ないし保護国は、移民受入れを旧宗主国に求めた。フランス本土への渡来制限の無かったアルジェリア出身者は独立の年には35万人を数えた。80年代には、マグレブ3国出身の外国人の合計が150万人に達する。
- 74年前後の新規の外国人労働者の受け入れ停止の際、労働者の域内自由化(ローマ条約48条)があったのでEC出身者は対象外。イタリア人労働者などの流入は続く。
- 1977年の「補助金付き外国人労働者帰国省令政策」を開始したが、帰国=ノーマルな展望は失敗に終わった。帰国→再来仏という行動が止み、既に入国・滞在していた者の定住化が進む(一旦帰国すれば、二度と出稼ぎの機会は与えられないと判断したため)。外国人労働者の定住化に伴い、故国からの家族呼び寄せの要が開始される。
- 1977年以降、非EC人が入国を認められる方法は、家族呼び寄せと難民申請が主なルートになる。
- 1981年に実施したアムネスティでは、「不法滞在者の経済的権利の擁護」が第一の目的のため、非正規雇用を行った雇用主への罰則規定が設けられた。アムネスティの対象者の95%が就労者であり、若年の単身男性労働者が主な対象(申請者14万9300人、正規化人数13万1400人)。そのうち最も多かったのが建設労働に従事するポルトガル人、次いでアルジェリア人になっている。
- 1997年に実施したアムネスティでは、「フランスと何らかの家族的繋がりを持つ者」が優先されたため、就労していない女性や子供も多く含まれていた。申請者の国籍は、マリ、セネガル、モーリタニアの順番。
外国人関係の法律
1993年:移民法改定(パスクア法)
通称パスクア法。従来認められていたフランス人の家族を持つ者、フランスでの居住と就労実績を持つ不法滞在者の正規化ルートを閉ざす。
この法案によって正規化ルートが閉ざされたため、不法滞在者の数が急増する。フランス生まれの子供を持つ親(不法滞在者)の場合、摘発された場合でも子供が親と暮らす権利が優先されるため退去強制は適用されず、正規化の道も閉ざされるといった状況になる。
1996年:移民法改定案(ドブレ法)
①フランスにおける家族的繋がりから、退去強制も正規化もできない親に対し、1年毎更新の滞在許可証を交付。
②10年間有効自動更新可の滞在許可証の廃止。「公的秩序を脅かす」と判断された場合は更新を却下できるようになる
③15年以上の居住実績があっても退去強制を執行できる
④EU域外出身外国人全員に指紋捺印を課す
2006年7月:移民法改定(サルコジ法)
(1)有用な技能や資格を持つ外国人を対象に、三年ごとに更新可能な滞在許可を与える制度の新設(修士号以上の学位を持つ学生には四年以上の滞在許可)
(2)家族呼び寄せで来仏する者、及びフランス人とと結婚した者への滞在許可の条件を従来より厳しくする
(3)十年以上の滞在事実のある不法入国者に認められてきた正規化措置の廃止
(4)長期滞在希望者にはフランス語・市民教育の受講を求める
(5)国籍取得者には取得時に記念式典に参加させる
不法滞在者の合法化
- 高度経済成長時代は、警察署にいって簡単な手続きをするだけで正規化
- 1997年以前は、通達により部分的な正規化が行われていたが、対象となるのはフランス生まれの子供の親など。正規化の基準もフランスとの家族的繋がりが重視され、以下のようなものになっている。
(1)フランス人の配偶者
(2)正規滞在外国人の配偶者
(3)難民の配偶者
(4)フランスに長期間居住している家族
(5)家族交流のビザを持たないが、事実上合流した子供
(6)7年以上フランスに恒常的に居住している者
(7)病人
(8)学生
(9)帰国すると生命に危険が生じる恐れがある者
労働問題
家族呼び寄せ
1974年の新規の外国人労働者の受入れ停止という建前上、移民の家族呼び寄せには消極的(外国人労働者の削減が目的なので、妻と子供の呼び寄せを認めてしまうと、労働市場に参入するので)。
人権団体の活動、欧州人権条約の存在により、結局の所家族再統合の承認に向かう。フランスでは、家族が共に生きる権利を認めるのは共和国の
伝統だとする移民支援団体GISTI(移民労働者情報・支援集団)、最高行政裁判所にあるコンセイユ・デタの裁定により、76年の省令で認められる。
認められる範囲は、配偶者と未成年(労働年齢以前)の子供のみで、核家族化のライフスタイルが定着(これは欧州はどこでも同じ)。
一夫多妻の複婚家族は、議論の末、90年代に受け入れ不可とされた。
失業問題
現在:マグレブ系・ブラックアフリカ系・トルコ系→失業率20~26%(イタリア・スペイン系の2倍以上)
その他の問題
母国語教育
75年4月の国民教育省の通達:移民子弟の出身言語・文化の維持は「フランスの学校に適応していく際の積極的要素」
77年9月の国民教育省の通達:帰国した際の適用の容易さ
国籍取得
最終更新:2009年03月22日 22:17