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*目次(関連ページ一覧)
テーマ別まとめ
・[[メインぺージ>http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/282.html]]
資料・統計まとめ
・[[在日コリアン/資料・統計>http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/283.html]]
・[[在日コリアン/報道記事ストック>http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/275.html]]
*基本的な項目の整理
**在日コリアンの歴史
|年度||
|1910年|&color(black,#FAEBBE){日韓併合。朝鮮半島から日本への渡航の自由・朝鮮人の日本居住が許可されるようになり、職を求めて渡航する朝鮮人が増える}|
|1920年|日本国内在住の朝鮮人が3万人を超える(内務省内務省警保局統計)|
|1930年|日本国内在住の朝鮮人が30万人を超える(内務省内務省警保局統計)|
|1938年|日本国民を対象に「国家総動員法」が適用される|
|1939年|「朝鮮人内地移送計画」開始(移送は自由募集により行われ、厚生省と朝鮮総督府の許可を受けた事業主が指定された地域で募集を開始する)|
|1939年|日本国内在住の朝鮮人が100万人を越える|
|1944年9月|国内でのみ適用されていた「国家総動員法」に基づく国内徴用令が朝鮮にも適用される(1945年3月までの7ヶ月間)|
|1945年3月|「国家総動員法」による朝鮮人徴用労務者期間が終了(最終的に日本国内在住の朝鮮人の人数は200万人を超える:注釈①)|
|1945年8月|&color(black,#FAEBBE){日本の敗戦によって太平洋戦争終結}|
|1945年8月|占領軍の命令により、財産持ち帰り制限一人当たり1000円、運賃無料という条件で日本内地で暮らしていた在日朝鮮人140万人が帰還|
|1946年3月|&color(black,#FAEBBE){様々な理由により、終戦時の200万人から帰還した140万人を引いた50万人以上の朝鮮人が日本に留まる(在日1世誕生)}|
|1946年10月|1945年に設立された在日本朝鮮人連盟より共産主義者からの脱却・自立を図り、在日本朝鮮居留民団(民団)が発足|
|1947年|&color(black,#FAEBBE){外国人登録令(ポツダム勅令第207号)が公布され、在日朝鮮人は日本国民ではなく「外国人」に分類される}|
|1948年|朝鮮半島で済州島四・三事件が起きる|
|1950年|&color(black,#FAEBBE){朝鮮半島で「朝鮮戦争」が勃発}|
|1952年|&color(black,#FAEBBE){サンフランシスコ講和条約締結。在日コリアンは朝鮮半島に帰属する民族となり、旧植民地出身者(朝鮮人及び台湾人)は日本国籍を正式に喪失する}|
|1953年|&color(black,#FAEBBE){「朝鮮戦争」が休戦状態になる}|
|1955年|様々な在日内部抗争を経て「在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)」が設立される|
|1956年|朝鮮総連が日本政府に在日朝鮮人の帰国を要請する|
|1959年|&color(black,#FAEBBE){北朝鮮帰還協定調印がされる(帰国事業によって、在日朝鮮人約9万人が「地上の楽園」と宣伝された北朝鮮へ渡る)}|
|1965年|&color(black,#FAEBBE){日韓国交樹立。日韓条約が締結され、在日韓国人の法的地位協定によって韓国籍をもつものには協定永住権が与えられる}|
|1970年|日立裁判闘争が開始され、「民族差別」が政治的なイシューとなる|
|1970年台|国籍条項による行政差別の撤廃を掲げ、在日コリアンによる行政差別撤廃闘争が日本各地で繰り広げられる|
|1982年|日本政府が難民条約を批准する。それに伴い、法的な権利という観点では公務就任権と参政権以外の違いが無くなる|
|1982年|難民条約の批准に伴い、申請期間外に日本で生まれた者も国籍に関係なく特例永住権が認められる|
|1991年|&color(black,#FAEBBE){「出入国管理及び難民認定法」改正。現在の在日コリアン用の在留資格である「特別永住者」が誕生。在日コリアンの在留資格が一本化され、在日コリアンの法的地位の問題が解決する}|
|||
注釈①:1939年の日本国内在住の朝鮮人100万人→終戦直後の200万人の解釈を巡って、「強制連行」を巡る論争有り。外務省の調査では、「増加した100万人のうち、70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるもの。残りの30万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じてきたもので、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数(245人)」とのこと。
関連項目
・[[資料:在日コリアンの人数の推移>http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/283.html#id_e04855c6]]
・[[資料:外国人に対する社会保証制度の適用の推移>http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/274.html#id_22c82a06]]
・[[外国人参政権>http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/216.html]]
参考サイト
・[[在日韓国・朝鮮人 - Wikipedia>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%83%BB%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA]]
・[[在日朝鮮人年表>http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Apricot/9959/nenpyou.html]]
・[[東洋思想特集「在日朝鮮人」>http://blog.livedoor.jp/toyosisou/archives/cat_1357568.html]]
・[[在日朝鮮人の「国籍」について|泰然自若@SNU>http://ameblo.jp/ktaesik/entry-10127321024.html]]
・[[大半、自由意思で居住 外務省、在日朝鮮人で発表 戦時徴用は245人(朝日新聞/1959/07/13)>http://www7.atwiki.jp/epolitics/pages/275.html#id_4c2040fd]]
**在日コリアンの法的地位(在留資格)の変遷
|資格|年度|国籍|条件||
|法126の2の6|1952年|朝鮮籍、在日一世|在留資格なしで無期限在留、子供の在留資格は別途定める|子供や孫の在留資格が不安定|
|4-1-16-2(特定在留)|1952年|朝鮮籍、在日二世|在留期間3年(更新可能、更新手数料無料)||
|4-1-16-3(特別在留)||朝鮮籍、在日三世|在留期間3年以内(更新可能、更新手数料無料)||
|協定永住|1965年|韓国籍限定|||
||||||
||||||
参考サイト
・[[特別永住者 - Wikipedia>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%B0%B8%E4%BD%8F%E8%80%85]]
・[[朝鮮籍 - Wikipedia>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B1%8D]]
・[[在日コリアンの法的地位 早稲田大学法学部水島ゼミ>http://mizushima-s.pos.to/lecture/2004/spring/01/0002.htm]]
・[[特別永住の経過 tsujimoto blog>http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/25/1750381]]
・[[社労士 李怜香の多事多端な日常 - 特別永住に至る法的地位の経緯>http://www.yhlee.org/diary/?date=20060809#p01]]
・[[在日とは、どういう外国人か? (国籍取得条件とからめて) - あるコリア系日本人の徒然草>http://blog.goo.ne.jp/pontaka_001/e/d687fdc583d3da24810e38aa6291760d]]
・[[国籍取得特例法案 - Korean Japanese>http://blog.goo.ne.jp/korean-japanese/e/2321c3b99b01d537d1dd71f32473fb35]]
・[[旧入管法の在留資格一覧表>http://www5d.biglobe.ne.jp/~akio1111/immigration/kyuukubun.html]]
・[[特集 国交40周年…韓日会談時から共生が柱(民団新聞/2005/06/22)>http://www.mindan.org/search_view.php?mode=news&id=5040]]
**在日コリアンの人数の推移
|年度|在日韓国・朝鮮人数|特別永住者数|誕生|死亡|帰化者数|北朝鮮帰還事業|
|1911|2,527||||||
|1912|3,171||||||
|1913|3,635||||||
|1914|3,542||||||
|1915|3,917||||||
|1916|5,624||||||
|1917|14,502||||||
|1918|22,411||||||
|1919|26,605||||||
|1920|30,189||||||
|1921|38,651||||||
|1922|59,722||||||
|1923|80,415||||||
|1924|118,152||||||
|1925|129,870||||||
|1926|143,798||||||
|1927|165,286||||||
|1928|238,102||||||
|1929|275,206||||||
|1930|298,091||||||
|1931|311,247||||||
|1932|390,543||||||
|1933|456,217||||||
|1934|573,695||||||
|1935|625,678||||||
|1936|690,501||||||
|1937|735,689||||||
|1938|799,878||||||
|1939|961,591||||||
|1940|1,190,444||||||
|1941|1,469,230||||||
|1942|1,625,054||||||
|1943|1,882,456||||||
|1944|1,936,843||||||
|1945|1,115,594||||||
|1946|647,006||||||
|1947|598,507||||||
|1948|601,772||||||
|1949|597,561||||||
|1950|544,903||||||
|1951|560,700|特別永住者|誕生|死亡|帰化制度開始||
|1952|535,065||||232||
|1953|575,287||||1,326||
|1954|556,239||||2,435||
|1955|577,682||14,424|3,565|2,434||
|1956|575,287||14,089|3,853|2,290||
|1957|601,769||13,287|4,000|2,737||
|1958|611,085||13,337|3,833|2,246|帰還事業開始|
|1959|619,096||12,641|4,027|2,737|2,942|
|1960|581,257||12,122|3,775|3,763|49,036|
|1961|567,452||11,824|3,486|2,710|22,801|
|1962|569,360||11,772|3,460|3,222|3,497|
|1963|573,537||11,958|3,284|3,558|2,567|
|1964|578,545||12,580|3,315|4,634|1,822|
|1965|583,537||12,645|3,318|3,438|2,255|
|1966|585,278||9,580|3,294|3,816|1,860|
|1967|591,345||12,960|3,338|3,391|1,831|
|1968|598,076||11,337|2,983|3,194|中断|
|1969|607,315||11,892|3,014|1,889|中断|
|1970|614,202||12,070|3,077|4,646|中断|
|1971|622,690||12,599|2,936|2,874|1,318|
|1972|629,809||12,616|3,000|4,983|1,102|
|1973|636,346||12,620|2,982|5,769|704|
|1974|643,096||11,833|3,021|3,973|479|
|1975|647,156||11,597|3,038|6,323|379|
|1976|651,348||10,959|3,008|3,951|256|
|1977|656,233||10,430|3,005|4,261|180|
|1978|659,025||10,010|3,178|5,362|150|
|1979|662,561||9,835|3,261|4,701|126|
|1980|664,536||9,907|3,173|5,987|40|
|1981|667,325||9,295|3,332|6,829|38|
|1982|669,854||9,370|3,319|6,521|26|
|1983|674,581||9,467|3,299|5,532|0|
|1984|687,135||9,363|3,383|4,608|30|
|1985|683,313||4,838|3,417|5,040|0|
|1986|677,959||4,864|3,446|5,110|帰還事業終了|
|1987|676,982||6,161|3,586|4,882||
|1988|677,140||5,986|3,822|4,595||
|1989|681,838||5,426|3,765|4,759||
|1990|687,940||5,253|3,895|5,216||
|1991|693,050||5,121|3,992|5,665||
|1992|688,144||4,624|4,360|7,244||
|1993|682,276||4,233|4,268|7,697||
|1994|676,793||4,183|4,291|8,244||
|1995|666,376||3,650|4,577|10,327||
|1996|657,149||3,587|4,397|9,898||
|1997|645,373||3,234|4,466|9,678||
|1998|638,828||3,102|4,422|9,561||
|1999|636,548||2,798|4,621|10,059||
|2000|635,269|512,269|2,681|4,483|9,842||
|2001|632,405|500,782|2,390|4,513|10,295||
|2002|625,422|489,900|2,468|4,491|9,188||
|2003|613,791|475,952|2,206|4,526|11,778||
|2004|607,419|465,619|2,103|4,446|11,031||
|2005|598,687|451,909|1,876|4,660|9,689||
|2006|598,219||1,792|4,588|8,531||
|2007|593,489||||8,546||
|累計||||296,168|93,339||
参考サイト
・[[人口推移 民団>http://www.mindan.org/toukei.php]]
*資料・手記等
**FAQサイトや資料サイト
・[[在日コリアンFAQ(β) - livedoor Wiki(ウィキ)>http://wiki.livedoor.jp/koreanfaq/]]
・[[戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索>http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/shinbun/]]
**在日コリアンの手記等(はてな匿名ダイアリー)
・こんにちは!こんにちは!帰化手続き中の在日です!([[その1>http://anond.hatelabo.jp/20090414170900]])([[その2>http://anond.hatelabo.jp/20090414225924]])([[その3>http://anond.hatelabo.jp/20090415070440]])
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・それじゃ便乗して民族学校通ってた在日もちょっと書いてみるか。追記あるよー。([[その1>http://anond.hatelabo.jp/20090415055817]])([[その2>http://anond.hatelabo.jp/20090416205054]])
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・帰化について([[その1>http://anond.hatelabo.jp/20090415200018]])([[その2>http://anond.hatelabo.jp/20090416115341]])([[その3>http://anond.hatelabo.jp/20090416002459]])
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・[[のほほんと在日>http://anond.hatelabo.jp/20090416155116]]([[はてなブックマーク>http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090416155116]])
・[[子供の頃、日本人だと思ったら、在日朝鮮人で、いつのまにか日本人になった。>http://anond.hatelabo.jp/20090416212842]]([[はてなブックマーク>http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090416212842]])
・[[子供の頃、中国人だと思っていたら、在日朝鮮人だった自分が便乗して>http://anond.hatelabo.jp/20090416005743]]([[はてなブックマーク>http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090416005743]]
・[[母方の祖父が在日朝鮮か韓国(確認してないのでわからん)人な俺も便乗。>http://anond.hatelabo.jp/20090416154933]]([[はてなブックマーク!>http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090416154933]])
・[[帰化申請=整形説>http://anond.hatelabo.jp/20090415235711]]([[はてなブックマーク>http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090415235711]])
・[[中国人と日本人のハーフの俺も便乗したい>http://anond.hatelabo.jp/20090416151349]]([[はてなブックマーク>http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090416151349]])
・[[俺は沖縄の離島の出身でもちろん日本人なんだが、俺の中では在日琉球人なんてことを意識する時がるあるわけだ。>http://anond.hatelabo.jp/20090416222423]]([[はてなブックマーク>http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090416222423]])
・[[在日貴族が通ってる私立高校から>http://anond.hatelabo.jp/20090417003824]]([[はてなブックマーク>http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090417003824]])
・在ブラジル日系社会([[その1>http://anond.hatelabo.jp/20090415005901]])([[その2>http://anond.hatelabo.jp/20090415164851]])
※上記エントリーへのはてなブックマーク!([[その1>http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090415005901]])([[その2>http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090415164851]])
・[[ハワイの日系移民も100年以上経ってて4世、5世がいる時代になっているけれど>http://anond.hatelabo.jp/20090415112652]]([[はてなブックマーク>http://b.hatena.ne.jp/entry/http://anond.hatelabo.jp/20090415112652]])