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プロローグ」(2008/03/10 (月) 18:18:01) の最新版変更点

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*第一次 ダンゲロス・ハルマゲドン ***1 私立希望崎学園には、時が止まったような静寂が流れていた。 全ての戦いは終わった。 何もかもが静まり返り、敷地内の全ての生き物は呼吸を止めているようだった。 目を凝らしてみれば、校舎屋上のフェンスに、1人の子供が腰掛けているのが見えたかも知れない。 歳の頃は3、4歳。 顔の割に大きな眼鏡をかけた、歳の割に、深く冷たい光を目にたたえた、子供。 彼もまた、さっきまで戦場だったグラウンドを静かに見下ろしている。 「…××が…××…××…か…まぁ、予想通りの結末だな」 誰にも届かないであろう独り言をつぶやいて、彼は立ち上がった。 細いフェンスの上でも、まるで地面に立っているように身じろぎひとつしない。 「これからは、魔人どもの世界…僕のような存在は、どちらに行けばいいのだろうな…」 くるりと振り返り、グラウンドに背を向ける。 フェンスから降りようと、片足を空中に投げ出して…そこで止まった。 「……いくつか…戦場を包んでいた気配があったが…」 もう一度、グラウンドを見やる。 その目には、冷酷な殺意がありありと浮かんでいた。 「…そのうちのひとつは、お前だったのか…!」 忌々しそうに歯噛みをして、その子供――小竹は叫んだ。 「範馬慎太郎! 貴様 見ているなッッ!!」 ビュンッ。 小竹が叫び終わるのとほぼ同時に、下方から、凄まじいスピードで何かが迫る。 黒い物体――競技用のハンマー――は、小竹の頬をかすめて、星空へ吸い込まれていった。 頬を流れる鮮血。 小竹は邪悪な笑みを浮かべてから、高らかに笑った。 「待っているぞ! 13年後だ! その時こそ、貴様と私のどちらが王になるかが決するのだ!」 小竹の叫びが暗闇に吸い込まれ、一瞬の静寂。 次の瞬間、校舎全体に連続して轟音が響き渡る。 黒いハンマーが無差別に、マシンガンのような速度で打ち込まれ、校舎全体にチーズのような穴を空けたのだ。 範馬慎太郎の返答に他ならなかった。 支える力を失い、崩れ落ちてゆく本校舎。 瓦礫と一緒に落下しながら、小竹は邪悪な笑みを崩すことはなかった。 「…魔人の力なしでもこれか…。 我が生涯のライバルにふさわしい!!」 轟音が止んだとき、さっきまで校舎だった瓦礫の山の中に、小竹の姿はなくなっていた。 範馬慎太郎がいたと思われるグラウンドからも、その気配は掻き消えていた。 第一次ダンゲロス・ハルマゲドン。 それが終わったいまとなっては、この学園に生きているものは、いま、誰もいない。 終わりの始まりはおよそ8時間前、午後3時38分――――。 ***2 「…虫ケラどもが…」 希望崎学園 3年生、範馬 博文(はんま ひろぶみ)は、自分に向かって駆けて来る3人の人影に対し、侮蔑の笑みを浮かべた。 「何故、抵抗の無意味を悟れぬ」 範馬は広い校庭の中央で、筋肉の塊とも言える体躯をゆらめかせた。 彼の足元を中心に、周囲には血と脂でてらてらと光る、ゼリー状になった“もの”が点在しており、よく見るとゼリーの中心には、無理矢理アイロンにかけられたかのように、平らに伸びた衣服が見て取れた。 さらに目を凝らせば、元々は頭髪であったものや、眼鏡やアクセサリーであったものまで確認できるかも知れない。 そう、ゼリー状の物体は、ほんの1時間ほど前まではすべて人間であったのだ。 範馬に向かって駆けて来た3人は、彼の10メートルほど手前で停止し、各々の武器を範馬に向けて構えた。 3人の中の1人、黒髪でポニーテールにしている女子生徒が言った。 「番長グループ・幹部のひとり、範馬博文だな。 …覚悟せよ」 その宣言を待っていたかのように、彼女の親指を除く8本の指、その全てに嵌まっている指輪から、煌々と吹き上がる光の刃が伸びた。 同時に、他の2人も己の武器(2人とも、変わった銃のようなものを持っている)の引き金に指を掛ける。 範馬はその様子を落ち着き払った様子で眺め、首を一度だけ、こきっ、と音がするように鳴らした。 「その武器が、“キャタナイン・テイルズ”というやつか? …そうか。 お前が生徒会執行部の王 夏美(ワン シアメイ)か。 ウチの雑魚どもを何人か単独で殺してくれたらしいな。 人間だというのに大したものだ」 王は答えない。 ただ、猫のように油断のない構えで、範馬との距離を測っている。 10メートルなら、1秒。 それで範馬の肉体をレーザークロウで切り裂くことができる。 たとえ範馬の肉体がどれほど頑強であれ、最初の一撃さえやり過ごすことが出来れば、必殺できる自信はあった。 そこで王は、ふと、範馬がその右手に持っているものに気付いた。 「…ああ…お前ら、ボウリングは好きか?」 範馬は余裕たっぷりに右手を掲げる。 その手の先には、16ポンドの黒いボウリングの玉が握られていた。 王は訝しげに目を細める。 範馬はそれに気付いているのかいないのか、道化のような手振りで続けた。 「今日は9人殺していてな…お前らはゲームで言ったら10フレーム目、まぁ、パンチアウトでパーフェクトゲームってところか」 スラスラとボウリング用語を並べ立てる範馬に、王以外の2人――両方とも男子生徒だ――が顔を見合わせる。 その動揺を断ち切ろうと、王が一歩を踏み出した、まさにそのときだった。 「…死ぬ前に教えておいてやる…」 3人は見た。 範馬の体、右腕を中心に、恐ろしいほどの“力”が炎の如くほとばしっているのを。 範馬はそのままボールを持った右手を後方高くへど持ち上げる、見慣れたアドレスの姿勢に入った。 「俺の能力名は“ナカヤマ”。 ボウリングの玉を転がして敵にぶつけるだけの、至ってシンプルな能力だ」 能力について説明をしながらも、範馬の持つボールに、“力”がどんどん収束されていく。 他の2人が完全に気圧されているのを見て、王は初めて自分の両脚が震えていることに気が付いた。 (まずい…何か分からないがまずい!) 範馬は笑みを絶やさないまま続ける。 「なぜ自分の能力をぺらぺら喋っているか分かるか? お前らに決してこれはかわせないからだ くくく」 王はその“力”の量に戦慄しながらも、懸命に己を奮い立たせた。 (いま攻撃しなければ、間違いなく倒されてしまう!) そう思ったときには、体が動いていた。 レーザークロウを振るいながら、範馬との距離を詰める。 (死ね! 範馬博文!) 「…遅い」 範馬はクロウが己の皮膚にタッチするよりも早く、腕を音よりも早く振るってボールを投げていた。 ボールは範馬の肉体を離れた瞬間から、雪山を転がる玉のように、どんどんその大きさを増していく。 王の視界が真っ暗になり―――― (…なんだ、こ) ぶちっ。 王が思考を続けられたのは0.5秒。 王夏美は、ロードローラーに掛けられたように体をボールに引き込まれて、そのまま磨り潰された。 「うわぁぁぁぁぁぁっ!!!」 ゼリー状の塊になった王を後ろに残し、ボールは更に体積を増しながら残る2人に超高速で迫っていく。 たどり着く頃には、その直径は10メートルに達していただろう。 避けることも砕くこともできずに、2人はすぐに王と同じ運命をたどることになった。 ***3 強い風が吹き、砂埃が舞う校庭。 再び1人になった範馬はしばらく無言で肉塊を眺めていたが、やがて軽く手を振って、ボールを呼び戻した。 「パンチアウト成功。 …パーフェクト達成というわけだ…くっくっく」 魔人。 「はっはっはっはっは!」 常人よりも遥かに高い肉体性能と、神より贈られた“特殊能力”に目覚めた元・人間。 「人間ごときが、いくら束になろうとも魔人を超えることはできない!」 その脚力は一瞬で十数メートルの移動を可能にし、体からほとばしる“力”は、ありえない角度への攻撃を可能にする。 「生徒会? 執行部? オオツキの作った特殊武器? 全て無意味! 全てが無価値だ!」 頑強な肉体と精神は、致命的な傷を負っても活動を停止することなく行動し続けることができる。 「魔人率いる我が番長グループこそが、この希望崎学園を、ゆくゆくは世界を統べるにふさわしい!」  虚空に向けて吼え続けていた範馬は、そこでぐるりと顔を左に向けた。 「…そうは思わんか? 進来 走(すずき はしる)」 範馬の視線の先に立っていたのは、彼に比べると余りにも華奢な体つきをした、1人の男子生徒だった。 美しく中世的な顔立ち。 細く茶色がかった髪は、風に流されて空気と絡んでいる。 学ランをマントのようにはためかせ、真っ直ぐに立っているところだけが、2人の共通点だった。 進来と呼ばれた生徒は、王たちのような特殊な武器は持っていないように見えた。 ただ1本、腰に日本刀を携えているだけだ。 彼は静かに、悲しそうに言った。 「…お前は変わらんな、範馬」 範馬は訝しげな顔つきで進来を見ている。 彼の言葉の続きを待っているかのように。 「…まだ、力こそが全てだと思っているのか?」 続く声も哀しみを帯びていたが、その声には僅かに親しみがこもっていたかも知れない。 範馬はそれを受けて、唇の端だけで笑ってみせた。 「…暴力・権力・金力、そして魔人の“力”…。 力に勝るものなどこの世にはない」 「…そうか…」 範馬の言葉に、進来は哀惜の念を表すように目を閉じた。 宿敵ともいえる相手を前にしてのそれは、自殺行為以外の何物でもなかったが、範馬はまた、無言で進来を見つめているだけだった。 進来の表したそれは、確かに哀惜の情だったのかも知れない。 かつての友人だった範馬博文は死んだ。 進来にとって、ここにいるのは“力”と殺戮に酔った、かつての友の成れの果てに過ぎなかった。 進来はゆっくりと、目を開いた。 範馬は再び笑った。 進来の開いた目の中には、決然とした意志だけが存在していたからに他ならなかった。 進来は静かに言った。 「…だったら俺は、お前をここで止める」 いまや、範馬の体は小刻みに震えていた。 恐怖ではない。 恐怖も勿論あったが、それ以上に、この学園で唯一、全力でぶつかり合えると認めた好敵手の全力に、体中が喜びを感じていたのだ。 「…もはや、言葉は要るまい! 行くぞ!」 叫ぶと同時に、吹き荒ぶ風を押し返すように、範馬の体から“力”の奔流が広がっていく。砂煙が範馬の体を中心に渦となり流れた。 一瞬、進来の体が砂煙に隠れ―――― 現れたときには、進来は範馬を見つめていなかった。 「…進来…? どこを見ている! 俺は…」 一瞬の激昂。 しかし範馬は気付いた。 進来の目が、激しい緊張を帯びていることに。 範馬もまた、進来が見ている方――――本校舎の側へと視線を移す。 そこには――――進来よりももっと、遥かに弱々しい、1人の少女が、立っていた。 ***4 赤いセルフレームの眼鏡、黒いニットのセーター、デニムのホットパンツと、太腿まであるニーソックス。 ツインテールの髪は、風に流されて地面と並行に流れている。 虚ろな瞳には、おびただしい数の死体を見てしまったからなのか、何の光も宿していなかった。 ――範馬の目には、ただの人間にしか見えない。 何も知らない一般人が、ただ迷い込んで来たとしか…。 「…あれが何だと言うのだ?」 「気付かないのか、範馬」 進来は、範馬に目を向けることなく言った。 少女から一瞬でも目を背ければ、倒されてしまうとでもいうように。 少女がそこまで警戒される理由も、自分との勝負を蔑ろにされる理由も分からない範馬は、苛立ちを隠すことができなかった。 「…何を言っている…!? このまま俺の能力叩き込んでも文句はないということか!!」 空気が爆発するように膨張する、怒り。 進来はそんな範馬の脅しに耳を貸すことなく、苦々しそうに呟いた。 「逃げろ範馬」 「貴様…!」 侮辱とも取れる進来の言葉に、範馬は我を忘れそうになったが―――― 「…あれは死神だ、たぶん」 「…なに?」 続いた進来の言葉に息を呑み、少女をあらためて見つめた。 範馬には、やはり分からない。 進来が“それ”に気付くことができたのは、進来自身のある特性によるものだったのだが、それもまた、範馬のあずかり知らぬことだった。 だが、彼はすぐにその少女の“異常さ”に気付くことになる。 なぜなら―――― 次の瞬間、少女の姿が視界から消え去り――――目の前に現れたからだ。 「初めまして」 姿と同じ、普通の少女のような無邪気さで笑う。 (このスピード…ッ! こいつ魔人か!?) 「くっ!」 範馬は飛びすさって15メートルほどの距離を取ると、何のためらいもなく能力を発動させた。 「邪魔だ小娘! 潰れて飛び散るがいい!」 己の恃み、激しい“力”の柱が噴き上がる。 しかし、範馬は見た。 少女の体が、薄く紫色の光に輝いているのを。 次の瞬間、私服だったはずの服装はセーラー服へと変化し、その手には機関銃が握られていた。 「…なんだと…ッ」 「死にたいの・だーれだ?」 次の瞬間、範馬の体に無数の銃弾が打ち込まれ、ボウリングの玉は、穴に入れていた指ごと体から離れていった。 内臓深くまでに達した弾丸が、背中から抜けていくのを、範馬は知覚した。 「がぐ…ご…ごぼっ」 完全な致命傷。 魔人の“力”で動くことはできるだろうが、“ナカヤマ”なしで歯が立つ相手だとは思えなかった。 体を撃ち抜かれ、武器を失い、心を折られ、薄れていく意識の中で、範馬は見た。 進来が、無念の表情で自分を見つめているのを。 (…気に…す…るな…) 範馬は倒れ付した。 幾多の兵の血を吸い込んだ砂は、平等に彼の血を受け止める。 (俺は…満足して…いる…お前と…敵には…なっ…ても…自分の力を…示す…こ…とが…) 次の機関銃の音が耳に届くより早く、範馬の思考はそこで断ち切られた。 少女が止めの弾丸を頭に撃ち込んだのだ。 弾丸は広範囲に撒き散らされていたので、遠く、他の場所からも悲鳴や呻き声が薄く聞こえた。 少女は周囲を見回すと、返り血を浴びた顔に笑みを浮かべて、言った。 「快・感♪」 だが笑みを浮かべたのは一瞬のことで、不思議そうな表情で、その場にいる進来を見つめることになる。 ***5 「あれ? あなたには、シンリの弾は当たらなかったのかな?」 進来は少し移動しており、少女から5メートルほどの位置に立っていた。 腰の日本刀に手を掛けたまま、応える。 「…ああ。 運が良かったみたいだな」 「…ふーん?」 進来は自分の“特性”についてはぐらかしただけなのだが、シンリと名乗った少女は意に介さない様子で首を傾げた。 「…あなたは人間なんだねぇ」 「ああ。 まだ、どうにかそうらしい」 1秒ほど、2人の視線は重なっていた。 お互いに、相手の実力を値踏みする。 シンリは満足そうに笑った。 「あなたとは、また後で逢いたいな。 まだ校舎の方には人が残っているみたいだし…」 「…行かせると思うのか?」 シンリは可笑しそうに口を抑えて言う。 「ふふふっ…。 あなたこそ、体は人間なんだからムチャしちゃダメだよ~♪」 言うと同時に地面を蹴って、階段を飛び超え、校舎の方へと駆けて行く。 その背を見送るしかなかった進来は、溜め息をついてから静かに言った。 「…気付かれていたか…。 彼女の力はスケールが違うようだが…1階は生徒会執行部と番長グループの幹部がぶつかっているはず…そう易々とは落とせないだろう…」 その場で少し、咳をした。 受け止めた手のひらに、数滴の、血。 「時間はあまり残されていないようだが…最後まで戦うだけだ」 進来はゆっくりと、階段を一歩ずつ上っていく。 途中で立ち止まり、範馬の遺体を見つめていたが―――― 校舎が轟音が響くと、足取りを速めて、校舎へと急いだ。 第一次 ダンゲロス・ハルマゲドンと呼ばれる戦いの、最終日、午後4時のことである。 【了】
*第一次 ダンゲロス・ハルマゲドン ***1 私立希望崎学園には、時が止まったような静寂が流れていた。 全ての戦いは終わった。 何もかもが静まり返り、敷地内の全ての生き物は呼吸を止めているようだった。 目を凝らしてみれば、校舎屋上のフェンスに、1人の子供が腰掛けているのが見えたかも知れない。 歳の頃は3、4歳。 顔の割に大きな眼鏡をかけた、歳の割に、深く冷たい光を目にたたえた、子供。 彼もまた、さっきまで戦場だったグラウンドを静かに見下ろしている。 「…××が…××…××…か…まぁ、予想通りの結末だな」 誰にも届かないであろう独り言をつぶやいて、彼は立ち上がった。 細いフェンスの上でも、まるで地面に立っているように身じろぎひとつしない。 「これからは、魔人どもの世界…僕のような存在は、どちらに行けばいいのだろうな…」 くるりと振り返り、グラウンドに背を向ける。 フェンスから降りようと、片足を空中に投げ出して…そこで止まった。 「……いくつか…戦場を包んでいた気配があったが…」 もう一度、グラウンドを見やる。 その目には、冷酷な殺意がありありと浮かんでいた。 「…そのうちのひとつは、お前だったのか…!」 忌々しそうに歯噛みをして、その子供――小竹は叫んだ。 「範馬慎太郎! 貴様 見ているなッッ!!」 ビュンッ。 小竹が叫び終わるのとほぼ同時に、下方から、凄まじいスピードで何かが迫る。 黒い物体――競技用のハンマー――は、小竹の頬をかすめて、星空へ吸い込まれていった。 頬を流れる鮮血。 小竹は邪悪な笑みを浮かべてから、高らかに笑った。 「待っているぞ! 13年後だ! その時こそ、貴様と私のどちらが王になるかが決するのだ!」 小竹の叫びが暗闇に吸い込まれ、一瞬の静寂。 次の瞬間、校舎全体に連続して轟音が響き渡る。 黒いハンマーが無差別に、マシンガンのような速度で打ち込まれ、校舎全体にチーズのような穴を空けたのだ。 範馬慎太郎の返答に他ならなかった。 支える力を失い、崩れ落ちてゆく本校舎。 瓦礫と一緒に落下しながら、小竹は邪悪な笑みを崩すことはなかった。 「…魔人の力なしでもこれか…。 我が生涯のライバルにふさわしい!!」 轟音が止んだとき、さっきまで校舎だった瓦礫の山の中に、小竹の姿はなくなっていた。 範馬慎太郎がいたと思われるグラウンドからも、その気配は掻き消えていた。 第一次ダンゲロス・ハルマゲドン。 それが終わったいまとなっては、この学園に生きているものは、いま、誰もいない。 終わりの始まりはおよそ8時間前、午後3時38分――――。 ***2 「…虫ケラどもが…」 希望崎学園 3年生、範馬 博文(はんま ひろぶみ)は、自分に向かって駆けて来る3人の人影に対し、侮蔑の笑みを浮かべた。 「何故、抵抗の無意味を悟れぬ」 範馬は広い校庭の中央で、筋肉の塊とも言える体躯をゆらめかせた。 彼の足元を中心に、周囲には血と脂でてらてらと光る、ゼリー状になった“もの”が点在しており、よく見るとゼリーの中心には、無理矢理アイロンにかけられたかのように、平らに伸びた衣服が見て取れた。 さらに目を凝らせば、元々は頭髪であったものや、眼鏡やアクセサリーであったものまで確認できるかも知れない。 そう、ゼリー状の物体は、ほんの1時間ほど前まではすべて人間であったのだ。 範馬に向かって駆けて来た3人は、彼の10メートルほど手前で停止し、各々の武器を範馬に向けて構えた。 3人の中の1人、黒髪でポニーテールにしている女子生徒が言った。 「番長グループ・幹部のひとり、範馬博文だな。 …覚悟せよ」 その宣言を待っていたかのように、彼女の親指を除く8本の指、その全てに嵌まっている指輪から、煌々と吹き上がる光の刃が伸びた。 同時に、他の2人も己の武器(2人とも、変わった銃のようなものを持っている)の引き金に指を掛ける。 範馬はその様子を落ち着き払った様子で眺め、首を一度だけ、こきっ、と音がするように鳴らした。 「その武器が、“キャタナイン・テイルズ”というやつか? …そうか。 お前が生徒会執行部の王 夏美(ワン シアメイ)か。 ウチの雑魚どもを何人か単独で殺してくれたらしいな。 人間だというのに大したものだ」 王は答えない。 ただ、猫のように油断のない構えで、範馬との距離を測っている。 10メートルなら、1秒。 それで範馬の肉体をレーザークロウで切り裂くことができる。 たとえ範馬の肉体がどれほど頑強であれ、最初の一撃さえやり過ごすことが出来れば、必殺できる自信はあった。 そこで王は、ふと、範馬がその右手に持っているものに気付いた。 「…ああ…お前ら、ボウリングは好きか?」 範馬は余裕たっぷりに右手を掲げる。 その手の先には、16ポンドの黒いボウリングの玉が握られていた。 王は訝しげに目を細める。 範馬はそれに気付いているのかいないのか、道化のような手振りで続けた。 「今日は9人殺していてな…お前らはゲームで言ったら10フレーム目、まぁ、パンチアウトでパーフェクトゲームってところか」 スラスラとボウリング用語を並べ立てる範馬に、王以外の2人――両方とも男子生徒だ――が顔を見合わせる。 その動揺を断ち切ろうと、王が一歩を踏み出した、まさにそのときだった。 「…死ぬ前に教えておいてやる…」 3人は見た。 範馬の体、右腕を中心に、恐ろしいほどの“力”が炎の如くほとばしっているのを。 範馬はそのままボールを持った右手を後方高くへど持ち上げる、見慣れたアドレスの姿勢に入った。 「俺の能力名は“ナカヤマ”。 ボウリングの玉を転がして敵にぶつけるだけの、至ってシンプルな能力だ」 能力について説明をしながらも、範馬の持つボールに、“力”がどんどん収束されていく。 他の2人が完全に気圧されているのを見て、王は初めて自分の両脚が震えていることに気が付いた。 (まずい…何か分からないがまずい!) 範馬は笑みを絶やさないまま続ける。 「なぜ自分の能力をぺらぺら喋っているか分かるか? お前らに決してこれはかわせないからだ くくく」 王はその“力”の量に戦慄しながらも、懸命に己を奮い立たせた。 (いま攻撃しなければ、間違いなく倒されてしまう!) そう思ったときには、体が動いていた。 レーザークロウを振るいながら、範馬との距離を詰める。 (死ね! 範馬博文!) 「…遅い」 範馬はクロウが己の皮膚にタッチするよりも早く、腕を音よりも早く振るってボールを投げていた。 ボールは範馬の肉体を離れた瞬間から、雪山を転がる玉のように、どんどんその大きさを増していく。 王の視界が真っ暗になり―――― (…なんだ、こ) ぶちっ。 王が思考を続けられたのは0.5秒。 王夏美は、ロードローラーに掛けられたように体をボールに引き込まれて、そのまま磨り潰された。 「うわぁぁぁぁぁぁっ!!!」 ゼリー状の塊になった王を後ろに残し、ボールは更に体積を増しながら残る2人に超高速で迫っていく。 たどり着く頃には、その直径は10メートルに達していただろう。 避けることも砕くこともできずに、2人はすぐに王と同じ運命をたどることになった。 ***3 強い風が吹き、砂埃が舞う校庭。 再び1人になった範馬はしばらく無言で肉塊を眺めていたが、やがて軽く手を振って、ボールを呼び戻した。 「パンチアウト成功。 …パーフェクト達成というわけだ…くっくっく」 魔人。 「はっはっはっはっは!」 常人よりも遥かに高い肉体性能と、神より贈られた“特殊能力”に目覚めた元・人間。 「人間ごときが、いくら束になろうとも魔人を超えることはできない!」 その脚力は一瞬で十数メートルの移動を可能にし、体からほとばしる“力”は、ありえない角度への攻撃を可能にする。 「生徒会? 執行部? オオツキの作った特殊武器? 全て無意味! 全てが無価値だ!」 頑強な肉体と精神は、致命的な傷を負っても活動を停止することなく行動し続けることができる。 「魔人率いる我が番長グループこそが、この希望崎学園を、ゆくゆくは世界を統べるにふさわしい!」  虚空に向けて吼え続けていた範馬は、そこでぐるりと顔を左に向けた。 「…そうは思わんか? 進来 走(すずき はしる)」 範馬の視線の先に立っていたのは、彼に比べると余りにも華奢な体つきをした、1人の男子生徒だった。 美しく中世的な顔立ち。 細く茶色がかった髪は、風に流されて空気と絡んでいる。 学ランをマントのようにはためかせ、真っ直ぐに立っているところだけが、2人の共通点だった。 進来と呼ばれた生徒は、王たちのような特殊な武器は持っていないように見えた。 ただ1本、腰に日本刀を携えているだけだ。 彼は静かに、悲しそうに言った。 「…お前は変わらんな、範馬」 範馬は訝しげな顔つきで進来を見ている。 彼の言葉の続きを待っているかのように。 「…まだ、力こそが全てだと思っているのか?」 続く声も哀しみを帯びていたが、その声には僅かに親しみがこもっていたかも知れない。 範馬はそれを受けて、唇の端だけで笑ってみせた。 「…暴力・権力・金力、そして魔人の“力”…。 力に勝るものなどこの世にはない」 「…そうか…」 範馬の言葉に、進来は哀惜の念を表すように目を閉じた。 宿敵ともいえる相手を前にしてのそれは、自殺行為以外の何物でもなかったが、範馬はまた、無言で進来を見つめているだけだった。 進来の表したそれは、確かに哀惜の情だったのかも知れない。 かつての友人だった範馬博文は死んだ。 進来にとって、ここにいるのは“力”と殺戮に酔った、かつての友の成れの果てに過ぎなかった。 進来はゆっくりと、目を開いた。 範馬は再び笑った。 進来の開いた目の中には、決然とした意志だけが存在していたからに他ならなかった。 進来は静かに言った。 「…だったら俺は、お前をここで止める」 いまや、範馬の体は小刻みに震えていた。 恐怖ではない。 恐怖も勿論あったが、それ以上に、この学園で唯一、全力でぶつかり合えると認めた好敵手の全力に、体中が喜びを感じていたのだ。 「…もはや、言葉は要るまい! 行くぞ!」 叫ぶと同時に、吹き荒ぶ風を押し返すように、範馬の体から“力”の奔流が広がっていく。砂煙が範馬の体を中心に渦となり流れた。 一瞬、進来の体が砂煙に隠れ―――― 現れたときには、進来は範馬を見つめていなかった。 「…進来…? どこを見ている! 俺は…」 一瞬の激昂。 しかし範馬は気付いた。 進来の目が、激しい緊張を帯びていることに。 範馬もまた、進来が見ている方――――本校舎の側へと視線を移す。 そこには――――進来よりももっと、遥かに弱々しい、1人の少女が、立っていた。 ***4 赤いセルフレームの眼鏡、黒いニットのセーター、デニムのホットパンツと、太腿まであるニーソックス。 ツインテールの髪は、風に流されて地面と並行に流れている。 虚ろな瞳には、おびただしい数の死体を見てしまったからなのか、何の光も宿していなかった。 ――範馬の目には、ただの人間にしか見えない。 何も知らない一般人が、ただ迷い込んで来たとしか…。 「…あれが何だと言うのだ?」 「気付かないのか、範馬」 進来は、範馬に目を向けることなく言った。 少女から一瞬でも目を背ければ、倒されてしまうとでもいうように。 少女がそこまで警戒される理由も、自分との勝負を蔑ろにされる理由も分からない範馬は、苛立ちを隠すことができなかった。 「…何を言っている…!? このまま俺の能力叩き込んでも文句はないということか!!」 空気が爆発するように膨張する、怒り。 進来はそんな範馬の脅しに耳を貸すことなく、苦々しそうに呟いた。 「逃げろ範馬」 「貴様…!」 侮辱とも取れる進来の言葉に、範馬は我を忘れそうになったが―――― 「…あれは死神だ、たぶん」 「…なに?」 続いた進来の言葉に息を呑み、少女をあらためて見つめた。 範馬には、やはり分からない。 進来が“それ”に気付くことができたのは、進来自身のある特性によるものだったのだが、それもまた、範馬のあずかり知らぬことだった。 だが、彼はすぐにその少女の“異常さ”に気付くことになる。 なぜなら―――― 次の瞬間、少女の姿が視界から消え去り――――目の前に現れたからだ。 「初めまして」 姿と同じ、普通の少女のような無邪気さで笑う。 (このスピード…ッ! こいつ魔人か!?) 「くっ!」 範馬は飛びすさって15メートルほどの距離を取ると、何のためらいもなく能力を発動させた。 「邪魔だ小娘! 潰れて飛び散るがいい!」 己の恃み、激しい“力”の柱が噴き上がる。 しかし、範馬は見た。 少女の体が、薄く紫色の光に輝いているのを。 次の瞬間、私服だったはずの服装はセーラー服へと変化し、その手には機関銃が握られていた。 「…なんだと…ッ」 「死にたいの・だーれだ?」 次の瞬間、範馬の体に無数の銃弾が打ち込まれ、ボウリングの玉は、穴に入れていた指ごと体から離れていった。 内臓深くまでに達した弾丸が、背中から抜けていくのを、範馬は知覚した。 「がぐ…ご…ごぼっ」 完全な致命傷。 魔人の“力”で動くことはできるだろうが、“ナカヤマ”なしで歯が立つ相手だとは思えなかった。 体を撃ち抜かれ、武器を失い、心を折られ、薄れていく意識の中で、範馬は見た。 進来が、無念の表情で自分を見つめているのを。 (…気に…す…るな…) 範馬は倒れ付した。 幾多の兵の血を吸い込んだ砂は、平等に彼の血を受け止める。 (俺は…満足して…いる…お前と…敵には…なっ…ても…自分の力を…示す…こ…とが…) 次の機関銃の音が耳に届くより早く、範馬の思考はそこで断ち切られた。 少女が止めの弾丸を頭に撃ち込んだのだ。 弾丸は広範囲に撒き散らされていたので、遠く、他の場所からも悲鳴や呻き声が薄く聞こえた。 少女は周囲を見回すと、返り血を浴びた顔に笑みを浮かべて、言った。 「快・感♪」 だが笑みを浮かべたのは一瞬のことで、不思議そうな表情で、その場にいる進来を見つめることになる。 ***5 「あれ? あなたには、シンリの弾は当たらなかったのかな?」 進来は少し移動しており、少女から5メートルほどの位置に立っていた。 腰の日本刀に手を掛けたまま、応える。 「…ああ。 運が良かったみたいだな」 「…ふーん?」 進来は自分の“特性”についてはぐらかしただけなのだが、シンリと名乗った少女は意に介さない様子で首を傾げた。 「…あなたは人間なんだねぇ」 「ああ。 まだ、どうにかそうらしい」 1秒ほど、2人の視線は重なっていた。 お互いに、相手の実力を値踏みする。 シンリは満足そうに笑った。 「あなたとは、また後で逢いたいな。 まだ校舎の方には人が残っているみたいだし…」 「…行かせると思うのか?」 シンリは可笑しそうに口を抑えて言う。 「ふふふっ…。 あなたこそ、体は人間なんだからムチャしちゃダメだよ~♪」 言うと同時に地面を蹴って、階段を飛び超え、校舎の方へと駆けて行く。 その背を見送るしかなかった進来は、溜め息をついてから静かに言った。 「…気付かれていたか…。 彼女の力はスケールが違うようだが…1階は生徒会執行部と番長グループの幹部がぶつかっているはず…そう易々とは落とせないだろう…」 その場で少し、咳をした。 受け止めた手のひらに、数滴の、血。 「時間はあまり残されていないようだが…最後まで戦うだけだ」 進来はゆっくりと、階段を一歩ずつ上っていく。 途中で立ち止まり、範馬の遺体を見つめていたが―――― 校舎が轟音が響くと、足取りを速めて、校舎へと急いだ。 第一次 ダンゲロス・ハルマゲドンと呼ばれる戦いの、最終日、午後4時のことである。 【了】 ----

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