創価大学中国語弁論大会開催の経緯


東西冷戦構造の最中、1968年9月8日、創価大学創立者 池田大作先生による
「日中国交正常化提言」がおこなわれた。


当時の日本は、中国を敵視しており、日中関係は一番困難な時期を迎えていた。
しかし、池田先生は自身の身の危険を顧みず、勇気ある提言をされた。
それも国家の代表にではなく、未来の日中友好を担う青年に向かって発表された。


中国での池田先生と西園寺一晃さん(当時 朝日新聞社記者)の懇談の中で、

西園寺さん:「今、一番日中関係において重要なことはなんですか?」

池田先生:「日中友好を担う青年と青年の交流が大事なんです。」

と、話された。そのためには、まず語学の必要性を訴えられた。


その後帰国してすぐ、西園寺さんは
山口和子先生(当時 創価大学中国研究会の顧問)、
大原照久さん(当時 聖教新聞社記者)と話し合い、
その年(1974年)の10月に弁論大会を主催した。


創価大学中国研究会主催の弁論大会には友好があり、
何のためかという目標が明確にあり、
これからの日中友好を担う人材の育成の場所である。

この弁論大会は、日本の中国語弁論大会の先駆け的存在である。
最終更新:2007年11月08日 16:42